第三百二十一話(カイル歴514年:21歳)魔境への招待
俺たち一行は、アイギスに到着すると、そのまま城壁上をテイグーン方面に駆け抜け、隘路出口のあたりから、魔境に入った。
内緒の話だが、この辺りはある程度掃討作戦が済み、一時の危険な状態は脱している場所だ。
当然のことだが、俺は最も危険な場所に案内するつもりは毛頭ない。
また、これまでの滞在中にグラート殿下、ジークハルト、そして彼らに付き従ってきた近習の10名に対し、団長からの戦闘力を推し量る試験、そして魔境の禁忌と出没する主な魔物への対処法については、レクチャーが済んでいる。
同様に、魔境に慣れたクリューゲル陛下、フレイム侯爵及び随行者10名とクラリス殿下にも、魔物への対処方法はレクチャーしてある。
俺の知っている範囲では、フェアラート公国の魔境とは、棲んでいる魔物も種類も異なり、対処法も違うからだ。
「いいですか? 改めて皆さんに申し上げますが、魔物との対峙は命がけです。
どんなに腕が立つお方でも、定石の対処法を知らなければ、命を落とす可能性があります。
それを学んだ私自身、初めてここに来たときは、聖魔法士の治療が必要なくらいの大怪我を何度もしました。どうかこのことを決して忘れないでください」
全員が神妙な面持ちで……、いや、ジークハルトだけは嬉しくてたまらなさそうな顔をしていた。
意外だったのは、彼もそれなりに剣の腕がたつということだ。
彼だけではない。グラート殿下はそれ以上で、団長からは『剣鬼』相当だと聞いた。
ジークハルトも『剣豪』クラス……
もしかして、偉そうに言ってる俺が一番弱かったらどうしよう……
そう思って一瞬尻込みしたぐらいだ。
そして遂に実戦が始まった。
先ずは黒狼への対処だったが、この二人は人とは違う動きに一瞬だけ戸惑ったものの、すぐに順応して対処していった。
「流石に実践経験の豊富な方々の動きは、全く違いますな」
団長も安心して見ていたほどだ。
まぁ念のため、カーリーンとリリアを射撃体勢で配置につけ、いつでも援護できるようにしている。
片や……
クリューゲル陛下とクラリス殿下は、それこそ無双していた。
「いやはや、手が付けられませんな。陛下はおそらく王国では最早伝説となっている剣神クラス、殿下はカウラと同じく剣聖クラスですが、この先更に伸びるかもしれません」
ってかこの脳筋夫婦、エゲツナく強いんですけど……。チート過ぎるだろ。
「まさかとは思ったが……、クラリス殿下の話は事実だったのか」
グラート殿下も二人の無双ぶりを、驚嘆しながら眺めていた。
といっても歴戦の強者は、そう言いつつも周囲への警戒は怠らなかったが……
「そこの帝国兵、伏せなさいっ!」
一番前にいたにも関わらず、不用意に彼らの無双を呆然と眺めていた従者の帝国兵に、カーリーンの絶叫が響き渡った。
同時にカーリーンとリリアから、エストールボウの矢が放たれた。
一瞬遅れてしゃがみこんだ帝国兵の、立っていれば首の辺りを鋭い何かが空を切った。
それと同時に、矢が放たれた先では耳をつんざく様な絶叫を上げながら、2本の矢を受けて擬態を解いた巨大な蟷螂に似た魔物、グレートマンティスが暴れ回った。
同時にカーラが突進し、目にも止まらぬ速さで両方の鎌を切り飛ばすと、最後に首を切り落とした。
反射的に伏せた帝国兵は、震えながらそのままへたり込んでしまった。
「貴方、死んでいたわよ。気をつけなさい。
不用意に茂みに近づくなと教えられたでしょう?
