第三百四十八話(カイル歴515年:22歳)悪意は潰(つい)えず
知らせを受けたタクヒールの指示により、クサナギで行われていた会議の場にドゥローザ商会、ケンプルナ商会の各会頭が招じ入れられた。
彼らは一堂に介していた面々を見て、少し驚いた様子だったが、直ちに状況を理解したようだった。
そしてタクヒールは、あえて落ち着いた笑顔で彼らに語り掛けた。
「ドゥルール子爵、久しぶりだね。いつも我々への協力には感謝しているよ。
そしてケンプルナ商会の会頭、ジークハルト殿は息災かな?」
「此方こそここ最近はお伺いもできず、大変失礼いたしました。また、大事な場面でお時間をいただけたこと、感謝申し上げます。
ご報告には、此方の者にお尋ねになった、ケンプファー伯爵の件も含まれております」
何か既に覚悟を決めた、達観した様子の子爵がそう言うと、ケンプルナ商会の会頭はその言葉に合わせて深く頭を下げた。
「先ずは結論から申し上げます。
南での戦端は開かれました。そして北でも、我らの陣営は予想外の事態への対応に追われております」
「グラート殿下の中枢にある子爵がそう言うには、状況は良くないと?」
「はい、先ず帝国北部の動きですが、状況は想定の中でも最も悪いと思われます。
国境に配した者からの報告では、侵攻軍は五万を超える模様です」
「「「五万っ!」」」
誰もが驚きの声を発し、言葉を詰まらせていた。
「なるほど……、正統教国が二万強、加えてリュート、ヴィレ、カイン三国で四万弱といった所かな」
「はっ! 公王陛下のご賢察の通りです。
それらの軍勢が数日中には動き出す可能性が高いかと思われます。この後私も前線へと移動して防衛の任に就きますが、公王陛下にも備えを整えていただきたく思いまかり越しました」
「うん、今その話をしていたところだ。
帝国の守りは……、子爵が率いる軍だけかい?」
「はい、我らは身命を賭して帝国の意地を見せて参ります。領民の盾となり、できる限り彼らを守っていく所存ですが、公王陛下には避難した領民たちの保護をお願いしたく……」
死ぬ気か……
ドゥルール子爵の直属部隊は五千人ちょっと、残留している他の部隊を合わせても、せいぜい八千名程度しか居ない筈だ。
五万の敵軍攻勢を受ければ、まともに支えることすら出来ないだろう。
「最後まで領民を守ろうとするドゥルール子爵のお覚悟、誠に見事デアル」
ゴーマン侯爵が思わず発した言葉通り、俺には彼が俺たちに後を託して別れを告げに来たようにしか見えなかった。
「子爵、無理は禁物だぞ。
俺たちは今、帝国に住まう民たちをどう守るか、その議論をしていたところだ。
それには勿論、子爵とその軍も含まれる」
「なんと! ご助力いただけると?」
「当たり前だよ。友軍の危機、そして俺たちの危機でもある。それにジークハルト殿からは、くれぐれも留守の守りをお願いしたいと頼まれていたしね」
「ぐっ……、公王陛下と皆様のお気持ち、心より感謝いたします。ありがとうございます。
これで我ら、思い残すことなく戦えます!」
『いや、思い残すことはあるでしょ! ローザのこととか……』
俺はこの会議に参加していたローザに視線をやり、口先まで出かかった言葉を、何とか飲み込んだ。
きっと彼の覚悟は、ローザを守ることも含まれているんだろう。
「しかし……、ことは帝国自身の問題でもある。
それに対し、帝国内からの援軍はどうなっているのだ?」
今度は父、ソリス侯爵が質問した。
だがその表情から察するに、既に答えが分かっていることを確認するだけのようにも思えた。
かつては父やゴーマン侯爵も、味方の中の敵に幾度となく苦しめられ、その苦衷を誰よりも理解しているからだ。
「はい、何より帝国の耳目は南に注がれております。帝都でも、殊更それを吹聴している者たちがいるようでして。兵は南に向かうかと思われます。
身内の恥を晒し、面目ない話ですが……」
「以前俺は、ジークハルト殿から『戦略的後退を繰り返し、内線の利をいかして各個撃破する』と聞いていたが、実際に何か問題でもあったのか?」
「はっ、現在ケンプファー卿率いる軍は……、ビックブリッジの地で完全に包囲下にあります。敵軍の総数は不明ですが、およそ10万とも……」
「「「「10万ですとっ!」」」」
全員が驚いて言葉を返した。
