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間話12 非常事態訓練

ウエストライツ魔境公国の公王、タクヒールが王都カイラールに出向いている間、彼の直轄領では異常な緊張感に包まれていた。


それもそのはず、これまで幾度も彼の不在の時に限って、その隙を窺う者たちが蠢動してきたからだ。

しかも今は、ゴーマン侯爵、ソリス侯爵、コーネル伯爵など、百戦錬磨の周辺領主たちも揃って不在だ。


その緊張感は末端の兵士たちにまで伝わっていた。



「そろそろ来るか?」



アイギスとテルミラを繋ぐ道の駅、と言ってもここは一般人の利用はまだ許可されていないが、そこの守備隊長はひとり、アイギス方面を見つめながら呟いた。


彼はテイグーンに街が建設された初期に、人足から応募して兵士となった者だ。

幾度となく帝国軍との戦いにも従軍し、今や歴戦の兵士といっても過言ではない。

タクヒールの軍が拡大すると共に、彼は30人を率いる守備隊長に任じられていた。



「何がですか?」



そう質問したのは最近登用されたばかりの新兵、その中の一人だった。



「夜間非常事態訓練だ。今日あたり来そうな気がする。念のため明るいうちから高架橋上の通路に、小石や凹凸おうとつ、ひび割れなどがないか、今から点検を行う。

いくらランタンがあると言っても、路面の状態までは確認できんからな。暗闇ではそう言った物が事故に繋がる」



「その……、訓練と言えど夜間に緊急移動などできるのでしょうか? 常識から考えるとかなり危険ではありませんか?」



「だろうな。敵もそう考えるだろうよ。

だがその非常識をやるのが俺たちだ。俺たちはそうやって戦いに勝ってきた。

それに……」



そう言うと守備隊長は苦笑した。



「何よりも酒好きなウチの親方が、公王さまが出立されてからは一滴も飲んでないそうだ。

あれだけ仕事終わりの一杯を……、いや、勿論一杯で済む筈もないが、それを楽しみに働いているような方が、な」



新兵は同僚から聞いたことがあった。

司令官と守備隊長は、元々はエストで人足をしており、司令官ゲイルは当時組頭として、守備隊長や今や魔境騎士団の副団長ゴルドは、共にその下で働いていたらしいことを。


そんな経緯もあって、守備隊長は敬意と昔の親しみを込めて、司令官のことを未だに親方と呼ぶ。


人足と呼ばれ、現場の力仕事を生業としている者にとって、そこから男爵まで登りつめたゲイル司令官、ゴルド副団長の栄達は、サクセスストーリーとして知らぬ者などいない。




「了解しました。我が分隊で手分けして両方面の点検を実施いたします!」



「頼むぞ、我らの守備する道の駅がアイギスから最も近い。いざとなれば最も猶予がないからな。

点検終了後は戦闘体制で待機しておけ」



「は、はい……。戦闘体制待機でありますか?」



答えた新兵の顔が少し曇った。

戦闘体制待機といえば、夜も交代で仮眠しか取れないからだ。



「実際の戦闘ともなれば、不眠不休で数日間戦うことすらある。この程度で音を上げるなよ」



一瞬、情けない顔をした新兵が、改めて姿勢を正しく勢いよく駆け出していった背中を見ながら、守備隊長は呟いた。



「新兵共を少しでも早く使えるようにする、か。

中々一朝一夕にはいかんな。

親方の苦労が俺にも分かる気がする……」



その日ゲイルは、魔境の巡回を終えてアイギスの砦に入っていた。

そしていつもと変わらぬ夕食後、側近たちを呼び寄せた。



「どうだ? そろそろだと思うが」



「そうですね。夜間即応迎撃訓練には、丁度良い頃合いかと」



「この件だが……」



「我が軍の指揮官クラスでさえ、何も知りません」



「よし! 今夜、消灯後に決行する。

勝ち戦ばかりで驕らないよう、キツく締め上げるぞ。

タクヒールさまの留守を預かる身で、弛んでいる奴らには喝を入れてやる!

