15.知らなかっただけ
酒を飲んだ記憶は戻らなかったが、ピーナについて悩んだことは覚えていた。
何週間考えてもいい答えは浮かばない。占いが得意だった緑の魔女にあやかってナナキの枝を倒しても、心得のないフリィに読み解けるものはなかったし、そもそも土の妖精が邪魔をしていつまで経っても枝は倒れすらしなかった。埋めるな、接地面を。
こういうときには亀の甲より年の功。何かいい話でもしてくれるかもしれないと、トートドードのところへ駆けつけた。当然ピーナも一緒である。
友達ができたら来いと言われたから、そのついでだったのだが。
「ホントに来ンのか!」
友達ができたよと顔を出すなり、彼は爆笑して家中を転げ回った。ご自慢の毛でひとしきり埃を集めたところでフリィを見て、またもひきつけを起こしたかのように笑い始めたから、腹が立ってそこらの鉱物でつくった檻に閉じ込める。
すると、笑いの波はどこへやら。新素材に手を出すなと怒り出した。
「言いに来いって言うから来たんでしょ!」
「オメーのそーいう素直なトコ、可愛げがあってイーとワシは思う」
「わかる。捻くれてるようで、根っこが素直なんだよな」
使った素材を元の形に戻し、閉じ込めたドワーフを解放する。まだ気が晴れないからもう一度閉じ込めてもいいだろうか。今度はピーナも一緒に。
滲み出る敵意を察知したのだろうか、トートドードは下手くそな咳払いをして佇まいを正した。ふわふわと舞う埃に嫌な顔をしてピーナが風を流す。
「そンで、トモダチとはドーなんだ?」
ユメルとザイードは、フリィたちがギルドに行くと、大抵の場合そこにいる。いつもいるわけではないらしい。彼女たちは、友情パワーだとかなんとか口にして胸を張っていた。魔力探知的な何かだろうか。フリィにはわかりかねる。
「仲良くしてる、けど」
「ケド?」
「よくわからないのよね。友達って何かしら」
ピーナのことは置いておいて、フリィは初めての友達とどのように接したらいいのかを心底悩んでいた。
ピーナはいつもの通りでいいと言った。ユメルとザイードもそう言ったし、恥を忍んで聞いたオッシュも同じことを言った。
しかし、いつもの通りと言ったら、ただとりとめのない雑談を交わしたりするだけである。
先日は髪の色についての話をした。肩身の狭い話だったが、二人は真っ黒な髪を綺麗だと褒めてくれた。朝起きるとフリィの髪は鳥の巣より大きく爆発しているのだと揶揄うピーナに、ザイードの寝起きの髪は天を衝いているのだからそれより可愛いじゃないかとユメルはフォローを入れてくれたりもした。フォローになっているかどうかは考えないものとする。
ザイードは転移陣を使ってたまに王都に戻っているらしく、土産だと言って花開く茶葉をくれた。対抗意識を燃やしたユメルが獅子型の魔物の首を土産に狩ってきたときにはどうしようかと思った。ちゃっかりピーナがユメルとお揃いの耳飾りをくれて、さすができる男だなと感心した。いや、ザイードの土産も思いがけず可愛らしくてよかったのだが。フリィはお礼に結界石を配った。これではただのプレゼント交換会だなと皆で笑った。
お互い忙しいときは挨拶だけ交わしてすれ違う。ばったり会って時間があれば道端で少し喋る。その内家に行きたいと言い、宿に来てねと言う。
全て、とても楽しい。得も言われぬ充足感がある。
でもこれって、トートドードやオッシュとも同じことをしているのではないか?
