第三百三十三話(カイル歴514年:21歳)敵地侵入
タクヒールらがカイル王国の王都カイラールに滞在している頃、ウエストライツ魔境公国から帝国領を経由し、イストリア皇王国へと向かう交易商人の一行があった。
彼らは30台もの馬車に、食料品と本来は流通が憚られる武具などを満載し、一路皇王国の国境関門を目指していた。
そしてあともう少しで、目指す国境に辿り着くところまで来ていた。
「それにしても……、旦那は大胆なお人ですな。男爵様自らが身をやつし、間諜のようなことをされるとは、思ってもみませんでしたよ」
「ふん、俺に取っては荒事が本業、たまにやむを得ず、それも仕方なく男爵を名乗ることがあるだけだ。
俺とて身の丈に合わないものに、時として困惑しているだけだからな」
そう答えた男は、少し自嘲気味に笑った。
「失礼ながら、変わったお方だ。それに公王さまも……、もちろん、良い意味ですよ」
話が公王に及び、ラファールの視線が鋭くなったのを感じたハンドラーは、慌ててそう補足した。
ただ彼が思うに、公王とてこの男爵と同様、とても不思議なお方であった。
とてもじゃないが一国の王、いや、貴族にすら見えないくらい親しみがあり、それが自然体として振舞われている。
帝国軍の精鋭である第一皇子軍や、フェアラート公国の反乱軍を完膚なきまでに打ちのめした、英雄にも似つかわしくない雰囲気を纏っていたからだ。
『類は友を呼ぶ……、変わり者には変わり者、そういうことか?』
彼は自戒し、この言葉は心の中だけに留めていた。
実はハンドラー自身、この変わり者の男爵と実際に会うのは、今回の同行で三回目だ。
一度目は、ハンドラーがこの先の商売を懸けて、イストリア皇王国の動向を伝えに行ったとき。
二度目は、新たな任務を帯びて皇王国に潜入した後、速報として報告を伝えに行ったとき。
三度目は、今回の旅だ。
一度目の時は、公王との面会の後に切れ者と噂の高い内務卿と、そして彼の三人で今後の打ち合わせを行った。内務卿からは、追加同行者の依頼と契約条件、そして最初の潜入は短期間で行い、カストロ大司教の軍の動向と実勢を探り、報告が欲しいと言われた。
その時ラファールは、時折脱線した話題を振りながら、気さくに話していただけで、ハンドラーもまさか貴族であるとは思わなかった。
二度目の時は、報告のあとラファールに飲みに誘われた。
酒の席での探り合いなど、商人たちにはよくあることだ。だが彼は、単に酒を飲むこと、酒の席でのよもやま話に華を咲かせるだけで、警戒するのが馬鹿らしくなるぐらいだった。
そして何軒か店を梯子したあと、他の客から初めてラファールが貴族であり、男爵の爵位にあることを聞かされ、一気に酔いが吹き飛ぶ思いをさせられていた。
そして三度目、今回の旅でラファールは、道中でも皇王国の酒と女の話しかしなかった。
すっと自然体で気さくな彼の様子に、いつのまにかハンドラーはラファールを旦那と呼んで、同じように気安く接するようになっていた。
「それにしても旦那、今回の積み荷は本当に大丈夫なんですか? 食料はまだしも、これだけの武器を持ち込んで、後で公王様からお叱りを受けても……」
「何か問題か? 商売とは、相手が欲しがる物をできる限り安く仕入れて、できる限り高く売ること、俺はそう考えていたが」
「いや、それはそうなんですが……、いくら内諾を得たとはいえこの量です。
今回横流しした武器が、今度は旦那たちに向けられるかもしれないのですぜ」
「ははは、その剣が俺たちに届かなければ、何の意味も持たないだろう。
それに、今回持ち込んだのは殆どが一般兵の持つ安物、それも傷物ばかりだ。俺たちの腹は痛まんよ」
そういう意味ではない、そう言いかけてハンドラーは諦めた。
あの国の方々は色々と規格外過ぎて、深く考えるとこちらが参ってしまう。
割り切ること、それも商人にとっては必要な素養だ。そう考えることにした。
実は今回持ち込んだ大量の剣も、タクヒールが保管していた、いや、処分に困っていた武具の一部にしか過ぎないことを、ハンドラーは知らなかった。
今や公王となった彼の下には、過去の戦いで得た膨大な量の武器の鹵獲品があったからだ。
・テイグーン戦にてブラッドリー侯爵軍からの鹵獲品
・第一皇子軍が魔物との戦いや敗走過程で遺棄されたもの
・ヒヨリミ子爵軍がガイアやテイグーンで敗れたときに遺棄されたもの
・東国境を巡る戦いで皇王国軍を殲滅した際の鹵獲品
・ブルグの戦いでゴーヨク伯爵軍を壊滅した際の鹵獲品
・第一皇子の軍が全滅に近い敗北を喫した際の鹵獲品
・クレイラッドでの最終決戦、及び西国境の戦いにて遺棄されていたもの
・サラーム攻防戦にて、敗残兵を武装解除した際に鹵獲されたもの
・フェアリー郊外の最終決戦にて、反乱軍を撃破した際に鹵獲されたもの
もちろん、それらの一部は褒賞として配下の者たちにも分配されていたが、得たものの数は余りにも多かった。
