第四百四十七話(カイル歴516年:23歳)望まぬ真実
この日グロリアスは、彼と共に帝都の後宮を抜け出して来た母の寝所に呼び出された。
そこは……、地下にあるため明り取りの窓もなく、燭台の明かりも意図的に減らされていたため、薄暗い陰湿な感じのする部屋だった。
無言で手招きされた第一皇子は、部屋の中に入ると不思議な匂いのする香が焚かれており、そのきつい香りに思わず顔をしかめた。
「母上、本日は大事な用件でお召しと伺いしましたが……、どうやらここは空気が悪いようですな。
部屋を変えてお話しませんか?」
「我らにとって大事なお話です。貴方にとってもここは『相応しい』部屋ですよ。黙ってそこに座りなさい」
かつて皇妃であった女は、グロリアスの言葉を聞かず淡々とそう命じただけだった。
実のところグロリアスはこの母が苦手だった。
彼は幼少期より母親らしい愛情を注がれたこともなく、父親である皇帝は母を片時も傍から離さず夢中になっていたからだ。
そして……、物心が付く頃になると父である皇帝は徐々に変わっていった。
グロリアスが成長するにつれ政務を放棄するようになり、日々後宮で母親の用意した愛妾と自堕落な生活を送るようになり始めた。
『皇帝陛下を篭絡して堕落させた女、滅ぼされたローランド王国の怨念を体現したような魔女』
彼は密かに自身のなかで母親をそう評していた。
もちろん彼には母親に対する愛情は一切ない。むしろ心の中では、恐れと憎しみすら抱いていたといっても過言ではない。
実のところ彼が執拗に帝位を目指したのも、このように堕落した皇帝や、その原因となった母を廃したい気持ち、帝国を刷新し誇りある姿に戻したいがためであった。
久しぶりにゆっくりと対面した母の顔を改めて見ると、既に四十台半ばにも関わらず妖艶な容姿は衰えを見せず、年齢不詳とも思える不思議な、魔性の美しさを保っていた。
正に魔女と呼ぶに相応しい、心の中で改めてそう感じていた。
そんな母親が怪しく微笑むと、部屋の上手にある薄暗い一角に向かって跪いた。
「御前に謹んで申し上げます。用意が整いました」
その言葉とともに、暗闇の一角が揺れ動くと見慣れた怪しい男が闇から姿を現した。
「ぶ、無礼者がっ! ここをどこと心得るか!
我が母の寝所であるぞ、貴様のような下賤の者が訪ねてよい場所ではないわ!」
彼は思わず剣に手を掛けようとしたが、母の寝室を訪ねるにあたり意図して帯剣していなかった。
もし帯剣していたら、この男の行動は万死に値するもので有無を言わせず剣を振り下ろしていただろう。
だが、威圧する第一皇子に対し男は全く怯まなかった。
「ふふふ……、無礼かどうか其方の母に聞いてみれば良いわ」
「なっ! は、母上……、ど、どうして……」
その言葉を受けて母親を見たグロリアスは驚愕した。
皇帝の正妃であり皇帝以外は誰も跪く必要のないと言われた母が、男に向かって跪き深く首を垂れていたからだ。
「儂は其方の母が跪くに値する者、そういうことじゃな。
そもそもの話じゃが、父親が娘の寝所を訪ねて無礼もなかろうて」
「娘だと? 戯言もいい加減にしろ! お前はどう見ても母上より若いではないか!」
そう言って男は不気味に笑ったが、どう見ても男は三十前後、自身と同程度の年齢にしか見えなかった。
なので四十台の母に対し父親と称するなど戯言にも程があると思えたからだ。
「物事の上辺だけしか見ようとせぬか……、だからこそ其方はこれまでも幾度となく敗れたのだ。
我が孫ながら情けないものよな」
「黙れ! 戯言も程々にしろ! 我が父は由緒ある帝国の皇帝、母はローランド王国の第二王女、貴様のような輩の血が混じっていようはずもないわ!」
「ふはははは、前半は正しいだろうな。だが……、その第二王女というのはどうかな。
いつの間にか第二王女が別の者と入れ替わっていたらどうなる?
第二王女だけではないぞ、其方の妻の母である第四王女も同様じゃな」
「な……、なんだと!」
この話を聞いたとき、かつてハーリーから聞かされたローランド王国滅亡の話が彼の頭をよぎった。
確かに第二王女であった母が祖国の攻撃を支持して貴族たちを切り崩し、第四王女であった叔母は無駄な抗戦を回避するため、無血開城を説いて回ったと聞いていた。
「ローランド王国は其方の父によって滅ぼされたのではないわ。本来なら皇位継承すら叶わぬ第五皇子に過ぎず、それまで何の功績すら上げていなかったのだからな」
「だがそれでも、皇帝陛下は大きな功績を上げられた!
