14.友達
ギルドで用をこなし、さあ帰るかと踵を返したときのことだ。
フリィたちの前に現れたのは、それはそれはとても偉そうな男だった。
「オマエがフリィか」
服こそ平民のようなものを着ているが、炎のように赤い髪とその尊大な態度を見れば、彼が貴族であることは一目でわかる。いや、服すらあくまで平民風味というだけで、その実仕立てのよさが隠しきれていないのだが。
胸の前で組まれた腕は太く、張った胸は分厚い。鍛えた者の体つきをした男は、腰に立派な剣を提げている。
「……そうだけど」
答えると、男は朗々と自己紹介をし出した。
「オレはザイード・ラクラーゼ。王国騎士団の団長たる父を目指し、日々邁進する男だ」
まるで敵に向かうような顔に、フリィは思わず身構える。しかしピーナは不思議なことに、どこか友好的な目をして彼を見ていた。
「そして、泣き虫ユメルの誇り高きライバルでもある」
「ユメルの?」
予想外の名前だった。王国騎士団長の息子と冒険者のユメル。一体どこに接点があるのだろう。
少し考えて、そういえばユメルの髪は美しい金色をしていたなと思い出した。金は高い光属性を含む者が持つ色で、つまりは貴族の血を引いている可能性が高いのだ。
答え合わせはすぐになされた。
「ユメルとは幼馴染でな、家が没落してアイツは冒険者となったが、その程度のことでこのライバル関係が途切れるものではない。オレは適当な理由をつけてアイツの行く先々に出向いている。この度はトレッカに滞在すると言うから理由がつけやすかったぞ。魔物の多い土地だからな。変化がないかどうかの確認と、武者修行ということで出張許可をもぎ取れた」
「もしかして……ユメルのストーカーなの……?」
「ライバルだ!」
口数の多い男である。およその事情は把握できたが、それでフリィになんの用だろう。大事なライバルに近づくなとか、そういう話だろうか。
全身に力を入れてぶつけられる言葉に備える。フードの下で吊り上がった眉尻を更に上げると、ザイードもまた太い眉の尻を上げて声を張った。
「泣き虫ユメルに友達ができたと聞いた。オレには友達がいないのに、アイツには友達がいるなど許しがたい」
「え?」
おかしな言葉を聞いた気がして首を傾げる。
「オレと友達になって貰おう!」
「……え?」
もしかして王国では使われている言語が違うのだろうかと耳を疑った。フリィに友達がいたためしはないが、少なくともこんな決闘を申し込むような勢いで宣言することではないとだけはわかる。
傍らのピーナを見上げると、温い笑みを浮かべていた。彼がそういう……随分とズレた男であることを理解していたらしい。
こちらの反応を気にすることなく、男は高らかに続ける。
「ユメルの友達がオレと友達になる、すなわち同等ということだ!」
「……私、悪名高き魔女なんだけど。誇り高き騎士団長の息子がそんなのと友人になってもいいの?」
「ふ、愚問だな」
一応聞いてみれば、ザイードは指を立てて自慢げに答えた。
「オマエと交流のある者にリサーチをしたところ、数こそ少ないものの中々に評判が良かった。さすがオレのライバルたるユメルだ、見る目がある」
頭の足りない猪突猛進と見せかけて、意外としっかり考えているようだ。意外としっかり考えている結果がこうなのはいまいち理解が及ばないが。
「そういうわけだから、オレと友達になって貰おう!」
「いいけど……」
なんだか気が抜けてしまった。ここまで直球だと、裏を読もうとするのもアホらしい。
気負いも何もなく了承をしてから、ふと我に返った。ああそうだ、これは言っておかねば。
「別に私、ユメルと友達じゃないわよ」
ゴキ、と鈍い音がした。振り返ると、なぜか扉と分離してしまったドアノブを握り締めたユメルが愕然と立ち尽くしている。
ああ、と慌てて駆けよるギルド職員の嘆きを意に介さず、彼女は幽鬼のような足取りでヨロヨロとこちらに歩み寄った。
ショックを受けた様子のライバルに、ザイードは勝ち誇った顔で高笑いをする。
「おいユメル、オレはコイツと友達になったぞ! オマエは友達じゃないそうだな! ということはオレの方が」
「お友達じゃ……ない……?」
「……お、おい」
いつも澄んでいる瞳がドロドロに濁っている。深淵のような暗がりに、さすがにザイードも異常を感知したようだ。数歩下がって様子を窺う。
ユメルと友達になろうなんて会話を交わしたことはない。いくら親しくしてくれていても、こんなギルドのど真ん中で友達宣言をしては迷惑だろうとよかれと思って否定したのだが、もしかして間違いだったのだろうか。
ピーナを振り仰げば、憐憫の目をして二人を見ていた。すぐにこちらを向くと、手を引いてギルドの隅に連れて行く。
コツコツと自然ではない靴音がした。彼はギルド全体に結界を張ったようだった。
ユメルとザイードの二人を囲むように張られた分厚い結界。その向こう側では、何やら熟考していたユメルが結論に至ったらしい。
「お友達じゃないということは……お友達を一人消せば、枠が空きますか……?」
「えっ」
ベールの下で、茶色の目がギラリと光ったところは見えた。
次の瞬間にはユメルの体がブレていて、ザイードの姿が消えた。
「あ、俺の結界が……」
なんということだろう。悲しそうなピーナが示す場所には、床を這うザイードの姿とヒビが入った結界。あの頑強そうな結界にヒビを入れるとか、ザイードは生きているだろうか。
「うう……さすがオレのライバルだ」
生きていた。ふらつきながらも、血を流すでもなくしっかりと立っている。
