第六十九話:テイグーン防衛戦⑥(開戦4日目)不落のテイグーン
テイグーンに運命の陽が昇る。
関門の鐘楼に立つクリストフとクレア。
「用意は?」
「全て整っているわ」
これから起こる惨事を予期するかのように、山の朝日は鮮血のように遠くの山並みを紅く染める。
「では作戦を開始する」
クリストフの合図で、旗手は黄色の旗を掲げる。
その旗は何人かの旗手を中継して、テイグーンの町付近にいる、メアリーまで届く。
「始まりましたね」
「そうね、これで終わりにして欲しいわ」
メアリーの言葉に答えるミザリー。
2人は関門から離れた、テイグーンの町の外壁、それを取り巻くように設けられた空堀の傍に立っていた。
空堀だった堀は、テイグーン山の雪解けの水をたっぷり溜め込み、春から夏、秋へと季節が移ろいゆく間も、変わらず豊かな水量を保っている。
※
「奴ら、あんな場所にも陣地を築いていたのかっ」
想像もしなかった場所、登坂不能と思っていた崖、まさにその上にある、見晴台からの攻撃に、ブラッドリー侯爵は驚きと、恐怖を隠せなかった。
遥か上から、油が詰まっている陶器のようなもの、火の付いた藁の塊などが次々と投擲されてくる。
彼の脳裏に、昨日の悪夢が蘇った。
「火に気を付けろっ! 油の範囲から退避っ!」
同じ手はもうくわない、とばかりに兵士たちは的確に火の壁から退避している。
だが彼らは気付かない。その動きは関門側に向かって徐々に誘導されていることに……
「損害はどうか?」
「火にまかれたもの、混乱で転落したものはおりません。ただ此方に運び込んだ糧食が焼かれました」
「こうなればもはや、このまま進み、強襲で町を落とすしかないか……」
参謀と話し、ブラッドリー侯爵の腹は決まった。
「全軍、これより関門を総攻撃する。我らの退路は既に無い! 進んで死中に活を求めよ。全軍、突撃!」
背水の陣となり、覚悟を決めた侯爵の兵が関門に向けて突入を開始する。
※
「来たな!旗手は戦闘開始の赤旗を掲げよっ!
クレア、サシャとアイラへの指示は任せる。あれをギリギリまで押しとどめるよう伝えろ。
他の者はこれから暫らく関門を死守するぞっ!」
クリストフにとって、今受けている強襲攻撃は、本来なら一番取られたくない攻め手だった。
もし、クレアの献策がなかったら……
隘路から出た先の、関門前に広がる空間は、敵軍で溢れかえっていた。
隘路出口に降り注ぐ矢は猛烈だが、それを走り抜け関門に取りつけば、矢の攻撃は目に見えて減る。
自警団のクロスボウは、遠距離用と隘路出口用、2か所に照準が固定されているからだ。
「関門に取りつけば敵の反撃は思ったより弱い! このまま落とすぞっ!」
絶叫し、兵を鼓舞するブラッドリー侯爵も、関門を攻める兵たちも、遠くから聞こえる地鳴りのような低い音には気が付かなかった。
※
「サシャ、アイラ、水壁を最大限に厚く!水圧に負けるわよ、頑張って!」
クレアの叱咤に水路の出口、関門内側に設けられたスペースに2人の水壁が展開される。
テイグーンの町、その外周の堀から、水路の斜面を下って流れて来た濁流の勢いは凄まじい。
2人は、あらん限りの力で水の障壁を展開し続けた。
そして間もなく、彼女らの限界がくるであろうこと、クレアにはそれが分かっていた。
「間も無く関門を開きます! 関門前、及び低い位置にいる者は直ちに退避しなさいっ!」
クレアの声で慌てて何人かが安全な位置に避難する。
「2人ともそろそろね?」
サシャもアイラも既に返答する余裕もない、歯を食い締めながら頷くのが精いっぱいだった。
関門に設けられた大門、人の背丈の数倍もある大門の高さまで、水壁に囲まれた水は溜まり、まだ増えつつある。
「関門を開いてっ!」
クレアが声を出すと同時に手を振り下ろした。
※
「関門が開くぞっ!もう一押しだ!」
ブラッドリー侯爵は嬉々として兵士達を督戦した。
果たして、関門が徐々に開き、取り付いた侯爵の兵士たちにより、更に大きく開かれていく。
これならいけるっ!