帝国との最終決戦後、鹵獲した武器のうち、価値のあるものの一部は、ガイアの鍛冶屋に順次回されて修繕や打ち直しが行われた。
そのために王国各地から鍛冶職人が集まり、ガイアの鍛治街は大きな繁栄を遂げていた。
そしてそれらは、自軍用に供給されたり、商人を通じて販売されて、莫大な収益をもたらしていた。
『どうせ廉価版の剣は、傷物を売っても大した金額にはならないし、こんな物でも金になるのなら、奴らに売りつけてやればいい。ハンドラーの報告では、彼らは圧倒的に武器が足りていないようだしね。
これで上層部の歓心が買えるなら、その後の諜報もやりやすくなるだろう。それに……』
ラファールは、こういったタクヒールの内意も受けていた。
なので実は、主君の命を受け『公式に』横流ししているに過ぎない。
「この土産で以て、上層部と接触できれば、俺にとってはありがたい話さ」
「まぁ……、旦那の仰る通りですけどね」
その件についてラファールは、敢えて多くは語らなかった。
何も知らない方が本人の身を守ることにもなる。そして国としての立場も……
「それにしてもハンドラー、打ち合わせ通りに進めて、お前の商売としては良いのか?」
「ははは、旦那、俺も商人ですよ。取引先を失っても、もっと大きな夢のある取引先が手に入るんだ。
今までは大きな商会の後塵を拝し、隙間しか狙えない俺たちにとって、これは大きな賭けですよ。
なので存分に……、でも対価としての取引は、よろしくお願いしますよ」
「ああ、その点は公王さまもご承知の上だ」
「さて、そろそろ関門ですぜ。旦那、ここからは商人として、頼みますぜ。
最も、横流しに加担するような、悪徳商人の役はうってつけかもしれませんがね」
「ははは、俺にぴったりの役柄じゃねぇか。まぁ任せてくれ」
大任の前に互いに軽口を叩きながら、強い眼差しで関門を見つめ、二人は皇王国国境の関門へと足を踏み入れていった。
※
イストリア皇王国最南端にある地方都市トライア、ここはかつてグリフォニア帝国との交易窓口として繁栄したが、近年ではかつての隆盛も影を潜め、鄙びた地方都市となっていた。
だが、今やその状況は一変している。
カストロ大司教、今やイストリア正統教国の教皇となった彼がこの街を訪れて以降、近隣より救いを求めた民たちが集まり、教皇からの恵み(食料配給)の恩恵を受けている。
そのため、救世主の降臨した街はかつての勢いを取り戻し、今や活況を極めていた。
「教皇さま、ただいま衛兵の知らせによりますと、猊下の依頼を受けたと申す交易商人が、食料及び武具を満載して街を訪れ、謁見を望んでおりますが、いかが取り計らいますか?」
「交易商人、帝国からの砂糖商人か?」
「はい、ハンドラー商会にございます。どうやら土産として、面白き男をご紹介したいと……」
「おおっ、待ちわびておったわ。手広く商いを行っている商人は多いが、奴のような使える男は少ない。謁見を許すと申し伝え大聖堂にて待たせておけ。我が意に沿う土産であれば良いがな……」
そう言うとカストロは、鷹揚に笑って見せた。
そして間もなく、新たに建造が進んでいる大聖堂の一角に、件の商人たちが招き入れられた。
遅れて教皇たるカストロが、壇上に姿を現した。
「ハンドラーよ。早々に立ち戻ったということは、期待して良いということかな?」
「猊下直々のお言葉である、直答を許す」
側近の者からの指示で、平伏していたハンドラーはゆっくりと頭を上げた。
それでも失礼に当たらぬよう、目線は足元のままだ。
「はい、食料と砂糖はご要望いただいた馬車20台に満載しております。
それと、いささか手こずりましたが一級品の剣を100本ほど……」
「ほう、馬車は30台と聞いたが?」
「おお、流石にお耳が早い。そちらは此処に控えております、ラウルと申す者に関わる荷、我らから猊下に対する心ばかりの手土産にございます」
「ふむ……、神の御心に沿うものであれば良いがな。ラウルと申したか、直答を許す。何を持って参った」
「はっ……」
そう短く答えると、ラウルと呼ばれた男は顔を上げた。
そしてゆっくりと、教皇を見つめて笑みを浮かべた。
「我らは、とある仕入先の縁を持っております。今猊下に必要な物は、神の教えを守る戦士たちに与える、裁きを実現する手段、そう愚考いたしました」
「なるほど、面白い推理だな」
「それ故、新たに聖騎士となった方々に、猊下が下賜されるに相応しい剣を100本、ハンドラー殿に都合いたしました。ですが、猊下を守護せんとする民たちには、まだ足りないと存じます」
「それで剣をどの程度都合してきたのだ?」
「はっ、当面の物として差し当たり1000本ほど、お時間をいただければ更にその数倍は都合できます」
「ほう……」
驚きの言葉を発すると、カストロは目を細めた。
訝しいな……、と。
「帝国内でも剣の需要は逼迫しており、一朝一夕にそれだけの数を手配できるとは、聞いておらんが?」
