第六十七話:テイグーン防衛戦④(開戦3日目)押し寄せる死兵
各所で燃えていた回廊内の火は、やっと鎮火し、混乱も収束に向かいつつあった。
「……」
ブラッドリー侯爵は、凄惨な状況と想定外の被害に言葉すら出てこない。
つい先程までは楽に勝てる、そう思っていた。
だが、敵の奇策により、既に500名近くの兵が炎に焼かれたり、崖下へと消えて二度と戻ってくることがなかった。
更に300名余の負傷兵も、ひどい火傷の者、馬に蹴られて骨折している者、踏みつぶされて立ち上がれない者など、ほぼ全てが戦闘不能だ。
損害を確認したブラッドリー侯爵は想像以上の痛手に、困惑していた。
「まだ回廊に入ったばかりだぞ、敵は一兵も倒せておらん、にも関わらずなんたる損害だ。このままではグロリアス殿下に合わせる顔もない……」
「橋を修復し、大至急、進路と退路を確保せよっ!」
彼らはずっと得体の無い恐怖に包まれていた。ここに居ては、いつあの炎の罠が来るかわからない。
逃げ場のないこの死地で、炎にまかれれば確実な死。
そして、他にも悪辣な罠が仕掛けてある可能性も十分あることが、彼らを追い立てた。
「さっさとこの忌々しい場所を抜ける、まだかっ!」
橋を掛け直すにも、一帯は岩場で木材や材料がない。
荷馬車を分解しても資材として全く足らなかった。
彼らは苦肉の策で、剣をスコップ代わりに岩場を掘削しはじめた。だが、固い岩場を交代で掘り進める作業は困難を極め、しかも、足場は狭く作業に当たれる人数は限られる。
数時間をかけて、焦れる侯爵を横に、堀のある側面の崖に、細い脇道をつくること、これが関の山だった。
侯爵は取り残された最後尾に対し、継続して通路を確保することを命じ、負傷者を後送、残り2000名を切った数の兵士で、細い脇道を抜け、その先に進んだ。
「下民どもめっ! 我が怒り思い知らせてくれるわ」
ほぼ全ての騎兵は騎馬を途中に置いて来ている。まだ馬が安全に通行できる道幅は掘削できていない。
侯爵や騎兵達は、馬が通れる広さの掘削が終わるまで、先ほどの場所に留まることは全く考えなかった。
再度同じ攻撃をされたら、その時に馬が暴れればどうなるか……、予想された悪夢が侯爵達を焦らせ、馬を捨ててでも先を急がせることになった。
あの悪辣な罠がもたらす、致命的な打撃をこれ以上受けるわけにはいかない……
その思いでいっぱいだった。
「へへっ、この崖を回った先が関門ですぜ」
「この軍勢なら奴らはきっと皆殺しだなぁ」
「これで、やっと奴らが苦しむ姿が見れる」
案内人、という名目で遣わされたこの三人を、侯爵は良く思っていなかった。
彼らの野卑な態度、明らかに盗賊と思われる彼らと、共に行軍する事は侯爵の矜持に反した。
そして、関門まで来れれば、彼らの役目も終わった。
思わぬ被害に遭い侯爵の我慢もそろそろ限界だった。
「やれっ!」
侯爵の合図で三本の剣が水平に払われた。
彼らの首と胴は永遠に一体となることはなくなった。
やっと不快な事のひとつ、それが解消されたと、侯爵は気を取り直した。
「全軍、一旦隊列を整えよっ!
歩兵は関門が見えたら全力で疾走し取り付けっ! 弓箭兵は後方から歩兵を援護、関門の射手を潰せ!
