25.竜と人
旋回をしたピーナは語る。
「過去に飛ぼうとしたことがある」
二百を数えた頃だった。一向に会えない同族に痺れを切らせて、竜がまだいたのであろう時代に戻ればいいと考えた。
ピーナには自信があった。魔力の扱いはこの世界の何者よりも上手かったから、己の名前にもした自慢の翼に魔法をかければ、どこにでも飛べると信じていた。
結果はお察しの通りだ。
「過去に戻れなんてしなかった。辛うじて侵入できた時空の裂け目で片翼を刻まれて、這う這うの体で戻ってきたよ。魔力炉までやられて、竜の膨大な魔力のほとんどを使えなくなった。体の色も変わってな……色抜けに似た現象なんだろう。死にかけみたいな色になった」
そういえばピーナは魔物退治のときでさえ、派手な魔法を使わなかった。それでもそこらの魔法使いよりは断然強力なのだから、やはり竜というのは凄い生物だ。
「リラリーレインは凄いな。彼女の手記にあった過去戻りは、俺が創った魔法と同じようなものだった。でも、彼女はちゃんと思い止まったんだ。魔女を生み出す前の世界に戻ることを」
「戻ってたら、どうなってたのかしら」
「誰も時間には干渉できないんじゃないか。だって、起こったことが覆ったらどこまでだって覆せちまう。世界を滅ぼそうとする誰かは、未来に一人もいないのか? 今があるってことはそういうことだと俺は思う。もし滅ぼそうとしたやつがいたとしたら、今頃はきっと俺と同じようにお叱りを受けてしょんぼりしてる」
笑うピーナには、もうわだかまりはないようだった。
二百年か。奇しくもリラリーレインとピーナ、どちらも同じくらいに過去戻りを考えたらしい。フリィはまだまだ先だ。その頃の自分は、どういう気持ちで生きているのだろう。
とにかく隣にはピーナがいるはすだと愚直に考えた。それなら間違いなく、過去に戻りたいなんて思わない。二人は大変だったなと、想像すらできずに同情する。
「……ねえ、私が竜の姿で一緒に飛んだら嬉しい?」
「なんだ急に。嬉しいけど……うーん、並んでるよりもおまえが背中に乗ってる方がいいかもなあ」
「人の姿でいいの?」
「どっちでもいいよ。フリィだろ」
どうにか過去を労わりたくて喜びそうな提案をしたが、いまいち心には響かなかったようである。
代案をうんうんと考えているうちに、見慣れた景色が見えてきた。
「街が見えたぞ」
帰り道は悠長に飛んだから、程々に時間がかかった。
腐竜が出てきたところに、大きな穴が開いている。肉の破片が落ちて掃除が大変そうだ。
「街に降りるの?」
「……」
広場には兵士が並んでいた。上空を指さして何やら喚いている。街の人々は各々端に寄って、こちらを見上げている。
無言のまま、ピーナは翼を羽ばたかせた。ゆっくりと下降する竜を、兵士たちが取り囲む。
数多の武器を向けられて、フリィは急いでピーナの背から飛び降りた。
「竜の魔女め! 悪しき竜を使役するとは、やはり悪しき者だったか!」
「誰が悪しき竜なのよ。身を挺して皆を庇った善き竜でしょうが!」
隊長と思わしき男が怒鳴るのに、腹の底から声を出して怒鳴り返す。
フンと鼻で笑う様子がマルコにそっくりだったが、まさか親族ではあるまいなと疑った。それとも貴族の多くがこうなのか。
「とにかく、あの竜はもういないわよ。あなたたちもさっさと撤収するのね」
最低限の報告をすれば帰るかと思ったのだが当てが外れたようだった。
男は偉そうに胸を張りながら、仰々しく手にした書状を、私情を交えながら読み上げる。
「侯爵閣下よりお言葉をいただいている。見事魔物を討伐したあかつきには、下賤な魔女を私兵に加えてやってもいいとのことだ。喜ぶがいいぞ」
「お断りよ。どうしてそれで頷くと思うの、アホらしい」
敵意ありと見て、槍の穂先がピーナからフリィへと角度を変えた。途端、ピーナが咆哮を上げ、男の傍らに雷を落とす。
