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第三百五十一話(カイル歴515年:22歳)南部戦線② ビックブリッジの神経戦

グリフォニア帝国の新領土、その要に位置するビッグブリッジ砦には、帝国随一の智将と言われたジークハルトが立て籠っていた。


この時既に第三皇子率いる本隊と、南軍は敗退していたが、彼らにはまだこの悲報が届いていない。



狼煙台からの情報によれば、スーラ公国軍のうち、最も北側から侵攻した軍は、ビッグブリッジから一日ほど手前の距離で進軍を停止しており、このことは直接砦から派遣した物見からも確認できていた。



「さて、敵は一旦停止して足並みを揃えるつもりだろうな。そんな遠慮をしなくても、お迎えの準備はできているのに……」



望楼より西を見つめ、そう呟いたジークハルトの元には僅か二千名の兵力しかなく、つい先日、敵の侵攻に合わせて後退してきた西軍一万名を収容したとはいえ、主要戦力はまだ各地に分散していた。



『頭のネジがおかしいのか?』



そんな状況で笑っているジークハルトを見て、そう思った者も少なからずいた。



「それでは、晩餐にお招きの準備でも始めようか?」



そう言うと、ジークハルトは麾下の兵たちに奇妙な命令を下した。



「晩餐の段取りとして、先ずは食材を準備する。

本当ならあと10日は待ちたいけど、今から手分けして周囲の水田の刈り取りをお願いできるかな?」



「はっ……、はぁ?」



思わず部下が変な声を上げたのにも全く構わず、ジークハルトは続けた。



「いいかい、刈り取りは外側の南と北から、それぞれ東と西に向かって四方向から刈り取りを始めて。必ず砦に通じる通路に向かって刈り進めること」



「は、はぁ……」



「今も水満たしている手前の深田の部分はそのままで良いけど、他の場所は刈り入れが終わり次第、直ぐに水を引き込んでおいてくれるかな?

全てを泥田に戻しておくこと、これを忘れずにね」



「はい……」



「最後に大事なことをふたつ。

作業は分隊毎に行い、必ず一人は常に見張りを残すこと。何か有れば望楼に旗を上げるからね。

そして、作業の早かった隊の上位には、所属する全員に金貨の褒賞を出すからね。

もちろん君たちやその指揮官も含めて、ね」



「は……、はいっ!」



意味がわからず、不思議な顔をしていた部下が、急にやる気になって駆け出していく姿を見送ると、この対応に疑問に感じていた、側近のひとりが思わず声を掛けた。



「総参謀閣下……、今のご命令の意味は……?」



「特に意味はないかな。

敵が来れば水を張り直すし、そうなったら収穫もできなくなるからね。それに食料は少しでも多く確保できるに越したことはないし」



「そ、それだけですか?」



「僕らがやってるように、敵もしっかり此方を見張ってると思うよ。

そこに呑気に刈り取りなんか始めたらどうなる?

水を張るのも、何か理由が有れば不自然じゃないかな、と思ってね」



「なるほど! 我らは呑気に刈り取りを行い、更に長陣に備えて夏植えの作付けを行おうとしている。そのように思わせるのですな?」



合点がいったのか破顔する側近と比べ、ジークハルトの表情は今ひとつ冴えない。

彼にとって、敵軍の思惑が不気味だったからだ。


本来なら真っ先にここを攻めてくると思われた、中央から侵入した敵軍はいずこかに消えていた。


それと時を合わせたように、第三皇子率いる本隊と二万騎と、南軍一万名が消息を断ち連絡が取れなくなっていたからだ。



『グラート殿下なら万が一のことがあっても大丈夫だと思うんだけど……』



彼は拭いきれない不安を解消するため、敢えて敵軍の動きを誘う手段に出ていたのだ。


更にそう遠くない日には、東に展開している軍も後退してくる。ターンコート王国軍を引き連れて……

であればこそ、敵軍の所在と動向を把握して対策を練り、可能ならば少しでも数を減らしておきたかった。


この時点でもなお、ジークハルトにも幾つかの勝算があったからだ。



ビックブリッジ砦に詰める兵たちが刈り取りを始めて3日後、事態は一気に動き始めた。

この日朝からずっと執務室に詰めていたジークハルトは、日が中天を過ぎた頃になって、仕事をしながら遅い昼食を取っていた。


タクヒールがこの世界で戦闘配食として採用していた、米を使った『おにぎり』と呼ばれた食べ物をジークハルトは殊更気に入っていた。


これなら本を読みながら食事が摂れると、クサナギで初めて食して以降、タクヒールに教えを乞い軍の食事として採用し、自身は事ある毎にこれを食べていた。

このためにわざわざ商人を通じ、遠く離れたピエット通商連合国から、海苔を手に入れていたぐらいに……


もっとも、ここ最近は『本を読みながら』ではなく、『仕事をしながら』に目的は変わってしまっているが……



「やっぱり、クサナギで食べた海苔の味には敵わないな。彼方ではタクヒール殿が直々に製法を指導したと言っていたし……。おにぎりの塩加減についても、いま少し工夫が必要だね」