お前たちは本隊の先鋒として進み、各所の課題を洗い出せ」



「はっ! してその規模は?」



「符牒は5だ。防衛要員を除き、アイギス、ラセツ関門、イシュタルの常備軍の稼働全軍と、駆け付けることができた兼業兵も連れて行く。

非番でも常に備え、殊勝にも駆けつけた者も含む」



その言葉を聞き、彼らはその後散って行った。


そして……、消灯時間から少し経ったころ、暗闇に包まれて鎮まりかえったなか、突然アイギスの砦と町に、鐘の二連打が鳴り響いた。



「鐘の二連打です! 符牒は2、2、2、5!」


「5だな! くそっ……、気合が入っているな」


「ちっ! まさかこんな時間に、か? 直ちに集合をかけろっ!」


「各隊! 遅れてくる奴は捨ておけ! 集まれる者だけ、俺に続けっ!」


「他の隊に遅れをとるんじゃねぇぞ! 俺たちの到着で救える命が左右される、そう思え!」



各隊の隊長クラスの怒号が飛び交い、兵士たちが走り回るなか、アイギスに住まう領民たちは落ち着いていた。


それには理由があった。打ち鳴らされている鐘が、二連打だからだ。

タクヒールは、鐘の鳴らし方により、多くの者に状況を理解させる取り組みを行っていた。


・単なる連打なら、領民たちへの緊急通達

・二連打の場合は、軍を対象にした訓練行動

・三連打なら、本物の非常事態下での軍事出動


他にも連打の数により、幾つかの意味を含ませている。



そして符牒、これは二連打を三回繰り返した後、鳴らされる鐘の数で、様々な指示を含ませている。

今回は『5』、それは可動全軍を以て出撃を意味していた。



各隊が目の色を変えて集まる中、たまたまその時間に配備に就いていた者たちも、忙しなく動き始めた。



「直ちに灯りを設置するため、通路上に先行する先遣隊を出せ!」


「望楼、何をやっている! 連絡用灯火は最優先だろうが。直ちに明かりを灯すよう伝えろ!

さもないと行軍がこの先で止まるぞ!」


「見張り員はラセツ、及び第一道の駅の応答を観察! 頼むから……、気付いてくれよ。

第一の応答があれば直ちに報告を。その時点で夜間行軍が始まるぞ」



そう言うと彼らは、漆黒の闇に包まれた魔境の南西と東を、祈るような気持ちで見つめていた。



第一道の駅と呼ばれた、アイギスの砦より10キル地点に設けられた施設に、件の守備隊長は配属されていた。


ここは普段なら魔物を刺激しないよう、夜間は極力灯火を抑えて使用している。

直径200メルの円形に広がった外壁、その内側に灯火が並べられており、外壁の内側をぼんやりと照らしており、後は室内か要所にのみ、小さな明かりが灯されているだけだ。



「ラーズ隊長! 観測員より連絡、アイギス方面に灯火を確認しました!」



見張り番に就いていた兵の一人が、勢いよく駆け込んできた。



「数は幾つだ?」



「はっ! 上が2で下が5です」



「2と5か……、親方、気合が入っているな。

直ちに全員起こし! 21名は直ちに第二道の駅までの道に灯火を設置しろ。

見張り台は合図を中継しつつ観測を継続!

残りは此処から両側の200メルに灯火を設置後、給水の準備に入れ!

