第三百六十三話(カイル歴515年:22歳)北部戦線② 矢の伝騎
領民たちを盾にして侵攻してきたイストリア正統教国軍に対し、第二線まで後退して隘路に誘い込む罠を敷き、後続の本隊を叩く計略を立てていたアレクシスは、敵軍が突然停止して肩透かしを食らったため若干の焦りを感じていた。
彼は今回の作戦に合わせて、敵がどのルートを通って侵攻してきても対応できるよう、三ケ所に設置した罠の中間地点に布陣していた。
「さて……、彼らの停止が包囲網を形成するために留まっているのか、それとも我々の思惑を見破っているがための停止か……、悩みどころだな。それが今回、すっきりすればよいのだけれど……」
本営に据えられた天幕の中で、大きく広げられた地図を見ながら独り呟いたアレクシスは、慌ただしく接近する足音に気付き顔を上げた。
「報告します! 偵察部隊として敵軍の動向を確認し只今戻りました!
国境を越え帝国領内へと侵攻したリュート、ヴィレ、カイン王国の軍勢は我らの防衛線(第三皇子委任統治領)に侵入した後、新たな動きに出ました。その数三万以上と思われます!」
「そっか……、これで最初の疑問は解決したな。奴らは彼らを待っていた……、そういうことだな。
で、その三軍の進路は?」
「それが……、真っすぐ北には進まず、一旦後退して第三皇子委任統治領の端を縫うように西へと進んでおります。
最も西に進んだヴィレ王国軍一万五千が左翼をなし、中央にはカイン王国軍一万、右翼にリュート王国軍一万を配し、今後は三軍が並走する形で北進するものと思われます」
報告を聞き、アレクシスは地図を見ながら考え込んだ。
彼らの立場に立ってみれば、侵攻ルートとして採るべき案は二つ。
ひとつ、東の国境から真っすぐ北進してイストリア正統教国軍と合流し、圧倒的大軍で以って攻勢を掛けて来ること。
ひとつ、数の利を生かして西側に分散展開したのち、並行して北進し大規模な包囲網を形成すること。
できればアレクシスは後者を選択されたくなかった。
大規模な包囲作戦を採られると手が回らず、イズモの防衛ラインまで後退する必要が出てくるからだ。
こういったケースで、此方が軍を分ちそれぞれで迎撃に出るのも愚策とされている。
「敵の動きは、一見すると数の利をいかし戦理に適った……、だけど内実は度し難い戦略なんだけどなぁ……」
今の状況は、アレクシス自身もひとつの可能性として考えていたものの、その策は悪手と考えていた。
統一された軍であれば、むしろその展開が至極当然のものだが、彼らは4か国で密に連携しているとは言い難く、それぞれの思惑で動いているように見えたからだ。
その場合、西方に展開した軍ほど各個撃破の対象や孤立して損害を被る可能性が高くなる。
「イストリア正統教国に知恵者がいて、三国を西に追いやったのか、それとも……。
ただ僕らは、彼らに嫌な手を打たれたことに変わりはないか……。数の利を生かされると苦しいな」
そう呟くと使者から幾つかの情報を確認したのち、意を決したアレクシスは立ち上がり命を下した。
「各部隊の指揮官に下命! ゴーマン侯爵、ソリス侯爵、ファルムス伯爵、ボールド子爵、ドゥルール子爵、ゲイル司令官、マスルール司令官らに対し、直ちに本陣に参集を依頼せよ。
新たに定めた作戦案を共有する!」
彼の命に従い、使者となる者たちが急ぎ本営を辞して伝令として走り出した。
それを確認するとアレクシスは、少し前に早馬で届いた書簡に目を移し、小さなため息を吐いた。
「なんとか……、間に合ってくれたかな?
これで僕らも少しは……」
そう小さく呟いた彼の手には、先ほど見つめていた書簡が握られていた。
その書簡には、魔物である火喰鳥を意匠とした封蝋印が押されており、クサナギにて前線を支えるため、そして避難民の受け入れで奮闘するレイモンドにより、早馬で送られてきたものだった。
※
アレクシスの招集に応じ、各所から指揮官クラスが続々と集まり、本営の天幕へと招かれた。
誰もが新たな敵軍の出現に、緊張した面持ちでアレクシスを見つめる。
「皆さんも既に諜報部隊を通じて、状況の推移はお聞きになっているかもしれませんが、先ずは招集に応じていただいたこと、改めて御礼申し上げます」
「それで、総司令官殿はこの難局に際し、いかなる作戦を採られるおつもりかな?」
緊張した様子もなく落着き払っているアレクシスを見て、ソリス侯爵は以前の戦いで見せたアレクシスの智謀に期待するかのように質問した。
侯爵の表情も苛立ちや不安もなく、僅かに微笑さえ浮かべていた。
「まず前提として、敵は東西に長い防衛線に付け込み、大軍の利を生かした作戦を採ってきたと思われます。おそらく彼らは、我らの寡兵に付け込み戦域を拡大しようと考えているのでしょう。
俯瞰すれば、イストリア軍が最も東側を抑えて我らを釘付けにしておきつつ、中央側は左翼をヴィレ王国軍、真ん中をリュート王国軍、右翼をカイン王国軍が並行して北進しているとのことです」
「デアルナ……、実のところ我らは、敵が思っているより更に一万の兵が抜けているからな。
その様な形で攻められれば、全ての前線を支えることは叶わん」
「ゴーマン侯爵の仰る通りです。
我々は防御に当たる都合上、これまでは守勢に徹し状況を動かす側にはありませんでした。
ですがそろそろ、こちらから動き戦局を主導する立場に移りたいと思っています」
「それはそうですが……、少数の我らは下手に動くと戦線を維持できなくなるのではありませんか?」
「ボールド子爵、これまではそうでした。ですが我々にも有利な点もあります。
