第七十八話:サザンゲート防衛戦⑩(開戦6日目)大地は再び血に染まる
夜の闇の中から、グリフォニア帝国の陣地に、冥界からの使者が訪れる。
「うわぁぁっ! 助けてくれっ!」
「敵襲! 取り囲まれているぞっ」
「暗闇に何かいる、篝火を増やせっ!」
「何をしている! 物見はどうしたっ!」
混乱する声が、第一皇子の居る天幕まで響いてくる。
「何事だ、物見は? 早く報告しろっ!」
第一皇子は状況が分からぬまま、側に控える者に怒鳴り散らす。
そう、夜陰に潜み、各所に潜伏していた帝国軍の物見たちは、その姿を消していた。
同じく夜陰に潜む魔物達によって。
「負傷者を収容している陣地が、魔物達に襲撃されておりますっ!
魔物の数は不明、いや、夥しい数です! 他の陣地も襲撃を受けており、混乱しております。直ちにご指示をっ!」
絶叫しながら、先ほど敵の防塁構築の偵察に出した側近が、慌てて天幕に転がり込んできた。
事態を正確に報告する彼の到着まで、第一皇子にはまともな状況報告もなく、対応を指示する貴重な時間も失われていた。
「我が陣を襲うとは……、身の程知らずの魔物どもだ。押し包んで一匹ずつ撃ち殺せっ!」
この時点でも、彼の認識は不十分だった。
現在、包囲され押し包まれているのは、彼ら自身なのだから。
「親衛軍は我が陣を守れっ! ここを中心に円形に陣を敷け。奴らはどの方向から来るか分からん、襲撃があった場所では、数で奴らを押しつぶせ」
だが、第一皇子の指示も、簡単には軍全体に届かない。
彼らは、初めて相対する魔物との戦闘に混乱し、恐怖し、突然の奇襲を受けたため、未だに組織的な行動ができないでいる。
※
狼型の魔物は集団で襲ってくる。連携した動きに兵たちの対処は追い付かない。
その中で一際大きな狼型の魔物は、一撃で狂奔する騎馬の首を簡単にもぎ取った。
巨大な熊型の魔物が4本ある大きな手を薙ぎ払うと、近くにあった天幕の柱と共に、数人の兵士が一気に吹き飛ばされて宙を舞い、絶命する。
牛より大きな、鎧を着たような頑丈な皮膚を持つイノシシ型の魔物には剣や槍が通じない。
魔物の突進を受け、進路上の全ては薙ぎ払われると共に、何人もの兵士が吹き飛ぶ。
巨大なカマキリの形をした魔物は、周囲に擬態し、不用意に近づいたものの首を刈る。
片方の鎌を剣で防いだ刹那、反対側の鎌に首を刈り取られてしまう。
巨大な三つ首の、犬に似た魔物が発する何かを受け、立ち尽くしたまま動けなくなった兵がいた。
身動きできない彼は、その他の魔物によって命を落としていた。
いきなり大地に開いた大穴に吸い込まれ、姿を隠したまま二度と地上に戻らない者もいた。
暗闇から突然襲ってくる、火炎や突風、雷撃に倒れる者など、未知の攻撃に倒れる者も後を絶たない。
彼らは数十種類の、今までに見たこともない魔物に襲われ、効果的な攻撃方法や防御方法も分からないまま、それらの餌食になっていく。
馬たちも魔物に襲われ、狂ったように逃げ惑う。
本来、彼らを守ってくれるはずの兵士たちも蹴散らして。
グリフォニア帝国軍の兵士たちは、自身がいつ襲われるかも知れない恐怖と、今まさに魔物に襲われている味方の上げる絶叫に戦慄し、しかも、初めて戦う魔物を相手に苦戦を続けている。
そして、夜の闇が彼らの恐怖心を更に煽り、心身ともに激しく消耗していく。
こうして、永遠に続くかと思われた【血塗られた悪夢の夜】は、彼らの苦闘と共に明けていった。
グリフォニア帝国の、多くの将兵たちの血で大地を染めて。
夜が明け、周りの状況が見えるようになり、第一皇子は、その被害の大きさに卒倒しそうになった。
天幕で治療を受けていた、負傷兵たちは全滅し、彼らの姿は消えていた。亡骸ひとつ残っていない。
魔境側に陣を構えていた、伯爵のひとりも姿を消していた。伯爵の率いる軍勢とともに……
第一皇子の率いる親衛軍は、主君を守るために奮戦し、傷つきながらも何とか指揮系統は保っていた。だが、無視できない損害を被っているのも事実だ。
・外縁を守った鉄騎兵達は3割が失われていた
・騎兵隊は健在だが、馬の半数を失っていた
・歩兵と弓箭兵は2割を失い、矢数も乏しい
ゴート辺境伯の残兵、歩兵と弓箭兵も健在だが、2割程度は戦闘不能な状態になっている。
唯一、無傷に近いのは、最も東側の離れた場所に陣を構え、陣地内には誰も負傷兵がいなかった、伯爵が率いる軍だけだった。
一夜で、第一皇子の陣営は、なんと4,000名もの兵を失っていた。
そして、正確には分からないが、おそらく500は軽く超える、魔物共の死骸が、至る所に転がっている。
第一皇子は、予想以上の惨状に言葉を失い、茫然として昇る朝日を眺めていた。
※
