第三百三十九話(カイル歴515年:22歳)大狸の憂鬱
最後にお知らせがございます。
是非そちらもご覧くださいね。
新しい年の始め、例年なら各地より主要貴族が参集し、激論を交わしていたグリフォニア帝国の帝都グリフィンは、少し寂しい年明けとなった。
それもそのはず、第三皇子の皇位継承が確定した今、既にそのような議論は不要となったからだった。
当事者の一方は、遠く離れた南の最前線にて、敵国の侵攻に備え準備に汗を流していたし、片やもう一方は、昨年より帝都から少し離れた離宮に逼塞し、ただ時が来るのを待っていた。
「ハーリー、余は一体いつまで待てばいいのだ?
自らを押し込め、この離宮でいつまで隠者となり続けねばならんのだ!」
「そう焦りなさるな、間もなく、間もなく仕掛けが整って参りましょう。
これらは殿下が玉座に登られる道程、じっくりと構えてお進みいただければ良いのです」
「だが……、ここに居ては何も分からんわっ!
あ奴の動きはどうなっている?
味方の諸将は?
スーラ公国、ターンコート王国、イストリア皇王国の動きは?
何も見えてこないでは動きようもないではないか!」
一応行動の自由は許されているものの、半ば幽閉状態に近い境遇のグロリアスは、苛立ちを募らせていた。
そしてハーリーも、敢えて中途半端な情報を与えず、グロリアスを『動きようもない』状態にしていた。
勝手に動かれては元も子も無くなってしまうからだ。
「殿下、機が熟すまで今暫くお待ちください。
殿下が動けば衆目を引き、奴らに気取られる可能性もあります。今はただ、待つことこそ肝要です。
今年の秋には……、眠る間さえ事欠くほどに忙しくなりまする」
「長いな……、せめて夏の訪れの前に出来んのか?何もせぬまま、徒に時を過ごすことが苦痛でたまらぬわっ!」
「殿下、今の殿下でもできることはございます。
今は殿下を支える者に対してお心を砕かれませ」
「ハーリー、お前までが……、もうよい、下がれっ」
「殿下……」
ハーリーは言いかけた言葉を飲み込むと、静かに一礼してその場を辞した。
今の状態では、これ以上何を言っても無駄と悟ったからだ。
せめて……、何か朗報のひとつでもお届けできれば……。
彼の悩みは、その一点に集約されていた。
※
離宮の外れにある一室、ここはハーリーが隠居部屋として、第一皇子から与えられているものだ。
ハーリー自身、便宜上『公爵』と呼ばれているが、正確には『元公爵』だ。
先の敗戦の責を負い、一時的に家督を甥に譲り、自身は隠居せざるを得なかった。
彼の息子たちもまた、第一皇子の出征に同行していたため、連座して爵位の継承からは外れていた。
そのため出征に同行していなかった、まだ少年でしかない甥に、家督を譲らざるを得なかった。
あくまでも形式だけの一時的なもの、そう周囲には納得させて……
もっとも、建前は別として、公爵家の実権はハーリーが握り続けていた。
それでもなお、彼自身ですら重苦しい空気と閉塞感に苛まれていた。
「ふぅ……」
自室に戻るとハーリーは、大きなため息を吐いた。
既にここに逼塞して一年近くになるが、第一皇子の精神は慣れぬ隠居生活に心を蝕まれ、事の道理を見失うまでになっている。
『これまで忍耐や我慢とはある程度無縁の、下にも置かない扱いを受けてきたのだ。無理もなかろう』
そう思ってもまだ、やるせない部分はあった。
暇なら暇で、余計なことを考えずとも、彼を支える支援者たちに向け、感謝や激励する書簡でも認めればよいだけだ。
そう言う意味では、できることは沢山ある。
だが第一皇子は、尽くされることは主君として当然のこと、忠誠心は勝手に湧いて出るものと思っているようだった。
「儂は殿下の教育を誤ったのかもしれんな……」
悲しげなため息と共に、そう呟いて自嘲するしかなかった。
そしてため息の理由はもう一つ、彼の元にはスーラ公国とターンコート王国から、かなり尊大な要求を記した書簡が戻って来ていたからだ。
この二国は帝国が得ていた新領土に加え、新たな領土の割譲と戦時賠償を求めて来ていた。
彼らはカイル王国に対して支払われた帝国側の戦時賠償の詳細を知り、帝国の弱腰と見るや、ここぞとばかりに一気に強気に出てきていた。
更に……、イストリア皇王国、いや、イストリア正統教国はまだしも、餌にするはずの3カ国も明確な返事を渋っている。
この3カ国は、目の前に提示された餌よりもあの小僧、常勝将軍や覇王などと呼ばれ、たまたま時流に乗って成り上がっただけの男を非常に恐れていた。
彼らにとっては、将来的な禍根である帝国より、近隣にまで進出してきた小僧の方が恐ろしいらしい。
このままでは第三皇子を完全に押し込める包囲網が完成するのは、何年先になるか分かったものではない。