それも当然だ。
第三皇子の陣営は、新領土の入植と防衛という大義名分のもと、兵力の増強を図っている。
第一皇子の陣営は、内密に兵力を整えようとしていたが、公然と武具は調達できない。
そのため、秘密裏に武具を買い占めていた。
それ故に武具の値段は高騰し、まとまった数の剣を入手することは困難を極めていた。
イストリア皇王国では、剣を持つ歩兵より弓箭兵に重きを置いていたため、国内の生産力も余剰在庫も乏しい。
実はこれがカストロの悩みの種だった。
「はい、世に出ている物は、昨今の情勢により入手は困難な状況と言わざるを得ません。
ですが、世に出ていない物なら話は別です。一般兵向けかつ、多少の傷はあるものですが、それなりにあるところには有るものです」
「となると……、剥ぎ取り品の類か?」
「はい、それらの剥ぎ取り品を、使い道もなく大量に貯蔵して眠らせている国もございます。
私はその倉庫の管理者と誼を結び、手に入れましてございます」
「ふん、横流し品か。我らは神に仕える身。その様な謂れの剣などで喜ぶとでも思ったか!」
ラウルの言葉を聞き、側近の一人が声を荒げた。
周囲に立つ男たちも、ラウルを蔑視することを隠さなかった。
「我らは猊下と神に仕える身。邪な経緯で入手された物は没収し、罪には罰を与えることもできる。
それとも何か、その1,000本を喜捨する代わりに、己の犯した罪に対して神の救いを求めるか?」
「ははは、それもよろしいかと思います。
ですがいささか勿体ないお話ではないでしょうか?」
「どういうことだ?」
「私の申し上げたいことは三点ごさいます。その上で猊下がご判断いただければ、それも神の御心でしょう」
「ほう私にか? 申してみよ。そして其方らは一旦控えておれ」
カストロの言葉で、言葉を荒げていた側近たちは一礼して口をつぐんだ。
「猊下のご慈悲に感謝いたします。
先ほど皆様が仰った手法は、かつての皇王国の教会が行ってきたことと、何ら変わりありません。
それを正す猊下の軍には、そぐわないでしょう」
「ふむ……」
「第二に、武具というものは、どのような手段によって手に入れたかより、どのように行使したか、そこが大切かと思われます。神の導きによって猊下の教えを守る者たちに、その意思を実現する手段を与えること、これが優先されると考えます」
「なるほど、言い得て妙である……、な」
「三点目は、現実的な皆様の『利』でございます。
いま私を裁き商品を取り上げられても、100本と1,000本の剣、それだけでございます。
ですが我らが神に尽くす道を与えていただければ、その数は何倍にも膨れあがりましょう」
「ははは、ラウルと申したか、其方は中々面白い男だな。商人にしては肝も据わっている。
今回に限り、神も敬愛する僕には慈悲を与えてくださるだろう。
そなたの提案に乗ってやろう。してその何倍もの剣は、いつまでに納品可能だ?」
「敢えてご質問を質問で返す無礼をお許しください。
逆にいつまでに、全てを取り揃えれば良いでしょうか? それにより、相手に嗅がせる鼻薬の量を……、いや失礼しました。神の教えを説く方法を変えて参りますゆえ……」
「はっはっは、崇高なる我らの教えを説くと言うのか。面白い事を言う男だな。
そうだな……、次に迎える年こそが我らの新しい幕開けとなろう。春までには全て整えよ。できるか?」
「はっ! 雑作もないことでございます」
「よろしい。今回の納品に対し、中身を見分の上で十分な対価を支払ってやる故、励むがよかろう。
神の使徒に必要とされている剣は、少なくともあと五倍……、いや、その倍でも構わぬが……、できるか?」
「はっ! もちろんです。猊下のご慈悲に感謝し、益々励ましていただきます」
恭しく目を閉じ、平伏したラウルは、心の中でだけ呟いていた。
『春までか……、では来年の夏、実りの収穫前が頃合いか? 言葉だけで見れば今の兵力に加え最低でも一万だが……、それだけではないな。
今少し調査すら必要があるだろうな』
ひとつの成果と新たな疑念を持ったラウルは、彼らの前を辞してハンドラーと共に退出した。
「旦那……」
ハンドラーは敢えてその先を言わなかった。
だが彼の言葉が意味する事を、ラウルことラファールは正確に理解していた。
「先ずは今の納品をきっちり納め、対価をいただいてからだな。これから忙しくなるってもんだ!」
そう言ってから頷いてみせた。
分かっている、そう言わんばかりに……
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
次回は『欺きあう者たち』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
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