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05.妖精と魔女

 そうは見えなくても中身が相応に成熟していなくても、フリィは立派な大人と言われる年齢である。ピーナは言うまでもない。世界最古老と言っていいほど年を重ねている。

 お互い大人であるからして、重い空気はなかったことにした。最初の数日こそ互いに読み合うような息苦しさが残ったが、思ったよりも早い時間で穏やかな空気を取り戻すことができた。大切なこの家に、あまり嫌な気持ちを持ち込みたくはないのだ。


 フリィは七歳でこの森の近くに捨てられた。身に着けたのは、質素な服と悪趣味なブレスレット。元実家はずっと遠いところにあったから、わざわざご苦労なことである。

 すでに加齢を迎えて久しいリラリーレインは、残る時間に迷いながら迷える幼子の保護を決めた。その頃のフリィには違う名前があったのだけれど、つまらない過去は捨てちまいなと新しい名前を授けられた。

 自由(フリィ)。魔女というしがらみに取りつかれた哀れな子には、むしろ皮肉でしかなかったと思う。嫌がる幼子を言いくるめ、老婆は頑なに少女をフリィと呼んだ。

 言い続けられれば浸透もする。フリィという名をようやく飲み込んだ少女に容赦せず、リラリーレインは己の持つ魔女の知識を次々と詰め込んだ。


『魔女と呼ばれたことを誇りな。あたしもあんたも、逸脱して優秀だという証拠なのさ』


 それは、今思えば魔女として生きるための術だった。魔女という立場に納得をする方法。魔女という存在を人に許容させる方法。己を卑下せず、胸を張って生きる方法。


『泣くなら涙は畑にやりなァ! ちゃんと満遍なく撒くんだよ!』


 優しい魔法の数々とは違い、彼女は気が強く頑固だった。口が悪くて舌がよく回る人だったから、言い合いで勝てた試しがない。


『ほら覚えな。すぐ覚えな。何度も反復して、決して忘れないように。二度目はないよ。わかるだろう。あたしには時間がない』


 あたし、あんた、という言い方をフリィが真似すると、口が悪いと怒られた。それならば手本を見せろと言えば、悪い見本を見て己を振り返れと跳ね返される。いくら怒られていても共に暮らしていれば口調は似てくるもので、三年も経つ頃にはフリィは随分と上品さに欠けた口調になっていた。

 ある日は魔法を習い、ある日は魔草についてを学び、ある日は魔物の生態を教わり、ある日は知人を紹介された。ギルド長のオッシュとも、彼女を通じて知り合った。なんでも彼が冒険者をしていた頃、酷い怪我を治して貰ったことがあるそうだ。

 リラリーレインは本人の想定よりも長生きをして、七年の時を生きることができた。フリィが貴族の子として生きた時間と同じだけ、彼女のもとで生きることができたのだ。

 七年目、彼女の鮮やかな緑の髪は、目を疑うほどの速度で白く変わっていった。


『色抜けという。全ての生物が迎える終わりの合図さ』


 いくらフリィが泣いて喚いても、リラリーレインの命は尽きる。


『腐るんじゃないよ。踏ん張って生きな。いつか遠い未来、もし死んだ先であたしに会えることがあったとき、張り倒されるような生き方はするな』


 穏やかに笑う彼女を、死を目前にして初めて見た。

 残されたのは家と思い出。それからはずっと一人で過ごしてきたから、思い出と呼ぶほどの出来事は起きていない。まるで時間が止まったようだった。

 最近になって強制的に動かされた時間は、思いのほか居心地のいいものだった。声を上げて笑ったのなんていつ以来だっただろう。

 最初こそ無茶苦茶だったけれど、今となってはピーナの存在に感謝している。この空間はできるだけいい思い出で満たしていきたい。

 あとは、そう、求婚だなんて馬鹿なことをしないでいてくれればもっといいのだが。


【――……――、――】


 ぼんやりとしながら薬を瓶に詰めていると、妖精が眉間に皺を寄せて近寄ってきた。声を荒げてはいないから怒っているわけではないようだ。

 妖精と一口に言っても、肉より魔力で構成されているかの種族は、魔物たちのように個性ある外見をしている。共通しているのは小さな人型をしているところだが、あくまで人が定めた範囲だ。本当は全く違う存在なのかもしれない。

 家に住み着いている妖精は、他の妖精より比較的人に近い。頭部を飾り背へと流れる髪のような水色は、髪と言うより羽で、羽というよりは水である。四肢の先は透けていて、輪郭は大抵水面のように揺らめいていた。