時間はないぞ、大勢のお客様がこれから大挙としてやって来るからな」



ラーズは矢継ぎ早に指示を出すと、自身は確認のため望楼に上った。

暗闇の中、遠くアイギス方面にはうっすらと明かりが灯っている。


観測員がその方向に向けた、望遠鏡を覗き込んだ。

それによって、アイギスの望楼高くに設置された連絡用篝火を、正確に識別することができた。


そして肉眼でも、アイギス方面からゆっくりと、暗闇となった高架道路上に光が伸びてくることが確認できた。



「ふん、早いな……。おいそこのお前、直ちに厩に行って替え馬を10頭、南側の門に準備しておけ。

そこで水と飼葉を与えてやってくれないか」



「はっ、承知しました!」



そう答えた男は、日中に彼と言葉を交わした新兵だった。

いささか緊張はしているものの、表情に動揺や忌避感は一切なかった。


そうだ、こういった訓練の積み重ねが、実戦での行動に繋がるのだ。



「しっかりやれよ」



彼はそう言って新兵の後姿を見送った。

そんなやり取りをしているなか、南と北の門が開いた。


南にはランタンを満載した荷馬車が四台に御者以外に4名が乗り込み、最後部には御者だけが乗る空の荷馬車が続いていた。


先頭の荷馬車が200メルまで進むと一旦停止し、以後100メル毎に1人と4個のランタンを下していく。

後続の3台はそれを追い越し、その地点より400メル先に進んで、次の荷馬車が同じ作業を繰り返す。

最後尾の空の荷馬車は、ランタンを設置した兵を次々に拾い、400メル先に停止する荷馬車に追いつく。

そして、先行する3台の荷馬車の先へと進み、同じ作業を繰り返す。


このリレー方式を繰り返すことで、次の道の駅が担当する区域まで、明かりに灯された道を繋いでいくのだ。

そうすれば、ごく短時間で薄暗いながら進路は確保される。


そしてランタンを設置する窪みには、予め鏡面に磨かれた金属板が設置されており、目印だけでなく光を効率的に灯す工夫もされている。



ニシダは妻のユウコが倒れたあと、生活の糧を得るためにがむしゃらに働いていた。

たまたまその時にした仕事のなかに、高速道路の夜間工事のため、短い時間で数キロもの距離に、規制線を張るというアルバイトもしていた。


その時の経験を元に、このリレー方式の発想を得ていた。



発令からほどなくして、第一道の駅に中継の篝火が灯されたと報告を受けたゲイルは、その時点で集まった軍勢の移動を開始した。

先頭を進む観察さいてんする部隊に続き、直ちに集まった150名を率いて。



「即応でアイギスだけなら、これでも集まった方か?」



「まぁ……、軍だけでなく傭兵団、屯田兵、武装自警団からも集まりましたので……

夜間の、しかも即応訓練ですから、テイグーン、ガイア、ディモスに駐留する兵に呼集を掛けることは叶いませんでしたので……」



「そうか……」



副官の答えに彼自身、それをどう評価して良いか分からなかった。

この訓練自体が、これまでにない前代未聞の訓練だからだ。


主君であるタクヒールからは……

『道は整備して、それを運用する方法は考えた。

でも、それが上手くいくかどうかは分からない。

実際に試してみて、課題点があれば報告してほしい。あとは軍として動き、到達に要した時間もね』



そう言われていたからだ。


今彼に従っているのは、騎兵が60騎と駆け足で続く歩兵が90名前後だった。

そして目の前には、煌々と篝火に照らされた第一道の駅が見えてきた。



「ふん、どうやらラーズはうまく手配できているようだな。

全軍に下命、一旦道の駅で給水のため小休止するが、直ぐに出発するとな」



そう言って開け放たれた道の駅の城門をくぐった。

その先には、行軍の邪魔にならないよう幾つものテーブルが置かれ、水を入れたコップが並べられていた。 


そして一人の男が彼に駆け寄って来た。



「第一道の駅守備隊長より、司令官に報告します。ここより先、第二道の駅まで誘導灯の配備は完了しております! これより我が隊も、対応要員を残し20名が即応訓練に参加いたします」



「ふん、相変わらず手際が良いな」



「親方とは長い付き合いですからね。そりゃぁもう、手に取るように」



そう答えたラーズの顔は、篝火に照らされて不敵に笑っているかのようにも見えた。



「幸先は良し! 目的地はまだ遥かに先だ。

イザナミにはお前たちをたらふく食わせるだけの飯は用意してある。第一陣として辿りついた者たちには、朝からたんまり酒を振舞ってやるぞ! これより第二道の駅に向けて出発!」



彼らは一丸となって再び駆け出していった。

その遥か後方からは、アイギスを遅れて出発した第二陣や、ラセツを出発した部隊、遥か後方にはイシュタルからの部隊が続いていた。



後日、ゲイルから報告を受けたタクヒールは、彼らを称賛するとともに、課題を聞き対処を改め、そして……、兵の運用に自信を深めたとされる。


来るべき有事に備え、平時でも弛まぬ努力を続ける、彼らの奮闘は続いている。

最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。

次回は『敵地侵入』を投稿予定です。

どうぞよろしくお願いいたします。


※※※お礼※※※

ブックマークや評価いただいた方、本当にありがとうございます。

誤字修正や感想、ご指摘などもいつもありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 宗教屋の話との落差が凄い こういう訓練ってほんと大事だと思う
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