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第三百五十五話(カイル歴515年:22歳)女神イスタールへの誓い

最も国境に近い左翼軍を指揮するゲイルの後方には、総司令官たるアレクシスが中央軍と共に控えていた。


ゲイルは単騎で左翼の陣を抜けて騎馬を走らせると、総司令官たるアレクシスの元に向かった。

彼が到着するや否や、本陣の天幕に案内されたが、既にそこにはソリス侯爵が来訪していた。


目的はおそらく同じ、侵攻してきた民たちへの対処を問うためだろう。

そう考えたゲイルは、かつての主君であるソリス侯爵に一礼すると総司令官たるアレクシスに向き直った。


既にこの場には、二人だけでなく皇王国出身の諸将も招集されていた。



「皆さんが尋ねてきた理由は分かっています。

諜報部隊絡からも連絡があったしね。

それにしても敵は、僕らが抱える二つの弱点を見事に突いてきましたね」



苦笑しながらそう言うと、アレクシスは大きなため息をついた。それは誰もが分かることだった。


だからこそアレクシスは、敢えて皇王国出身の諸将も呼んでいたのだろう。


当のアレクシスは、全員を見回したのち指揮棒を使って、目の前にある帝国領北部辺境一帯を示す大きな地図を指した。



「結論から言えば、先ずは嫌がらせで時間を稼ぐ。

こことここ、そしてここ、奴らの予想進路を塞ぐための仕掛けを作ります」



そう言ったアレクシスが示した場所は全て、今の陣地より半日ほど後退した場所で、地形に特徴のあるものばかりだった。

歩いて渡河できない川に橋が掛かっている場所や、街道脇に森林や沼沢地が広がり、隘路地形になっている場所、そんな場所ばかりを指していた。



「本当はゲイルさんが布陣している場所も格好のポイントなのですが、残念ながら時間が足りません」



「戦わずに引く、と言うことですかな?」



ソリス侯爵は、怪訝な表情で問い返した。

命令が不満なのではなく、その意図が読み切れていないからだ。



「うん……、ものは考えようだと思います。

彼らが効果的に『人の壁』を展開するつもりなら、ある程度固まって動く必要があります。

そして、その後ろには?」



「本隊が控えているな」



「仰る通りです。

僕らの相手は本隊です。でも奴らは後ろに隠れています。ならばそれを一番前にすればよいのです」



「なるほど、進軍する際は最後尾、だが、道が塞がれて先に進めず迂回もできず、方向を転じるために後退する時には、最後尾が最前列となる。

出口を塞いで罠を張ると言うことですな?」



「はい、報告を聞いたあと、僕はすぐ全魔法士たちに指示を出しています。突貫工事ですが狭く限られた場所なら……、おそらく何とか間に合うでしょう」



「先頭を進む民たちが行き場を失い、もはや一旦後退するしかなくなる、その時が勝負ですな?」



「はい、それが我々にとって無駄な犠牲を出さない勝機です。

念のためこの先イズモまで、彼らの想定ルートには追加で対処が必要でしょうね」



それに驚いたゲイルは思わず疑念を口にした。



「イズモまでですか? 威嚇攻撃などで少し脅せば、奴らも引くのではありませんか?」



「念のためです。

彼らが僕の想定した道を進むとも限りませんし。

マスルールさんには、街道が閉鎖されると言って、領民たちの避難を徹底してもらいましょう。

侵攻した民たちを脅して、そこで萎縮したり逃げ出してくれれば良いのですが……

暴徒となって恐慌状態になれば、それこそ手が付けられません」



そこでアレクシスは、いつもの緩い感じの状態から一変して、真剣な眼差しで二人を見た。



「総司令官として命じます。

イストリアの民たちが暴徒となった場合、帝国や公国の民を襲った場合、我らの兵が傷つくと判断した場合は、直ちに全力で攻撃を行うこと!

全ての責は私が背負う、だから現場に判断を委ねます」



そう言ってから、次にイストリア皇王国出身の諸将に視線をやった。



「君たちも辛いと思う。だが、情けで彼らを庇い逆に君たちが斃れることは許容できない。

武器を持たずとも、彼らは既に交戦国の国境を犯した。このことだけでも処断される理由になる。

最前は尽くすが……、どうか許してほしい」



そう言って頭を下げた。



「先ずは司令官の民を思うご配慮に感謝申し上げます。

我らもかつては、カイル王国を悪魔の使徒と呼び、刃を向けた者たちばかりです。彼らも偽りの情報を信じ動いて、いや、扇動されているのでしょう」



そう言うとグレンは、後列の同胞たちを見回した。

誰もが皆、覚悟を決めた目でグレンに頷き返した。



「ですが我らは既に公王の民、魔境公国を終の住処として新しき故国を守る責務を負った兵です。

同胞を制し故国を守るために矢を放つのは、我らの役目。どうかその際は我らに先陣をお命じください!」



「「「我らが神、女神イスタールに誓って!」」」



グレンの言葉と共に、彼らはそう言って一斉に地面に額をつけた。



それを見て、アレクシスにはひとつの記憶が脳裏に浮かんだ。


イストリア皇王国の民が信奉するのは、弓と癒しの女神イスタール。

そのため皇王国の民たちは、弓を象徴する風魔法士と、癒しを象徴する聖魔法士、御使いの中でも特にこの属性を行使する女性たちを深く崇めていた。


だからこそ、グレンたちはマリアンヌとラナトリアに対し、命を救われたこと以上に、並々ならぬ敬意と尊敬を以て接していたのだ。



「そうか……、特火兵団でもアウラさんは残留していたな。彼女にも一役買ってもらうか……」



そう小さく呟いた。

そして立ち上がると、新たな命を発した。



「もはや時間的猶予はない! 特に左翼の前衛は最も敵に近く、命令を待ち焦がれているだろう。

左翼は騎馬の用意がある者だけを残し後退、右翼は民たちの進軍の状況を見て後退せよ!

