第三百三十六話(カイル歴514年:21歳)新しい命、紡ぎだされる絆
カイラールを出発して五日後、俺たちは既にクサナギまで到着していた。
これは本来、強行軍といっても差し支えない早さだったが、それには理由が三つあった。
そのひとつは、移動時間はなるべく省略し可能な限り前線を空けたくなかったからだ。
これまでの先例もあることだし、まだ余裕があるとは聞いていたが、それでも気が気ではなかった。
俺が王都に向かうのに合わせて、ラファールが第二陣として皇王国側へ諜報に出ているが、その結果も気になる。
ふたつめは、今回の帰路は敢えて隊列を二分していたからだ。
俺たちは少数の騎馬だけを先行させクサナギへと戻っていた。
本隊は俺たちに遅れること5日、移住希望者などを引き連れてカイラールを出発しているはずだ。
そちらには約200名の護衛も同行させている。
護衛部隊は足の遅い移住希望者や大量の荷馬車を守りつつ、王都から15日程度掛けてクサナギに戻って来るだろう。
みっつめは、整備された道の駅のお陰だ。
コーネル伯爵領のブルクから先は、一定距離ごとに街道に道の駅が整備されている。
変え馬を手配できるし、街に寄らずとも休憩箇所や宿泊場所に困らないため、一日で一気に50キル以上を駆け抜けることができた。
※
先触れを出していたためか、クサナギの城門は大きく開け放たれ、通常は使用していない最も大きな跳ね橋が、周囲を囲む堀に架けられていた。
その周囲を衛兵が一列に整列して並んでいた。
「みんな、ただいま。出迎え大儀!」
俺は駆け抜けざま彼らの労を労うと、真っすぐ行政府を目指した。
帰路の途中にある道の駅にて、ミザリーの報告を携えた早馬と出会っていたからだ。
「タクヒールさま、お帰りなさいませ」
「「「「お帰りなさいませ」」」」
行政府の前では、迎えに出ていたミザリーを筆頭に全員が立ち並び、帰領を出迎えてくれた。
ちなみにミザリーも本来はテルミナを拠点としているが、各方面軍司令官と共に先行してクサナギに入っており、俺より一足先に到着していたようだった。
城門までの出迎えは不要と伝えていたので、彼女たちはここで待ち構えていたのか……
今後はあまり仰々しくするのも控えたほうがよいかな?
「ミザリー、そして皆、ただいま!
早速だけどラファールが戻っているんだって?」
「はい、そのご報告をさせていただくため控えておりますが……、間もなく建設中の防衛拠点視察に出られている内務卿も戻られる予定です。各地の軍を統括している者たちもご帰国に合わせてここクサナギに参集しております。
ただその前に少しだけお時間をいただき、ご報告を……、よろしいでしょうか?」
何だ? なんかミザリーらしくない、奥歯に物が挟まったような言い方だな?
何か悪い知らせでもあるのか?
そう思いつつ、俺は小さく頷いた。
それを確認するとミザリーは俺を行政府の一室に案内すると、自身は一礼して部屋を出た。
そこには俺を待っていた二人がいた。
「「タクヒールさま、お帰りなさいませ」」
「ん? ここにいたんだ。ただいま!
