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10話


 寒さが骨にまで沁みる冬の終わり、故郷のそれよりいくらかマシな寒さを、身を寄せあって耐える。とはいえ、牛車に積まれた荷物は良い風よけで、護衛の傍ら、守羅と莉凛香は代わる代わる休んだ。

もうすぐ西国だ。西国に入ってしまえば、鬼神の住む霊山のある都まではすぐだ。

守羅の耳が、何やら規則正しい音を捉えた。重く、土を打つ音。

「すまない、少し止めて」

「おうよ」

すっかり気心の知れた仲になった男が頷き、馬車が止まった。莉凛香が首を傾げる。

「どうしたの?」

「じきにわかる」

地響きのような音に、やがて二人は気づく。

「リリカさまー!」

「えっ?私? 」

土煙を上げながら走ってやってきた女は、丸々とした人懐こそうな顔を何度も上下に振った。黒目がちな瞳のためか、肉がついているのに、楚々とした印象を受けた。その頭からは、茶色い耳が二つ垂れている。

「兎人はきちんと話を通してくれたみたい」

女はまた何度も頷く。

「この度はうちの若者を助けて下さり、ありがとうございます! 優秀な兎人の誕生に、郷の者は皆喜んでおります!彼は任務で郷を出ていますが、話は伺っております! 一度郷までお越しください!」

「郷はどこにあるの? 」

「今から案内いたします!そちらの方は……」

「兎人と縁がある人だったとはなあ。俺は単なる行商なんだが、新しい商売相手が欲しかったんだ」

「あら、あなた、拷問には耐えられまして?」

『ご、拷問!?』

驚く三人を兎人は笑う。

「そのくらい口の硬い方としか、兎人は取引しないんです。だから今では、郷の者だけでほとんどの生活を間に合わせております」

「そりゃ、厳しいもんだなぁ」

「今までありがとう。悪いけど、ここからは俺達だけで行った方が良さそう。路銀は約束通りに支払う。堕川を起こしてきて」

「はいよ」

兎人は満足そうに目を細めた。鼻がひくひくと動く。

「それでは、村にご案内しますね! 」

 堕川は結局起きなかった、守羅が背負うしかあるまい。


 兎人の隠れ里といえば、もっと人目を忍んでいるのかと思っていた。しかし、西国の国境近くにある城下町からは、ざわめきが城壁の外にまで聞こえてくる。まるで小さな都だ。活気に溢れ、人と物が行き交っているに違いない。

 守羅がそう述べると、兎人は胸を張った。

「驚いたでしょう! みんな、普段は里から出られませんから、里を面白くする努力は惜しまないんです」

 門での手続きで、皆血判と人相書きを取られた。さらに、荷の検査も厳重で、一国のそれと比べても遜色ない。

 守羅達のような他種族は珍しく、出入りする者もほとんどが兎人である。

「舟の手配はもう済んでおります!鬼神様への紹介状も、すぐにお書きします……と言いたいところなのですが……」

 門にいる役兎人がため息をつく。

「私がいない間に、何かあったのでしょうか……」

「火車が出たのです。おかげさまで、里はてんてこ舞いで……久々のお客様ですから、失礼がないようにしたかったのですが」

「火車?たしかに厄介な妖怪だけど、兎人が手古摺るなんて、意外だ」

「お客様は人里で暮らしてらしたでしょう。火車は戦場では野放しになっておりますし、本来妖怪の死体は食いませんから、我々兎人は火車に詳しくないのです」

「なるほど……なら、力になれるかも。後で声をかけて」

「お客様に手伝ってもらうなんて……」

「莉凛香もいい修行になるし、いいだろ」

「ええ、任せてちょうだい」

「じゃあ、兎人、まずは堕川(にもつ)を預けさせてくれ」


身を纏う暖かな空気に、堕川は目を覚ました。兎人の女が火を炊いていた。

その兎人の頬はふっくらとしていて、着物の下に隠された身体も丸っこい。しかし、受ける印象とは裏腹に筋肉が非常に発達しているためであると、すぐにわかった。もし食えば、さぞ美味いだろう。守羅や莉凛香は嫌がるかもしれないが、鍋にすればきっと食べるだろう。人の営みの中で幾度も見て、旅を始めて初めて食べた温かな食べ物は、なかなか気に入っている。

清明な頭でそんなことをつらつらと考えていると、兎人の視線がじろりと向けられる。

逃れるように窓に目を向けると、空は灰色がかって薄く、まだ冬であることが見て取れた。

冬は川と一体となり沈黙するか、眠って過ごすかだというのに。なお、このふたつの本質にはさしたる違いは無い。

部屋を暖かくして無理やり目覚めさせられた不快感に、堕川は眉を顰めた。

「おい、ここはどこだ。連れの姿も見当たらないが」

「お連れ様でしたら、月人(つきと)と話しています。ご案内しましょうか?」

「いや、構わない。彼らに何かあれば、気配でわかる」

 堕川は再び目を閉じた。今度こそ、春まで目を覚ます気はない。


 隠れ里の警備隊長の月人は、背筋をぴんと伸ばしながら状況を説明した。

「火車は里で死者が出る度に葬列を襲うのだ。それも、どこから出てくるのか分からない。これだけ現れるのだから里に潜んでいるに違いないと思い、しらみ潰しに探しているがなんの痕跡も見当たらない」

