第三百三十二話(カイル歴514年:21歳)中央教会との対決③(決着)
ここに来て俺たちの陣営、教会側と両者の様子は対象的であった。
俺は敢えて傲然とした態度を貫き、ローザも敢えて今の空気には不釣り合いな笑顔を浮かべ、目だけは冷静に彼らを見ていた。
グレース教区長は、わざと我関せずの態度を貫き、カーラとシグルは冷たく鋭い眼光を放っていた。
教会側の二人は、わなわなと震えて、どう言葉を出せば良いか困っているようだった。
「悪辣な……」
総大司教はその言葉を吐くと、恨めしげな視線を放って睨み付けてきた。
そこには、当初の温和な印象など微塵もなかった。
「そもそもお前たちは能天気過ぎる。常日頃からお前たちがせしめる金貨自体、払う側は様々な努力の結果、何とか捻出した金貨であり、泡銭などでは決してない」
「公王陛下、中々手厳しい仰りようですね」
「枢機卿、俺は喜捨を否定する気はないぞ。
あくまでも必要なことだという認識には変わりはない」
「ありがとうございます。
そうであれば我らの側でも自戒せねばならないのも事実。ここで敢えてお伺いしますが、帝国側の新領土にあまねく我らの教会が広がり、教えを垂れることが可能となった場合、我らに布教の独占をお許しいただけますか?」
そう言うと枢機卿は何か含みのある表情を見せた。
これも……、おそらくは俺に何かを言わせたいのだろう。
「そうだな……。
帝国はその成立から、歴史的に数多くの国家を吸収し版図を広げたこともあって、信教については寛容な国だ。
そして旧ローランド王国には数多の神々が存在し、八百万の神が存在すると言っても差し支えないだろう。
そこに王国のような唯一神を押し付けるのは厳しいだろうな」
「であれば我らの神もその一柱となれと?」
「敢えて言うが、そこは教会の腕次第だろうな。
排他的信教や独占は禁じるが、民の意思で圧倒的多数派となるのを咎めるつもりはない」
「そこまで伺えれば十分です。ありがとうございます。総大司教猊下、方向性は見えたと思います。
公王陛下は我らに配慮いただき、譲歩してくださっています。それに我らが応える番かと……」
「ど、どこが譲歩だ!」
大司教は激昂して枢機卿に噛みついた。
それに対して、枢機卿は大きなため息を吐くと淡々と語り始めた。
「まだお分かりになりませんか?
我々が些細なことに目を瞑りさえすれば、他国であるにも関わらず公王陛下は、旧帝国領での布教を許可し、優遇いただけると仰っているのです。
そもそも旧帝国領は既に異なる宗派によって信仰がなされているにも関わらず、です。
更に後発の我らでも、努力次第では将来的に多数派となることをお認めいただいたのです」
「それのどこが優遇だと言うのだ!」
「大司教は、フェアラート公国にも同じことが言えますかな? イストリア皇王国にはどうですかな?」
「し、しかし……」
「公王陛下は帝国との条約で、元帝国の領民の利益を損なうことはしない、そう約束されております。
その地に教会を建て、布教を許すということ事体、公王陛下にとってはリスクなのです。
それがお分かりにはなりませんか?」
「そんなこと……、王国では……」
「くどいようですが、王国と公国は別の国です。
我らも先ず、その認識を改める必要があると思われます」
「ぐ……」
さて、仕上げに入るか。
このままでは喧嘩して終わりになってしまうからな。
「大前提として、枢機卿の見識は正しいだろうな。