二人ともどうした、改まって」
何だろうか。ミザリーといい彼女らといい……
あれ? いつの間にかユーカも席を外しているし。
「……」
ほんの一瞬だったが、数分間にも感じる重苦しい沈黙の後、やっと一人が口をひらいた。
「あ、あの……、これから魔境公国は大変に時期に入るというのに……、私……、私は……」
「ん? クレア、いつも感謝しているよ。無理はしないで……、ってか、何かあった?」
「あの……、その……、申し訳ありませんっ!」
『ん? 何で謝るんだ』
「クレアさん、頑張って」
『アン、何を頑張るんだ?』
「も、申し訳ありません。私のような者が大それたことを……」
『クレア、何かミスでもしたのか? 誰だって間違いはあるさ』
「どうしたんだい? 俺は決して怒らないよ」
「あ、ありがとうございます。わ、私……、こっ子供が、タクヒールさまのお子を……」
『なっ、なんと! まじか! いや、この反応はまずいな』
「クレア、ありがとう! 本当にありがとう。こんな嬉しいことはないよ」
俺はクレアの手を握り、感謝の言葉を伝えた。
クレアは涙目になって、こちらを見つめ返してきた。
「クレア、申し訳ないなんて言うことじゃない。そして体を大事にするんだぞ。
今やひとりの身体じゃないからな。
アン、花凛にも弟か妹ができるね。これで二人、寂しくなくて済むね」
「あ……、そうですね。でも一点だけ訂正させてください。二人ではなく、三人になるかと……」
「なっ、もしかして……、アンも?」
そう言うとアンは、少し恥ずかし気に俯いた。
俺はすかさず片手はクレアの手を握ったまま、片手でアンの手を取った。
「ははは、これは凄いや! 一気に二人も。楽しくなるな」
「ですが、今はお国の大事な時、こんな時に……」
「クレア、そんな心配はしなくていい、産休中は誰かがフォローすれば良いんだから」
「でも……、ユーカさんを始め皆さんにご迷惑を……」
「あ!」
そういうことか……、俺はこの時になって初めて気が付いた。
ユーカが必死になって受付所関連の仕事に頑張っている理由を。
そっか……、彼女なりに気を遣って……、いや皆に気を遣わせて。俺はダメな男だな。
目の前のことにしか気付かず、大事なことに目が届かないなんて……
「大丈夫です。ユーカさんは王都での仕事も成功させ、タクヒールさまのお役に立てたと伺っています。それに、貴方が見つけてきたアイラさんやクローラさん、そしてライラさんも成長し、既に受付所の統括として十分に任務を果たせるようになっているではありませんか」
「そうだね、アンの言う通りユーカを核にその3人が居れば、安心じゃないか」
「タクヒールさま、敢えて無礼をお許しください。
私がこれを申し上げるのも僭越なお話ですが、恐らく私以外は誰も遠慮してお話しないと思います。
私も経験があることなので、クレアや他の者たちの気持ちも分かる気がします」
「うん、俺は迂闊だから多分気が回らないことも多いと思う。
アンの忌憚のない意見、是非聞かせてほしい」
「ありがとうございます。
他にも公国を支える柱として活躍している、ミザリーさんやヨルティアさん、彼女たちも眼前の脅威を考え、どうも遠慮している気がします」
確かに……、俺には目の前の脅威のことしか考えていなかった。
彼女たちももう、子供がいても十分におかしな年じゃない。
俺は彼女たちの想い、好意に甘えて……
「私たちはまだ良いのです。ですが上に立つものがそうであれば、自ずと配下の者たちもそれに倣います。みんな、タクヒールさまの作られる国が大好きです。そしてその国を率先して守ると誓い、自らの幸せを顧みず頑張っていますが……」
「そうだね。やはり俺は迂闊だな……。皆の好意に甘えて、それで女性が活躍できる国だとか、そんなことを言っているのが恥ずかしいよ。アン、気付かせてくれて本当にありがとう」
そうだよな。
本来ならこの世界では、女性は10代で結婚し子供を産むことが多い。
ウチの母上も15歳で結婚して16歳で兄さんを、19歳で俺を産んでくれている。
俺が迂闊だった。特に初期の仲間たちはみな、それぞれもう適齢期だ。いや、既にこの世界の適齢期を過ぎている者たちもいる。
「うん、そうだね。目の前に危機があるからこそ、その前に幸せを掴んでもらわなくてはいけない。
俺はそんなことにすら、気が回らなかった……」
「それは仕方のない話です。これまではまだ力も及ばず、必死でした。自らを守り抜くことすら厳しい状況でしたから……。この件、私のほうで少し動いても構いませんか?」
「もちろんだとも! これまで私事を捨てて支えてくれていた仲間たちだ。国を挙げて祝いたい。
アンとクレアの吉事を報告する際に、俺からも特にその旨、話しておこうと思う」
流石アンだな。
先ほどのクレアの様子は、俺が仲間と呼び共に歩んできた魔法士たちの気持ちを移す鏡だ。
遠慮させてはいけない。
俺自身でさえ、自身の未来がいつ閉ざされるか分からない。常にそんな危機感をもって臨んでいるが、逆にそれが仲間たちを、見えない鎖で縛っていたということになる。
「アン、ありがとう。この後の全体会議を行う前に、皆が集まる機会にこの話をしてくれて、本当に助かったよ」