食事の傍ら、いや仕事の傍ら、そのような感想を呟いていた。

だがそんな緩い雰囲気を壊すかのように、急ぎ足で駆け込む足音が室外に響き渡った。



「報告っ! 西側から敵軍が動き始めました」



「そっか、やっと来たか……、直ぐに合図と鐘を。

因みに刈り入れはどのぐらいまで終わってる?」



「はっ、直ちに! 深田を除けば八割程は……」



「なるほど、ちょうどいいぐらいの餌になるか……。では、歓迎の準備に取り掛かろうか」



その言葉は、遠来の待ち人がやっと到着してくれたような、そんな雰囲気すらあったが、その直後、彼の表情は一変した。

周囲を驚かさるほどの殺気を放ちながら笑った。



「彼らにはたっぷりと、おもてなししないとね……」



ビッグブリッジ砦の周囲には、砦を起点に水田が広がり、刈り入れが終わった場所から水が引き込まれていたため、水面は空を映す鏡のように反射し、奥の砦をまるで空中に浮かんでいるかのように、幻想的に映し出していた。



その砦の西側、南側の二か所から姿を現したスーラ公国兵は、約2キルの距離を保って遠巻きに砦を取り囲み始めた。



「それにしてもこの数、二万じゃきかないな。

倍……、いや、もっと居るかも知れないな」



ジークハルトの観察は正鵠を射ていた。

後方から続々と彼らの前に姿を現したのは、現時点で健在なスーラ公国軍の全軍、六万五千もの兵力だった。


彼らは砦の東側のみ包囲を開けて、ビッグブリッジ砦を何重にも取り囲み始めた。



「そ、そんな……」


「まさかこれほどまで……」


「俺たちの何倍いるんだよ……」



第三皇子率いる精鋭たちも、実に五倍以上の敵軍の出現には、ただ驚愕するしかなかった。



「総参謀、これはどういうことですか!」


「この数、殿下は? 殿下の軍は?」



狼狽する指揮官たちがジークハルトに詰め寄ったが、それでも彼は平然と敵軍の展開を見つめていた。



「東側を敢えて開けているのは、完全に包囲して我らが死兵となるのを恐れているからだね。

殿下の軍とは連絡が途絶えているが、敵が僕らの目の届く範囲の外で包囲網を敷き、連絡を遮断している可能性もあると思うよ」



淡々とジークハルトは答えた。

その時だった。



「おい! まさかあれは……」


「な、なんだと!」


「どういうことだ! 何故奴らの手に」



砦を守る諸将、兵士たちを含めて大きなざわめきと絶叫が巻き起こった。


砦から東西に伸びる街道、その西側からは、人の背丈はある柱をまるで十字架のように括り付けた荷馬車がゆっくりと進んできていた。

その柱には、陽光を反射して虹色に光る、第三皇子の軍なら誰もが知る鎧が縛り付けてあった。


そして同時に、大地も割れんばかりの大歓声が、スーラ公国兵たちの中から沸き起こった。



「「「「「殿下っ!」」」」



逆に砦側からは、大きな悲鳴に似た呻き声が上がっていた。



『まずいな……』



ジークハルトだけは、敵の目論見を正確に見抜いていた。


あれは殿下が討ち取られた、または虜囚となったことを意味するものではない。


殿下は乱戦の場では決してこの鎧を纏わない。

何故ならひと際目立つ鎧は、大将首の存在を敵に示す目印となるからだ。


敢えて本人ではなく鎧を見せつけること、それは鎧しか手に入らなかった、そういうことだろう。

そして、局地的ではあるが殿下の軍が敗退したか、それなりの損害を受けたことを意味している。


クリムトの鎧を見て帝国側が大混乱に陥ったなか、軍使と書かれた旗を掲げた一人の騎士が西側から街道を進み、砦の城壁前まで来ると、大音声で叫んだ。



「帝国軍に告ぐ!