だが俺も、もともとはカイル王国の臣、教会側が柔軟な姿勢を示してくれれば、無碍にはしない」
「と仰ると? 前提条件を認めれば我らにも『利』を与えてくださると?」
「枢機卿よ、そういうことだ。
ひとつ、新たに試験栽培を行う薬草については、基本的に公国の教会を経由して卸すものとする。
ひとつ、その際には王国の教会に優先権を与え、それなりの対価が支払われることになるだろう。
ひとつ、王国以外の地で魔物病の治療を行う際には、王国の教会にも協力を仰ぐこととする。
ひとつ、その際には、王国の教会に対し、それなりの礼金を支払うことになる。
ひとつ、公国の教会は王国の教会の出先機関であることを認め、人員や統括者を王国から派遣することを認める」
これを聞いた総大司教と大司教は、少しだけ顔色を変えた。
もちろん良い方向に……
「こちらの提案を認めてもらえれば、その手続き費用として後ろにある金貨の全てを、中央教会に喜捨として収めるつもりでいる。
つまり、他国で多少の自由な動きを認めるだけで、中央教会には今までにない三つの収入が入るということだな」
そう、新領土に教会が展開できれば、日常的に入る収入が増えるのはもちろんのこと、薬草に関することではロイヤリティが入り、これまでにない新たな販路が入ることになる。
そして礼金として、後ろに積まれた金貨も入ってくる。
決して悪い話ではないだろう。
「そのお言葉、信じてよろしいので?」
「ああ、総大司教充てに、ウエストライツ魔境公国としての公文書を発行しても構わない。
もちろん、事務手数料は別枠なので、その処理は教会側にお任せする」
「そ、それであれば……」
ここで初めて、総大司教と大司教が互いに目線を交錯させ、頷きあった。
「では、早速だが担当者で詳細を詰めたいと思うが、どうかな?」
「では……、枢機卿、その点は任せてよいな?」
「はっ!」
「では公王の喜捨は我らが神に捧げて参ります故、詳細は枢機卿と詰めてくだされ」
結局、当面のお菓子と、それなりの報酬が貰える確約を得た総大司教と大司教は、満足気な表情で席を立った。
貰うものさえ頂戴すれば、居心地の悪い場所には用はないといった様子で、彼らはそそくさと立ち去った。
まぁ俺は……、『それなり』としか言っていない。ロイヤリティはあくまでも俺の胸先三寸だけどね。
その辺りは枢機卿と握ればよいだろう。
そして、正面の席に残ったのは枢機卿ただ一人だった。
「ふふふ、公王陛下、お見事でした。
最後は教会の顔を立てていただき、誠にありがとうございました」
「教会側にも『道理の分かった人物』がいることを確認できたからね。
それであれば無理に事を荒立てる必要もない」
「中央教会も今回のことで思い知ったことでしょう。
これで公王陛下の評価は、良くも悪くも高くなったかと……」
そう言った枢機卿は、今にも吹き出しそうな顔で笑っていた。
そこで俺は、今回の遣り取りで気になったことを確かめずにはいられなかった。
「それは有難いのか、有り難くない話か、判断に迷うところだな。
ところでクレバラス枢機卿、ちょっと変な質問させてもらって構わないかな?」
そう、これまでの一連の流れで、枢機卿の立ち位置が、どうも腑に落ちなかった。
彼は終始、どう考えても俺たちに好意的であるとしか思えない振る舞いだった。
むしろ、俺が教会を追い込みやすいよう、会話の流れを誘導していた節さえある。
教会という組織に属し、その頂点に手が届く位置にある彼が何故?