本来ならそこに転がっている首は、貴方のものだったでしょうね」
帝国兵の目の前に転がる、カーラが切り落としたグレートマンティスの首を指し、カーリーンが淡々とした言葉で帝国兵を諭した。
俺と共に過ごして以来、カーリーンは見違えるように成長している。
精神的にたくましい方向に……
そう、ここは優しく諭す場ではない。
油断をすると命を失うのだから。今の彼のように……
「ふふふ、これがタクヒール殿の兵か……。女性もみんな、恐ろしく強いなぁ。
王国最強と言われるのも、納得できるね。
あと君、魔境を甘く見るんじゃないよ。そして、命の恩人に礼を言うのを忘れずにね」
ジークハルトは、そう言って兵を諭した。
「そうだな。日々こんなところで命懸けの訓練をしたら、精鋭が生まれるのも納得できるな。
そして素材……、やはり欲しいな」
すぐさま見張を立て、一部の者が素材を剥ぎ取りしている姿を見て、第三皇子もまた、ポツリと呟いていた。
その後も、定番の魔狼、魔熊、カリュドーン、ヘルハウンドなどと対峙し、最後は珍しいヒクイドリをクラリス殿下が仕留めたところで、今日はお開きとした。
結局、クリューゲル陛下とクラリス殿下は無傷だったが、これは陛下が常に殿下をフォローしていたからに過ぎない。
単身だったら、あれだけ前で剣を振るった殿下は、それなりに複数の傷を負っていただろう。
グラート殿下とジークハルトは多少の打撲を負っていた。これは魔熊に吹き飛ばされた木々を、後ろで倒れた帝国兵を庇うために、正面から受けたためだ。
彼らはむしろ慎重に、そして的確に動いていた。
因みに、二人に付き従っていた帝国兵は、それこそボロボロに負傷し、全員が何度もマリアンヌの世話になっていた。
そしてテイグーンへ向かう帰路……
「いや、今回は非常に得る物が多く、有意義だった。公王には心より感謝する」
第三皇子はそう言うと、俺に深く頭を下げた。
そしてアビスへと続く隘路をしみじみと見ながら、呟いた。
「グロリアスもブラッドリーも、愚かだな。
このような死地に進んで入ろうとするとは……」
「殿下ならどうされます?」
そう言うとジークハルトは笑っていた。
まるで主君を試すかのように……
「ふんっ! 試験のつもりか? 俺は奴らとは違うぞ。こんな場所に大軍を率いて攻め入ること自体が過ちだろう。
防御側からすれば、寡兵で大軍を撃滅できる、絶好の場所ではないか。
至る所に罠を仕掛けられているだろうし、俺ならばさっさと撤退して別の攻め口を探すな」
「良かったです。僕の主君が阿保ではなくて」
「見ての通りだ。こ奴はいつもこんな感じだ。
こうやって俺の器量を推測っているのだ。これでよくグロリアスに仕えていたものだ」
「僕は仕えたつもりはないですけどね。あくまでも叔父上に対する義理で参陣したまでです。
あのお方は殿下と違い、僕の進言を受け止める器量もないですし……」
「ははは、殿下、失礼ながら良い主従かと」
俺は思わずそう言って笑ってしまった。
そして、クリューゲル陛下も続いた。
「我が友の言う通り、ここに集った者は全員が変わり者、面倒なしきたりからはみ出した酔狂な者ばかりなのだろう。だからこそ居心地が良い」
「皆さまそのようですね」
「そんな他人事の様に言っているクラリス殿下、殿下ご自身がその最たる者ですよ。
たまには自覚いただいた方が良いかと」
そこで全員が笑った。
俺自身、自分は別とばかりにすましていた彼女に、ツッコミを入れずにはいられなかった。
「タクヒール殿、今回改めて感じたが、何卒帝国領でも魔境の復活をお願いしたい。
我らも魔境の恩恵を受けることができれば……」
うん、言いたい事はわかる。十分過ぎるほど分かるんだけど、それはかなり無理難題ですよ。
「ひとつだけ殿下にお伝えしなければならないことがあります。
魔境がもたらすものは、恩恵だけではありません。
災厄もあります」
「タクヒール殿は、歴史書にある魔物の大氾濫のことを仰っているのですか?」
「まぁ……、ジークハルト殿のご指摘もそのひとつです。いや、その前兆と言ってよいでしょう。
氾濫は人の手で対処できます。ですがそれがもたらすものは、人の手では対処出来なかった災厄です」
「疫病のことだな? 我が国でも数十年に一度起こる、頭の痛い問題よ」
「それは?」
「魔物の大発生は、魔物病という恐ろしい疫病の根源とも成りえます。これまで王国でも、その疫病に対し無力だったため、多くの者たちが命を落としてきました」
「でもそれは、過去の話ですよね?
公王の功績はその対処法を発見したことだと……」
「クラリス殿下の仰る通り、確かに王国南部辺境ではそうです。ですが……
その対処に必要な薬草となる植物は、内々に調査したところ王国の東側にある魔境にはなかった。
つまり、フェアラート公国にもない可能性があります」
「それは?」
「クリューゲル陛下、前回の内乱終息後、殿下らと共に魔境に入ったのを覚えておいでですか?
あの際私は、聖魔法士に魔境内の植生と薬草の調査を依頼していました。
十分な調査とは言えませんが、最後まで発見には至りませんでした。そうなると頼りはこの魔境と教会が秘匿しながら育てている、僅かな数の薬草のみです……」
「そうか……、教会か……。厄介な相手だな」
「彼らが握る既得権益、それを易々と売らないでしょうね。また、相当吹っ掛けて来ることは目に見えています」
「だが、背に腹は代えられないぞ」
「唯一明るい話題は、我らは王国から独立し、いわば教会からすると治外法権の地です。
後は魔境公国内の教会を抱き込めば……」
「なるほど! ではその備えをお願いしたい。
もちろん、十分な対価は払う」
「帝国側も、魔境の復活があいなった際は、その点も含めて対価を払いたい。是非その輪に加えていただきたいものだ」
「承知しました。そのように対処できるよう、予め手を打ちましょう」
そうだな、グレース司教を抱き込んでしまうか?
そして、新領土で新たに魔境の復活を試みる地は、あの薬草の一大栽培地にしてやるのも手だな。
幸いフェアラート公国にも、帝国の旧ローランド王国領域にも、教会はある。
その辺りも抱き込むか?
だが、中央教会の喧嘩するのも……、なんか色々面倒だな。
不安要素はありつつも、総論として俺の心は決まった。
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次回は『未来への夢』を投稿予定です。
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