10.腐らず、へこたれず
とはいえ、フリィを家族としたピーナの心がそれで晴れるわけではない。
トートドードの元から戻ってから、二人きりの家で――妖精は会話に参加できないためいないものとする――色々なことを話した。その中で、図々しい人に対しても鷹揚に笑うピーナは、特別心が広いというわけではないということを知った。
自分は異物なのだという自覚があると彼は言う。異物が群れの中にお邪魔をしているのだと。
彼の許しの根本は罪悪感だ。遠慮があるから無礼を許す。結局のところ、群れの中にあっても彼は孤独なままなのだ。
長い時を経て孤独に寄り添う家族を得たピーナが、唯一たるフリィを蔑ろにするものを、素直に許容できるはずがない。
フリィが許しているからこそ口は出さないが、一人で街へ出ることはなくなった。見知らぬ魔法に慣れさせようキャンペーンは終了を迎えたらしい。何度か取引に赴いたときにもフリィから離れることはなく、憧れの魔法使いに話しかけてきた人々にも愛想を振り撒くことは止めて、冷たい一瞥を投げるのみだ。
仲良くできるものならした方がいいのではないかなと思う。けれどピーナ自身が上辺の付き合いが苦痛になったのならそれこそフリィが首を突っ込むことではないし、それに、自分のために怒ってくれるピーナの気持ちを嬉しくも思う。これが俗に言う複雑な乙女心なのだろうか。なんとも難しいことである。
「今日は何するんだ?」
朝食を食べ終わり、食器を洗いながらピーナがフリィを見た。数秒口籠ってから、黙っていても仕方がないなと口を開く。
「街に」
「俺も行く」
有無を言わさぬ口調だった。
「また気を悪くするだけだと思うけど」
「フリィ一人の気を悪くするなら、俺も一緒に悪くした方がいい」
「被害が二倍になるだけじゃない?」
「喜びのときも悲しみのときも共にしてこそ家族だろ」
ピーナは最初から強引な男ではあったが、ある種残していた遠慮を捨てて、最近はますます率直に己の主張を通すようになった気がする。気を許した証だろうと思えば却下もし難い。
「あの街の人間でもオッシュはいいやつなんだけどな……ちょっと権力に負けてはいるが、それは立場ある人間なら仕方がないし」
「オッシュならあなたが竜だって言っても大丈夫そう」
「わかる。めちゃくちゃ驚くだろうけどな」
「他の誰かとも気が合うといいわね」
「トートドードには挑戦って言われたけど、あんなの見たらひっくるめて嫌になる。普通助けて貰っておいてあんなことになるか?」
「普通じゃないのが魔女だからね」
「俺だって普通じゃないはずだろ」
トートドードの言葉の困難さを改めて噛み締めた。
次に期待して挑戦してみろとは言うが、一度失敗をすると次へのハードルは爆上がりするのだ。二度、三度と続けば山よりも高いハードルができあがる。
失敗し続けたフリィも、様子見をし続けた結果目の前で失敗を見せつけられてしまったピーナも、すでにハードルは見えないほどに高かった。
「ま、腐ってても仕方がないわ。気長にいきましょ」
貯えはある。だから無理にギルドに通わずとも生きていくことはできる。
しかし、これで不貞腐れてしまっては、きっともう二度と人間社会に復帰はできないだろう。理由をつけてでも砂塵の中に赴かねば、砂金を得られるチャンスは来ない。家に籠らず、嫌々でもいいから外へ繰り出さねば。
『腐るんじゃないよ。踏ん張って生きな。いつか遠い未来、もし死んだ先であたしに会えることがあったとき、張り倒されるような生き方はするな』
腐っていてはリラリーレインの言葉に反するし、何より、ピーナが気を許せる人がもっとたくさん増えればいい。
「……おまえって」
「うん?」
しげしげと赤の目に見られて僅かに身を引く。心まで見通すような真っ直ぐな視線だった。
「なんか、うーん……綺麗になったか?」
「うん……? 特別何もしてないけど、まあ、ありがと」