悲鳴を上げて男が転がる。尻で這って後ろに下がり、ぶるぶると震えながら顔を赤くした。
「な、こ、こんな、ただで済むと思うな!」
それでも虚勢を張れるのには少し感心するが、相手は選んだ方がいい。
「ただで済むと思うな、だと?」
ズシリと巨体が一歩踏み出した。
「竜のただひとりの魔女を傷つけて、キサマらこそただで済むと思うなよ」
……本当は。
誤魔化そうと思ったのだ。ピーナは竜化の魔法を使っているだけで、竜ではないと。そうしたら街の人々にある程度受け入れられているこのままで暮らせるのではないかと思っていた。
でもいつまで経っても竜の姿のままの彼にはその気がないようだし、正体を黙っているだけならともかく、フリィも偽りを述べるのはなんだか嫌になった。
だって、ピーナが竜ではなかったのなら、フリィは恐らく彼に出会えていない。ピーナに出会えないフリィは、人々に追いやられたまま、それこそ悪しき者になっていたかもしれない。
そんなピーナを否定するなら、それでいいかと思った。追いやられるなら彼と共にどこかへ行こう。
高まる緊張の中、左手の手枷を指先で弄ぶ。チャラリと響いた音に、竜の視線がこちらに移った。
ふと、ピーナの目が何やら悪戯めいた光を宿していることに気づく。なんだろうと首を傾げると、彼は兵士の垣の端へと顔を向けた。
つられて目を向けた先で――兵士の一人の体が揺らいだ。
真っ直ぐに前へと倒れていくのがスローモーションに見えた。倒れた兵士の向こう側に、見慣れたシスターの姿があった。
「理不尽に友達を虐める人……怖い……」
シスター、もといシスターもどきである冒険者のユメルは、ぽろぽろと涙を流しながらも両の拳をしっかりと握り、倒れた兵士の隣の二人を続けざまに殴り倒す。
「やられる前に、やらなきゃ……!」
そこからの流れはもう、わけがわからなかった。
次々と拳を振るうユメルに、武器を手にしたオッシュが追随した。まさかの方向から奇襲を受けた兵士たちが陣形を整える前に、挨拶を交わすようになっていた冒険者たちも参戦する。さすがに深手を負わせてはいないが、後に響かない程度には痛めつけているようだった。隣の者と顔を見合わせ、ギルド職員や街の人もロープを手に駆け回った。倒れた兵士を拘束し、拘束する前に起き上がった者はもう一度気絶させている。
今フライパンを振り下ろした勇ましい女性は、もしかして小物屋の女主人だろうか。あそこで往復ビンタを食らわせているのは、まさかハルタだろうか。
ぽかんと喧噪を眺めるフリィに、人の形に変わったピーナが並んだ。心の底から楽しそうに声を上げて笑っている。
「何これ」
「賭けに勝ったんだよ。勝算は程々だったけど、まさかここまで多いとはなあ」
「賭け?」
「友情に垣根はないんだろ。種族の壁は越えられるんだろ。俺が竜だってバラシても受け入れてくれる人間がいるって、信じてみようかと思ったんだ」
「……広場に降りる前は、最悪、悪者ぶってあなた一人で飛んで行っちゃうんじゃないかって思ったわ」
「前ならそうしたかもな。でも約束したろ。一緒にいるって」
強気な発言をしながらも、フリィを見下ろす目は潤んでいる。
指摘するのは止めておいた。フリィだって多分人のことは言えない顔をしているだろうから。
「もし受け入れてくれる人間がいなかったら、おまえだけ攫って行くところだった」
「本当かしら。どうせ友人と引き離すのはって悩むわよ、ピーナは」
図星だったのだろう。痛いところを突かれたという顔をしてそっぽを向いてしまった。
でもまあ、過去には戻れない。人々に受け入れられなかった二人はいないのだ。
「き、キサマら! 魔女と竜を庇うのか!?」
「守ってくれた人に泥をかける方がどうかしてます!」
「だよなあ」
「恩人だもんな。恩竜っていうのか?」
「恩人でいいんじゃないか。なんかまた人になってるし」
ハルタの叫びに、迷っていた人々も頷いていた。