マスルール殿の隊は、本日の日没前に説得を打ち切り、ここより後方の退避勧告に移行せよ。

後退した我らは、最終的には足留めする地域の中央に集結し、横撃の体勢を取る!」



「「「「「応っ!」」」」



この指示を受けて、ゲイルやソリス侯爵はそれぞれの持ち場に戻って行った。



「さて……、彼らが説得に応じてくれれば良いのだけど、難しいだろうな……。

問題は、後ろに控える二万か。悪いけど其方には遠慮なくいかせてもらうからね」



そう呟くと、アレクシスは新たな作戦案のもと、忙しなく動き始めた。



日が暮れてまもなくすると、当初ゲイルたちが立てこもっていた左翼の防塞の周辺では、盛大に篝火が焚かれていた。だがもちろんこれらは、ゲイルたちによるものではない。


日が暮れ、周囲一帯が暗闇に包まれると、各所から神を讃える歌が響きわたっていた。


だがそれはまやかしに過ぎない。


遠く離れてはいるが、避難を拒否した結果、彼らに囚われた帝国の領民たちの絶叫や怨嗟の声を、民たちに聞こえないよう歌を歌わせていただけだった。



「皆、ご苦労であった。

いかに魔王軍と言えど、神の使徒たちの進軍には手も足も出ないことじゃろう、

皆には女神イスタールの恩寵がある故、先ずは今日の糧を受け取り、明日からの進軍に備えることじゃ」



そう言って彼らを労う男たちから食事を受け取ると、遠路行軍した民たちは割り当てられた野営地に戻って行った。


武器を持たず、神の御許へ歩む旅をやり遂げた満足感と、神からの授かりものである糧に感謝しながら……



その後も宿営地のあちらこちらで、神を讃える歌が歌われ続け、それが夜の暗闇に響き渡っていた。


その夜闇のなか、身を潜めて宿営地に紛れ込む男たちがいた。

彼らのうち一人は、篝火の傍らで寝ずの番していた殊更目立つ真っ赤な布を腰に結えた男に近づいた。



「よう、レイムじゃねぇか、寝ずの番とは申し訳ないな。見張りだけで済むなら、俺が代わろうか?」



「ははは、俺もさっき代わったばかりだ。

暇なら話し相手になってくれるとありがたいな」



「それならお安い後用だ。なんせここで少しでも功徳を積めば、イスタール様の御許に近づけるんだからな」



そう言ったあと男は、レイムの隣に座ると周囲を確認した。

そして人影や物陰が無いことを確認すると、再び小さな声で話始めた。



「旦那(副隊長)、探しましたよ。

何で目印の頭巾を外してるんですか?」



「ははは、良くも悪くも目立つしな。

それにこんな物を被れば、お頭(ラファール)みたいな山賊面になっちまう。敬虔けいけんな信徒には見えなくなっちまうだろうが」



「ははは、山賊に蟒蛇うわばみ、どうも我らの隊は見てガラが悪いですからね」



「お前に言われたくはねぇな」



声を押し殺してレイムを笑った男も、一見すると荒くれ者の風体をしていた。


彼と彼の率いる部隊もまた、元イストリア皇王国兵であり、ラファールを慕って諜報部隊に入ったのだから、似た物同士と言っても差し支えない。



「で、近隣の村の様子はどうなんだ?」



「酷い有り様ですよ……。

後続の2万、奴らがここいらより南の村を全て襲いました。奴らは根こそぎ奪っていきやがった」



男は苦渋の表情で、これまで掴んだ情報を伝えた。

二万の正規軍が進んだ途上にある村に待ち受けていた運命は過酷だった。


・改宗を受け入れ、物資を供与した者には略奪は行われず、収穫まで畑を安堵

・改宗を受け入れだが、提供できる物資の無い者は、男性は強制的に農奴へと落とされ、女子供は人質として行軍に参加させられた

・改宗を拒否した者たちはみな、根こそぎ財貨と食料を奪われた上に、男はその多くが殺され、女子供は売り払うために連れ去られた



「ひでぇ話だな。これでは帝国の民にとって、皇王国が悪魔の手先に見えるだろうな?」



「ええ、無理にでも連れ去るべきでした。山岳地帯に逃げ込んだ者たちは、難を逃れて少しは残っているかもしれないですが……」



「と言っても彼らは帝国の民だ。俺たちには避難を助ける以外、どうすることもできんよ。

で、神を讃える進軍には何人が?」



「100名程度ですね。もちろん全て皇王国出身の奴らばかりです。イスタールへの祈りも教義も分かった者たちばかりですよ」



そう、本来なら盾とするために駆り立てられた、寄せ集めの流民たちだからこそ、彼らが潜入する隙もあった。


同じ女神イスタールを信奉する皇王国人であれば、誰も彼らを間諜と見破ることができない。



「ふむ……、俺たちはできる限り同胞を、かつての俺たちと同様、何も知らずに偽りを信じ込まされた者たちを救う。だが、彼らが暴徒となれば……」



「分かってますよ。同胞の罪は俺たちが正さねばならない」



彼らは決意を秘めた目で頷き合うと、周りから聞こえた歌に釣られ、神への歌を捧げ始めた。

まるで同胞たちに詫びるかの如く……

最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。

次回は『三か国連合参戦』を投稿予定です。

どうぞよろしくお願いいたします。


※※※お礼※※※

ブックマークや評価いただいた方、本当にありがとうございます。

誤字修正や感想、ご指摘などもいつもありがとうございます。

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