第三百十四話(カイル歴514年:21歳)闇の御子
リュグナーらを送り出し、第一皇子の前を辞したハーリーは、離宮の一室でひと心地付いていた。
そこは、薄暗い燭台が部屋の中をぼんやりと照らすだけで、部屋の四方は闇に包まれていた。
そこで懐中から一通の文を取り出し、それに再度目を通していた。
「ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ、ハーリーよ。ご苦労じゃったな」
闇の中、突然低い声がしたかと思うと、真っ黒なローブに身をまとった男が姿を現した。
その部屋に誰もいないことを確信したハーリーは、その老人に臣下の礼を取った。
「いえ老師、とんでもございません。やはりご息災でいらっしゃいましたか。
彼らの言葉から、お亡くなりになったと聞き、密かに心を痛めておりました」
彼は不審な三名の男たちが訪ねてくる前に、この老師からの文を受け取っていた。
その文がいつ用意されたものかは定かでなかったが、それがあったからこそ、面識のない三名を受け入れ、彼らに提案を行わせる場を提供したのだ。
眼前の老師が、これまで第一皇子に行ってきたそれと同様に……
「なに、『用心の足らぬ者が命を落とす』と常々そう言っている儂が、誰よりも用心深いことを知る者などおらんわ。弟子たちでさえな」
彼がここ数年、各所で暗躍していた時は既に、今の若々しい姿であったという。
ただ、傀儡として用意した実年齢に近い男の容貌に似せて、敢えて老人に闇魔法で偽装していたに過ぎなかった。
そしてキリアスが最後に討った老人は、自他共に老師と思い込まされていた、闇の氏族の一員に過ぎなかった。
「ではこのまま暫くは、お隠れになったままで?」
「もちろんじゃ。奴らは儂の後継を自負しておるようじゃが、『闇の皇子』はとうに定まっておるでな。当面は奴らの手腕を見測ろうと思っておるわ」
「御意」
「それで、首尾はどうであった?」
「基本的には、老師のお考えに沿った内容でした。
それ故、事前の打ち合わせで若干の修正点を伝え、彼らの提案として殿下にはご了承いただきました」
「そうか、ならばそれでよし。ところで、我が娘たちは息災かの?」
「はい、闇の氏族長の血統を保つお二人は、すこぶるお元気でいらっしゃいます。
それにしても予め文にて伺っていたとはいえ、とても我が義父上には見えませんな。
ご壮健そうで何よりです」
ハーリー公爵が跪いていたのは、どう見ても30代の男で、老師と呼ばれるには不自然な面持ちだった。
男は、ハーリーを見下ろすと、鷹揚に応じた。
「ははは、闇の氏族長にのみ伝わる秘儀じゃからの。我らはこうして綿々とその知恵を受け継いで来ておる故」
「では……、老師はいかほどこの世界を見てこられたのでしょうか?」
「幾ら器は受け継げるといっても、中身の心はそうもいかん。百二十年から百五十年もすれば、心は溢れて呆けてしまうわ」
「百五十年ですか……、想像すらできませぬな……」
そう言ってハーリーは瞑目した。
ハーリー自身が、彼らと邂逅したのは今から二十数年前に過ぎない。
ハーリーはもちろん、闇の氏族の血統を引いている訳ではない。
かつて、ローランド王国を現皇帝と共に攻め滅ぼした際、王族の姫だった娘を現皇帝から下賜され、妻の一人としたことが始まりだった。
彼ら闇の氏族は、初代カイル王と袂を分かって以降、それに対抗する力を得ようと試みていた。
それが唯一成功したのが、今は滅んでしまったローランド王国だった。
有力貴族を篭絡した結果、王家の側妃を送り出すことに成功した彼らは、生まれてきた王女を赤子のうちに氏族長の娘とすり替えた。
これにより、氏族長の血を引く娘が王女として新たな地位を得ることになった。
「ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ、現皇帝が皇太子だった頃に、ローランド王国の王女として我が娘を嫁がせること、その後に娘を通じ、本来なら友好関係にある隣国を、攻め滅ぼすよう焚きつけるのは、いささか苦労したがな」
「私もその事情を知るまでは、ずっと不思議に思っておりました」
そう、当時の現皇帝は第五皇子の位置にあり、皇位継承路線から大きく外れていた。
だが、隣国の第二王女を妻に迎えたあと、豊富な資金力を背景にして、数ある軍団のひとつの実権を握り武力を手に入れ、いつの間にか隣国の有力貴族たちすら旗下に収めていた。
皇太子の盟友であったハーリーすら、驚くべき変わり身の早さだった。