南の敵も本気で攻めて来ていることが、その数字でも理解できるからだ。
「はい、しかも包囲軍には、まだ肝心の敵が含まれておりません」
「なっ……」
それなら軽く12万を超え、下手をしたら13万、そんな数の敵軍って……
それは俺たちも経験したことのないレベルだ。
かつて俺たちも、四方面から合計10万を超えた敵に侵攻されたことはある。
だが……、それとは次元が違う。
「ケンプファー卿は、それすら織り込んだ上で勝てる戦術を考案しておりました。ですが……、エラル騎士王国が参戦し……」
「何ですとっ!」
これには最も驚いた団長が、思わず席を立った。
握りしめた拳はわずかに震えている。
「我ら傭兵を生業とする者、エラル騎士王国のことは誰よりも理解していると自負しておりました。
ですが……、どうやら間違いだったようです」
「団長、どういうこと?」
「あの国はどこにも肩入れしない、常に中立を旨としておりました。それで始めてどの陣営にも傭兵を売り込むことができます。エラル騎士王国の信条は『何よりも結ばれた契約を重んじ、国として如何なる国家にも加担しない』と言われております。
第三皇子陣営にも王国から傭兵部隊が派遣されていると聞いておりますが何故?
同じ傭兵としても理解に苦しむお話です」
「ヴァイス子爵、これは紛うことなき事実です。
ケンプファー卿も同様に考えており、そこを衝かれてしまったために、当初の作戦案が瓦解しました」
「それで最新の戦況は?」
「それはこの者がお答えさせていただきます。
彼はつい最近まで、その場におりましたので」
ドゥルール子爵に誘われて、ケンプルナ商会の会頭が立ち上がった。
彼はこれまでの入札でもジークハルトの意を受けて参加しており、俺たちも初対面ではない。
「私が出立した折には、我が主は一万余名の軍勢にてビックブリッジ砦で奮戦しておりました。
一度は六万を超えるスーラ公国軍を撃退しましたが、今頃は西側より後退した味方一万が合流していると思われます。ただ同時に、敵軍も三万の新手を迎えていることでしょうが……」
いや……、一万余名で六万の敵を撃退したのは凄いけど、三万の新手ってやばいんじゃね?
二万対九万って……、詰んでるとしか思えないけど……
「まだ他にも、グラート殿下の手勢はいたと思うが……」
「アストレイ伯爵率いる八千は、エラル騎士国の抑えとしてエンデの西方に展開して身動きが取れません。
そして、最も南に配置した軍一万と殿下率いる本隊二万は、最も南から侵攻したスーラ公国軍の迎撃に出ましたが……、そこで消息を断ちました」
「それは……、まだ敗北したという訳ではないのだな?」
「はい、我らの願い通りご無事でも、数倍の敵が敷いた包囲を破り合流することは覚束ないでしょう」
ちっ! 現状で南は完全に詰んでいると言うことか……、それの意味することは明らかだ。
やっとのことで、歴史を変えてもぎ取った新しい未来、それが今、砂上の楼閣となりつつある。
くそっ、俺は……、どうすれば良いんだ?
そう考えると周囲の景色が暗転し、自身が暗闇の断崖の前に立たされているような錯覚に陥った。
散々苦労して歴史の悪意に打ち勝ったと思ったのに、最後の一手で盤上の駒を全部ひっくり返しに来やがった。
歴史の修正力、一体どれだけひつこいねん!
「ストーカーかよ……」
俺は思わず弱音を吐いてしまった。
俺たちが未来を掴むため、唯一の要件は第三皇子を救うこと……、だが、俺に何ができるというんだ?
南に……、死地に大事な仲間を連れて……、果たして勝てるのか?
しかも、ここの守りはどうするんだ? 今の時点ですら三万弱対六万。
圧倒的に不利やん……
最善の未来を得るために、どうすべきだ?
もう俺には、答えを教えてくれる歴史書はない。
それでも俺は……、愛する者たちを、仲間たちを、そしてこの国の人々を守らなくてはいけない……
誰か……、どうすれば良いのか教えてくれ!
俺の判断に、この国の未来が、皆の命が懸っているんだ。
そう考えると俺の手は震え、次々と襲われる絶望感にさいなまれていた。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
次回は『誰がための未来』を投稿予定です。
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