第三百四十五話(カイル歴515年:22歳)神の尖兵
グリフォニア帝国の帝都グリフィンから少し離れた離宮に隠棲する主人の元に、南の国境から急報を告げる使者が駆け込んでいた。
ほぼ不眠不休で長駆して辿り着いた使者は、主人が待ち望んでいた情報を携え、疲労で限界の身体を叱咤して報告の場へと進んだ。
「それで、どうなのだ? 奴は負けたのか?」
これは開口一番に、使者の言上すら遮ってグロリアスが発した言葉だった。
これには使者も一瞬面食らって言葉を失った。
「私は今回、敵軍の侵攻を告げるため参りました」
「それでは埒があかん。俺の知りたいのは二つだけだ。
奴はいつ身を滅ぼす?
俺はいつ皇位を継承できる?
その二点だけだ」
ハーリーはこの様子を見て心を痛めていた。
先ずはこれまで潜伏し、そして遠路駆けつけた使者を労うべきだろう。
そして、彼の質問は道理も的も射てもいない。
そんなこと、誰に聞いても明確に答えられる訳がないからだ。
虜囚として半年、その後帝国内にて一年の隠遁生活は、第一皇子の精神を蝕み、目の前のことが見えない、妄執の虜にしてしまったのかもしれない。
だが、きっと……、執着の根本さえ解決すれば……
ハーリーはそう考えるしか無かった。
「使者の役目、そして遠路ご苦労であった。
後ほど褒美を与え、ゆっくり休ませてやるが今少し話を聞かせてくれ」
やっとまともな言葉を掛けられて、ハーリーの顔を見た使者は安堵の表情を浮かべた。
「はい、私は狐の潜む本営、エンデより南の砦に潜伏しておりました。
彼らはエラル騎士国の侵攻に愕然とし、慌ててアストレイ伯爵率いる8,000名を対応に出しました」
「エラル騎士国が動いただと? そんな話……」
ハーリーは敢えてグロリアスの呟きを聞き流した。
使者に向かい更に言葉を掛ける。
「それで、敵の様子はどうだったのだ?」
「どうやら虚を突かれて、かなり動揺しているように思えます。らしくない、そんな様子が随所に見て取れました」
「具体的には?」
「第一に、百戦練磨のエラル騎士国の軍勢を、防御に徹したからとて、数に劣るアストレイ伯爵ごときの弱兵で防げましょうか?」
「そこに罠を仕掛けている可能性は?
攻城戦ともなれば、十分に持ち堪えられる数だと思うが?」
「確かに、罠がなくともエンデまで引けば、それなりに持ち堪えられることが出来ましょう。
ですが、その策を採った時点で、奴らは終わりです」
「そうだな。エラル騎士国軍または我らが、後方を遮断してエンデを切り離すからな。
そうすれば南部に展開した全ての軍は、補給を断たれた袋の鼠でしかない」
「第二に、南の各戦線に発した命令にも、参謀たちは首を傾げております。
エラル騎士国の軍勢により、彼らは退路を絶たれる可能性が大いにあります。
本来ならばこの時点で、内線の優位性をいかす彼らの戦略は破綻しています」
「確かに、エンデを包囲されれば、後方を遮断されたに等しい。我らの援軍なしに失地の挽回は覚つくまい。
で、奴らの対応は?」
「詳しい作戦指示は分かりませんが、若干の修正を加えたままで当初の計画、各個撃破戦法に固執しております」
「ははは、智者と祭り上げられた奴の智謀の泉も、遂に枯れ果てたと言うべきだな!