「それは珍しいな。そういう火車は退治屋の間では『地獄に隠れている』と言われているけど」

「人間はどう退治しているんだ」

 守羅は首を捻る。薄いまぶたが伏せられる。

「少し聞くけど、近々葬儀の予定はある? どちらにせよ、火車は誘き出さないといけいない」

 月人は声をひそめた。

「ああ、ある。というか、そのことで里はてんてこ舞いだ。術の長の一人が亡くなってな。遺体が食われれば大惨事だ」

「なるほど……なら、あの方法か」

「あの方法? 」

「その場で物理的に退治する方法や呪言もある。ただ、一番確実で、退治屋が一番楽できるのは葬儀を二回に分けて行うことだ。火車の目を欺き、現れた所を確実に退治する」

「なるほど。それは思いもつかなかったな。やはり、人間には妖怪とは違う知恵がある。守羅様、もう少し知恵をお借りしてもよろしいか」

「もちろん。兎人には世話になるから」

 守羅の豊かな尻尾が上機嫌に揺れる。その尻尾に抱きつきたいと思った。土埃にまみれているからと断られることが多いのだけれど。

「莉凛香も聴く?」

「ええ! 」

「それじゃあ、作戦を立てよう」


 術の長は老いた男の兎人で、部隊の殿として戦死したそうだ。その遺体を部隊が回収し、里に着いたのが今日。長い戦歴を持ち尊敬を集める術の長とあって、葬儀は大々的に行われる。

 若者が棺を恭しく背負い、家族が周囲を囲う。その後を彼の弟子達が列を成して続いた。技術と覚悟を持ち合わせた者は、賞賛されるべきだ。傭兵としての兎人のあり方に、守羅は今まで見送ってきた用心棒達を重ね、満足を覚える。

 葬列の先頭がある角を曲がった時、ごおん、と鈍い音とともに生温い風が吹き上がった。その甘く腐った臭いに顔をしかめた時、物陰から人型の獣が飛び出した。

「火車だ! 棺を守れ! 」

 守羅は声を張り上げる。月人が頷き、参列していた弟子に速やかに陣を組ませた。隙なく棺を取り囲み、一部の者だけがボロ布を被った獣に武器を向ける。

 獣はそれをものともせず、空に身を躍らせる。鞭のようにしなる身体には刀も矢も届かない。

身軽な動きで人混みを飛び越え、棺桶の上に着地した。

 ぼろ布の中から現れた手には、長く黄ばんだ爪が生えていた。その手が棺桶の蓋にかかる。

 重たい音を立て、棺の蓋が開く。中に入っているのは長の遺体ではない。河原で拾った石が詰められていた。

 火車の動きが固まる。

「たぁぁあああっ!」

 幾重にも退魔の術が刻まれた白刃が、複雑に光を反射する。妖怪が触れれば死を免れないその刀を、火車は紙一重で躱した。ぼろ布が落ち、火車の姿が露になる。

その姿は、守羅と瓜二つだった。燃え上がるような炎の髪とそれに紛れるように上を向いた耳、紅玉の瞳、長い手の爪と獣の脚を除けば。

 守羅は糸を投げる。髪にひっついている小蜘蛛の糸は、下手な縄より丈夫だ。

 糸は火車に僅かに届かず、風に吹かれて近くの兎人に絡みついた。動揺で手元が狂ったことを確信し、守羅は歯噛みする。

 背後から斬りかかった莉凛香は動じず、正確に火車の胸を貫く。

 火車は嗄れた声で鳴いた。その意味はほとんど聞き取れなかった。

「フウマトウノセイジャ……ソシテ蠑・蜍定娼阮……」

 長く続いた断末魔の後、火車の身体は灰となって消えた。


 里を困らせていた火車を倒したとあって、守羅達への待遇は向上した。また、日華国への渡航手続きも速やかに進んだ。

 兎人の船長は、見たことのないくらい大きな舟を見せて言った。

「見習いに海を渡る術を教え込む訓練がありますので、それに同乗していただく形です」

 続いて、青く霞むほど遠いにもかかわらずなお威圧感を放つ、雲を衝く霊峰を指さす。

「霊山は西国のすぐそこです。見習いの船が出立する前に、鬼神から紹介状を貰ってきてください。鬼神への紹介状はこちらです」

「わかった。悪いけど、堕川を見てて欲しい」

「冬眠中の水霊ですね、いいですよ。次に郷を訪れる際は、名前を教えて頂ければ速やかに入郷できるでしょう」

「ああ、行ってくる」

「お気をつけて」

 世話になった兎人と、これから世話になる兎人に見送られ、守羅と莉凛香は西国へと足を踏み入れた。

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