第八話(カイル歴500年:7歳)最初の凶事と三の矢
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【⚔ソリス男爵領史⚔ 滅亡の予兆】
カイル歴500年、グリフォニアの山の神大いに怒る
国境を越えた黒き怒りの手は、カイル王国南側を覆い、天の災いをもたらす
この年、エストールの大地は、黒雲に覆われ陽の恵少なく、黒雲去りし後、慈雨なく大地は大いに渇く
大地は荒れ、実りの祝福もたらされることなし
人々は飢え、惑い、人心大いに乱れる
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そしてついに7歳になった。
本当の勝負はこれからだ。
この年以降、ソリス男爵家、エストール領には次々と天災や人災、疫病が襲ってくる。
歴史書の記載どおり、隣国グリフォニア帝国で火山の大規模噴火があったようだ。
国境を隔てる険峻な山脈の、向こう側での被害は我々の知るところではない。
「タクヒールの言っていた通りだな。この後……、やはり来るのか?」
憮然として父が呟く。
「おそらく。準備だけは是非お願いします」
俺は敢えて、絶対来るとは言わない、いや言えない。
根拠の説明ができないし。
ただ、大規模な降灰と日中でも空がどす黒い曇で覆われた日が続いた。
「これじゃ作物が育たない、いったいどうなるんだ」
毎日不安げに空を見上げる領民たち。
陽の光が差す事のない、日中でも薄暗い日が続いた。
噴火から1月経ったころ、やっと青い空と暖かな陽光が降り注いだ。
領民たちは歓呼の声を上げた。
しかし、その日照りは続けど、一向に雨が降らない。大地は渇き、あちこちでひび割れた。
乾燥した大地から風で砂が舞い上がり、領民たちからは再び不安の声が上がりはじめた。
歴史書にあった干ばつがやってきた。
豊かな水量を誇ったオルグ川の水量は日増しに減り、川幅は徐々に狭くなっていく。
※
「全ての揚水水車を稼働させて!水路の水門も開放し、可能な限り水を送って。
少なくなった川の流れは、少しでも用水路に回すよう、常に水門を調整するのを忘れずにね。
でも、川を枯らしちゃだめよ。流域は私たちだけじゃないのだから」
母クリスの指示は即座に実行された。
水が届いた地域の農民からは歓声が上がる。
エストール領は無為にこの2年間を過ごしていたわけでもない。
揚水水車による灌漑工事、災害に備えた備蓄、穀物の買い占めなど、対策を講じてきた。
そのため、大凶作が着々と迫ってくる中、両親や家宰は、落ち着いて対応策を進めていった。
「先ずは布告を出して領民を安心させるのが先決ね」
そう言った母の指示で、布告が出されると人々は落ち着き始めた。
・今年に限り、税負担の軽減施策を実施する
・義倉を解放し、穀物の再分配を予定している
・乾麺の炊き出しを準備し、必要に応じ実施する
これらは全て、予め両親と家宰が議論し決定済みの内容だったが、母は良いタイミングで公表した。
実際、これらの救済を実施しても、エストール領には備蓄の余裕、ソリス男爵家には、財政の余裕があった。
そりゃ、前年の大豊作時に、国内の安価な小麦をこれでもかって買ってたから。
あと灌漑工事が完了していた畑では、オルグ川の水を揚水水車で循環させ、それほど目立った収穫減にはならないと予想されたことも大きい。
領民達も、今年は生活を若干切り詰めれば、なんとか乗り切れるだろうと、そんな楽観的な声も出る状況だった。
そして、もうひとつプラスになったのは、蕪だった。
元々こちらの世界でも蕪は栽培されていた。
ただ、ニシダの知るヨーロッパの歴史と同様、蕪は主に飼料として使われており、元日本人の俺から見たら凄く勿体ない話だった。
俺は以前から、あんな簡単に育ち、食用でも美味しく、葉も食べれる蕪の扱いに不満があった。
個人的に大好きな三国史を読んだ記憶、天才軍師と言われた諸葛孔明は、蕪の育成を推奨し出征の際、まず陣地を構築すると、蕪の種を撒いた……、そんな逸話を思い出していた。
そのため、大豊作だった去年から手を打っていた。
〇蕪対応
レイモンドさんには、義倉建設で各地を回る際、領内での蕪の栽培状況を確認してもらった。
