第七十六話:サザンゲート防衛戦⑧(開戦4日目)散りゆく者
「クランっ、クランっ、お願いだっ! 目を開けてくれっ! 返事をしてくれっ」
「マリアンヌ、頼む、クランを、クランを回復……」
兄と俺はクランの亡骸に縋り付き、取り乱した。
クランは二度と目を覚まさない、兄のダレクを崇拝し、兄の後ろを追い続けたクラン、そんなクランを兄は誰よりも信頼していた。
兄を守るため、そして主将たるハストブルグ辺境伯に害が及ばないよう、敢えて最後尾で、そう、寄せ集めの騎馬隊しかいなかった最後尾で囮になったクラン。
「何が智将だ、兄を守るための手は尽くした、だ!」
俺は全く先の見えていない、愚か者だ。
「ダレク、タクヒール、彼をゆっくり休ませてやれ。お前たちはソリス男爵家の男だ。
彼を失った悲しみを、他の戦死者にも等しく感じなくてはならないのだ。
そして彼らの忠誠には勝利で応えなくてはならない」
父の言葉に俺は改めて気付いた。
俺が突出したから、やむを得ず後を追わせたソリス鉄騎兵団からも、40名もの命が失われる結果となった。
彼らの命にも、俺は責任を負わなければならない。
「ダレクさま、タクヒールさま、これが戦場です。
戦えば、必ず誰かが命を落とす。
我々は、彼らの死を乗り越えなければなりません」
沈痛な表情で、俺たちを慰めてくれるヴァイス団長自身も、傭兵団から5名の死者を出している。
彼らは敵に包囲された中、ハストブルグ辺境伯を守るため奮戦し、最後は盾となって散っていった。
それだけではない。
兄直属の騎兵たちにも犠牲は出ていた。
彼らは兄と共に第二子弟騎士団として従軍していた。
兄にとっては、クランに次いで最も心の許せる配下、そう言っても差し支えない兵たちだった。
彼らは取り囲まれ、窮地に陥った兄を庇い、敵兵の前に立ち塞がり、死を恐れぬ奮戦の後、力尽きると、自ら兄の盾となって死んでいった。
彼らの満足気な、安らかな死に顔は、何故かクランと同じだった。
ソリス男爵軍だけで、52名(傭兵団を含む)の戦死者に対し、俺と兄は、彼らの亡骸の一人一人に膝を付き、頭を下げて礼を言った。
そして誓った。
この戦いに勝利すると
彼らの家族、仲間達に彼らの奮闘を伝えると
家族がいれば、男爵家が責任をもって支援すると
残された家族が、彼らの事を誇りとし、今後も暮らしていけるようにすると
その日の夜、俺は砦内で与えられた自室に戻っても、まだ立ち直れずにいた。
過去、戦いのない国に育った、目の前で仲間を失うことなど無かった、そんな俺のメンタルが、今の自分自身にも大きく影響していると悟った。
「多くの敵兵を討っておいて、味方の死にはこの様か……」
俺は自嘲するように呟いていた。
心配して様子を見に来たアンは、泣きはらした目の俺を見て、何も言わずに抱きしめてくれた。
俺はアンに縋り付いたまま泣いた。
翌朝気付くと、アンに抱きしめられたまま寝ていた。
もちろんちゃんと服は着ていた。
恐らく求めれば、アンは添い寝以上の事をしてくれただろう。
だが……俺の心にはそんな余裕すらなかった。
翌朝アンと顔を合わせた時は、少し気恥しかった。
いつもと変わらず、平然と振る舞うアンに少し救われた気がした。
俺も少しだけ落ち着いて、今後の思案を巡らせる余裕もできた。
4回目の戦闘は損失した兵力ではカイル王国に軍配が上がるが、実質は双方痛み分け、と言って差し支えない結果となった。
<カイル王国軍損失>
・連合騎馬軍 約1200騎
・弓箭兵団 約 60騎(ゴーマン、ソリス)
・第一子弟騎士団 約 600騎
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損失合計 約1860名
<グリフォニア帝国軍>
・親衛軍 鉄騎兵 約1800騎
・親衛軍 騎兵隊 約 500騎
・辺境伯 鉄騎兵 約 500騎
・辺境伯 騎兵 約1000騎
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損失合計 約3800名
今回の戦い、特筆すべきはゴーマン子爵の活躍だ。
俺はクランを救うため、我を忘れて突出していた。
父が援軍に追わせた、鉄騎兵も善戦したが狂躁する敵軍には敵わず、押し戻されて窮地にいた。
ゴーマン子爵がいなければ、俺も戦死者の列に加わっていた可能性もある。
俺も結局、ゴーマン子爵の機転と、彼の軍に命を救われたことになる……
少しゴーマン子爵に対する考え方が変わった。
後でよくよくお礼を言わねばならない。
今回は味方の無能も大きく目立った。
・戦線を崩壊させた第一子弟騎士団の行動
・眼前の状況に何もできなかった第一軍と第四軍
そして、敵軍の無能にも救われた。
グリフォニア帝国軍側でも、第一皇子を守る盾歩兵と弓箭兵が動けなかったのは理解できる。
ただ、敵右翼に配置された2人の伯爵軍、合計4,000名が動かなかったこと、これが結果的にカイル王国側の陣営を救ったことになった。
※
戦いののち砦に帰還後に、第一子弟騎士団は、ハストブルグ辺境伯に激しく面罵された。
「一体お前たちは戦場に何をしに来た!