せっかく天より与えられた奇禍だ。ハーリー、今こそ全軍を招集して南に攻め上るぞ」
「殿下! まだにござります。
奴らが敗退し、帝国が存亡の危機になった時こそ、殿下が帝国中から兵を糾合して前線に赴き、救国の英雄として雪辱を果たせましょう。
未来を掴むため、今少し、今少しお待ちを……」
ハーリーには分かっていた。
今はまだ負けていない、不利な状況になっただけだ。それではまだ何も始まらないことを。
「殿下、この一石により膠着していた南部戦線は一斉に動き出すでしょう。そして、恐らく北もそろそろ動き出します。
敢えて申し上げます。これは天よりの奇禍などではございません。私がそのように時を図りましたゆえ」
「ハーリー、まさかお前っ!」
「はい、エラル騎士国を動かしたのは私にございます」
「なんとっ!」
「次期皇帝陛下には、最も適切な時期に御出陣を仰ぎますゆえ」
「そうか……」
グロリアスが大人しく納得してくれたので、ハーリーは安堵のため息を吐いた。
ここで勝手に動き出されては、元も子もない。
やっと先の見えない閉塞感から解放され、次期皇帝という言葉に落ち着きを取り戻したグロリアスを見て、思わず心に浮かんだ『小物』という評価を、必死に打ち消しながら……
実はこのエラル騎士国の参戦こそ、闇の氏族を束ねる老師が授けた、起死回生の策であった。
本来は常に中立を公言し、しかも地理的に第三皇子寄りで傭兵の派兵実績もあったエラル騎士国は、ハーリーにとっても手が出せない相手だった。
だからこそジークハルトや第三皇子も、最も敵側に回る可能性の低い国のひとつ、そう判断して対応の優先度を下げていた。
だが、どこで繋ぎを付けて来たのか、積み上げる金貨次第で彼らは味方につく。そう言われたのだ。
その後ハーリーはなんとか前金をかき集めると、莫大な額の成果報酬を約して彼らを取り込んだ。
そして、老師と呼ばれた男が組み立てた奇手を発動したのだ。
敢えてまだ完全には信の置けない、彼らを先陣として戦いの火蓋を斬らせる形で……
「さて、今度は北にも火を付けねばならんな……」
逸る第一皇子を落ち着かせ、自室に戻ってそう呟くと、今度は精力的に動き始めた。
※
ハーリーが使者と面会した10日後、トライアの街に帝国から急使が訪れた。
「急報! カストロ教皇への急報にござります。
急ぎ、リュグナー卿かアゼル卿にお取り継ぎをっ」
トライアの街の城門を騒がせた使者は、ただちに招きいれられると、アゼルの取り継ぎでカストロの元まで招き入れられた。
「遠路使者の任、誠にご苦労であった。
ハーリー殿よりのご使者と聞いたが、吉報と喜んで良いのかな」
「はっ、仰る通りでございます。
『帝国南部はこれより、新たな体制を整える実行段階に入った。貴国も本懐を遂げるため、行動に移られたし』との仰せです」
「では、南は動き出したと?」
使者はたまらず言葉を挟んだアゼルの質問に大きく頷くと、改めてカストロ教皇に対して向き直った。
「日和見をしていたスーラ公国、ターンコート王国はそれぞれ、エラル騎士国に漁夫の利を得られては堪らんと、共に大慌てで侵攻を始めた模様です」
「となると、南は早々に公爵殿がお出ましになるだろうな。アゼル卿、此方の準備はどうだ?」
カストロの問いかけに、アゼルは黙って頷いた。
既に帝国との国境にはリュグナーが一万名もの軍勢と共に待機し、後続を待ちながら三国に無言の圧力を加えていた。
「ただいまトライアにて編成中である神の尖兵(徴募兵)たちは、既にその数は一万名を超えます。
更に正き教えに帰依した中央三郡、西四郡からは正規兵と共に志願兵が続々と集まりつつあります」
「であれば、皇王に対する守備兵力を国内に残したとしても。遠征軍には少なくとも更に1万の兵を追加することが可能だな?」
「これも神のお導きかと」
「では機は熟した! 帝国北部辺境域では八百万の神などという怪しげな邪教が広まっておる。
唯一神たる我らが神の教えを説き、魔王に囚われた多くの同胞を今こそ救い出さん!」
「「「はっ!」」」
大聖堂に集った者たちは、教皇の命を受けて一斉に跪いた。
「リュグナー卿には一万の軍勢と将軍として元国境守備隊長を、アゼル卿にも編成中の一万と将軍として元トライア守備隊長を遣わす。
戦時にあたり特別に枢機卿としての立場もな。
こと実戦運用は彼らの力を頼るとよい。
その旨、リュグナー卿にも遣いを送るがよい」
「ありがたく拝命いたします。
では直ちに進発の用意に入らせていただきます」
恭しく返事をしたアゼルは教皇の前を辞して、準備に入るため動き出した。
※
5日後、トライア出立して延々と続く軍列の先頭には、アゼルの姿があった。
「さて、ここまでは奴の思惑通りか……
真の智者とは、一体誰を指すのであろうな? 奴か、あの老いぼれか、それとも……」
彼は馬上でひとり、そう呟くと自嘲した。
『闇の氏族を統べる後継者たらん者』、かつてはそう呼ばれていたこともあった。
だが今は……
「所詮俺はお飾りだ……、今は、な。
それでも俺たちはそれぞれ一万の兵力を得たことに変わりない。御前にも我らの姿、お見せしたかったものよ」
そう呟くとアゼルは目を見開き、指揮棒を上げ合図を出した!
「聞けっ! これより我らは解放軍として帝国、そして魔の蔓延る修羅の地に入る。
邪教に惑わされた民と、魔王を崇拝し我らの同胞を鎖に繋ぐ奴らを滅ぼし、神の威光を示す時だ。
全軍、神の尖兵として奮えよ!」
「「「「応っ」」」」
これより、帝国北部辺境部もまた、大乱の業火に焼かれることになる。
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次回は『帝国包囲網』を投稿予定です。
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