第三百五十二話(カイル歴515年:22歳)南部戦線③ ビックブリッジの苦闘
ほんの少し前まで、優雅で牧歌的な空気を漂わせていたビックブリッジ一帯は、一気に雰囲気を変えた。
ジークハルトの挑発に怒気を発したスーラ公国兵たちは、一斉に砦を目指して襲い掛かった。
歩兵たちは水を張った水田を分け入り、騎兵は西と東にある街道から、一斉に砦に向けて侵攻を始めた。
その様子を見たジークハルトは、冷静に指示を出した。
「予定通りに来てくれて良かった。お迎えの準備が無駄にならずに済みそうだね。
各隊に伝令の旗を! 東西の街道にはカタパルトの攻撃準備。
バリスタは各基所定の目標に対応!
敵が深田にはまり込むまでは攻撃を控えさせるようにね。十分に引き付けてから攻撃を行う!」
「それでよろしいのですか? 今攻め込んで来ている軍勢は、おそらく4万を超えると思いますが」
「うん、一気に殲滅とはいかないからね。折角頭に血が上って正攻法で来てくれているんだ。
この機会は最大限利用して、少しでも兵力差を挽回しないと」
ジークハルトは三倍以上の寄せ手に対しても、全く動じる様子もなく参謀に答えた。
そして、後方を振り返ると側近の一人に言葉をかけた。
「この攻撃が終われば、敵軍は一旦引いて軍を再編成すると思う。
アクセラータはその隙を窺い、少数の配下とともに東の街道を突破してほしい」
「承知しました。その行先は?」
事前に打ち合わせしていた内容を、アクセラータは敢えて聞き返した。
それ自体が打ち合わせの行動だったからだ。
「開戦の知らせをタクヒール殿に」
「開戦の知らせだけでよろしいのですか? 恐れながら援軍を要請して然るべきと思われますが」
「ああ、それだけで構わない。そもそも、事前に打ち合わせていた順番が狂ったことを告げるだけだ。
それに……」
その言葉と同時に、ジークハルトは周囲を見て何かを確認すると突然大剣を抜き去り、周囲に聞こえるような大音声で宣言した。
「公王には『鶏を割くのに何故、大太刀を用いると言うのか』、私がそう申していたとお伝えせよ」
「「「「なっ、なんとっ」」」」
この予想外の言葉に、多くの者たちが驚いて彼に注目した。
それに対して、ジークハルトは改めて胸を反らした。
「我らは公王の助力なしに勝利できるさ。
それに……、あちらもこの先、それどころではなくなるだろうしな。
心配ご無用、それだけを伝えればよい」
最後の言葉だけは、若干の憂いを帯びた言葉使いになっていたのを、アクセラータ含め何人かの者たちは気付いていた。
「敵軍、間もなく迎撃予定地点まで到達します!」
この言葉を受け、ジークハルトを含めた多くの者の意識は、目の前の戦場に切り替わった。
東西の街道を進む騎兵たちの先頭は、砦から200メル地点まで接近しており、泥田の中をかき分けて必死に進む歩兵たちは、息も絶え絶えになりつつ、砦から500メル地点にまで接近していた。
「歩兵は既に疲労困憊だね。この先の深田にはまり込んだら、城壁上の全バリスタで掃射開始せよ!
