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第三百六十話(カイル歴515年:22歳) 南部戦線④ 仕組まれた罠

スーラ公国より割譲され、帝国南部に広がる広大な領域を占める新領土、ここを統治する要が帝国最南端の街であったエンデで、長年に渡り第三皇子が兵站拠点と定めていた最重要都市であった。


今回の戦いでは、兵站拠点としての役割をビックブリッジ砦に譲ったが、それでも帝国有数の都市にまで発展したエンデは、万が一の退路として、そして新領土と帝国旧領を繋ぐ重要都市として、その存在感を失うことはなかった。


そして、エンデを失えば第三皇子率いる軍勢は敵地に袋の鼠となり、包囲殲滅の憂き目にあうことは誰の目からも明らかだった。



そのエンデを脅かすべく進出したエラル騎士王国の軍勢に対し、アストレイ伯爵は街から西に1日ほど離れた地に陣を敷き、エンデを死守すべく対峙していた。


騎士王国の軍勢は全て騎馬で構成されていたため、当初は破竹の勢いで帝国領を侵食したが、何故かエンデの手前まで来ると停止し、迎撃の任を受けて後退したアストレイ伯爵の軍と正面から睨みあい、両者は一触即発の様子を見せながら、微妙な均衡状態に陥っていた。


両軍が睨み合いを続けるなかで、その隙に乗じて北方から軍を率いてエンデを脅かす者たちがいた。



「開門っ! 開門っ!」



「……」



先触れの使者の言葉に対し、エンデ守備軍は不気味な沈黙を保ったまま、門を開けることはなかった。



「どうした? 何故門を開けぬかっ!

我らは友軍、しかも恐れ多くもグロリアス殿下率いる軍ぞ。直ちに門を開け我らを迎えよ!」



「何故でしょうか?」



暫しの沈黙の後、やっと一人の男がエンデ側の城壁から姿を現し、街の外郭に設けられた出丸の上に立つと、呑気な様子で返答した。



「何故もへったくれもないわ! 我らは援軍、しかもグロリアス殿下直属の軍であるぞ!

このままでは不敬罪に当たる故、命が惜しければ直ちに門を開けよ!」



「ご使者の役目ご苦労さまです。我らも帝国の軍人、故に軍令の重さは重々承知しております。

我らもケンプファー総参謀閣下より、グラート殿下か総参謀閣下の命以外、何人たりとも決して通してはならぬと、固く戒められておりますので……」



「なっ、我らは友軍だぞ」



「我らが受けた命令は、例えそれが帝国の友軍であっても、です!

お二方の命を覆せるのは皇帝陛下のみ、なのでお通し出来ません!」



実のところ、ジークハルトは帝国軍の入城を無原則に禁じていた訳ではない。

第一皇子の軍勢を通すな、そう厳命していただけだ。


ただ方便として、先の説明を以て断るように指示してたに過ぎない。



「何を申すか! 第一皇子たるグロリアス殿下は、次期皇位継承者であり、皇帝陛下に次ぐ至尊の頂にあるお方、ならばその命は皇帝陛下に準ずる!

まして我らは、陛下のご裁可を受けて派遣された軍ぞ」



「なんと! 異なことを仰る。

皇位継承はグラート殿下に確定したはず。ご使者どのは皇帝陛下のご意向と、陛下に次ぐ至尊の頂にあるお方のご命令を軽んじられるか! それこそ不敬罪で断罪の対象となりますぞ!」