ひとつ、委任統治領内であれば、我々にとって勝手知ったる土地であり、移動速度で勝ります。
ひとつ、包囲される側の我々は、内線の利をいかし彼らに先んじて軍を移動すことができます」
そう言うとアレクシスは、本営にある大きな地図を指揮棒で刺した。
「我らは四か国の軍勢に対し、イズモを背にした斜線陣で迎え撃ちます」
「斜線陣……、デアルカ?」
そう答えたゴーマン侯爵以外も皆、アレクシスの意図を掴み兼ねていた。
それを分かっていたかのように、彼は微笑を浮かべた。
「これ自体が敵を釣る餌となります。
最も西、斜線陣の最右翼にはドゥルール子爵にお願いし、東に向かってソリス侯爵軍、ゴーマン侯爵軍、ゲイル司令官の率いる軍を展開させます」
「ふむ……、作戦自体は了解したが、それでは各軍は厚みに欠け、易々と突破が可能となるのではないか?」
「はい、ソリス侯爵のご指摘はもっともです。なのでドゥルール子爵軍以外は軍を再編します。
ソリス侯爵は第二部隊を率いて、ドゥルール子爵軍の脇を固めてください。
ゴーマン侯爵はファルムス伯爵軍と共に第一部隊を率いて、両翼との連携をお願いします。
ゲイル司令官は第三部隊を率いて、我ら本隊に敵が回り込まないよう牽制してください。
ドゥルール子爵は最も西に展開し、敵がこれ以上西側に進出しないよう楔となってください」
「ふむ……、仰る意図は分かった。だがそれだけでは疑念に対する答えになっていないだろう。
各軍は圧倒的に兵力が不足してはいないか?」
「ソリス侯爵の仰る通りです。だからこそ兵力を再編して各軍に増援を送ります。
イズモ駐屯軍の五千名と新領土駐留旅団一千二百名、諜報攪乱部隊の八百名を各隊に振り分けます。
これで各部隊はそれぞれ五千名近い部隊となるでしょう」
「「「なっ!」」」
この大胆すぎる再編成案には、何人かの諸将は驚きの声を上げた。
「となると……、民は除いたとしても正統教国の兵は二万はいよう、総司令官は特火兵団の二千名だけで対するおつもりか?」
「ソリス侯爵、そうではありません。僕も無謀な作戦を立てているつもりはありません。
この軍議に先んじてカイル王国の王都騎士団長、ゴウラス閣下よりの書簡が到着しました。
先遣隊として派遣された援軍、王都騎士団第三軍より選抜された五千騎が、既にクサナギに到着しており、第一軍と第二軍から成る一万騎も編成と準備が整い次第出発するとのことです」
「「「「おおっ!」」」
「第三軍は最も早くクロスボウを装備し、ゴルドさんたちから指導を受けた部隊であり、タクヒールさまと共に戦場で戦った経験もあります。即戦力として申し分ないでしょう」
「なるほど……、本隊は特火兵団とあわせて七千騎の弓騎兵部隊となる訳ですな」
一堂は大きく頷き安堵の表情を浮かべた。
全てが騎兵で構成され迅速に展開可能な事、弓箭兵として遠距離攻撃が可能な事で数の不利も補える。それが魔法士と連携した波状攻撃を行えば、二万の敵軍に対しても勝機は十分にある。
「諜報によると三か国の軍勢は、密に連携しているとは言い難く協力しているように見えません。
まるで功を競い合い突出しているようにさえ思えます」
アレクシスはこれまでの諜報から、そのことを看破していた。
「彼らは各々が各地で略奪を行いながら進軍しているとの情報も入っております。北への進軍も必ずズレが生じてくるでしょう。その隙を第一部隊から第三部隊が一気に衝きます」
ここでアレクシスの指示により、再編成する部隊の編成表が張り出された。
◇第一部隊
・ゴーマン侯爵軍 1,700名
・ファルムス伯爵軍 1,000名
・イズモ駐屯軍 2,000名
・諜報攪乱部隊 200名
◇第二部隊
・ソリス侯爵軍 1,700名
・イズモ駐屯軍 3,000名
・諜報攪乱部隊 200名
◇第三部隊
・ゲイル男爵軍 3,200名
・新領土駐留旅団 1,200名
・諜報攪乱部隊 200名
◇本営守備軍
・特火兵団残留組 2,000名
・諜報撹乱部隊 100名
・本営護衛軍残留組 100名
・王都騎士団先遣隊 5,000名
◇遊撃部隊
・ドゥルール子爵軍 8,000名
・諜報撹乱部隊 100名
「総司令官、各隊に諜報攪乱部隊が付属されていますが、この意図はもしや……」
ボールド子爵が目敏く気付いた点、それこそがアレクシスが新たに定めた作戦案の根底に関わるものだった。
彼らはラファールによって、単なる諜報部隊としてだけでなく、戦地を往来する伝令としても厳しく鍛え上げられていた。
「その通り。これより三か国に対して作戦『矢の伝騎』を発動する!
諸将はこれまでの訓練通り情報連携を密とせよ。奴らは既に帝国領を侵し無辜の民を襲った。
開戦のタイミングと各隊の連携は各軍長に一任する。これより直ちに配置に付け」
「「「「応っ」」」」
防戦一方で積み重なるストレスに耐えていた彼らも、ここに来て奮い立った。
今回の戦いで初めて打って出ることとなったからだ。
力強い返事とともに諸将は散っていった。
新たなる作戦、『矢の伝騎』を遂行するために。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
次回は『蹂躙された大地』を投稿予定です。
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※※※お礼※※※
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