その後、電光石火で隣国に侵攻すると、連戦連勝、最後の王都は無血開城でその門を開いた。
当時の第四王女が国が亡ぶまで徹底抗戦を唱える反対派を抑え、勝ち目のない戦いを回避するため帝国軍を導いたからだ。
その王女は、今のハーリーの妻となっている。
そしてその圧倒的な功績で以て、第五皇子の皇位継承が確定し、後日皇帝となった。
ハーリー自身も、かつては公爵家の次男であり、当主となる道は閉ざされていた。
だが、新皇帝擁立の功績を以て公爵家を継承し、その地位を不動のものとしていた。
「途中まで『こと』は全てうまく運んでおった。
現皇帝に嫁いだ娘が生んだ子が第一皇子となり、皇位継承の最有力者となった。
そして、其方に嫁いだ娘が生んだ子が皇太子妃として嫁いだ。互いに半分となった血でも、その二人が子を成せば再び濃くなり、氏族長たる真の御子が誕生する。
所詮今の御子には、血が半分しか流れておらんからのう」
「長き時を掛けた、老師の深慮遠謀には恐れ入ります」
「そのためにも、前提として何としても帝位を継いでもらわねばならん。
近年は我らが建てたお膳立ては全て、邪魔が入って失敗しておるでな」
「御意」
この経緯は、刑死したヒヨリミ子爵、その息子のリュグナーや、老師と呼ばれた男の直接の配下、アゼルさえ、真実の限られた一部しか知らされていない。
ただ、『帝国の第一皇子は、闇の氏族にとって尊い特別な方である』、そう聞かされていただけだ。
そのため彼らは、第一皇子だけは特別な存在として、常に敬意を払っていた。
「結果的に我が孫が王国を滅ぼし、帝位に就けば五百年に渡る我らの悲願は成就し、王国だけでなく帝国までもが、闇の氏族の治める国となるわ」
「真に……」
恭しく賛同はしたものの、ハーリー自身はそんな悲願など、本当のところはどうでも良かった。
ただ、皇帝の外戚として、強大な帝国で権勢を振るえれば、彼の野望も成就したことになる。
闇の氏族の悲願と彼の悲願は、結果として同じ道を歩むものであり、そのために彼らにずっと協力してきたといっても差し支えない。
「ただ殿下は、ご自身の出生の秘密をご存じありませんが……、この先いかがいたしますか?」
「奴は我が孫でもあるが、当面は何も知らずともよいわ。
真実を知るのは、皇帝となった暁にだ。余計な邪念が入っても仕方ないからの」
「承知いたしました。ただ……」
「どうした?」
「盤上の駒は揃いましたが、どうしても我らには強力な一手を欠いております。
南であ奴を確実に仕留めるための一手が……。あ奴の身の回りを固める狐は、なかなか手強く……」
「ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ、そう思って我が義息に土産を持参してきたわ。
後ほど土産自体に出向かせるとすようぞ」
「おおっ! ありがとうございます。それは一体?」
「実はな……」
老子と呼ばれた男が語った内容に、ハーリーは驚かずにはいられなかった。
この男(老人)は、常に何らかの策を講じている。
「儂が密かに匿っておいた奴らも、今や帰るべき故国はない。戻ったとしても……、未来はない。
せいぜい活用してやるがよかろう」
「それはありがたいお話です。これであの忌々しい狐ともども……」
「我が息子となる者よ。期待しているぞ……」
そう言葉を残して、老人……、いや、もはや老人とは呼べない男は、部屋の闇に溶け込み姿を消した。
「それにしても、五百年に渡る怨恨か、闇とは……、途方もなく深いものだな」
ハーリーは大きく溜息を付くと、幾つかの書状を認め始めた。
スーラ公国、ターンコート王国、その他、帝国を取り巻く各国に向けた書状はその日以降、使者を通じて放たれることになった。
かつて第三皇子が『巨大な魔物』と評した帝国は、これよりその魔物としての本性を発揮し始めることになる。
タクヒールが改変した新しい世界は、束の間の安寧をもたらしただけに過ぎなかった。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
今回でやっと……
・ヒヨリミ子爵やリュグナーが、敵国の第一皇子に敬意を払っていた理由
・ハーリー公爵が彼らの繋ぎとして振舞っていた理由
この二点の答え合わせができました。
次回は『間話11』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
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