騎兵(今は馬はいないが)は予備戦力として待機。
突入順に隊形を組みなおし、完了次第突撃する」
※
回廊の隘路を見下ろす位置に、地魔法士の力を借りて崖を削り、関門上部から通じる長い階段を設置、回廊に大きく突き出た斜面の上には、崖の一部を平らに削った見晴台がある。
これも地魔法士たちが苦心の上、作り上げた設備のひとつだ。
「そろそろか……」
見晴台から彼らの様子を、密かに見下ろしていたクリストフが呟いた。
見晴台からは、回廊で侵略軍が炎にまかれ、大混乱する様子から、それ以降の動きまで、全て見えていた。
せり出した高台の、見晴台に立つ彼からは、曲がりくねって、死角が多い回廊も、上からの俯瞰で全て見渡せている。
クリストフは旗手に命じ、隘路射撃準備を指示した。
関門は回廊の狭い隘路が急に広がった一角に、隘路の出口を睨むように建設されている。
それまで狭い所では10メル(≒m)以下の道幅しかない場所から、道幅が一気に100メル(≒m)に広がり、関門の前には、ある程度軍が展開できる広さもある。
※魔境側関門概略図
→↓谷谷谷谷谷
→↑崖↘︎★★★谷谷谷谷谷谷
→↑崖崖崖崖★★★ 谷谷谷谷谷
→☆↑崖 崖崖 関門
↗︎崖崖崖 崖崖 関門
↗︎崖 崖崖 関門
谷橋崖 ▲ 崖崖崖 関門
↑崖 崖崖 関門
↗︎崖 崖崖崖崖崖崖崖
↑:回廊の隘路と侯爵軍の進路
橋:先頭部分の崩落橋
★:クロスボウ台座固定狙撃位置(中距離)
☆:クロスボウ台座固定狙撃位置(遠距離)
▲:回廊見晴台
広がった道幅が、丁度最大になった位置に、強固な門とともに関門が回廊の出口を固く閉ざしている。
やっと回廊を抜け、目の前に広がる空間と、その奥の関門を目にした侯爵は攻撃を合図する。
「全軍、関門を押しつぶせっ!突撃!」
歩兵たちは盾を掲げて全力疾走で突進し、たちまち500名近くが関門の真下近くに迫っていた。
後方、回廊の出口あたりでは400名の弓箭兵が矢をつがえ、関門上部に矢の雨を降らす。
「小細工も終わりか、存分に叩きのめしてくれる!」
侯爵がその言葉を吐いた瞬間、回廊出口付近の後方で縦列に展開し、関門に向かって矢を放っていた弓箭兵に対し、信じられない数の反撃の矢が、暴風の様に襲ってきた。
侯爵の弓箭兵たちは、体を遮蔽物に隠す事もできず、まともに矢を受けてしまい、次々と倒れていく。
弓箭兵達が倒れ、攻め手の攻撃が怯んだ瞬間、今度はソリス男爵軍の弓箭兵達が、関門から身を乗り出し射撃を始めた。
今まさに、関門に取りつき、よじ登ろうとした侯爵軍の兵士たちは次々と狙い打ちにあい、倒れていく。
その矢の勢いは強烈で、盾や軽装歩兵の鎧を容易く突き通している。
「何故これだけの数の兵がおるっ! そんな筈……、おかしいではないかっ!」
絶叫する侯爵をよそに、侯爵軍の弓箭兵には、関門から矢の暴風が第二射、第三射と襲ってくる。
関門を守る敵の弓箭兵から放たれる矢は止まらない。
回廊出口付近に、帝国軍弓箭兵300名近い兵士の骸が積まれたころ、関門から陰になる位置まで、侯爵は一旦軍を引いた。
軍を引いたが、彼らには安全な後方地帯などない。
補給を受ける筈の荷駄も最後尾、崩落した橋の向こうに取り残されている。
「もはや撤退すべきか……」
侯爵の心は揺れていた。
全軍の三分の一近くを失い、それに加え、戦闘不能な負傷者も多く、実質半数強しかいない。
最後尾で孤立した荷駄、そこには糧食や補給物資、それを守る300名の兵も、この先戦力として必要だ。
掘削した狭い通路を人手で運び、当面必要な物資は手運びでなんとかこちら側に搬入できた。
負傷兵も安全な最後尾に運び、手当を受けている。
負傷者と交代して、孤立した最後尾からは無傷の兵士200名をこちらに呼び寄せた。
今、最後尾で待機しているのは、荷駄を守る兵100名と500名を超える負傷者だ。
敵、ソリス男爵軍は先の関門攻撃のあと、鳴りをひそめており、追撃の様子はない。
本来なら守備兵など、せいぜい100人ほど、それよりもっと少ない可能性もあると予測していた。
事前に行った諜報でも、同様の情報を得ていた。
だが、実際に敵軍の数は、恐らく500名前後、もしかするとそれ以上、居るように思える。
そんな話は聞いていない。
だが……、500名が守る関門を攻めるにあたり、必要と言われる、守備側の3倍の兵力はまだ手元にある。
ブラッドリー侯爵は悩んでいた。
もしここでおめおめと引き下がり、ただ多数の兵士を失っただけとなれば、侯爵家の名誉は地に落ちる。
攻める余力があるのに、なぜ撤退したのか?
後日にそれを糾弾されれば、弁解のしようがない。
ブラッドリー侯爵は、新たな決意と共に顔を上げた。
「侯爵家の名誉にかけて……、ここは引けんっ!
全軍! 死兵となり、関門を落とす。待っていろ」
そこにはもう、敵軍を舐めた様子も一切無かった。
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