「ソリャそうだ」
「なんでよ」
憮然とするフリィに、小さな毛むくじゃらは大口を開けて笑った。
「オッシュとかいうヤツは知らネーが、ワシはオメーのコト、ずっとトモダチだと思ってンだ。つまり、ワシこそがトモダチ一号ってコトだな。ンで、同じトモダチなんだから同じコトするだろ。ワハハ! 残念だったなユメルとかいうジョーちゃん!」
「消されて繰り上げ狙われるから止めとけよ……」
「強引さはザイードに似てるかしら」
「ン、似てンのか。ジャーそいつとは気は合わネーから連れて来ンなよ!」
確かに顔を合わせるなり喧嘩になりそうだ。ユメルも真っ先に拳を打ち込むだろうけれど。
「……ねえ、友達っていつから?」
「知らネー。そんなのイツの間にかだろ」
友達。友達だったのか、この異種族の彼とは。
思えばここにいるときは気楽だった。腹が立つことも多いが、言われてみれば遠慮なく言い返すそれすらフリィには珍しい行いだった。
「ピーナもトモダチだな。ワシにウロコくれて、フリィを大事に想ってるイーヤツだ――そうだ!」
ひょこりと跳ねて、部屋に似合わぬ豪奢な棚をガタゴトと漁り出した。
意表を突かれた顔で友達……と呟くピーナに、ここに来た甲斐があったとほくそ笑む。この遠慮の欠片もないドワーフが友達だと宣言するのなら、ピーナだって彼に遠慮をする必要はないはずだ。
あわよくば、それを人間の友人にも適用させていただきたい。ひとつ例外ができたなら、きっとふたつめ、みっつめだってできるだろう。
「アッタぞ!」
棚の中身を全て出し切った辺りで、ようやくトートドードが声を上げて戻ってきた。
「左の腕出セ!」
「え、はい」
問答無用で何かを装着された。
艶めく灰色が球となって連なったブレスレットは、一見するととてもシンプルに見えた。しかしよく見ると表面には狂気的なまでに細かい彫り物がされている。文字のように見えるが、フリィの知らない形をしていた。
唐突に飾りつけられた左手首を見て目を白黒させていると、しばらく満足気にしていたトートドードは、一転して不機嫌さをアピールし始めた。
「ハァー! ワシの作品は最高ダッテのに、ダッセェ手枷のセイで台無しだナァー! そんなモンはネー方が絶対見栄えイーのにナァー!」
「ああ、俺の鱗でつくったブレスレットか。さすがドワーフ、ちょっと偏執的なくらい凝ってるな」
「あ、ああ、前に言ってた、あの……」
腕を動かすと、しゃらりと涼やかな音が耳を心地よく擽る。うっとりと聞き浸ろうとした矢先、隣に並んだ武骨な飾りが耳障りな音を立てて邪魔をした。
確かに言う通り、台無しだった。指をかけて引き千切ってやりたくなる。なるが。
「……ごめん、まだ……」
ふたつを重ねて手首ごとぎゅうと握る。手枷と称された飾りが骨に当たって痛みを覚えた。
ピーナは仕方ないなと肩を竦めたが、トートドードはフリィの弱さをあっさりとは見逃してはくれない。毛に紛れた眉を吊り上げて、尖った声で言った。
「アノナ、昔ばっか見て間違えンなよオメー」
太く短い指が眉間に突きつけられる。
「オメーがいくら追い縋っても、モノの価値は変わんネー。ソレは手枷で、クズがつくったタダのゴミだ」
小さな体なのに随分な威圧感だった。
冷たい声に、顔を歪めて吐き捨てる。
「……ほっといてよ」
「耳がイテーか。でも言うぞ。ワシはオメーのトモダチだからな。トモダチは喧嘩してでも言いたいコト言うモンだ」
「でも」
「デモじゃネー。手枷以外のイー方してやろうか」
「止めて」
畳みかけられる声が怖い。俯いて、強く目を閉じる。背に添えられたピーナの温かい手。寄り添う大きな体を、今に限っては逃げるなと引き留める壁のように思う。
「首輪だよ。オメーを飼い殺すタメのタダの道具だ。それは」
「止めてよ……」
「オメーを想って贈られたアクセサリーなんかじゃネー。オメーの場所をイツでもわかるようにして、オメーが国を出られないヨーにする魔法を込めた、ろくでもネー首輪だ!」
武骨な腕輪の中央では、誰かの魔力を圧縮して固形化した玉が光っていた。優美さの欠片もない鎖には、どこか不快感を覚える紋が刻まれている。それは奴隷に刻まれる、汚らわしき紋だ。一定の場所から出られないよう、主人から決して逃げられないようにするための、忌々しき魔法である。
腕輪の効力など理解している。それでもフリィは信じていたかった――もしかしたら、自分を捨てた家族が、もう一度自分を迎えるために贈ったプレゼントなのではないかと。