騎兵は取り付かせても構わない。退路はないのだから。街道上をカタパルトにて掃討する!」
この日を期してジークハルトが用意していたのは、200メル先の敵をも射貫ける固定式の大型クロスボウ、更にそれを上回る威力のバリスタと、主に東西の街道を掃射できる射程500メルのカタパルト群だった。
そうしているうちに、長い縦列となって街道を進む騎兵は行き止まりの堀に阻まれ、周回道路まで進出して南北にある城門を目指し始めた。
「ちっ! 何だこの不便な砦は」
「盾を城壁側に掲げて隊列を乱すな! 寡兵とはいえ矢には注意しろよ」
「くっ、こんな狭さでは隊列が維持できんではないかっ」
片や歩兵は……
城壁まで200メルまで進んだ所で、一斉に足を取られ始めた。
「なっ、何だ? ここは思ったよりも深いぞ?」
「と、止まれ! この先……、うわっ」
「あ、足が! 抜けん。誰か、引っ張り上げてくれ!」
「ダメだ、動けん。罠だぁ!」
膝先まで泥に足が沈み込み、全く身動きできなくなる者、それを助けるため群がる者や自身も深みにはまり右往左往する者、手にした盾を泥に浮かべて身を預け、片足で泥をかきながら進み始める者など、大混乱となっていた。
もはや統一された軍としての行動は不可能な状態にあるといっていい。
「今だっ! 全軍、一斉射撃開始!」
その声と同時に、大量に設置されていたクロスボウとバリスタは、人力では到底引けない強弓と同じように、凄まじい勢いで矢の雨を降らせ始めた。
「てっ……、矢、ぐぁっ」
「信じられん、なんて矢勢だっ」
「う、動けんっ、だ、誰かぁっ」
「撤退っ、撤退しろっ」
同じく街道上では、連続してカタパルトが人の身体と同じくらいの足弾を放ち、500メル先の街道上に凄まじい衝撃と共に着弾すると、人馬を巻き込みながらバウンドして更に後列を引き裂き始めた。
「さ、左右に展開してやり過ごせっ!」
「できません!」
「馬がっ、動かん」
「こ、後退しろっ! ぐわぁ」
続けざまに行われる一斉攻撃に、街道上も深田の一帯も、スーラ公国軍兵のあげる阿鼻叫喚の声で満たされ、凄惨な光景が展開された。
「弓箭兵は慌てず、既に取りついた敵を仕留めよ!
各発射台は連続射撃を! どうせ敵軍は思うように逃げられないからね」
ジークハルトの言葉通り、ただでさえ狭い東西の街道は、投擲された石と横たわる人馬に遮られ、進むも引くも叶わない状態となっていた。
また、街道を外れて泥田を退路に選んだ者は、乗馬が足を取られてその多くが落馬した。
悲惨だったのは、重装騎兵たちだった。
浅い水田に落馬したものの、ぬかるんだ泥で起き上がることすらできず、必死に顔を上げようとするが支える手は泥に沈む。
そのため彼らは、膝下半分程度の僅かな水深にも関わらず、次々と溺死していった。
「畳みかけろっ! 今ここで少しでも敵戦力を削ぐこと、それが大事と心得よ!」
ジークハルトの指示を受けて、帝国兵たちは苛烈なまでの容赦ない攻撃を繰り返した。
以前までの戦いでは、進退窮まった敵軍には降伏を勧告し、捕虜として命を長らえる機会を与えていたが、この戦いでは彼らにそんな余裕はなかった。
まして兵士たちの間では、先ほど主君である第三皇子を侮辱されたという激しい怒りがある。
そのため、彼らの攻撃もまた苛烈を極めていた。
※
日が暮れるまで行われたこの戦いで、スーラ公国軍は圧倒的大軍を擁しながら一方的な敗北を被った。
失った歩兵の数は五千名にも上り、騎兵は二千騎を喪失するという惨状だった。
前線に命令が届くまでもなく総撤退となった彼らは、一旦包囲網を解き警戒用に五千騎を周囲に配置すると、その他の軍を集結させて再編成に入っていた。
そして……、その隙を窺い、夜陰に紛れ密かに北側の城門を出ると、東に通じる街道へと駒を進める十数騎の集団があった。
「みな良いか、撤退し包囲を解いたとはいえ、恐らく敵は水田の先に哨戒網を敷いているはずだ。
一度防衛ラインの外側に出て以降、各自は散会して個別に移動を開始せよ。
エンデにて皆と再会したのち北へと向かうが、敵に追われ集合に遅れた者は、アストレイ伯爵の軍に合流せよ!」
事前に指揮官からそう通達されていた彼らは、ばらばらになってエンデを目指した。
ある者は真北に向かい、ある者は一旦東に迂回する進路をとり、ある者は西へと向かい、各自が分散して移動を開始し始めた。
※
この時、ビックブリッジの砦より南西に10キルほど離れた位置では、スーラ公国軍の本陣と兵站拠点が置かれ、軍を再編を進める兵たちが集結していた。
各隊を率いる緒将も集結し、その一角の天幕ではこの先の作戦行動を議論されていた。
「流石に今日は不味い戦いをしたものだな。予め敵の投射兵器については警告されていたというのに」
「ああ、あの深田の存在も我らの想定以上だったからな」
「いや、何よりあれだ。折角敵の士気を下げたというのに、あの声で全てが台無しにされてしまったわ」
「あれが帝国の狐の策謀か……。奴は以前、北に居たからな。我らと対峙することは無かった」
「で、どうする? この先は力攻めだけでは犠牲も馬鹿にならんぞ?