そう考えると彼は、自室でひとり頭を抱えていた。
その時、薄暗い部屋の隅の闇が、ぼんやりと揺れた。
「ふぇっふぇっふぇっ、ハーリーよ、いささか困っておるようじゃな」
「何奴っ! あっ……、こ、これは失礼いたしました」
突然闇から姿を現した男が、前回見た記憶と結びついたことで、ハーリーは手にした剣を放し跪いた。
「構わぬ、まだこの姿には慣れんようじゃな?」
そう言って機敏な動作で勢いよくソファに腰掛けたのは、かつては動きもたどたどしい老人だった男だ。
「申し訳ございません、咄嗟の際には身体が自然に反応してしまうようで……」
「よいよい、其方も元は武人、衰えておらぬということであろう。
ところで、中々苦労しておるようじゃな?」
「……」
ハーリーは返答に困った。
老師は先ほどの一件を指して言っているのか、それとも外交上の課題を指して言っているのか、どちらとも取れる物言いだったからだ。
「ふふふ、両方じゃよ。内憂と外患、足を引っ張る我が孫にも、困ったもんじゃな」
「あ、いや……、老師のご賢察には敵いませんな。仰る通りです」
「そう思って其方に知恵を授けに来た」
「なんとっ!」
「先ずは南の二国じゃが、要求を突っぱねて構わぬ。其方らの策では、いずれかが先陣を切らねばならんからな。
その時の損害を考え、奴らは逡巡しておるだけじゃ」
「ですがそれでは誰も……?」
「奴らには、『先に示した条件で話がまとまった故、もはや助力は無用』、そう伝えてやるがよい」
「ですがまだ……」
「加えて『万が一、先の条件で参戦される場合には、我らとしても無碍にはしない』と申し伝えよ。
奴らより先に動く者があれば、他国が漁夫の利を得ようとしていると考え、奴らは慌てて動き出すであろうよ」
「では老師は既に?」
「謀とは、頭を下げて願うこととは違うぞ。此方が示した道に、奴らが勝手に進ませるよう図ることじゃ」
「ご忠言、しかと心に刻みました」
「また、北で日和見を決め込んでおる卑怯者どもは、我が配下が何とかするであろう。
ただ、あの未熟者共は策を弄し、策に溺れるきらいがあるでの。
壮大な策を弄しても、実行する手段までには考えの及ばぬ未熟者よ。
それを分からせるため、これまでは儂から何も手を打っておらなんだが、そろそろ潮時じゃろう」
「では老師自ら?」
「いや、儂が動かずとも奴らでも気付くじゃろう。あの三国が抱えておる闇を、な。
ひとたび一国でも国の上層部に繋がれば、自ずと奴らの策も前に進むであろう。
故にこれらの書簡を、其方の名を持って出して貰うとするかの。この三通は其方と誼を通じている、それぞれの国の上層部に対するものじゃ。
最後の一通はあの狂信者に届くように手配せよ」
「なっ……」
各書状に添えられた書面を見たハーリーは、驚きを隠せなかった。
それらの書面には、本来なら帝都の奥深くにある後宮、ここ何年もそこの住人となり帝政には全く興味を無くした、現皇帝の玉璽が押印されていたからだ。
「一体老師はどうやって……」
「後宮にも我が意を受けた者がおるでな。この程度のことなら、なんとかなるものよ」
そう言うと唖然としたハーリーを嘲笑うかのように男は忽然と暗闇に姿を消した。
男が消えた後もハーリーはしばらく何か考え事をしていたが、意を決したように顔を上げた。
「ふっ、これでは誰が帝国の主か分からんな。このような弊害は殿下のためにならん。
今のうちに儂ができる最後の奉公をせねばならんわ……」
そう呟くと幾通かの書簡を認め始めた。
特に一通だけは念入りに、そして万感の思いを込めて……。
翌日、ハーリーの元から各地への使者が飛んだ。
彼の名で発せられた書簡を携えて……。
これに端を発し、動乱は加速して『その日』を迎えることになる。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
書籍版の三巻発行まで、あと二日ととなりました。
もしかしたら……、早い書店様は既に店頭に並んでいるみたいです。昨日Xの投稿を見てびっくりです。
順調に三巻発売に進めたのも、ひとえにここで応援していただいた皆様のお陰です。
いつも、本当にありがとうございます。
これより三巻発売記念として、4話連続で毎日投稿とさせていただきます。
この4話は他者視点で構成し、戦乱の起点となるものをお届けしたいと思っています。
三巻の詳細は、8月10日に掲載予定の活動報告にてお伝えさせていただきますが、なろう版とは違った味わいを出せるよう、頑張ってみたつもりです。
良かったらどうか、お手に取っていただけることを祈っております。
次回は『大狸の策謀』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。