そんな思いが俺の中にあったからだ。
「は、なんなりと」
「枢機卿は我らと教会、どちらの味方と考えれば良いのだ?」
「公王陛下、それは……」
「グレース教区長、構いませんよ。
枢機卿の職にある私に対し、仰る通り変な質問ではありますが……
私の行動に疑念を持たれるのも事実かと」
そう言って枢機卿は、グレース教区長が話し出そうとしたのを制した。
「私は聖魔法士の氏族では本流、血統魔法として聖魔法を受け継ぐ者のひとりです。
そのため若い頃から教会に所属しておりましたが、彼らの拝金主義には嫌気が差しておりました」
「ははっ、教会の中にあってそれは辛かっただろうな」
「はい、当時は理想だけを追い求め、それを公言して憚らない、無謀な若造だったと思います。そのため私には味方がおりませんでした」
枢機卿はそう言うと、グレース教区長を見つめた。
「そんな私が、まだ見習いの神父でしかない頃に、失態を犯し窮地に陥ったことがありました。
そこに唯一、私に手を差し伸べてくれたのが、当時のグレース神父でした。
私はその時の恩を、今も忘れてはおりません」
ん? グレース教区長が照れている。
彼にはそういう面もあったのか……
「クレバラス枢機卿はそれ以降、我らに情報を提供いただいたり、陰日向にお力を貸してくださっております」
と言うことは……
ずっと以前にグレース神父(当時)がもたらしてくれた、王都に流出した魔法士の情報、流出先や派閥の構成、勢力図などは……
枢機卿からの情報だったのか!
俺の思考を読んだかの如く、グレース教区長は頷くと言葉を続けた。
「それだけではありません。
ローザ殿を医術学校に推挙いただいたのも、聖魔法師と公表されて教会の態度が変わったのも、疫病対処で最終的に中央教会が折れたのも、名誉司教に推挙いただいたのも全て、クレバラス枢機卿に依るものです。
さもなくば、こうもうまく事は進みませんでした」
つまり、グレース教区長が以前に話していた王都での伝手、それがクレバラス枢機卿だった訳だ。
「そうか……
それは知らなかった。改めて礼を言わせてほしい。それとお礼のものは後ほど……
いや、それは枢機卿のあり様にそぐわないかな?」
「ははは、私も些か処世術は学びました。
物事の裏と表も。
ですが、これまでのことはお気遣い無用に願います。
ただ私は、拝金主義者ではありませんが、経済至上主義者には変わりませんので……
先ずは先行投資と思っております」
「ほう、それは興味深いな。
枢機卿はこの先、何を望まれる?」
「教会が拝金主義に陥ったのは、元はと言えば他の氏族と異なり、固有の領地を持たなかった、いえ、持てなかったことです。
そこに尽きます。
私の目的はその根本を変えること、つまり……」
「枢機卿の思いは承知した。だが、今はそれを仰らない方が良いだろうな」
「お気遣いありがとうございます。
今は……、ですな。
我らは陰ながら公王の覇業をお手伝いさせていただきます。
これは私の個人的な申し出ですが、いずれ今より版図を広げられた暁には……」
え? どう言うこと?
俺は単に聖の氏族が領土的野心があるとは、言わない方が良い、そんな意味で言ったつもりだったんだけど……
俺が覇業? 版図を広げる?
そんな意思はないんですけど……
そう言い掛けた俺を、枢機卿は片目をつぶって制した。
「我々も少しながら、世の中の情勢には通じていると自負しております。
帝国の北部辺境からイストリア皇王国に渡る領域はこの先、今の国境線から大きく変わることになりましょう。
その際には公王陛下、私の言葉を思い出していただければ幸いです」
それってなんか……、とんでもないものを背負いこまされた気がするが……
ただ今の俺には教会中枢にも味方はほしい。
おそらくクレバラス枢機卿は、俺と対等な立場のビジネスとして協力関係を構築したいのだろう。
「それだけで良いのか?
今はまだ空手形になる可能性も多分にあるが、それでもよければ……」
こうして俺と枢機卿は手を握った。
このことが今回の訪問で最大の成果と思えた。
教会には釘が刺せたし、薬草の件は俺の差配で大丈夫だろう。
そして何より、中央教会上層部に協力者が得られたことも大きい。
予想以上の成果に、俺は満足していた。
※
後日……
グレース教区長は中央教会から辺境枢機卿という、新たに設けられた役職に任じられた。
そして、彼の上長かつウエストライツ魔境公国を含む、カイル王国南部辺境の教会を統括する立場に、クレバラス枢機卿が就任した。
この二人は、タクヒールを支える重要人物として、この先も存在感を増すことになる。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
次回は『間話12』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
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