其方らは我らの完全な包囲下にある」



その声と同時に旗を振ると、水田の外延部まで前進して周囲を取り囲むスーラ公国兵も、一斉に大歓声を上げた。

その低く地鳴りのような歓声は、砦にこもる者たちを恐怖に陥れた。



「そして敵将、第三皇子は我らによって討たれた」



再び旗が振られ、先ほどより大きな大歓声がジークハルトらを押し包んだ。



「我らとて無駄な戦いは望まん。

直ちに門を開いて降伏せよ。せめてもの慈悲だ。我らも『マツヤマ』の礼を以て諸君らを遇する。

なお、この勧告に応じない場合は、誰一人としてこの戦いを生きながらえること叶わん。

主が討たれてなお虚しい戦いを望むならば、我らとて是非もなし。一兵たりとも生かしておかん!」



そう告げられたあと、砦は死んだように鎮まりかえっていた。

誰もが呆然と、譫言のように何かを呟く以外……

彼らの中には絶望感が満ち溢れていた。



「やられたな……、ここまでされたら、こちらも相応の礼をしなきゃならないな。

えっと、準備はできているかい?」



ジークハルトは淡々と呟くと、彼の隣に立つ、戦場には似つかわしくないまだ少女のようなあどけなさを残した女性に笑顔を見せた。


彼女が少し緊張した顔で頷くと、彼は四方に向けて不思議な円錐状の何かが設置された壇上に上り、大きく息を吸い込んだ。



「聞けっ!

帝国に生まれ、残虐非道な者たちより祖国を守らんとする、同胞はらからたちよ」



ジークハルトの声は砦中に、いや、周囲を取り囲むスーラ公国兵にまで響き渡る。

音魔法士の少女が、彼の声を巨大な四基のメガホンを利用し、拡声していたからだ。



「惑わされるな!

あれはグラート殿下の鎧を真似て作った、真っ赤な偽物!

仮に殿下が奴らの手に落ちたとすれば……

何故奴らは、殿下の亡骸を我らに見せない、何故戦う前から我らに降伏を勧告する。

グラート殿下は健在である!」



「「「「「おおおおっ!」」」」」



砦の各所から湧き上がる歓声に、ジークハルトは一拍間を取った。



「侵略者たちの甘言に惑わされるな!

かつて彼らはエンデで何をした、不当に街を侵略し幼子おさなごまで虐殺したのは誰だ!」



「「「「「奴らだっ!」」」」」



「今我らは不利な体勢にある。ただそれだけだ。我らが勝利する算段は十分に整えてある!

敢えてここで宣言しよう。かつてグラート殿下がエンデを解放したように、最終的に勝利するのは我らだ!」



「「「「「グラート殿下万歳っ!」」」」」



ここでジークハルトは少女に目配せした。

そして彼女は、小さく頷いた。



「帝国の不平分子に踊らされ、不当な侵略を行うスーラ公国兵たちに告ぐ。

お前たちはいつ帝国の走狗となった?

お前たちに何の大義がある?

お前たちはただ非道な侵略者に過ぎない。

お前たちこそが、今ここで死の淵に立っていること、これから思い知ることになるだろう」



音魔法士が指向性を変えたのか、今度は周囲を取り囲むスーラ公国兵たちに声が大きく響き渡った。


現実的に人の声が発する声量には、個人差こそあれ限界がある。

軍使を名乗る大声自慢の者も、まして、ジークハルトの言葉に激昂し、各所で声を上げたスーラ公国の諸将の声も、限られた範囲にしか届かなかった。まして、遠く離れた帝国軍には届くはずもない。


ただ一方的に、ジークハルトの言葉だけがビッグブリッジ一帯に響き渡っていた。



「帝国軍はこれより、ただ勝利の道を歩む。公国兵たちの屍が敷き詰められた道を通って。

公国兵には慈悲を以て伝える。

降伏しろとは言わん、命が惜しければ、生きて再び家族や愛する者たちと会いたければ、ここで故国へ帰ることだ。これが大言壮語でないことを、貴様らは身を以て知ることになるだろう。

公国には裁きを、勝利は帝国のもとにある!」



「帝国万歳っ!」

「グラート殿下万歳っ!」

「公国には裁きを!」

「我らの勝利に!」



一度は士気が萎え、恐慌状態になりかけていた帝国兵の心は、彼の言葉によって持ち直した。

ジークハルトの言葉が『はったり』であったことを、彼らは知る由もない。



スーラ公国軍はこれに激怒し、東を除く全方位から一気に攻め込み始めた。

ここに、ビックブリッジの苦闘と言われた戦いが、今始まった。

最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。

次回は『南部戦線③ ビックブリッジの苦闘』を投稿予定です。

どうぞよろしくお願いいたします。


※※※お礼※※※

ブックマークや評価いただいた方、本当にありがとうございます。

誤字修正や感想、ご指摘などもいつもありがとうございます。

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