「あ……、これは私の意見ではありません。先の収穫祭で奥さまがいらした際、奥さま主催で開かれた『女子会』で仰っていたことなので……」
「なっ……」
俺は絶句するしかなかった。この歳になっても俺はまだ子供、母上には叶わない訳だ。
そして、母上には改めて感謝を……
※
このやり取りの後、内務卿を始め主要魔法士、各地に駐屯している軍団長まで招集の上で開催された全体会議の冒頭で、タクヒールは全員に詫びた。
「先ずはこの先の話をする前に、改めてこれまでのこと、皆には礼を言いたい。
これまで皆は絶望的な状況を打開するため、必死になって頑張ってきてくれた。人としての幸せを犠牲にして、私を捨ててまで俺に付いてきてくれて、本当にありがとう。
そして、そんな皆に対し、配慮の足らない主君であったことを改めて詫びたい」
これから議論されると思っていた内容とはかけ離れた、タクヒールの意外な言葉に対し、全員が驚きかつ少し戸惑いながら話を聞いていた。
「その上で皆に報告がある。アン、クレア、こちらに」
そう言って二人の妻を傍らに呼び寄せ、両手でそれぞれの手を取ったあと、タクヒールは言葉を続けた。
「皆に改めて報告する。新しい年には、俺たちの家族が二人増えることになった」
「「「「おおおっ!」」」
「おめでとうございます!」
「王子殿下、王女殿下に幸あらんことを!」
「ウエストライツ公国万歳!」
「公国の未来に!」
「いや、めでたいっ!」
ひとしきり沸き起こった祝いの言葉が落ち着くと、改めてタクヒールはゆっくりと話し始めた。
「みんな、ありがとう。皆に祝福してもらえたこと、本当に嬉しく思う。
花凛を始め、これから生まれてくる子供たちも、皆で築きあげたこの王国の未来を担う者たちだ。
だけど、それだけじゃない」
そう言うとタクヒールは、そこに集った全員の顔を一人ずつ見回した。
「この機会に皆には改めて詫びなければならない。
俺たちが生き残るため、そのために皆はこれまでずっと自らの幸せを犠牲にして付き従ってきてくれた。それには心より感謝している。でも、そうさせてしまった事を先ずは詫びたい」
そう言うと彼は、深く頭を下げた。
「目の前にはまだ大きな脅威があり、この国を、皆の幸せを守るための戦いは、まだ続く。
今日もそのための会議だ。でも、そうだからと言って、皆の幸せを先延ばしすることは止めてほしい。
『この戦いが終わったら……』ではなく、『今この時に!』と考えてほしい」
一部の者以外、タクヒールが言わんとしていることに気付く者はいなかった。
「皆には改めて、『人としての幸せ』を、いまこそ掴んでほしい。
何の遠慮もいらない、いまこそがその時だと思ってほしい。俺たちは国を挙げて、皆の幸せを祝福する」
俺がそう言うと、アンとクレアがお互いに目配せして、一歩前に進み出た。
「今祝っていただいた、皆さまにお礼と一言申し上げます。
私たちにも皆さまの未来をお祝いさせてください。大事な時期に……、そんな考えは捨ててください。
幸いにもタクヒールさまの陣容は、過去からは想像できないほどに厚くなりました。
今ならお互いに支えあうことができます。だから皆さまにも……、この国の未来を紡いでほしいと思います」
「今のクレアさんの言葉、これはタクヒールさまを含め、私たち妻一同の願いでもあります。
クリストフさん、エランさん、バルトさん、ラファールさん、他にも何人かいらっしゃると思います。
女性の方たちは、ずっと貴方たちの言葉を待っています。これからは遠慮はなしですよ」
「なっ!」
「えっと……、僕は……」
「え? どうして……」
「あ、いや……、俺は……」
名指しでアンの言葉を受けた者たちは、一様に大きく動揺していた。
片や、会議に参加していた者たちの中にも、顔を赤くして俯く女性たちが何人もいた。
こうして、背中を押された男たちと、思いを通じている女性たちの絆が、ウエストライツ魔境公国の未来を紡ぐ絆として、新たに結ばれていくことになった。
このことは本来あった会議の目的、帝国や周辺国の情報共有や意見交換、特にラファールが報告したイストリア皇王国の動向より、一部の者たちにとっては重要議題となったのは言うまでもない。
その日の会議が終わったあと、誰かに尻を叩かれたのか血相を変えて、クサナギにある公王国の特産品を販売する直営店に駆け込む男たちがいた。
彼らは何故か全員、最高級のはちみつの小瓶を買い求めていた。
『心をとかす甘い贈り物で、想い人の女性に愛を告白しましょう!』
そんな、彼ら自身が仕掛けたプロモーションに、自分自身が乗っかる形で……
タクヒールの仲間たちにも、新しい未来が始まろうとしていた。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
次回は『新たなる同志 その始まり』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
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