主将を討ったにも関わらず、あのように抵抗されては我らの目論見も狂い、横槍を入れてきた奴らに出し抜かれてしまうわ」
「そうだな……、この地は元々我らの領土。奴らが出しゃばる道理がないではないか!」
その時だった。
将軍たちが軍議を行う天幕の外側から、敢えて声量を落とし淡々と告げる声が響いた。
「失礼いたします。帝国からのご使者が参っております」
「ふむ……、そうか、構わぬからここに通せ」
一人の将軍がそう答えると、傍らのもう一人は顔をしかめながら悪態をついた。
「ちっ、今更か。まぁ丁度よいところに来おった。今日の件、奴を通じて帝国を糾弾するか?」
「まあ……、話の流れに依っては、な」
そんな会話のなされている中、案内の兵卒に導かれて使者はやってきた。
使者は天幕に入ると一礼し、彼らに向かって跪いた。
「今日はそなた等には過分な馳走を賜ったわ。このことハーリー殿にもくれぐれも伝えてくれ」
(今日の件、其方らの落ち度だぞ。ハーリー公爵にも責を問うつもりだからな)
「承知いたしました。ですが今回の件、我らだけの落ち度ではございますまい。
あの場で狐めが、大嘘をつき士気を盛り返すとは、我らも想定外でした。
それに奴が、音魔法士を麾下に加えていたなど思いも寄らず……」
「なるほど、音魔法か……。聞きしにも勝るものだな。して、わざわざ砦を抜け出してここに参ったからには、何か土産があるのだろう? 前回の土産と同様にな」
そう、彼はジークハルトの側近に紛れ込んでいた間諜だった。
スーラ公国軍は、彼のもたらした情報により昨日までは勝利を重ねることができていた。
彼らが守備兵力にも事欠くほど手薄になった砦には目もくれず、中央から進軍した軍を転進させて帝国軍の各個撃破戦法を逆手に取ったのも、いわば彼のもたらした土産の成果だ。
それにより今日の戦いでは、帝国軍の主将たる第三皇子を討ち取った事実を伝え、守備側の士気を挫いて戦いにもけりを付けるつもりでいた。
そうすれば、まだ何ら戦果を挙げていない二国を排除し、失った領土を獲得することに加え、新たに帝国領の割譲さえ迫れると考えていた。
だが今日の戦いでは、その思惑が大きく狂ってしまった。
「はい、我らの土産は三点ほどございます。
一点目の情報として、北からの援軍は参りませぬ。そうならぬよう、我らも手を打っておりました故」
「その確証は?」
「援軍は要らぬ、狐めが北に出す使者にそう告げるよう言い放った姿を、この目で見ております。
私自身、それをお伝えするため使者の一人に潜り込み、こちらに参じた次第です」
「そうか、狐は小さな勝利で調子に乗った、そう言うことか?」
「はい、仰る通りです。そして二点目ですが……
間もなく東より敵兵一万、それを追うターンコート王国軍の三万が到着いたします」
「我らにその一万をあ奴らと挟撃せよと申すか?」
「いえ、そうでもございません。三点目はこれを踏まえたご提案にございます。
東からの軍は、包囲を解きあの砦に押し込めるべきかと……」
「ばかな! それでは益々砦の防御力が上がるではないか」
「それで良いかと……。
まず第一に、挟撃すればその戦果の一端はターンコート王国のものとなります。
それでは皆様のご意に沿わないことかと」
「確かにな。あの変節者共と戦果を分つなど、おぞましい話よ」
「第二に、敵が無事入城すれば、何ら戦果のない奴らはどうするでしょうか?
