第六十六話:テイグーン防衛戦③(開戦3日目)恐怖の回廊
六十四話から、お話がサザンゲートからテイグーンに一旦移っています。
場所と時系列は副題に記載しております。
「敵の先頭集団が魔境側より隘路に侵入しつつあり。その数、約3000!
騎馬と歩兵ほぼ半数ずつ、こちらに続く回廊に向かい、縦列で進軍しつつあります」
想定していたより少し早く、日が中天に登る前になって、物見より侵攻軍の到来を告げる報告があった。
「では、機先を制するとするか、クレア、クローラ、エランと共に頼めるか?」
「承知!」
「わかりましたわ」
「はいっ!」
クリストフは落ち着いて、敵軍に最初の矢を放った。
※
「それにしても、ここは狭いな。先が詰まって、せっかくの軍が展開できんではないか」
やっと魔境との境を抜け、テイグーンの隘路に差し掛かったブラッドリー侯爵は、早く一息つきたかった。
この辺りの道は狭く、幅は数騎の騎馬が並んで通れる程度だ。
曲がりくねった回廊の片側は、よじ登ることも難しい急斜面の岩場、反対側は、切り立った深い谷になっている。谷側に落ちればまず助からない。
そのため先頭が詰まり、行軍は遅々として進まない。しびれを切らし侯爵は先頭集団の後方に加わった。
3,000人もの行軍ともなれば、その人数自体が魔物を誘引する切っ掛けとなる。
そう言われており、いつ魔物の襲撃があるかも知れない、魔境の境を進軍する恐怖と緊張感から、やっと解放されたばかりだ。
少数なら問題ないが、大人数で肉類を焼けば、それも魔物を引き寄せる恐れがある。
そう注意され、魔境の境に入ってからは食事も簡単な物しか食べていない。
「今夜はテイグーンの町で、天蓋付きの寝台でゆっくり眠りたいものだ」
領主不在、しかも多くの兵は遠く離れた戦場に出ており、留守部隊などものの数ではない。
勝利は約束されたようなものだ。
町の美女たちを徴発して、戦場の憂さを晴らす。
侯爵は馬上でそんな甘い夢にひたっていた。
「報告! この隘路の先、橋の上でただ一人、我らを誰何し、立ち塞がる者がおります」
先頭に出てみると、まだ10代と思われる若者がひとり、騎馬にまたがり橋の中央に悠然と佇んでいる。
「ここはエストール領主、ソリス男爵の領地である。
我はこの地を治める男爵家のタクヒール様が配下、我が職責を以て卿らに問う。
いかなる理由を以て主人の領内に侵入されたのか」
「我らはグリフォニア帝国ブラッドリー侯爵旗下の軍である。命が惜しければ早々に降伏し、関門を開き、慈悲を請うが良い。
奴隷として生かしおいてやることもあるだろう。
抵抗すれば町を焼き払い、住民は全て抹殺する。自らの命の行く末、どうするか早々に決断するが良い」
代表して答えた兵は笑いながら彼に応じた。
「ならば是非もなし。
この橋より先に進めば、侵略者として判断し、全軍で攻撃を行う、心して進まれよ」
そう言い放ってクリストフは馬首を巡らせた。
絶対的に弱者の立場である筈のテイグーンの使者が、余りにも平然と、余裕のある態度で口上を述べてくるので、帝国兵たちは逆に唖然となり、後を追うのを忘れた。
そして、一息おいて侯爵軍の兵たちの中に嘲笑の渦が巻き起こった。
「なに、降伏するにも一応格好をつけてみた、そんな所だろうて」
「あのような子供しか残っていないのか、テイグーンに人なし、といった所だな」
「こうなっては奴らも哀れとしか言い様がないな」
兵士たちの嘲笑のなか、ブラッドリー侯爵が叫ぶ。
「皆の者、聞けっ!
これよりテイグーンを押し潰す、町は切り取り放題だ、今こそ帝国に忠誠を示すときぞっ!」
「おおっ!」
ブラッドリー侯爵の言葉に兵たちは奮起した。
「これより弓箭兵部隊を先頭に歩兵部隊、騎兵部隊と進軍を行う、全軍、進めっ!」
これまでの苦しい行軍の反動で、目的地を目の前にし、血に飢えた獣となった集団は走り出した。
※
ねじれた道の先は、崖に隠れて見えない。だが先頭方向から轟音と共に絶叫する兵士たちの声が聞こえた。
「何だっ、何が起こった!」
先頭が急に停止していたため、事態を把握できない後続が、次から次へと押し寄せ、隊列は後列に押され、もう寿司詰め状態になっている。
そして、今度は遥か後方から轟音と悲鳴が谷にこだまして聞こえて来た。
「何が起こっておる!誰か!確認して報告しろっ!
