第三百五十七話(カイル歴515年:22歳)帝国貴族の矜持
これまでの歴史の中で幾度となく戦いに勝利し、常に版図を広げてきたグリフォニア帝国は今、北と南から同時に侵攻を受け、逆にその領土を侵食されていた。
このかつてない危機に、帝国全土は騒然としていた。
頻頻と告げられる各地の戦況は、帝都グリフィンだけでなく帝国全土に広がり、各地の貴族たちも混乱していた。
彼らは、より正確な情報を得ようと奔走する傍ら、事態の推移にどう身を置くかを考え困惑していた。
その中でも帝国北部辺境と帝都グリフィンを結ぶ主要街道上に位置し、交易の拠点としてここ最近急速に発展しつつあったボータクレイ領では、行き交う情報が錯綜し、その地を治める領主を混乱させていた。
「北と南に使者を走らせろ! 北にはボッタクリナ商会を総動員して各地の情報収集に努めよ!
戦況だけでなく、支援物資として何が必要か見極めてくるのだ!
兵たちの動員も大至急進めておけ。いつでも援軍に駆け付けられるようにな」
そう指示を発したカーミーン子爵は、焦りを募らせていた。
彼には、いや、彼だけに伝えられていた、とある疑惑の情報があったからだ。
「帝国領が侵攻されている今、何故帝都の連中は動かない。何故、北部貴族は彼らを見捨てている!」
彼はやるせない想いを募らせ、怒気を発するしかなかった。
帝国領の北部最辺境こそ第三皇子の委任統治領だが、そこより以南は自身を含めて、全て第一皇子派の貴族たちの所領が広がっている。
だが彼以外の貴族たちは、北での出来事をまるで他人事かのように超然と振舞っていた。
そんな中、やっと彼の元には第一皇子が発した指示を伝える使者が来ていた。
『南部新領土を侵す敵国に対処するため、手勢を率いてグリフィンに参集せよ。これより帝国は正しき道へと戻る。共に栄光を分かちあわん』
第一皇子の檄文を伝えた使者は、この後、耳を疑うような言葉を発した。
「今こそ殿下への忠義を示す時ですぞ。この檄に応じ、今や帝国全土から南征の軍が集まりつつあります。遅れを取って殿下のご不興を蒙られないように」
「いや……、まずひとつ使者殿にお尋ねしたい」
「何か?」
その言葉を受けて、使者は明らかに不服そうな顔つきで答えた。
この場合、承知した旨の言葉以外が出てくることがおかしいと感じていたからだ。
「南征と仰ったが、北はどうされるのです?
むしろ、帝国固有の領土を侵食されている北の方が、事態は深刻なのではないか?」
その言葉を聞いた時、使者は冷たい侮蔑するような笑みを浮かべた。
「グロリアス殿下はこう仰っておりますぞ。
『北のことはあくまでも些事。小事にこだわり大事を見失うな』と。私も殿下のお言葉に賛成ですな」
「な、なんと! 些事と申されるかっ。
侵攻を受け蛮族共の凶刃に喘いでいるのは、帝国の民、いわばこの先、殿下の民となる者たちでございますぞ!」
「子爵、其方はどうやら勘違いをしているようだ。
今侵攻を受けているのは殿下の民ではなく、あの男を支える民たちだ。いわば敵兵も同然よ」
「敵兵とは……、酷い仰りようではありませんか。百歩譲って、大きな被害を受けているのはグラート殿下のご領地としても、直接国境に面し侵攻軍が侵入してきている伯爵領はグロリアス殿下のご配下。
つまるところ敵地ばかりとは言えませんぞ」
「ふう……、皆まで言わせるな。
グロリアス殿下は帝国百年の計を考えられておる。必要な際には蛮族すら利用してな。
これ以上の問答は無用である!」
そう言い放つと、使者は先を急ぐと言って去っていった。
立ち去る使者の背を見ながら、カーミーン子爵は心に抱いていた疑念が確信に変わるのを自覚していた。
「愚かなことよ。祖国の領土と民を切り売りしてでも野心を叶えたいのか。
公王の仰っていたことは真であったか……」
カーミーン子爵は大きなため息を吐くと、窓の外から見える街の賑わい、そして街を取り囲む豊かな山野を眺めた。
「私にはボータクレイ領の未来を拓く義務がある。帝国貴族としての矜持がある。
今やっと、この地は未来へと進み始めたというのに……
いったい、帝国とは何だ? 敵とは誰だ?
皇族が権力争いを行うためだけに、この国があるのでは断じてないわ」
例え所属する陣営は違えど、同じ帝国貴族の領地が侵されていること、これを放置して帝国貴族としての矜持をどこに示せというのか?
「残念ながら我らには、グロリアス殿下から受けた恩恵は一切ない。まあ、グラート殿下からもそうだが……」
そう言って彼は言葉を詰まらせた。
結局のところ、彼と彼の領地に恩恵を与えてくれたのは、憎むべき敵であるウエストライツ魔境公国と公王たちだけだった。
ボッタクリナ商会への便宜だけではない。
街道を活用し領地に活況をもたらす術を、そして魔境公国の存在自体が街道の往来を盛んにし、利益をもたらしていた。
何よりも大きいのは、先祖伝来の山野を取り戻せたことだ。
公王が考案されたという、『新領土開発公庫』というところから融資を受け、高利だった商人たちへの借金は全て清算できた。
月々の公庫への返済も良心的な利息が設定されており、戻って来た森林から得た収益で十分賄うことが
できていた。
言ってみれば彼にとって、魔境公国は福の神であり、片や第一皇子は貧乏神、酷い言い方をすれば彼らを戦(死地)へと誘う死神であった。
「私は……、これまで何をしてきたのだろうか?」
悔悟の念で呟いた言葉だったが、それとは裏腹に新たな想いが胸に浮かび、もはやそれを抑えることはできなくなっていた。
「私は……、帝国貴族としての矜持に従う!
これより義に依って行動し、恩讐を越えた生き方を歩む!」
カーミーン子爵は、自らを勇気づけるように言葉を吐くと、直ちに行動を開始した。
その表情には一切の迷いもなく、むしろ清々しげなものだったと言われる。
暫くして、緊急召集に応じた兵たちの前で彼は宣言した。
「これより私は、不当に侵攻を受け苦しむ、帝国北部辺境の同胞と、我らの恩人に対して軍を動かす。
情報によると数に勝る敵軍は優勢で、味方は窮地に陥っているという」
兵士たちは静まりかえって主君の言葉に聞き入っていた。
「決して楽な戦いではないだろう。私自身はもはや二度とこのボータクレイに戻れぬ覚悟で臨む。
お前たち、これまで不甲斐ない私によく仕えてくれた。
ここに至って何の礼もできんが、せめてひとつ、従軍の是非は諸君の意思に従ってほしい。
これが……、私からのせめてもの礼だ」
そう言うと、子爵は兵士たちに向かい大きく頭を下げた。
貴族が、栄えある帝国貴族が平民中心で構成された兵士たちに頭を下げるなど、まずあり得ないことだというのに……
「これより半日後、我らは街道を北に進む軍を進発させる。
こんな私に付いて来てくれる者のみ、領内北部に新設した道の駅に集合せよ!
いざ、征かん!」
「「「「応っ」」」」
大歓声で応える兵たちに無言で一礼すると、カーミーン子爵は直ちに騎馬にまたがり、北の道の駅へと移動を開始した。
付き従う多くの兵士たちを連れて……
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