お前如きが知るはずもないが、皇位継承には順位など関係ないわ! 戦功によって全ては決まるものだ」
「功績だと? それは誰の功績かの。ローランド王国の滅亡は我らが周到に内側から崩壊するよう段取りを整え、その結果、滅ぶべくして滅んだにすぎん。
我ら……、魔の民を支配する闇の氏族によってな」
「闇の氏族だと? まさか……、お前たちはカイル王国の?」
度重なる戦いを経て、第一皇子も不倶戴天の敵であるカイル王国の情報、王国の成立や国家を支える重鎮として十二氏族が要職を占めていたことは調べがついており、闇の氏族についても少しだけ聞き及んでいた。
「ふん、我らから魔の民の支配権を奪った男の国など知ったことではないわ。これまで幾度となく儂が其方らに機会を与え、我が血を引く者の手で王国を滅ぼそうとしておったが、いささか期待外れであったわ」
「ま、まさかあの得体のしれない老人も……」
幾度も帝国を訪れては策を弄し、手を汚さずにカイル王国を貶めるべく暗躍した薄気味悪い老人のことはよく覚えていた。
何故かハーリーは、公爵という立場にありながらその老人に敬意を払っていたことも……。
「それは以前の儂の姿よ。我らは極めた闇魔法によって人外の技を行使することも可能じゃからの」
「くっ、魔物の力を受け継ぐ化け物風情が……」
薄気味悪い言動だけでなく、そのようなことがができる人外の者を目の前にし、第一皇子は背に冷たい汗が流れ落ちる不快感を感じていた。
「ふふふ、敢えて其方に『望まぬ真実』を告げてやるわ。実のところ其方にも『化け物』の血が半分ほど流れておるということ、分かっておらんのか?」
「半分だと? どういうことだ!」
「ふふふふふ、真実とは残酷なものよ。
其方に流れているのは帝国の血統が半分のみ、半分は我ら魔の民の血よ。
そういう意味では新たに皇帝の座を得た第三皇子の方が、よほど正統な血筋と言えるだろうな」
「だ、だ、黙れっ! 誰が何と言おうと俺は正統な帝位継承者だ!」
唯一残された自身の拠りどころ、グリフォニア帝国の皇帝とローランド王国の王女の血を引く、由緒正しき高貴な血統を引いているという思いが、グロリアスの中で音を立てながら崩れ落ちていった。
彼はいつの間にか無意識に床に膝を付き、頭を抱え始めていた。
「何を以て正統と言うのだ? これまで其方が拠り所にしていた事実ではない虚しい血統か?
敗戦続きで何ら戦果を上げれなかった武勲か?
率いる兵も味方となる者たちも失った流浪の身でありながら、未だに虚勢を張ることか?」
「黙れ、黙れ、黙れっ!」
「もう其方の生きるべき道はひとつしかない。闇の力に身を染め、新しき闇の御子を誕生させる依り代として復讐に身を焦がすがよい。忌々しい小僧の国を、カイル王国を、そして貴様を捨てた帝国すら業火に沈めるのだ」
「くぅっ、俺は……、奴らに……」
密かに抱いていた怨念のような自身の心をあからさまにされ、第一皇子は言葉に詰まった。
それを見た男は、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「幸いにもこのイスラには其方に眠る力を呼び覚ます術(教会)もある。
絶望と恥辱、憎悪と妬みに身を委ねよ。そうすれば無力な其方に復讐のための力を与えてやろう」
「憎いさ! 悔しいさ! 俺が得るはずのものを奪った奴らが! 俺は、俺は……」
感情の奔流に身を任せて言い放つと、そもまま第一皇子は床に崩れ落ちて泣き叫んだ。
受け入れがたい事実に心をかき乱され、様々な思いがごちゃまぜになって……。
「それでよい、其方に渦巻く負の感情こそが『闇の洗礼』の源泉ともなる。
今こそ真の闇に目覚める時じゃ」
そう言って男は、泣き崩れる男の頭に手を伸ばし闇魔法を行使しようとしていた。
だがその時、自我を失ったかのように見えたグロリアスの目だけは死んでいなかった。
そして……、予想外の行動に出た。
突っ伏した彼の頭に手を差し伸べた男の手を掴むと、勢いよく引き寄せて二人の体は激しくぶつかった。
「ぐっ……、なっ、何故だ……」
驚愕した男は口から血の泡を吐き、その胸には第一皇子が密かに懐中に忍ばせていた短剣が深々と突き刺さり、流れ出た血は黒い衣を更にどす黒く染め始めていた。
「最後に油断したな。策を弄する者は策に溺れるということだ。貴様にも『望まぬ真実』を教えてやるわ」
先程とは別人のような顔になった第一皇子は、男から身体を離すと不敵に笑った。
「ハーリーを甘く見たこと、それが貴様らの落ち度だ。あ奴は……、真に帝国の未来を憂う忠臣だったよ」