「まだ、わかんないでしょ!」
「じゃあオメーは、ソレと、ワシのつくったモノと、オメーのトモダチがくれたモノが一緒に思えンのか!」
今度こそ言い返す言葉は出なかった。唇を引き結んで、奥歯を噛み締める。のどの奥が引き攣れる。
わかっている。わかっていたのだ。この冷たい腕輪には、なんの心も籠っていないことなど。
ピーナから贈られた耳飾りは、いつでも心を温めてくれる。ザイードのくれた茶葉は美しくて気持ちが弾んだ。魔物の首というユメルからの物騒な贈り物には度肝を抜かれたが、それは間違いなくフリィを想って贈られていて、全く悪い気はしなかった。右手の中に握り込んだふたつの飾り。トートドードの真心は、フリィに痛みを与えない。
わかっている。嫌というほど。
それでもフリィはまだ、人の輪から弾き出される前の自分のことを捨て切れないのだ。
「トートドード」
目に水の膜が張り始めた頃、低い声が鼓膜を撫でた。
ピーナの腕が壊れものを扱うようにフリィを包む。道を遮る壁のようだった体が防壁となって、フリィは浅くなっていた呼吸を取り戻した。
「先は長いんだ。今は見逃してやってくれないか」
「今見逃したら、まーたコイツは逃げるぞ! アメーんだオメーは!」
「甘やかしてやりたいんだから仕方がないだろ。ほら、牙やるから」
フリィには見えなかったが、ピーナが動いた途端、風を感じる勢いで何かが動いた。恐らく差し出された牙をトートドードが奪取したのだろう。ヒャア、と歓声が響く。
「asiu--ff竜の牙jforjjヒャッホウ--eyu--qw……ペペペッ! こんなモンで機嫌が取レルと思ったらオー間違いだカンな!」
「…………そうか」
ちらりとピーナの囲いから片目を出すと、眼光鋭い毛むくじゃらと視線が合った。十分にご機嫌が取れた気配がしたが、やはり怒っているらしい。
「イーか! 次来るトキにソレがまだあったら、ゼッテー家には入れネーからな!」
ボヨボヨとピーナに渾身の体当たりを繰り返して部屋から押し出したトートドードは、問答無用で扉を閉めた。
洞窟の天井からパラパラと砂が落ちる。
怒らせてしまった。彼はフリィを友達だと言ってくれたのに。
「大丈夫だよ。友人とは喧嘩するもんだ。あいつが言ってたんだろ」
「でも……」
「大丈夫。言葉は厳しいけど、あいつはおまえのことが変わらず好きだよ」
「……うん」
それは、わかる。トートドードの言葉は真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎるからこそ痛い。
できるだろうか。ずっと縋ってきた未練との決別を。
いつか必要とされるかもしれないと、倦んだ頭で願い続けた幼少期。捨てることができずにずっと握り締めて、今なお、魔法使いのように頼られる日が来るかもと叶わぬ夢に爪先を浸している。
鎖に指をかけると、手がぶるぶると震えた。込められた魔力が反発して指先がピリピリと痛む。心臓がどくどくと波打った。
力を籠める直前に、大きな手に覆われる。
「フリィ、焦るな。今じゃなくてもいいんだ」
フリィの体を影が覆った。腰を折って、大きな体を畳むようにピーナが顔を寄せる。温かいものがくっついて、浅い呼吸を繰り返す唇に空気が送られる。
口付けというよりは人工呼吸だった。色の欠片も感じられなくて、照れることもなく、フリィは自然にそれを享受した。
一度離れた唇が、あやすように数度重ねられて去って行く。
「喧嘩してから十年も会ってないのに友人だと言い切るトートドードだぞ。あいつの寿命がくるまで、いつまで待たせたって平気だろ」
「それは待たせ過ぎじゃない?」
「いいんだ。俺は家族を泣かされそうになって怒ってる」
今度は頬に口付けられる。平静を取り戻した今は少し照れるが、相変わらず熱を灯してはいないように見えるので、多分竜族の本能に刻まれた親愛表現の一種なのだろう。
めそめそしていてもトートドードと和解はできない。フリィは俯いていた顔を上げた。今すぐには腕輪を切れずとも、少しずつ意識を変えていこう。
「トートドード、また来るから!」
分厚い扉の向こうに叫んでも返事はなかったけれど、二度と会えないなんて不安は少しも感じなかった。
昨日、短編の「異世界に召喚された聖女は、平和な日々を過ごしている」を投稿しました。
お時間ありましたらそちらもよろしくお願いします。