04.格差
作業台の上に散った大量の素材屑を、一抱えほどの半球状の鉢へと移す。通りがかりのピーナが小さな粉まで風でさらってくれたので後片付けが不要になった。
第三の腕のように使われる小さな魔法は本当に便利で羨ましい。今はそれをフリィのために揮ってくれるのだからありがたい。素直に感動するとすぐ求婚が飛んでくるので、控えめな感謝に収めているが。
鉢の中に腕を突っ込む。手から魔力を放出しながらぐるぐると素材をかき混ぜると、大きな魔力に耐えかねた素材がドロリと形を崩した。そこから魔力の半分を回収すれば、ドロドロの液体はやがてボロボロとした土のようになる。もう少しだけ捏ねれば、指先ほどのペレットの完成だ。
鉢にはリラリーレインの魔法がかけられていて、およそ重量を感じない。持ち上げて家から出ると、すでに家を囲む柵の向こうで、餌の時間とみた魔物たちが待ち受けていた。
「ほら、邪魔邪魔」
鉢を片手で抱え直し、柵を開ける。中に入ろうとする魔物の頭を押しやって柵の外に身を置いた。
押し合い圧し合い詰め寄る魔物たちを追い払うように、餌をわし掴んで遠めに撒く。たまにやんちゃ坊主が鉢を直接狙うので、お仕置きとばかりに目のすぐ近くを指で弾いてやった。魔物は個性豊かな見た目をしていて、目が飛び出していたりおかしなところについていたりするが、そこは生物皆に共通する急所である。
「あなたたち、今日も面白い顔してるわね」
べええ、と傍らで餌を食んでいた四つ足の魔物が鳴いた。
この世界には、魔物、妖精、精霊など様々な生物がいる。魔物とは魔力を持つ生物のことなので、定義で言えば、人間も妖精も、魔法を使える生物は全て魔物だ。
しかし人間は一般的に、種族名をつけられていない、魔力を多く内包する生物を魔物と呼称している。虫型とか狼型とか区分はあるが、ドワーフやエルフといった人型他種のような名前はついていないのだ。見た目が奇抜過ぎて分類できないためである。
可愛い魔物というのは稀だ。大体は人の感性からすると残念な外見をしている。外見からは性格を図ることはできず、一見血の滴る肉を好みそうなのに草食であったり、反対に、呑気そうなのに実は人肉を好むような魔物もいる。
そのせいで、人間のほとんどは魔物を嫌い、遠ざける。まあ当たり前だ。意思疎通も図れぬ生物相手なのだから、余計なリスクを背負う必要はない。
フリィとて結界がなければ、あるいは万物をどうにかできる類稀なる魔力がなければ、魔物を手懐けようとなど考えなかった。
空になった鉢を地面に置いて、フリィは小さなハサミを取り出した。
「ちょっと動かないで。手元が逸れちゃう」
体の側面を擦りつけてくる魔物に押されながら、腹から生えたベリーを収穫する。
鉢に放り込んで次の魔物へ。草のような長い体毛を、次回の収穫を考えながら3センタだけ切り取った。
「手伝うかー?」
「ピーナが来たら怯えちゃうでしょ」
とはいえフリィの莫大な魔力に慣れているからか、そう大げさな反応をする個体はいない。せいぜい露骨に距離を取るくらいのものである。
頭から生えた花を摘み、背の窪みに溜まった蜜を掬い、ツノを飾る宝石をいただく。粗方の収穫を終えたら、次は畑の手入れだ。鉢を柵の中に放り込んで家の裏へと向かう。
家の裏手には川が流れている。水を汲んだら、しばらく手のひらでじょうろを包む。こちらも軽量化の魔法がかかっているため重さはほとんど感じない。もういいかなと覗き込むと、じょうろの中は淡く輝いていた。魔力が十分に沁み込んだ水は断続的に光を発するのだ。
魔草の畑に水を撒くのは、ピーナには任せられない仕事である。理由は不明だけれど、彼の魔力は魔草に馴染まない。フリィの魔力を込めた水をピーナが風で撒いても同じで、魔草は魔力を飲み込まなかった。
おかげで仕事を奪われずに済んだ。彼は働き者だから、やれることはきびきびと一人でこなしてしまうのだ。
「……ちょっと、邪魔しないでくれる」
暖かな日差しにぼんやりとしていたら、いつの間にか小さな魔物の一匹がこちらに来ていたようだった。たっぷりの魔力を込めた水を、作物の代わりに心地よさそうに頭から浴びている。
「舐められてるのか。魔女の名折れだな――いって!」
馬鹿にされてムッとしたところで、別の魔物がピーナに追突した。基本的にはピーナから遠ざかりがちな魔物だが、どこにでも悪戯好きはいるものだ。
フリィはざまあみなさいと高らかに笑った。
「人のこと笑うからよ!」
「だからってコイツ、根性があり過ぎるだろ。俺は竜だぞ!」