これまでの呑気な様子とは打って変わり、エンデ側の兵士も激高して使者に応じた。



「ぐっ……」



使者は思わず口を滑らした言葉を逆手に取られ、言葉を失ってしまった。

そこからはただ、「通せ!」、「通せぬ!」の不毛な応酬が続き、ただいたずらに時を費やすだけだった。


そこに当の第一皇子が到着した。

彼はエンデまでは帝国軍の勢力範囲と確信していたので、進軍中でも自身の威光を示すために軍の先頭を進んでいたからだ。



「何事だ? 未だに城門は閉ざされ、跳ね橋は上がったままなのだ?」



「はっ、愚かにも守備兵ともが、奴らの主人の命以外、誰一人として通さぬと頑なに……」



「ふっ、時節の見えぬ愚か者共が。我らは一万余名、このまま押し通ればよい話ではないか?」



「それが……、街の城門に通じる道は、幾重にも張り巡らされた堀と、出丸が睨みを利かせておりまして、易々と進むことができませんので……」



実は以前、タクヒールが招待した収穫祭の知らせを受けたとき、エンデにてジークハルトが手配し、第三皇子が視察していた工事が、これらの防御施設の追加建築工事だった。


それは宿敵であるスーラ公国に対してというより、むしろ潜在的な敵、北から押し寄せるであろう友軍であるはずの敵に備え構築されたものだった。



「くっ、奴らめ……、無駄なことを」



不愉快そうに呟くと、第一皇子たるグロリアスは、城門に通じる跳ね橋近くまで馬を進め、大きな声を張り上げた。



「者共、聞けっ! 其方らの主(グラート)は新領土でスーラ公国軍に敗れ、今や生死も分からぬ状態である。

斯様かような事態にあっては、余が帝国の兵権を預かって当然のこと。直ちに開門せよ、そうでなければ反逆者として其方らを討つことになるが良いかっ!」



この言葉に対し、当初から使者に対応していたエンデの守備隊長は、街道を切る形で横たわる堀の対岸に進み出ると恭しく一礼した。



この日より半年ほど前、ジークハルトがエンデを出立する際に、彼は守備隊長に対しある任務を託していた。



「僕らが決戦に臨む時、必ず留守を狙った空き巣がエンデを奪いに来ると思う。

殿下を袋の鼠にするためにね」



「その際にはここを死守せよ、そういうご命令でしょうか?」



死守せよ、命じる方は簡単だが、命じられる方はたまったものではない。

こういう場合、えてして全滅を覚悟で戦え、そう言われているのに等しい言葉だからだ。


だが、表情が険しくなった守備隊長に、ジークハルトはにっこり笑って言葉を返した。



「いや、今の兵力ではどう足掻いても結局は奪われるだろうね。なので無理となったら潔く明け渡していいから。問題は……、奪われ方かな?」



「あ、いや……、てっきり徹底抗戦せよと仰るものだと……」



「ははは、僕だってそんな酷い命令をしたくないし、徹底抗戦すれば街の住民にも犠牲が出るしね。

ちょっと相手を激発させてから、うやむやのうちに負けるのが一番かな。後日のためにね」



そう語るジークハルトの口調はあくまでも普段通りの緩い感じだが、その目だけは違った。

まるで獲物を狩る猛禽類のような鋭い目つきをしていた。



「僕自身も兵たちの犠牲は出したくないし、可能ならそれなりの数をエンデに残し、開城したあとの街に住民として潜伏して命を長らえ、後日に備えてほしい」



「は……、はぁ? あ、いや、失礼しました」



あまりにも突拍子もない話に、守備隊長はついていけなかった。

不利となれば明け渡して構わない。だが、その負け方が大事というのはどういう意味だろう?



