18.冤罪
リリリッタに人間の常識を学ばせるには一月がかかった。
いや、厳密には未だ常識を理解したとは言い難い。しかしとりあえず、人目につかないようにする、暴れない、気に入ったものを妖精界に持って帰ろうとしない、是非の判断がつかなければピーナに聞くということは理解させ、徹底させた。
他の妖精もついて来たがっていたようだが、うちの子すら御せる自信がないのに、団体など間違いなく無理だ。異文化体験ツアーはご遠慮願い、絶対についてこないようピーナに説得を任せた。最終的に竜の咆哮が轟いていたから恐らく大丈夫だろうと思う。
【――、……、――9!】
「これ理解できてると思う?」
「させたつもりなんだがなあ」
ローブの下からしきりに顔を出すリリリッタを、ピーナが両手で包んで持って行った。防音の魔法でコーティングして、どこから取り出したのか瓶の中へ。蓋を閉めるとフリィの手に握らせた。
「一定以上の魔力がないやつには水に見えるから、そのまま持っとけ」
「暴れてるけど、これ割れないかしら」
「割れないとは思うが、蓋は開くかもな」
フリィが持ったままの瓶の蓋を固く締め直し、これでよしと満足そうに笑う。ピーナはなんだか妖精に当たりが強いから、過去に手酷い悪戯を受けたりしたことがあるのかもしれない。
「それじゃ、ギルド行くか」
最近、街で視線を集めることが少なくなった。ちらりとこちらを見はするのだが、これまでのように導火線を見守るような警戒が続かない。ああ魔女がいるな、という感じだ。
なんだかこれはこれで落ち着かなくて、無駄に視線をさまよわせてしまう。ふわふわと建物の上を見て。
「……ピーナ、あれ」
「ちょっと捕獲してくるな」
ずらりと並んだ妖精の群れに頬を引き攣らせた。いつもいつも気まぐれなのに、なぜそう余計な方向に意思が強いのだ。
颯爽と去ったピーナにエールを送り、一足先にギルドへ向かう。
今日はユメルかザイードに会えるだろうかと心弾ませながら慣れた道を進む。ふと、ギルドが近づくにつれ、戸惑いの視線を向ける者が増えたことに気づいた。
また何かトラブルに巻き込まれる予感がする。覚悟を決めてギルドの扉を開けると。
「ああ、あいつですよ、盗人は!」
巻き込まれるどころか、トラブルは全力で体当たりをしてきたようだった。
小太りの男が指さす先には、来たばかりのフリィの姿。応対するのは鑑定コーナーの憎き……なんだったか、名前は忘れたが、とにかく因縁のある男。ニヤニヤと笑って、ああなるほどといやらしい声を出す。
「卑しい魔女ですからね。窃盗くらいはするでしょう」
「そうでしょう!? まったく、なぜあんなものを国は放置しておくのだか!」
「おい、止めろマルコ。ガーハッドさんも。証拠はないのでしょう。あまりに品位に欠ける発言を繰り返されるようなら、ギルドは取引を止めることも検討させて貰いますよ」
彼らの傍では、こめかみに青筋を立てたオッシュが必死に怒りを押し殺していた。
ギルド長の注意を因縁の男ことマルコは鼻で笑い飛ばし、ガーハッドと呼ばれた商人らしき男は顔を真っ赤にしてフリィに突進してくる。
驚きのあまり対応が遅れた。襟元を強く引かれると、留めたローブが緩んで落ちる。
その下から飛び出したペンダントに、ガーハッドは目を光らせた。
「これです! やはりこの卑しい魔女が私の商品を盗っていたんです!」
「はぁ!? 何があなたのものなのよ!」
伸びてきた手を叩き落す。容赦のない平手に、男は情けない悲鳴を上げた。
助けてとか、魔女が暴力をと叫ぶ声に、瓶が割れる音が重なった。ペンダントトップの宝石を握り締めた手と、男の手を叩いた手。では、持っていたリリリッタの瓶はどこに?