【――、――……。――――】


 水底を揺蕩うような囁き声で訴えられても、フリィにはその意味がわからない。身振り手振りに対してフリィが問いを返しても、やはり妖精にはフリィの言葉を理解できない。

 疎通困難なコミュニケーションを半刻ほど続けていると、出かけていたピーナが帰ってきた。彼は割と頻繁に、長い年月で出会った各地の知人のもとへ顔を出しに行くのだ。

 ついでに見知らぬ魔法に慣れさせようキャンペーンは継続しているらしく、ピーナは一人でトレッカの街へと繰り出している。足りないものを買いに行ったとき、街中で人に囲まれる彼の姿を見た。

 素直な憧憬の目を向ける者もいれば、街一番と言ってもいいほどの美丈夫である彼に色目を使う者もいる。腕にしな垂れかかる女の姿に言いたいことが浮かんだが、余計なお世話であろうと口を閉ざした。


「ただいま。何してるんだ?」

「異文化コミュニケーション」


 庭につくった妖精の水浴び場に異常が起こっているのだというところまで理解できた。


【――…9!】

「お皿? 割れた?」

【――iuer11w999、poi2e99999――】

「そんな両手で連打されてもわかんないわよ。どの辺りがおかしいの?」


 妖精が指さすのは雨水を溜める大きな深皿だ。目を細めて観察すると、清浄を保てるよう刻んだ魔法陣が掠れている。人の目にはまだ効力は変わらないように見えるが、変化に敏感な妖精には故障と思えたのだろう。

 家の中から道具を持ってきて、水を抜いた皿の底をガリガリと削る。魔法の細工物は得意だ。こちらが調節しなくとも、染み出す魔力で勝手に発動してくれるから。

 興味深げに寄ってきたピーナが手元を覗き込む。ざり、と擦れる音に視線をやると、早速気を抜いた彼は尻から尻尾を垂れ下げていた。固い鱗に擦られて、綺麗に整えた草花が倒されている。


「ちょっと、尻尾で庭を掃かないで」

「ああ、すまん」


 大きな尻尾を肩に担ぐくらいなら、しまった方が楽ではないのか。ピーナがそれでいいのならいいけれど。

 作業の邪魔だと言われなかったことに気をよくしたのか、更に端正な顔を寄せた。


「人間ってのは細かいこと得意だよな。そういうところはドワーフに似てる」

「彼らには到底かないっこないわよ。……あなた、ドワーフにも知り合いがいるのね」

「うん。嫁さんにいつも叩かれてる男でな。面白いやつだよ」

「へえ、珍しい」


 ドワーフが集まるのは子を産んで育てる数年だけで、あとは皆、一人で生きていくのが常である。ずっと一人でいるフリィなどは、知り合いのドワーフに同族扱いして揶揄われているほどに一般化された生態だ。

 彼の毛むくじゃらの顔を脳裏に描いて、そういえばドルツ鉱石が不足しているとオッシュに言われていたことを思い出す。


「明日は私の知り合いのドワーフのところに行こうと思うんだけど」

「行く」


 間髪入れずに返事をされて、そうだろうと頷いた。

 であれば必要なものを用意せねばならない。あれとこれと、と注意が散漫になっていると、柳眉を吊り上げた妖精に顔を濡らされた。


【フリィ@adoi-><10478lililitta!】

「ごめんて」


 少しはみ出した陣を粘土で埋めて馴染ませる。削りカスを洗い流して試しに川の水を張れば、魔法陣が淡く輝いて浄化が発動した。どうやらちゃんと直せたようだ。


【―9、―…9、―…―99!】


 雨水を待つべく水を捨てようとするフリィの袖を妖精が引いた。

 水面を何度も指さして、魔力を灯し、水へと放るフリをする。少し考えて、フリィは指先に魔力を灯した。そっと水に指を浸すと、深皿の中の水が発光しだした。

 恐る恐るというように、皿の縁に腰かけた妖精が水面に向けて足を伸ばす。


【!】


 魔力が強過ぎて危ないのではないだろうか。ハラハラしながら見守るフリィの前で、足の先を水につけた妖精が大きく震えた。まるで炭酸水のように、足から頭にかけて小さな気泡が駆け上る。