「その……、お話の意図は分かりましたが、そんなことが可能でしょうか?」



「そのための改修工事だったからね。

わざわざ街の北側に築いた出丸、その地下道を抜ければ気取られずに街に逃げることができる。

そしてこの出丸は、彼らを貶める罠として機能するよう期待している」



「で、では総参謀閣下は、もしや建築当初から事態を予測されていたのですか?」



「ははは、もっと前からだね。

いつだったか忘れたけど、多分スーラ公国との戦いに決着がつき、新領土を得た時からかなぁ」



そう、ジークハルトはこのエンデの重要性を何よりも理解していた。

新領土を支える拠点であり、新領土で戦っている時にエンデを奪われてしまえば、自軍は袋の鼠となり全滅しかねないことを……


そのための罠、いや、更にその先を見越して設置させたのが、街の外郭に張り巡らされた出丸や堀、それが二の丸や三の丸だった。



「北側の外郭は防備を固めていると見せ掛けて兵を重点配置し、いつでも地下道を抜けて街に退避させるよう準備しておいてほしい。

理想的な形は、その無人の外郭を奴らが攻撃でもしてくれたら最高かな?」



「こっ、攻撃ですか? 友軍に対し果たしてそこまでやりますでしょうか?」



「普通ならそう思うよ、普通ならね……。でも、目先の皇位継承に目が眩んだ者にとって、僕らは友軍ではないからね。それを支える街も同じさ」



そう、帝国軍が帝国の都市を攻撃するなど、通常であればあり得ない話だ。

ましてエンデを支配するのは、帝国では皇帝に次ぐ地位にある皇位継承者の第三皇子だ。



「そして……、そんなことを考える阿呆の最も恐ろしいことは、阿呆故に僕らが想像すらできない行動に出る可能性があることだね。そこで話は戻るけど、阿呆は誘導して思うように激発させる」



こう言ってジークハルトは、ぞっとするような笑顔を浮かべると、淡々とした口調で守備隊長に対し策を授けていった。



対岸の守備隊長は第一皇子に対し、恭しく一礼したあと大きな声を張り上げた。



「戦時のため非礼を承知でお尋ねします。其方におわすはグロリアス殿下でいらっしゃいますな?」



「そうだ、見てわからぬのか! 直ちに跳ね橋を降ろし城門を開けて我らを迎えろ。

今ならば皇族への非礼も譴責けんせき程度で済ませてやってもよい。

だが余は、あまり気が長い方ではないぞ」



「ご配慮に感謝いたします。ですが改めて、お通しできない旨をお伝えさせていただきます」



「何だとっ! 貴様……、気でも触れたか!」



「失礼ながら至って正気ゆえ申し上げます。この街は殿下の所領ではございません。

主人はグラート殿下、代官はケンプファー伯爵です。お二方のお口添えが無ければ、皇帝陛下以外はお通しできないことは、帝国の軍法に照らしても明らかです」



「なっ、余は数万の援軍を率いる、皇帝陛下の代理人だぞ!」



「その援軍が問題です。

この街は全ての物資を前線に送ったため、皆様の腹を満たす食料すらございません。

なので食料等の供与は一切できかねます。大軍が駐留すれば、たちまち飢餓に陥ってしまう状況です」



「何だと!」



「何よりも増して、我らはこの街を治める次期皇帝陛下、グラート殿下よりご命令を預かっております」



「ちっ、奴は何と申しておる?」



「不在時に帝国より援軍が参じた場合は……、

ひとつ、援軍部隊は新領土の統治を委ねられていらっしゃる、殿下の指揮下に入られるように。

ひとつ、援軍部隊はエンデに構わず軍を南東に転じ、ターンコート王国軍の迎撃に当たられたし。

この二点でございます」



「余に前線に赴けと? あ奴の命令に従ってだと? ふざけるなっ!」



「畏れ多くも次期皇帝陛下、でございます」



第三皇子のことを殊更次期皇帝陛下と呼び差別化する。

この守備隊長の応答も、実のところジークハルトによる入れ知恵だった。


単なる皇族や皇位継承候補と比べ、次期皇位継承者の立場は隔絶した高みにある。

それは第一皇子グロリアスが最も認めたくない事実だった。



「余を愚弄するかっ!

そもそも我らの食料など、街の住民から徴発すれば事足りる話ではないかっ!

それに奴は今、大敗を喫して生死も分からぬ状態であり、死んでは次期皇帝になり得る筈もないわっ!」



第一皇子は既に激発寸前だった。

だが、敢えてそれを誘導していた守備隊長は臆することなく言葉を返した。



「領民から徴発ですと? 何を仰っているのです! 恐れ多くもそんな暴挙が許されるとお思いか!