床に広がる水が答えをくれた。瓶の欠片がドロドロに溶け、澄んだ液体に吸収される。
ゆっくりと盛り上がった水は、顔をつくり、体を成型し、最後に両手をぶわりと広げた。その腕はいつものように輪郭をあやふやにはしていない。爪楊枝のように細い指はなく、肘の先は真っ直ぐに伸び、鋭利に尖って艶めいている。
【……、――、――9! gigbee!】
「リリリッタ、ダメダメ、ストップよ!」
慌てて彼女の胴体を掴んで止めた。
どう見ても激怒している。どう考えても男を殺そうとしている。正直、フリィに掴みかかったガーハッドと嘲笑を向けたマルコ、どちらを標的としているかはわからない。しかしフリィの勘は告げていた。今現在どちらが標的であれ、最終的に葉両方とも殺す気であると。
溶けてすり抜けようとするリリリッタを何度も掴み直す。しまいには手に魔力を込めて氷をつくり表面を固めた。小さな魔力の制御はフリィには大変難しいが、死人が出るともなればできるものだ。
「ひ、な、なんだそれは、魔女の汚らわしき使い魔か……?」
「私の可愛い友達よ! ちょっと黙ってなさ……あっつい! リリリッタ熱いの嫌いでしょう、そんな全力で抵抗しないで」
「妖精かあれ、初めて見た」
「えっ、妖精? 可愛い!」
「いやめちゃくちゃ怒ってるじゃん。ヤバいって」
ギルド職員も交えてぎゃあぎゃあと騒いでいると、ようやくピーナが追いついた。
「ピーナ、リリリッタ止めて!」
【uyiuy9ピーナ@sapo78042#゜Д゜asd00213-lyt2!】
「あ?」
叫んだのは同時だったと思う。彼を動かしたのは妖精の怒りに満ちた叫びだったようで、温厚な顔がオーガと化した。
追加で負けじと声を上げる。
「私が宝石盗んだんだって冤罪向けられてるの。このまま攻撃したら事実にされちゃうから、とりあえず仕切り直させて!」
「……そういうことなら」
ぱちりとピーナが指を鳴らすと、リリリッタの手の先が折れた。取り込んだガラスがそこに集結していたようで、痛みを感じる素振りもなくいつもの手が自然に生える。熱湯になりかけていた体温も元に戻って、赤くなった指先を冷やしてくれた。
彼はリリリッタに某かを言い聞かせ、もう離していいぞとフリィに告げた。疑い半分手を開く。飛び出した彼女は猛獣のように飛びかかることなく、ちゃんと傍で浮遊するだけに留まった。
一息ついて、ようやく弁解へと至る。
「この宝石は、私がこの妖精に貰ったものよ。盗ったなんて人聞きの悪いこと言わないでくれるかしら」
「そうですよ。俺も聞いたし、以前嬢ちゃんに見せて貰ったこともある。仮に盗られたんだとしても、一か月以上も気づかないだなんてないでしょう」
堂々と言い返したフリィをオッシュが後押ししてくれた。ユメルが宝石のことを口にして、妖精から貰ったなど珍しいと彼も見たがったのだ。
信用あるギルド長の言うことだから、職員はそうなのかというような顔をした。けれど、商人と一部の性悪たちはブレない。
「ギルド長はその魔女と組んでるからそう言うんだろ。裏で何貰ってんだか」
「そうなのですか? おお、異端の魔女と契約を交わすなど、なんと嘆かわしい。それでは信憑性の欠片もありませんな」
「……ああ? アンタも彼女の納品物を受け取ってんだろうが。都合のいいときだけ利用して、汚いったらねえぜ」
オッシュの儚い猫が逃げ出した。そろそろ頭の血管が切れそうで心配だ。
何を言えば通じるのだろうと考える。恐らくガーハッドは本気でフリィに品を盗られたと思っているわけではなく、虚言で高価な品を奪い取ろうと言いがかりをつけてきているのだろう。だから何を言っても文句は続く。マルコもフリィという魔女を馬鹿にして踏み躙りたいだけだから、説得にはきっと応じない。
本人が応じないなら、それ以外のギルド職員や冒険者を納得させるのはどうだろう。マルコはやりたい放題しているが、ガーハッドには商人という立場がある。多数の声に押されれば、言いがかりを撤回せずにはいられないはずだ。
【2435kjl 134ki000pl; ;lkasidu kjoフリィasyooo;;p!】
いくら無茶苦茶だとはいえ、人がフリィの意見を肯定してくれるかどうかはわからないが、とりあえずはそれしかない。くれた本人の証言を取ろうとピーナを仰ぐ。
「ねえピーナ、リリリッタの言葉を皆に伝わるよう翻訳できる?」
「はいよ」
彼がひらりと指を閃かせると、見た目に愛らしい妖精から飛び出す囁きのような声が、途端に意味を伴った。
【自分/フリィ//あげる/した/核/...貴様gigbee/八つ裂き//殺す!】
「おっと」
パチンとピーナが指を鳴らす。物騒な叫びは、また頭に響く超音波となった。
「ええと……それは自分がフリィにやったものだから、取り上げるなんて許さないぞ、だと」
「そうだったかしら」
「あ、あの!」
疑惑の意訳に首を傾げていると、思わぬ方向から声が上がった。