侯爵はこの時、この先の勝利を確信した。
その刹那、轟音とともに、門の中に飛び込んで行った兵士たちが、吹き飛ばされる様に押し戻されてきた。兵士だけでない、大量の水と一緒に。
溢れ出る水は一気に門の前の広場に広がった。
急激に大きく広がったため、最初は彼らの足首が水に浸かる、そんな程度だった。
だが押し寄せる水量は増え続け、もう膝上まである。
これには幾つか理由がある。
関門前に広がった空間は、全体的に少しだけ掘り下げられており、広大な、しかし浅い、プールの様になっていた。
そして谷側には、腰の高さ以下の縁が設けられており、水が溜まるようにされている。
更に、先程まで関門の向こう側で、水を抑えていたサシャとアイラが、次の手として、関門を抜けた谷側を取り囲むように、新たな水壁を張っていたからだ。
水の勢いは止まらず、増え続ける。
気が付けば、関門前にさながら巨大な扇型のプールが作られたかの様に……
「水攻めだぁ。魔法士がいるぞ。此処から逃げろっ」
兵の一人が叫び、隘路の出口に向かい走り出した。
しかし隘路の出口は矢の雨の通り道だ。
彼と彼に続く一団は身体に何本もの矢を受け倒れた。
そして、その時、水壁が一斉に消えた。
更にエランの力で谷側の縁も、一瞬で崩れ落ちた。
「うあああああっ!」
「な、流されるっ!」
「助けてくれぇっ!」
関門前の広場に溜まった水は、流れ落ちる方向を得て、一斉に谷に向かって流れ始めた。
既に腰近くまで水に浸かっている兵士達は、水の流れに逆らえず、次々と谷底に押し流されていく。
「後退っ! 後退しろっ!」
反対の崖側にいたり、岩にしがみつき、運良く水流に耐えた兵士たちは、もと来た隘路に向かい走り出した。
しかしそこはクロスボウの狩場、分かっていても他に逃げ道は無い……
「もうだめじゃっ!」
ブラッドリー侯爵の心が遂に折れた。
彼は逃走を決意した。
今回は約1500名で関門を攻めた。
なのに半数以上が水流に押し流され谷底に消えるか、隘路出口で矢の雨を浴び命を落としている。
やっとの思いで、いや、周りの兵たちが盾になってくれたお陰で、隘路出口の危険地帯を抜けた。
関門からは死角になっている安全地帯、崖の裏側まで辿り着いた。
だが、今潜んでいる場所にも、これまでは無かった攻撃、山なりに放たれた、矢の雨が彼らを襲う。
ここなら安全と思っていたのに……
やっと危険地帯を抜けた兵たちも、予想外の攻撃を受け、次々と倒れていく。
「全軍、てったっ…‥」
そこで彼の言葉、いや、彼の世界は終わった。
撤退の指示を出し切らぬうちにブラッドリー侯爵は、見晴台からクリストフが射た矢で命を落とした。
「侯爵さまがやられたっ、逃げろっ!」
そこからは狂乱した兵の、無秩序な逃亡が始まった。
「馬に乗ってもこの先が通れん、馬など放っておけ」
「邪魔だ、馬など通る余裕はない、どけさせろっ」
最も後方、侯爵軍の最後尾で落とされた橋は、まだ通路となる脇道の掘削が、十分にできてはいない。
それに当たる人員の多くが、前方に移動させられ、無傷の兵の5倍以上、100名で支えるには多過ぎる負傷者を抱えているからだ。
狭い通路は、落ち着いて、時間を掛ければ一頭ずつ馬も通せたが、我先に潰走する兵士たちには、もちろんそんな余裕はない。
彼らは狂躁しながら徒歩で、最後尾まで走り抜けて来ている。
途中の隘路には、負傷した多くの味方や馬を残して。
たかが辺境男爵、そして最辺境の取るに足らない小さな町、3000名の兵力で攻めれば簡単に落とせる。
誰もがそう思い、油断し、安易に考えていた。
だが、予想外の攻撃の数々に、主将を討たれ、大敗北で潰走することになり、兵士たちの恐怖心は頂点に達していた。
回廊の出口側(魔境側)で待機し、後送された負傷者と、吉報を待ち構えていた兵士たちは、潰走してくる味方の惨状に目を覆いたくなった。
幸いにも、後送された負傷者の中に指揮官クラスの貴族が居た。
彼は即時撤退を決意し、指揮系統は保たれたまま、急ぎ軍を返し、国境まで撤退する事になった。
最後尾守備隊:100名
脱出組兵士 :200名強
後送済負傷者:500名強
脱出組負傷者:100名弱
自らも負傷しながら、撤退を指揮せざるを得なくなったその指揮官は、損害の大きさに愕然とした。
侵攻した3,000名の7割を失い、主将たるブラッドリー侯爵は戦死、主な指揮官も自分以外は戦死していた。
僅か300名の兵で、倍する600名の負傷者を護衛しつつ、危険な魔境の境を抜け、国境線まで撤退する。
成り行きで敗軍の指揮を任される事になった指揮官は、自らの置かれた、この困難な状況に目の眩む思いだった。
「自分を含め、この何割を無事に、殿下の陣まで連れ帰る事ができるだろうか?」
彼の自問自答は、この後、現実の問題となって彼を窮地に陥し入れることになる。
※
テイグーンの関門は歓喜の声で溢れていた。
「勝った! 俺たち本当に勝てたんだ!」
「守った! 俺たちが守ったんだ!」
「テイグーン万歳!」
彼らが従軍した、この防衛戦により、テイグーンの町は後日、僅かな守備兵と住民が、実に5倍もの敵軍に完勝するという戦果をあげた、難攻不落の地として名を馳せることになる。
不落の街テイグーン
鉄壁の街テイグーン
要塞都市テイグーン
人々はそう言ってテイグーンを称えた。
後にこの事が、爆発的に入植者を増やすきっかけともなった。
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<追記>
六十話~まで毎日投稿が継続できました。
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