皆様に並ぶ戦果を示さねば立つ瀬がございません。それ故、自ら望んで死地に立ち、全軍を挙げて必死に砦を攻め立てましょう」
「だろうな。奴らの主張を通すには、それなりの戦果が必要。だが、その機会はあの砦を落とすしか残されておらんからな」
「ご賢察の通りです。
ターンコート王国は恐らく矢面に立つことを望んで来ましょう。皆様は譲る代わりに一切援助はしないことを条件に、奴らの顔を立ててやれば良いのです」
「ははは、敵には敵をぶつける、そう言うことか?」
「はい、ですがあの砦の堅牢さは皆様もご存知の通りです。それに狐めも、奴らの思惑通り易々と首を差し出すとは思えません。
結果として、両軍は大きく疲弊します」
「それで、その間我らにはどうせよと言うのだ?」
「何も……。いずれ我らの主人が包囲網の蓋をします。
さすれば、何もしなくともいずれ砦は落ちます」
「兵糧攻めと言うことか?」
「はい、傍観者に徹し両者が損耗した時点で、皆様は砦を包囲可能な兵のみを残し、残った全軍で旧領の実効支配を進めるのです。
奴らを砦に押し込めれば、あとは誰も邪魔だてすることのない大地が、皆様の前に広がるのみ」
「なるほど、これらを総じて3点目の土産と言うことか?」
「はい、そうなればもう、何人たりとも既成事実を覆すことは叶いません。
皆様のお心に叶う土産となりましたでしょうか?」
「これは……、帝国の意思と受け取って良いのだな?」
「はい、わが主が想定していた、基本戦略のひとつでございます」
「よかろう、敢えて哨戒網の東側を開け、奴らの通り道を作ってやるか」
「恐れながら申し上げます。穴は北側にこそ開けておくべきと考えます。さすれば奴らは、北から砦に入ろうとするでしょう」
「北だと? 何を異なことを……」
「一万もの軍勢が、哨戒網を抜けて密かに東側の街道から入城など、果たしてできるでしょうか?
あの細い街道に入る手前で、必ず奴らの足は止まります。その時後方から襲撃されれば、ひとたまりもありません」
そこまで言うと使者は冷たく笑った。
「ならばどうするか?
答えは明白です。一気に入城できる手段を取るしかありません。奴らの秘匿している、隠し通路を使って……」
「そう言うことか。
ならば我らは北側に物見を潜ませ、哨戒部隊はそれが見えぬ位置に配置すれば良いのだな?」
「だがそれではみすみす敵を太らせることになるぞ。東を開けて奴らを通し、街道の狭さに詰まったところを一気に屠れば良いではないか?」
将軍の一人は、未だに使者の献策に納得がいかないのか、異論を口にした。
「それもよろしいでしょう。
ですがそれでは、大事な目的を失います。
来る日に備え、隠し通路の存在を確認すること、そして……、兵糧攻めは食料を消費する兵が多いほど効果を成しますので」
「はっはっは、どうやら使者殿は其方を上回る軍略の才をお持ちのようだぞ」
そう揶揄されて、異論を唱えた将軍は押し黙るしかなかった。
「さて、これでこの先の算段は整ったな。後は餌の到着を待つだけと言うことか?
して、使者殿はこの先どうする予定だ?」
「私めは皆様の哨戒網に掛り集合場所に遅れた者、予め定められた作戦のひとつとして、アストレイめの軍に合流し、活動を続けて参ります」
「そうか、ではこの先はエラル騎士国と帝国軍の動向も、我らの掌のうちという訳か?
ハーリー殿の貢献として、戦後交渉で考慮いたそう」
「はっ、ありがたく」
そう言って顔を伏せた男の口角が、不気味に上がっていたことに気付く者はいなかった。
※
この夜より二日後、東部方面に配備されていた帝国軍の東軍が合流した。
一般には、たまたま哨戒網が開いていた間隙を縫った、見事な入城だったと言われている。
彼らは砦に立てこもる友軍より、歓呼の嵐で迎えられた。
そして少し遅れて、彼らの眼前には新手としてターンコート王国軍3万が現れ、彼らによる猛攻が始まった。
砦に立てこもる味方は僅か二万二千、四倍もの敵軍に包囲され、孤立無援で戦う彼らの苦闘はこれより暫く続くことになる。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
次回は『友より託されたもの』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
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