こうも道が狭く、曲がりくねっていては何も分からんではないかっ!」
ブラッドリー侯爵は先ほどの鷹揚さとは打って変わって、顔を引きつらせている。
※
「先頭と後方の橋は落としました。次は作戦通り、中軍を一気に焼き払いましょう」
エランの言葉にクレアとクローラが頷く。
実はこの3人、おびただしい数の敵軍が進む、その隘路の真下を移動していた。
正確には隘路の下に、エランたち地魔法士が苦心して作った、秘密の隠し通路を走っている。
一部の者しか知らされていない防御の切り札、隠し通路は、テイグーン回廊の真下を縫う様に続いている。
急峻な谷へと続く崖の斜面を削り、人一人が通れる程度の、隠蔽された細い通路を彼らは利用している。
上の回廊からは体を吊り下げ、崖下を覗き込んでみないと、この通路は見えない。
更にエラン達は回廊の隘路を掘削し、数カ所にわざわざ堀を作っていた。
平素はその堀に橋がかかり、問題なく通行できるようにされていたが、わざと橋の柱には弱点が設けられていた。
地魔法士がその弱点に手を入れれば、橋を渡る人馬の重みで、簡単に土台が崩れ崩落する。
地魔法士のエランの細工で、土台が破壊されると、橋は崩落、先頭を進んでいた20名ほどが、橋と共に堀に落下した。
更に不幸は続く。
延々と続く軍勢は急には止まれない。
眼前の崩落を見て、なんとか手前で停止していた者たちも、事情を知らない後続が詰め寄せるため、後ろから押され、次から次へと堀に落ちていく。
更に意地が悪いことに、堀の底は断崖の谷に向かい斜めに傾斜しており、表面は固く押し固められている。
堀に落ちた後、更に下の、底の見えない谷底に向かって、死の滑り台を転げて行く兵たちの絶叫は、侯爵軍の兵らの心胆を寒からしめた。
先頭を封じ込めたのち、エランは後方、最後尾近くの橋でも同様の細工を発動した。
騎馬にまたがった兵たちが、愛馬と共に谷底へ消えていく。
前方の堀と後方の堀、ブラッドリー侯爵の軍はその大部分を、隘路に閉じ込められ、進むことも引くこともできなくなっていた。
しかも先頭が先に詰まった為、隊列は密集している。
※
エラン、クレア、クローラは最後尾の橋を落としたあと、早足で隠し通路を移動、今は閉じ込められた敵軍の中軍あたり、その真下に居る。
「では……、始めますね」
エランの言葉に2人は覚悟を決め無言で頷く。
ここでエランは再び地魔法を発動した。
回廊の崖側の岩に偽装された、大きな粘土でできた甕が割れ、狭い回廊上には油が溢れる。
「これは何だっ!」
「油だっ!火矢に注意しろっ」
「土をかけろっ!」
「油の広がる場所から退避しろっ!」
侯爵軍の兵らはそれぞれ叫ぶが、あたりは人馬に埋まり、思うように身動きもできない。
「むごいようですが、皆を守るため、ここで少しでも数を減らしておく必要があります。クローラ、大丈夫ですか?」
クローラは緊張しつつ、明確な意思を持った目でクレアにうなずく。
「火炎障壁っ!」X2
二人の魔法は狭い回廊上に2つの炎の壁を出現させた。立ちのぼる炎の壁が、地面に広がる油に引火し、一帯は炎に包まれた地獄となる。
火の海となった回廊、その罠を発動させると同時に、彼女たちは次の場所に移動していた。
彼女達に上の回廊上で起こっていること、その光景が見えないことが、精神衛生上せめてもの救いだった。
回廊上では凄惨としか言えない光景が広がっていた。
身動きできない状態で炎に焼かれる者
炎から逃れようと逃げ回り、崖下に転落する者
炎から逃れるため周囲の兵を突き落とす者
暴れ狂った馬に蹴り倒されたり、踏みつぶされる者
暴走した馬に巻き込まれ、馬と共に崖下に落ちる者
辺りは侵攻軍の悲鳴と絶叫がこだまし、収拾のつかない混乱と、目を背けたくなる様な、無惨な光景が展開されていた。
しかし、これだけではなかった。
中軍で発動された、この悪辣な罠は、そこから順次前方でも展開されていったのだ。
回廊は細く曲がりくねり、後続の状況は前からは見えない。悲鳴が聞こえるだけだ。
そして、それが順次近づいてくる。
侯爵軍の兵らは、たとえようのない恐怖に包まれる。
最前方に待機するブラッドリー侯爵と、配下の兵たちは、見通しの悪い回廊の各所から響いてくる、味方の悲鳴や軍馬の断末魔のいななきに、放心状態になっていた。
タクヒールが魔法士たちに残留を告げた会議の後、彼らから提出された作戦案を見て……
「うわっ! エグいっ!」
と、思わず発言したのが、正にこの罠であった。
そして、それが実際に使用され、絶大な効果を発揮した。
そして、ブラッドリー侯爵をはじめ、侵攻軍の全てが、甘い勝利の幻想をいだいていた、その事を思い知ることになった。
まだ、彼らの不幸は、始まったばかりに過ぎないのだが……
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