「人間って思ったより丈夫なのね」
「あいつだけだと思うぞ」
ユメルが拳を構えた。ザイードが剣を抜く。ピーナは結界を修復して、フリィはどうしたらいいのかわからずにその様子を見ていた。
奥から飛び出してきたオッシュが怒鳴る。
「外でやれ、テメェら!」
ド正論であるが、フリィとピーナまで追い出されたのは納得がいかない。
広場まで移動すると、彼女たちはすぐさま楽しそうに決闘を始めた。屋台で飲み物を買ってピーナと二人で眺める。一応結界は張って貰った。流れ弾で死人が出てしまったら、無関係とは言い切れない気がするため、夢見が悪くなるので。
物語の中でも見られないような迫力満点のバトルはいつの間にか集まった人々の娯楽にされ、やがて酔っぱらいの主催で賭け事が始まった。
「あの……」
「おっ、どうした嬢ちゃん!」
「お、おい、その人……」
「ユメルに一口、いいかしら」
「了解了解!」
「あ、これ酒か。フリィ酔ってるな」
楽しそうだったからついつい人の輪に顔を出してしまった。赤ら顔の主催はフードをかぶるフリィには気づかなかったようだ。半券を手に戻ると、ピーナに飲み物を奪われた。まだ半分くらいしか飲んでいないのに。
戦いは案外早く決着した。ユメルの勝ちである。
「よかったな嬢ちゃん!」
「ありがとう」
お金はあまり増えなかった。相手は王国騎士団長の息子とはいえ、ユメルの強さを皆知っているのだ。
誇らしい気持ちでふわふわと二人に近寄る。地面に顔を埋めたザイードを掘り返して、傷口を洗い流すべく水を降らせた。
「こら、追い打ち止めてやれ。ほーらおまえはこっち」
追い打ちとはなんだ。ちょっと水流は派手だが、滝行みたいなものだろう。
ピーナがザイードを風で乾燥させながら、フリィに傷薬を押しつける。傷薬と二人を見比べて、とりあえず一番痛そうなザイードの頬にべたりと塗りつけた。
次に痛そうなのはユメルの腕に走るミミズ腫れである。どうして剣で切られたのにミミズ腫れで済むのかはわからない。
「ユメル、おめでとう」
「フリィさん、私、ザイードのこと消せませんでした」
勝者であるユメルは喜んでいなかった。そういえばそういう物騒な話だったかもしれない。
薬を塗ろうとした手を掴み、彼女はうるうると涙を湛えた目でフリィに訴える。
「お友達の枠を空けることはできませんでしたけど……私とお友達になってはくれませんか?」
「……いいの? 私、魔女なんだけど」
「はい! あなたとお友達になりたいんです! というかお友達のつもりでした! お友達でしたよね? ザイードより先に! 私の方が!」
「うーん、そうだったかも」
「ですよね!」
「酒飲むとそんなゆるゆるになるのか。もう外では止めとこうな、フリィ」
「おい、ズルいだろう!」
ユメルがそう言うならそうなんだろう。にこりと笑って頷くと、ザイードが途端にうるさくなった。
第二ラウンドを開始しそうな二人から隔離される。
「友達ができてよかったな」
そう言うピーナはどこか寂しそうだった。理由がわからなくて、肩にかけられた手に手を重ねる。
どうしたのかと聞けば、なんでもないと返る。絶対そんなことはないのに。
気を揉む時間は長くはなかった。陰を湛えたその顔は、突然矛先を変えたザイードたちの会話で簡単に破られた。
「じゃあ、ピーナはオレの友達だから、二対一でオレの方が上だな!」
「は? ピーナさんだって私のお友達ですけど? なんて言ったって、お二人は二人で一人ですからね」
「そういう呪いじみた事実はないけど……」
まあでも、セットで扱われるのは悪くない。
「……俺も?」
「もしかして、また一枠争奪戦した方がいいですか?」
「いや、いい。大丈夫だ」
眉を下げて拳を握ったユメルに、ピーナはすぐに否定を返した。バキバキにされた結界の維持はかなり疲れたらしい。
「そうか……じゃあ、その、よろしくな」
「ああ、よろしく」
がっちりとザイードに手を握られてピーナは笑う。嬉しそうなのに遠慮がちな笑顔だった。
……なんとなく理由はピンときた。
フリィは魔女だが人間だ。けれどピーナは竜である。彼は人々に対して妙に鷹揚で、上辺の付き合いをしがちである。
多分そういうことだ。異種族ゆえに、どこかに「お邪魔させて貰っている」という意識がある。
そんなことはどうでもいいのに。彼が竜でも、フリィの大切な家族だ。そこに種族は関係ない。――関係ない? そうだろうか。フリィこそ、そこにこだわってはいなかったか。
人間の中に入りたがってはいなかっただろうか。ドワーフや妖精、魔物たちと時間を共にしていても、いつも人間を気にしていた。本当はあの中にいるべきなのにとこだわって、異種族は異種族と線を引いていた。偶々その中でピーナが例外になっただけで。
違うのだと言いたいのに、適切な言葉が出てこなかった。異種族だからと遠慮などいらない。はっきりとそう思うのに、口にすれば自分に返ってくるから説得力がない。
もどかしさに顔を歪めた。
「どうした。酔っ払って気持ち悪いか?」
違うと首を振りつつも言葉に詰まるフリィを、ピーナは軽々と抱き上げた。ポンポンと優しく背を叩きながら二人に別れを告げる。
考え過ぎたのかぐるぐると頭が回る。気持ちが悪い。
かけられる心配そうな声に答える声すら出なくなり――フリィはいつの間にか意識を失ったようだった。
「おまえは二度と酒を飲むな」
翌日、あまりの頭の痛さに転がるフリィは、ピーナから飲酒禁止令を出されて首を傾げた。
アルコールなんて飲んだ覚えはないんだけどな。