エンデはグラート様が守り、そして慈しんだ街。それを馬蹄で踏みにじられるおつもりですか?」



グロリアスの言葉に、守備隊長は本心で呆れ果て、いや、怒っていた。


そもそも一万、後続を含めると数万の軍勢が駐留すれば、日々の糧食も莫大な量が必要となる。

かつてのエンデなら、その規模の軍を支えることも可能だったが、今はその役割をビッグブリッジ砦が担っている。

不用意に大軍が居座れば、数日で街は限界を超え、領民たちは飢餓に苦しむことになってしまう。



『碌な兵站すら整えず、裸でグリフィンを飛び出して来たのか? 阿呆としか言いようがないな』



相手が皇族故に、守備隊長は思った言葉を飲み込んだ。


実はハーリー率いる後続部隊が遅れているのも、そう言った準備のためだった。

功を焦り、それを待ちきれなかったグロリアスは、制止を振り切って此処まで進出して来ていたため、兵站を整える余裕など全くなかった。

いや、正確にはエンデを接収し、グラートの飯を食う算段でいた。


暗に自身の目論見を指摘されたと感じ怒り狂った第一皇子は、対岸の守備隊長を睨みつけながら、遂に激情のまま静かに言葉を発した。



「よし……、ならば死を以て罪を償うがよかろう。攻撃せよ!」



「で、殿下っ、それはなりませぬ!」



ここまで両者のやり取りを静観していた側近たちも、大慌てで主君の翻意を促した。

だが、グロリアス自身は侮辱を受けたことに怒りに燃えていた。



「黙れ! 奴らは皇位継承者である余を愚弄した上に、我が軍の行動を阻害した。これは不敬罪で弾劾されるだけでなく、利敵行為に他ならない。我が名を以て粛清する!」



「ですが殿下、相手は友軍にございます!

しかもグラート殿下のご領地。一度でも攻撃すればただでは済みませんぞ」



「百歩譲って仮に攻撃しても、眼前の堀や防塞に阻まれ城門まで矢は届きません。

また、力押しの攻城戦ともなれば、騎兵中心で準備の無い我らは、犠牲も馬鹿になりませんっ」



「殿下、今しばらく、今しばらくお待ちくださいませ。糧食ならばハーリー殿が手配しております。

せめて公爵がご到着するまで……」



側近たちは大慌てで物心両面から主人の翻意を促した。

一度でも攻撃してしまうと、取り返しのつかない事態になってしまうことが分かっていたからだ。



彼らの言葉に対し、グロリアスは不敵に笑った。



「どうせ奴は既に死んでおる。万が一まだ生き永らえておったとしても、我らが葬るだけのこと。

それに、攻撃ならうって付けの手段があるではないか。奴らに命じ、直ちに攻撃の準備をさせよ!」



「殿下っ! ま、まさか、そんな……」



事情を知る側近は大きく狼狽し、言葉を失った。


人には、切り札を最後まで我慢して隠すタイプと、早々に使ってみたくて仕方のないタイプがいる。

グロリアスは圧倒的に後者だった。


彼は過去の成功の一端のみを拠り所とし、それが招いた失敗を忘れていた……



「余の命に従わぬ者は、あ奴らと同罪とみなし処罰する。余の言葉に二度目はないぞ」



そう言い放った主君に、側近たちは止むを得ず指示に従った。

切り札とすべくハーリー公爵に預けられた部隊を、後列から呼び出して前方に展開した。


ここで遂に第一皇子は、越えてはならぬ一線を越えることになる。

自身の欲望と、自尊心の故に……

最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。

次回は『エンデ陥落』を投稿予定です。

どうぞよろしくお願いいたします。


※※※お礼※※※

ブックマークや評価いただいた方、本当にありがとうございます。

誤字修正や感想、ご指摘などもいつもありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] もう闇の御子くんは生まれたんだっけ まだなら第一くんは股間蹴りして不能にしてから生かしておくがいいね ただのお荷物になった彼を闇勢力はどうするだろう
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