かつて四か国に参戦を促す書簡を認めた夜、ハーリーは自身の娘に宛てた書簡も一緒に作成していた。
『自分に万が一のことがあれば、必ず第一皇子に同封した手紙を直接手渡すように』
そう念を押して……。
「ことの経緯を書き記したのち、ハーリーはこうも言っていたぞ。
『闇の者は我らを利用するだけ、こちらが利用することはあっても決して信じてはなりません』とな。
俺はハーリーの遺した手紙により、今お前たちがした話の経緯はあらかた聞いており、何も驚くに値せんわ。
もちろん皇帝陛下を害し続けた毒婦についても、な。陛下を殺めたのはお前たちであろうが!」
「ぐ……、お前……、は、わざ……、と……」
それだけ言うと男はそれ以上の言葉を吐くことができなかった。
急所を強かに穿たれた男は、床に突っ伏しており既に虫の息となっていたからだ。
その目に映った光景は……、狂乱して護身用の剣を第一皇子に振りかざした皇后(娘)が、身を躱した第一皇子によって剣を奪われると即座に首筋を切られて絶命する様子であった。
「母上、あなたの罪も許されるものではありません。陛下の命を奪ったのは貴方でしょう。
皇帝陛下を弑逆した罪は万死に値します。たとえそれが皇妃であっても、です」
そう言って彼は既に絶命した女性と今まさに絶命しつつある男の姿を、ただ無表情に見下ろしていた。
「ハーリー、お前の杞憂は正しかった。陛下の身を按じ、あえて奴らの下風に立っていたこと、さぞ苦痛だっただろうな。これで陛下の仇は討ったぞ……」
この結末を導いたハーリーは、本来ならば彼が知る由もない話を知っていた。
何故なら……、彼は妻となったローランド王国の第四王女から全ての事情を聴かされていたからだ。
数十年前のローランド王国にて、誕生して間もない赤子がすり替えられたのは第四王女で、そのしばらく後になって、ある程度成長していた第二王女も闇の氏族によってすり替えられていた。
入念に周囲の者たちには闇魔法による暗示を施し、誰にも気取られないよう配慮したうえで……。
これこそが闇の氏族が施した二重の謀であったが、今回はそれが裏目に出るという皮肉な結果をもたらした。
赤子からローランド王国の王女と思い込み王宮で育てられた第四王女は、幼いころから姉の第二王女や侍女たちによって闇に導かれていたが、心の中では王女としての自分と、姉たちが伝える一族より使命を受けた闇の眷属であることの間で揺れ動いていた。
やもすれば第四王女として生きた彼女は、心の奥底では祖国を滅亡に導いた闇の氏族と姉の第二王女を憎んでいたのかもしれない。
だからこそ彼女は、予め描かれたシナリオに沿って敢えて帝国に降伏する道を選んだ。
既に姉たちの策謀により王国の貴族たちは切り崩され、抵抗すれば多くの国民を巻き込む大乱となって国が滅ぶと知っていたために……。
祖国が無血開城して帝国に降伏し、王族の務めとして国民の命と暮らしを守り切った彼女は、用意された筋書き通りにハーリーに嫁いだ。
元ローランド王国の第四王女として……。
そのあとの彼女は、帝国が祖国の二の舞にならないように行く末を案じた。
そのため夫であるハーリーだけには真実を伝え、もちろん娘を闇の策謀に染めることもなかった。
「俺は……、奴らのように過去の怨念に囚われた化け物にはならん! お前たちを見てその醜さが良く分かったわ。最後まで不甲斐ない身を按じてくれたハーリーの忠義に応えるために、そして……、こんな俺に最後まで付き従ってくれた者たちに未来を与えるためにも、な」
寂しそうな表情でそう呟くと、第一皇子は顔を上げて前を見据えた。
その顔はこれま抱き続けてきた憎悪や嫉妬が消え去り、とても晴れやかなものであった。
※
この日より彼は、忌まわしき血を引く帝国の第一皇子という身分を捨てハーリアスと名を変えた。
同時に逃亡を重ねた帝国の第一皇子は暗殺者の手によって斃れたと発表させ、一介の将軍として新たな道を歩み始めた。
ここまで付き従ってくれた者たちの未来をもたらすため、そして、自身の忌まわしき血と定めに決別するために……。
それは……。
後になって政教二元君主制というユニークな統治体制で勃興した、イストハーリアス聖教国の原点が生まれた瞬間でもあった。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
次回は03/09『華燭の典①』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。