やり返してくれた魔物の湿った背を撫でる。なんだか可愛く見えて……はこないが、愛嬌が癖になる顔をしているように思えた。
【フリィ@uye9! tiuay^ω^e892pp99!】
家の中で妖精が騒いでいる。妖精というのは基本的に、風に吹かれた葉が擦れるような、水が泡を通すような、あるいは沈黙を支える焚火のような、自然に近い風雅な声で喋るものだが、どんな声でもやはり喧しいときにはただただ喧しい。
香りのよい魔草を少量摘んで、家の窓から中を覗く。出窓の上に置かれたグラスは、すでに水でなみなみと満たされていた。待ちきれずに自分で用意したらしい。呆れながら揉んだ魔草を放り込むと、飛び上がって喜んだ妖精は指先に口づけて水浴びを楽しみだした。
平和な光景をしばし楽しんで――フリィは午後の予定を思って重い溜息を吐いた。
取り扱うものが高価なので貯えは十分にあるが、金は余って困るものではないし、魔物の素材は頻繁に収穫できる。その中には足が早いものがいくつもあった。そして何より、依頼がある。
つまるところ、納品しなければならない。そう、ギルドに行かねばならないのである。最悪の空気で退散したあの場所に。
「絶対感じ悪いから、来ない方がいいわよ」
「感じが悪いところに嫁が行くなら行くに決まってるよな」
「勝手に嫁にしないで」
よせばいいのに、ピーナは当たり前の顔をして同行を申し出た。
そうして背中を丸めて訪れたギルドは案の定だった。
昨日ぶつかったギルド職員が涙目でビクビクしている。周囲の職員の目もきつく、顔を見合わせてはコソコソと何かを言い合っていた。
陰口ならばもっとわからないように言えと思う。そうしたら、元々尻上がった短く太い眉がますます角度を上げることもないのに。
「おいテメェら、この間の説教思い出せ! ……嬢ちゃん、悪い、こっちだ」
誘われて小部屋へ進むフリィの後を、ピーナは追ってこなかった。
「本当、悪い。言い聞かせてはいるんだが……」
「別にいいわよ。いつものことだわ」
「それをいつものことにしたくないんだがなあ」
親ほどの年のオッシュに何度も謝られると、尻の座りが悪くなるので止めて欲しい。
言葉少なな気まずい取引を終えて部屋から出る。今日こそ誰にも当たらないよう、先にオッシュに出て貰った上で慎重に左右を確かめた。
「ええ、そんなこともできるんですか」
「すごーい!」
ギルドの受付場は、依頼書を貼る掲示板の他、休憩所が併設されていて軽食が取れるようになっている。その一角から上がった歓声につられて顔を向けると、中央にはそろそろ見慣れた巨人が立っていた。
ピーナは手のひらの上に水を出し、精巧な竜を形づくる。高らかに吠えた水の竜の口から炎が飛び出した。踏み出した足の先で地面が隆起してその力強さを物語る。翼を広げて何かを探すようにギルドの天井付近を飛び回った小さな竜は、やがて光の粒子となって消えてしまった。
フリィには、それが酷く寂しい見世物に見えた。人々は巧みな魔法に喜んでいる。囲まれて背や肩を気安げに叩かれているピーナは鷹揚に笑っているから、きっとフリィの感性が皆とは違うのだろう。
「ピーナさんは魔法使い様なんですか?」
「いいや。魔力はそこそこあるが、認定は受けてない」
「王都に行けば絶対魔法使いになれるよ!」
「……強い魔力は怖いんじゃないのか」
「どうして。魔法使い様は怖くないですよ」
視線を逸らして出口へ向かう。うろたえるオッシュは今日も可哀相に。彼はまたフリィを気まずくさせたことを申し訳なく思うのだろう。
「魔女だって同じはずなのにな」
扉の向こうから聞こえた声の主は、今度はすぐにフリィを追ってきた。
追いつかれたくなくて精一杯に大股で歩いても、少しも抗えない足の長さが憎らしい。
「悪い」
「何が」
吐き捨てるような声になったことを反省した。別にピーナは悪くない。フリィが当たり前の光景に勝手に気分を害しただけのことだ。
「大きな魔法が怖いなら、ああいうこともできるんだと思えば恐怖心も薄れるかと思ったんだが」
「ピーナにも疎い常識があるのね。英雄王は魔法使いだったから、魔女と違って魔法使いは特別なのよ」
「同じ人間だろ」
「違うんじゃない。あの人たちにとっては」
世の中なんてそういうものだ。上が悪と言えば下も従う。継がれた伝統は簡単に消えることなく、根深く残り続けていく。
「同じ人間なのにな……」
フリィは彼らと同じ人間のはずだけれど、ピーナの方がずっと彼らの中に馴染んでいた。
嫌みにしか聞こえない言葉を胸にしまって、それでも思わずにはいられなかった。
ほら、やっぱり来ない方がよかっただろうと。