第三百四十六話(カイル歴515年:22歳)帝国包囲網
最後に帝国新領土と各兵団の配置図を記載しています。
よかったらそちらを参考に本文をご覧くださいね。
帝国領新領土、その要とも言われる場所に築かれた砦は、突貫工事だったとは言え優に三万を超える軍勢を収容可能で、南側の城壁の上に設けられた望楼は、より遠くを見渡せるよう、一際高く作られていた。
その望楼にひとりやって来たジークハルトは、苦々しげに南側に広がる地平線を見ていた。
彼は敵の侵攻ルート、各ルートに振り分けられる凡その兵力数など、あらゆる読みを的中させていた。
たった一つの例外を除いて……
そのため、今も当初の予定通りに各所で合図の煙を上げ、完璧に機能して伝令を中継している狼煙台のネットワークすら、今は複雑な気持ちで眺めていた。
一定間隔に設けられた狼煙台は、順次侵攻を告げる報告を中継し、南から西にかけての空が煙に覆われていくなか、具体的な手を打てないジークハルトはただ虚しく見つめるだけだった。
「総参謀殿、各方面から一斉に狼煙が上がっておりますっ!」
そう告げて慌てて副官がジークハルトの居る望楼に駆け登って来た。
「うん、見れば分かるよ。
エラル騎士国に釣られて、奴らも重い腰を上げたのだろうな。まぁ、元々攻め込みたくて仕方なかった連中たちばかりだしね。そう言う意味では『重い腰』は相応しくないか……、ハハハ」
「総参謀っ! 笑い事ではありませんぞ。
我らは本来なら砦から迎撃に出すべき兵を、エンデの守りに振り向けました。そのため各軍団は当初の作戦行動が取れませんっ」
そう、この時点でジークハルトが考案していた各個撃破戦術が、既に机上の空論となっていたからだ。
「東からはターンコート王国軍三万が押し寄せ、南南西、南西、西から分散して侵攻するスーラ公国軍が各二万の合計六万、そして北西からはエラル騎士国が一万です。
我らはほぼ倍の敵軍に包囲されております。
ここに帝都から進出した軍に補給線を絶たれでもすれば……」
ジークハルトには、副官が血相を変えているのも理解できる。
この時点で第三皇子と彼が、帝国中からかき集めることに成功した兵力は凡そ六万。
それを南正面に一万、東正面に一万、西正面に一万と、主要侵攻路と予想された街道の最前線に配し、一度攻撃を受けた場合は、攻勢を受け流しながら、順次後退する作戦でいた。
その内側に待機する第三皇子の騎馬隊二万は、戦況を見つつ南か西方面に急速移動して合流、合計三万となり数で優位に立った状態でスーラ公国軍を撃破する。
仮に撃滅できなくても、痛手を負わせて他方面に転進すると言うのが基本戦略だった。
そのために、ジークハルト自身も牽制のためこの砦から八千を率いて戦場を駆け巡り、空いた穴を埋める役割を担っていた。
だがその戦略も……、既に破綻していると言えた。
「北西の守りに出たアストレイ伯爵軍は、敵軍と睨み合いとなり膠着状態とはいえ、我らはここの守備で身動きもできません! ここに至っては一旦この砦まで、全軍を引かれてはいかがですか?」
「ははは、圧倒的に不利な状況にあるのは分かるよ。でも、それだけだね」
「不利どころではありませんっ! 私ごときが申し上げなくても総参謀にはお分かりのはずです。
我らが包囲殲滅の危機にあると……」
「だよね。でも、古来より籠城とは、援軍が来ることが前提だよ。果たして我々には援軍が期待できるのかな?」
「それは……、今からでも公王に援軍を要請してはいかがですか?」
「彼方は彼方で忙しいと思うよ。
相手はあの大狸だからね。大狸はおそらく……、北では単に時間稼ぎ、戦いの結果は気にしていないような気がするんだ。
ただ公王が、帝国の内戦に介入できなければいい、その辺りを目的としているような気がする」
「そんな……」
「公王と戦い痛い目に遭った大狸は、身にしみて分かっていると思うよ。あの人が率いる軍には決して勝てないと」
「では我らは?」
「既に先手は取られた。相手が状況を動かす側になった以上、緒戦は派手に負けてやるしかないだろうね」
「緒戦は……、ですか?」
「ふふふ、分かってるよ。
でもまだ、負けると判断して諦めるのは早い、そう言いたいだけだから。
一応各隊には伝令を飛ばし、戦況が不利なら無理をせずこの砦まで逃げ込むよう伝えてくれないかな」
そう言って慌てる側近をなんとか落ち着かせると、ジークハルトはひとり執務室で地図を睨んでいた。
「グラートさまも阿保ではない。撤退しつつ敵兵力を削ってくれるはずだ。
このままでも……、負けない。でもやっぱり最終的な決めの一手には欠くだろうな。
あまり虫の良い期待はしたくないけど、彼はどうするかな……」
そう呟いたジークハルトの目は、ここから遥か北の国境にある、周辺諸国に注がれていた。
※
同じ頃、進出した帝国軍三軍の中心に陣取り、自由な裁量で各個撃破を行う予定だった第三皇子率いる機動部隊も混乱の最中にあった。
「南の前線から急報っ!