・栽培を行っている村の情報、利用状況を
・栽培している村に、その栽培方法を
父には、商人を紹介してもらい、自身で情報も集めた。
・蕪の種や、蕪そのものの入手
・購入資金の調達(父へのオネダリ)
料理長には、蕪の料理法、おいしく食べれる研究をお願いした。
・食材としての活用方法の研究
・蕪の料理レシピの作成
もちろん料理長が試した食材は無駄にはできない。
試食要員として、俺の食事は再び特別メニューになった。
その日以降、様々な蕪料理が俺の前に並び、日々食卓を彩った……
家宰の調査で、エストール領の幾つかの村では、飼料用として、蕪を栽培している実績があることが判明した。
また、安価で大量の種と、収穫された蕪自体も何種類か確保できた。
当時のエストの街では、暴落した穀物をどんどん買い取っている。
そんな噂が広がり、集まる商人で活況を極めていたので、意外と簡単に種は集まった。
実際に蕪を育てている村から、集めた情報、育て方や連作障害、交雑等の注意事項などを集約、俺は独自に、蕪の育て方と、お勧め調理法をまとめていった。
元々(日本で)家庭菜園が趣味だったので、自分でもしっかり育ててみた。
領主館の庭の空いてる土地は、俺によって掘り起こされ、片っ端から畑に姿を変えていった。
どこかで読んだ、転生した悪徳令嬢のごとく。
庭中を畑にしてしまい、優美さとはかけ離れた庭園……いや、蕪畑が広がっていった。
この時ばかりは両親は額に手を当て、本気で呆れてた。
それでも俺は、暴走する機関車の様に止まらなかった。
アンは何故か、文句ひとつ言わず淡々と、俺の作業を手伝ってくれた。
エストの街近くの休耕地は、駐留する兵士に手伝ってもらい、辺り一面、蕪畑に姿を変えた。
休耕地の活用と兵士の動員には、家宰の立場で、レイモンドさんが強力に後押ししてくれた。
両親を説得してくれている彼の後ろ姿が頼もしく、彼の存在に改めて感謝した。
2か月も経つと最初の収穫時期になった。
収穫が早いのも蕪のいい所だった。
一部は試食用に、大部分はそのまま種を取るため残しておいた。
栽培を依頼している地域でも、収穫は食用や飼料とするだけでなく、種を取り、増やす事をお願いし、種は全て買い取る事を約束していた。
そうした努力の結果、大凶作が起こる前には領内に配布する種のストックも確保でき、育て方と食べ方のマニュアルも整った。
この準備のお陰で、大凶作時には収集した種を分配、領内各地で育成された蕪は、冬の時期、領民の貴重な食材となった。
ちょっと余計だったのは、父は領民から敬意をもって蕪男爵さま、と呼ばれるようになってしまったことだ。
「蕪男爵、いや、それだけは止めてくれ。何故儂が……」
父は気に入っていた【商人男爵】から、新しい異名【蕪男爵】が気に入らないようだったが、俺は呆然とひとり執務室で呟く父を見て……
「オレノセイデハ、ナイデスヨ、タブン」
もちろん見なかった事にして立ち去った。
こういった事情も含め、大凶作ともいえる状況下、エストール領では大きな混乱はなかった。
事前に救済措置の布告が行き渡り、蕪の種も各地域に配分されたこと、特に、義倉の開放をいち早く行ったことで、領民の不安や、食料事情は改善されていた。
領内の蕪栽培が安定した、そう判断された時点で、父は表立って、またこっそり買い集めた、それぞれの穀物を徐々に放出していった。
同じく大凶作に見舞われた近隣領には、援助として無償や安価で穀物を放出した。
商人には、僅かに残った……、実は大量にある、余剰備蓄を高騰した相場で販売した。
最安値で購入し最高値で販売する。理想的な投機で父は非常にご満悦だ。
父の臨時収入、結構あったんじゃないかなぁ。
本当に1割、くれるんだろうか? 証文でも取っときゃ良かったと、ちょっとだけ後悔した。
取り敢えずこれで、エストール領の命運と体力を削る災厄……
・大豊作による領民被害、穀物暴落の損失
・大凶作による領民被害、穀物暴騰の損失
・近隣領主への援助と将来の遺恨の解決
このあたりは回避、または解決できたのでは、そう思っている。
「あとは、当面の対策は国境紛争による兵の犠牲と、財政負担の解決だけだな」
そうひとり呟いて、俺はひと息ついた。