満身創痍、そして一睡もする事無く戦い、疲労困憊のグリフォニア帝国軍に、更なる悲劇が襲う。
「敵襲っ!」
「カイル王国軍だぁっ」
悲鳴ともいえる絶叫が、彼の陣地に響き渡った。
一晩中死に物狂いで戦い、やっと魔物の襲撃から解放され、安堵のため息を付いた帝国軍には、もはや戦う力は残っていなかった。
攻め寄せるカイル王国軍も、魔物に対するため、土塁を守る守備隊は残してきたものの、数でいえば今のグリフォニア帝国軍よりは優勢だ。
夜明けの強行偵察で、グリフォニア帝国軍の惨状を知り、ハストブルグ辺境伯は決断した。
とどめとばかりに、一万余の兵力で襲い掛かってきたのである。
「無念っ! もう……、いかぬっ」
第一皇子は既に覚悟を決めた。
この様な醜態では、国に戻っても今後の未来はない。
「弱気なことを仰いますな」
「我らが敵を食い止めます。速やかに撤退を!」
殿軍を申し出たゴート辺境伯の残兵たちが、立ちすくむ第一皇子を無理矢理騎馬に乗せ、送り出す。
そして、殿軍として彼らは、悲壮な覚悟で戦った。
彼らは健闘するも、夜通し戦った後で疲弊し傷ついた者も多い。そのため、程なくして全滅した。
「第一皇子の本陣はあの丘の先だっ! 討ち取って名をあげよっ」
ハストブルグ辺境伯から全軍に檄が飛ぶ。
攻め込んだカイル王国軍の全軍が、潰走する敵軍を追い、追撃戦で突出する中、左手側背から2,000名に満たない帝国軍の一団が、新手となって襲い掛かって来た。
「我々は追撃を中止し、一旦陣形を整えましょう」
「進軍停止っ!」
ヴァイス団長の進言で、ソリス男爵軍は直ちに無秩序な追撃から、体制を整え始めた。
それを横に見た、各軍団を指揮する者も同様に倣う。
「ヴァイス、それでどうする?」
「勝ちに乗った最終局面で、死兵となった2,000名に手痛い逆撃を受ければ、損害が馬鹿になりません。
それにしても、あの軍を率いる指揮官、嫌なタイミングで、嫌な位置から襲って来るものです。
今は、あの軍を潰しておくのが、今後の憂いを断つ一番の策と思われます」
この軍勢、キリアス子爵領側を荒していた、アストレイ伯爵が率いる軍であった。
彼らは、第一皇子の指示に従い、反転して本隊に合流する途上だった。
撤退する味方の軍勢に追い縋る敵軍、彼らはその後背から襲い掛かり、乱れた敵軍を突破、いつの間にか後退する味方の最後尾を固めた。
魔物達の攻撃を受けていない彼の軍勢は、少数ながら奮戦し、いくばくの犠牲を出しつつも、潰走する第一皇子とその軍勢を守り、彼らの撤退を援護した。
そして、第一皇子の軍が撤退するのに同調していたかと思うと、突如、一斉に反転した。
追撃軍の先端を強かに叩くと、再度また反転し、後退を始めた。
その後も、後退中に機を見て再度反転し、攻勢に移る様子を見せるので、カイル王国軍は迂闊に追撃もできないでいた。
既に味方の勝利は確定しているなか、命懸けで奮戦し、貧乏くじを喜んで引く将兵などいない。
敗走する敵を追うなか、追撃戦で命を落とすなど、割に合わない、そう考えているからだ。
「なるほど、2,000程度の軍勢で10,000の敵を翻弄するか。ヴァイスの言う通り、危険な奴だな」
「はい、今回は最後の最後に、まんまとしてやられましたね。ですが……、次は逃しません!」
二人の間にこの様な会話がされた頃には、本隊を掩護しつつ、この別働隊も安全圏まで引いていた。
グリフォニア帝国第一皇子グローリアスは、出征した28,000名の兵士の約7割、19,000人にも及ぶ兵士を失うという、大敗北を喫し撤退した。
撤退の過程で、殿軍となり奮戦したゴート辺境伯軍は全滅し、今回の出兵では、ブラッドリー侯爵、ゴート辺境伯、更に伯爵の一人が、出征した兵を全滅させ、あまつさえ当主まで失うという、悲惨な結末となった。
後に【サザンゲート血戦】と呼ばれた、防衛戦はこうして幕を閉じた。
無事、敵軍の侵入を阻止し、魔物の襲撃にも助けられ、多くの敵兵を討ち取ったものの、今回の戦では、カイル王国側でも多数の将兵を失った。
正に血戦と呼ぶに相応しい戦いであった。
(追記)
今回の投稿、多数の誤字でお見苦しかった点、お詫びします。
誤字報告をいただいた皆様、本当にありがとうございます。
最近は、毎朝自動投稿される前に、最終見直しを行い、時にはかなりの内容変更を行っているのですが、今朝は全くそれもできず、お見苦しい部分が目立ち失礼しました。
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また誤字のご指摘もありがとうございます。
こちらでの御礼で失礼いたします。
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