『我、敵軍を受け流しつつ後退中』、そう告げる狼煙を確認しました」
「よし! 彼らが所定の場所まで後退したのち逆撃を加える! 我らも直ちに移動の準備を」
「西軍から報告っ! 『我、順調に後退中』」
「ちっ、西は……。今となってはどうしようもないな。我らは南へと向かうゆえ、西は後退しつつ逆撃を加え、一気にビッグブリッジまで引いてもらうしかなかろう」
そう、迂闊に彼の率いる本隊が西へと動けば、敵の中央から進出した部隊と接触しかねない。
あくまでも状況に応じての前提だったが、本来は南軍と本隊が合流し3万の優勢で最も南から侵攻した2万の敵を撃破し、中央から侵攻した敵軍はビッグブリッジ砦で受け止め、時間を稼ぐ予定だった。
その間に、南軍と合流した本隊は西に転進して味方と合流して各個撃破、最後に中央からの敵軍の後背を襲う。
しかる後に転進して、東軍が時間稼ぎをして受け流している敵軍を叩く。
それが彼らの各個撃破戦法の概要だった。
だが、その作戦はビックブリッジから兵力を北北西に出したことで既に瓦解していた。
「殿下、この状況下で我らは、南に駆けつけてよろしいのでしょうか?」
「西軍が予定を変更して後退しビックブリッジに入れば、あ奴の兵力は1万2千……、4万の敵でも互角以上の戦いはしてくれるだろうよ。俺たちにできるのは、先ずは犠牲少なく敵の数を減らすことだ」
「それと……、傭兵部隊の去就ですが如何いたしますか?
奴らをこのまま我らに同行させてよろしいのでしょうか?」
「構わん、エラルの傭兵たちの信条は、ひとたび結ばれた契約が何よりも優先するということだ。
ここで裏切るようなら、この先の商売にも障りが出るぞ。いつ裏切るかも分からん傭兵を雇う者などいないからな。せいぜい最前線で働いてもらう」
「確かに……」
「万が一があっても手元に置いておけばいつでも対処できるしな。それに……」
その言葉を言い終えぬうち、血相を変えた近侍の者が飛び込んできた。
「失礼します! 東軍から急報が入っております」
「どうしたっ! 何か動きがあったのか?」
「はっ、東側はターンコート王国軍を第二地点まで下がり足止めを行い、尚も後退中とのことです。『敵軍は3万、予想外に動きが早く苦戦中のため来援を請う』と言ってきております」
「第二地点だと! もうそこまで入り込まれているのか?」
驚きのあまりグラートは絶句する他なかった。
だが……、ここで戦場を離脱し援軍に向かうことは、最も愚かな選択でしかない。
心を押し殺し、グラートは非情な命を下すしかなかった。
「我に余剰戦力なし、現有戦力の保持に努め、直ちにビッグブリッジまで引くことを許可すると伝えろ。
可能なら敵軍を引っ張ったままな」
「はっ!」
「いいか、くれぐれも申し伝えよ。無理に足止めを行おうとせず、引くことだけを優先させよ。
無駄に死んではならん。命は最後の決戦まで取っておけ、そう伝えてやってくれないか」
そう伝えた第三皇子の表情は、幾分精彩を欠いていた。
彼の心にもある疑念が浮かんだからだ。
『こうも矢継ぎ早では対処ができんな。見事に足並みを揃えて来てやがる。
だが……、これだけ広大な領域を挟んで、奴らはどうやって連携しているのだ?』
本来なら通信手段もないこの世界で、広大な領域を分散進軍する軍の足並みを揃えることなど至難の業であった。だからこそ内線の優位、ジークハルトの基本戦術である各個撃破が成り立つのだ。
実はこれも、ハーリー公爵がスーラ公国とターンコート王国に出した書状によるものだった。
『助力を願っていた件、エラル騎士王国との戦後補償の交渉が成立し、定めた期日に行動を開始する。
よって、回答期限はその期日までとし、以降の交渉には応じられない。
なお、その期日をもって侵攻した国には、以前提示した戦後補償を協議可能とする』
一方的に突き付けられた最後通牒のような書簡は、条件を引き上げようとしていた各国の決断を促しただけでなく、もともと潜在的敵国同士であった二国は大いに慌てた。
そして対価を得るべく、競って侵攻を開始したからに過ぎなかった。
「これより全軍は南に急行する! 左側から街道を迂回して敵の側面を衝くぞ。出立!」
多くの不安材料は抱えていたが、それでもできることを確実に行う。その思いを胸に秘めた第三皇子は南へと軍を急行させた。
その行動の裏には、要となる場所を守るジークハルトに対し、絶大な信頼があったからに他ならない。
彼らもこれより、運命の時を迎えることになる。
※地図はこれまでの経緯上、南が上となっております。お見苦しい点はご容赦ください
〈南〉
〈北〉
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次回は『魔境公国軍集結』を投稿予定です。
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