「だ、大丈夫……?」

【d】


 ぐっと親指を立てた妖精は、こころなしか発光しているようだった。高濃度の魔力の刺激がお気に召したらしい。

 妖精はにこやかにフリィの周りを飛び回った。しばらくすると腹に透ける青い球に魔力を集め始める。

 何をしているのかと見守る先で、妖精は突然腹の中に腕を突っ込んで、核のような球を取り出した。度肝を抜かれて絶句していると、取り出した球とは別の球が、徐々に腹に浮かんでくる。どうやら複製可能なものらしいが、あまり驚かせるのは止めて欲しい。

 取り出された球は、見れば見るほど美しい宝石だった。妖精の体表のように、水らしく揺らめいては形を取り戻す。深い水底に似た青色をした宝石は、フリィの唯一貴族的な瞳の色に似ていた。


【―、―…、…―9!】


 手を出しかけてギリギリで止まる。

 妖精の施しを軽率に受けてはならない。リラリーレインから教わり、後に身をもって知ったことだった。

 妖精の常識は人とは違う。これは間違いなく好意なのだろうが、それが人にとっていいこととは限らないのである。

 昔、フリィは凶暴な魔物に襲われていた別の妖精を助けたことがある。その妖精は多分、純粋に礼がしたかったのだろう。差し出された一輪の花を無防備に受け取った結果、フリィは危うく妖精界に連れて行かれそうになった。妖精界はとてもではないが人間が生きられる場所ではないので、命を助けた礼として、死を賜るところだったのである。


「……気持ちだけ貰っとくわね」

【――9、―…―9?】


 妖精は立てて突き出した手のひらにぐいぐいと宝石を押し当てた。受け取る気がないと気づくと、次はフリィの頬に捩じ込むように押しつける。好意を無下にしている自覚があるので怒るまいが、正直死ぬほど鬱陶しい。

 どうしようかと困っていたら、やり取りを見守っていた竜がふいに口を開いた。

 その声はフリィには聞き取れなかった。あえて例えるならば地鳴りに似た音だったように思う。土属性の妖精が扱う響きを、水属性の妖精はきちんと解せるらしかった。

 幾度かのやり取りの後、ぷくりと頬を膨らませた妖精が、再び宝石を差し出してくる。


「受け取っていいぞ。妖精界行きは諦めるだと」

「やっぱり終末のプレゼントじゃない。こわ……」


 手のひらに転がされた宝石は、ひんやりとしていて気持ちがよかった。まん丸なのになぜだか転がることはなくフリィの肌に吸いついている。スライム玉を美しくしたようだと言ったら、妖精はますます気を損ねるだろうか。


「ありがとね」

【d】


 そのまま水浴び場で遊び始めた妖精を見て、好奇心を刺激された妖精たちが次々に集まってきた。

 瞬く間に彩豊かになった庭から離れながらフリィはじろりと横を睨む。


「喋れるなら最初からあなたがやり取りしなさいよ」

「いや、よく通じるもんだと感心しててな」


 我ながらよくわかったものだと思う。妖精のジェスチャーはわかりにくいのだ。指をさしているところを示しているとは必ずしも限らない。

 だからこそ言葉がわかるなら変わって欲しかったのだが。


「……不躾なこと聞いてもいいか」

「イヤ」

「言葉が通じなくてもあれだけ時間をかけてわかり合おうとするのに、人に対しては早々に口を噤むのはなぜだ?」

「イヤだって言ってんでしょ」


 ムッと引き結んだ口を揉んで、いかんいかんと己を窘めた。この家に嫌な空気は持ち込みたくない。

 深呼吸をして、詰まったような胸に風を通す。


「だって、異種族は元々違うモノだってわかってるから楽じゃない。違うモノが結果的にわかり合えなくても仕方ないと思えるけど、人間同士で言葉を尽くしてもわかり合えなかったら……修復できない、決定的な溝になりそうだもの」


 左の手首ごと、不格好なブレスレットを握り締めた。

 これは過去、フリィが言葉を尽くした跡形だった。奮闘も空しくフリィは家族に捨てられた。それなら同じ愚行はすまい。

 深堀しなければ、傷は浅いままでいられるのだ。


「わからんな。同種に会ったことがないから」

「……そう」


 でも異種族とは上手くやれてるわね、とか、いつか会えるといいわね、とか。

 色々と言葉が頭を巡ったけれど、人付き合いがほとんどないフリィでさえ、それが不適切な発言であることはわかったので沈黙を選んだ。

 代わりに長年の疑問をぶつける。


「妖精がよく言うgigbeeってなんなの?」

「罵倒」


 それはわかっているが、どういう類の罵倒なのかということを聞いているのだ。


「おまえを馬鹿にするやつに言うのには最適だな」


 そうなのか、それはよかった。今後も心置きなく活用していこう。

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