程々のスキンケアはしているが、ピーナと会ってから素材を変えたりはしていない。二人になって、適当にしていた食生活は改善されたから、そのおかげだろうか。それかピーナの魔法による掃除で部屋が綺麗になったから肌荒れが減ったとか。
ピーナもいまいちどこがどうとは言い表せないようで首を捻っていた。誉め言葉であることは間違いないから、とりあえず嬉しいのでよし。
「パーッと行って、パーッと帰るわよ!」
「おー」
意気込んで行ったギルドは、なんだか皆が皆、物凄く気まずそうな顔をしていた。そうなるとこちらも大層気まずくて、相変わらずふてぶてしく鼻を鳴らすマルコとその周辺に安心するほどだった。
魔物を一掃した礼と、薬の礼と、マルコたちの暴言への謝罪に忙しいオッシュを宥め、当初の予定の通りにさっさとギルドを後にする。
街の中でも、いつもより落ち着かない視線を食らった。フリィは戸惑うばかりだったが、段々とピーナの苛立ちが増してきていてちょっと困る。言いたいことがあるなら言え、と今にも咆哮しそうだ。
もう街の外へ出るよりも、路地裏で転移してしまった方がいいかもしれない。そう考えて角を折れると、細い道の先には人が詰まっていた。
踵を返そうとして気を変える。柄の悪い連中がたむろしているのかと思ったが、あれは誰かが絡まれているのではないだろうか。
目を凝らすと顔が見えた。囲まれているのはフリィにぶつかって怯えていたギルド職員だ。
「フリィ?」
別の道に進路を変えかけたピーナの疑問に答えず、フリィは無言で歩を進める。
足音に気づいた男たちがこちらを向いた。
「あ? あんだテメェ。見ての通り、取り込み中――」
「邪魔よ。道の真ん中で騒いでるんじゃないわよ、見苦しい」
典型的な態度ですごむ男の前で、フリィはフードを取り去った。ふわりと靡く髪を見て、彼らはすぐに顔色を変える。
マルコがフリィに絡むのは、フリィがギルドで暴れたりしないことを知っているから。そうでなければ、魔女の前に立ちはだかるなど馬鹿のすることだ。ましてや相手が竜の名を冠する魔女であれば、なおのこと。
妙に尾を引く悲鳴を残し、あっという間に男たちはいなくなった。残されたのは、絡んでいた男たちから解放され、フリィの登場に腰を抜かしたギルド職員の女性だけだ。
「あ……」
震える彼女は、声をかけたら余計に怯えるだろう。横目で怪我がないかだけ確認して、何もなかったという態度のまま、無言でそこを通り過ぎた。
後ろをついてくる重い足音が、彼女を過ぎた辺りで止まる。どうしたのだろうと聴覚を働かせると。
「おまえたちは」
耳を疑う冷たさに、思わず勢いよく振り返る。
今のは本当にピーナの声だったのか。俯く彼の口元を凝視すると、やはり言葉の通りに唇が動いた。
「自分を助けてくれた者に、感謝の言葉すらかけないんだな」
声の通りの冷たい目が、座り込んだ女性を睥睨した。
そのままこちらを向いた彼はすでにいつもの柔らかさを取り戻していたけれど、本性のまま縦に割れた瞳孔だけが未だ冷静さを欠いている。
端正な顔面に脱いだローブを投げつけて、慌てて手を取り別の路地へと急いだ。
「ピーナ、私は平気だから」
「おまえが平気でも、俺は嫌だ」
フリィのために怒ってくれることは嬉しい。同じことをピーナがされたら、フリィだって同じように怒るだろう。でも、そもそも同じ思いはさせたくない。今でこそ平気な顔で罵声を受けられるようになったけれど、柔らかい頃のフリィはそれはそれは傷ついたのだ。
いや、もしかしたらすでに、彼もその域は越えているのかもしれない。正体を明らかにして、受け入れられなくて傷ついて。そういう過去があるかもしれない――きっとあるのだろう。フリィより長く生きた彼だから。
ああ、それなら気持ちはわかる。竜め出て行けと言われるピーナを想像するとはらわたが煮えくり返る。言われた本人が平気かどうかは問題ではない。自分の大切なものが虐げられている、それこそが腹立たしいのだ。
魔力を捏ねる。踵を落とす。そうしながら納得をして、フリィはピーナに感謝を向けた。
「ありがとね、怒ってくれて」