最終局面でもないのに、再度軍令を破り戦線に参加したこと、いらぬ突出で味方を窮地に陥れ、戦線を崩壊させ、あまつさえ、救出に多くの兵が失われたこと、許される事ではないわっ!
貴様らの、身勝手から犯した罪の重さは計り知れん!
王都に戻り次第、貴様らの罪を明らかにする、暫らく牢に入って謹慎しておれっ!」
ハストブルグ辺境伯は彼らを直ちに断罪したかった。
しかし、彼らは上位貴族の子弟を中心に構成されており、現場判断で断罪すれば今後大きな遺恨を残す。
不思議なことに、彼ら自身の記憶も曖昧だった。
「何故あの時に、あのような暴挙に出たのか、今考えてもわかりませぬっ」
「よく覚えておりませんっ! ですが、あの時に出陣せよ! そう伝令が来たように思えたのです」
彼ら自身、涙ながらに懺悔して、自身の行動が理解できないと言っている。
止むを得ず、牢に入れて監禁という処置で、一旦処断するのを保留した。
貴族連合軍第一軍と第四軍には、戦線参加しなかった非を問う声も上がったが、特に処分はなかった。
彼らの供出した騎馬隊は、多数の犠牲を出しつつ、奮戦したからだ。
次の戦闘では、彼らが最前線を担うこと、それが言い渡されただけであった。
辺境伯のなかでは、彼らは既に員数外の捨て石、盾や囮として使い、彼らなしで戦線を構築すると心は決まっていた。
※
グロリアス第一皇子も、受けた損害の大きさに茫然となっていた。
虎の子、親衛軍鉄騎兵団は半数以上を失い、親衛軍騎兵隊も四分の一を失った。
直轄する機動部隊の戦力が大きく削がれてしまった。
また、先の敗戦以来、第一皇子の陣営では、冷や飯ぐらいとなっていた、ゴート辺境伯も失われた。
彼の機動戦力1,500騎も壊滅した。
最近はすこし邪険にしていたが、彼は第一皇子派閥の柱石のひとりとして、実力と武力を備えた数少ない臣下のひとりだった。
その為、彼を失った喪失感の大きさを、失って初めて自覚し、大きな不安に襲われた。
無能な2人の伯爵を、散々怒鳴り散らした後、ここに至って、別動隊を率いるブラッドリー侯爵と彼の率いる軍勢、アストレイ伯爵と麾下の軍勢を呼び戻す事、これを真剣に検討し始めた。
これ以上直属の兵力を失うことはできない。
特に、虎の子である親衛軍は、後日、第三皇子と相対する際に必要不可欠な戦力だ。
今後のために、戦力として温存する必要がある。
先ずは味方の再編成を実施し、無能な2伯爵を前線に押し出し、別動隊が戻り戦線参加するまでは、主攻として使い潰す。
このように方針を定めた。
次の戦闘では、図らずしも両陣営において、互いに無能者として、烙印を押された者たちが率いる軍勢同士が、主攻としてぶつかりあう、そんな方針が定まっていた。
翌日の5日目になっても、両陣営とも軍の再編や負傷兵の対応などに忙殺され、互いに砦と拠点に引きこもり、攻勢に出ることはなかった。
そして大地を再び紅く染め、陽が沈む頃、真の凶報が彼らのもとに届く事になる。
彼らを死へと誘う使者とともに。
「ぜ、全軍の9割を失っただとっ!」
怒りと失望のあまり、グロリアス第一皇子は、報告を受けている途中で言葉を失ってしまった。
ブラッドリー侯爵は戦死
テイグーン攻略で全軍の7割以上を失い
帰路に魔物の襲撃を受け、撤退する兵の7割を喪失
簡単に攻略できる、そう踏んで送り出した筈の別動隊3,000名が、最終的に出兵時の9割を失う大損害を被り、僅か300名しか帰還してこなかった。
しかも帰還兵はみな満身創痍、戦力にはならない。
だが、彼らの最大の不幸は、この時点でもなお、魔境の禁忌事項に気付いていなかったことだ。
前日の戦闘でも多くの負傷者を出し、更に新たな負傷者を追加したことで、彼らの陣地は、血の匂いを漂わせた負傷者で溢れていた。
そして、魔境から続く道は、敗走する兵の流した血で濡れ、延々と奥地から繋がっている。
彼らにとって、【血塗られた悪夢の夜】と呼ばれた、凄惨な夜がこれから始まることになる。
ご覧いただきありがとうございます。
10月1日の初投稿から、2ヶ月が経ちました。
皆さまの応援のお陰で、ここまで継続できたと思います。
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また誤字のご指摘もありがとうございます。
今後も感謝の気持ちを忘れずに、投稿頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。