第三百十三話(カイル歴514年:21歳)蠢動の始まり
タクヒールらがクサナギと呼ばれた街の開発を始めたころ、グリフィニア帝国の中央部に位置する、帝都グリフィン、そこから半日ほどの距離に離れた、とある離宮に参集する者たちがいた。
彼らは、魔境伯領(当時)に攻め入り、虜囚の身となっていた第一皇子グロリアスの側近たち11名と、それ以外にも彼の派閥に属する上級貴族の当主たちであった。
彼らの家は、例外なく莫大な額の身代金を支払ったことにより、凋落の一途を辿り始めていた。
「殿下、改めて申し上げます。ここに参集した18名、殿下への変わらぬ忠誠を誓い、殿下を志尊の頂へと誘う先兵として、犬馬の労も厭いません」
「ああ、ハーリーを始め皆には、改めて感謝する。
事が成った暁には、それぞれの家が失ったものだけではない、卿らの忠誠に見合う栄達を約すると、ここに宣言する。もっとも、今の余には口約束の空手形しか切れんが……」
そう言うと、彼らが跪く場所から一段高い壇上に腰かけたグロリアスは、口元を寂しげに歪めた。
「今はそのお言葉だけで十分です。我らとて、殿下のご期待に沿えるだけの力を、既に失っておりますゆえ……」
彼らの多くは、抱えていた将兵を第一皇子の親衛軍に供出しており、しかも、多額の賠償金と捕虜返還費用を負担していたため、かつての威勢はない。
「で、この先どうする?」
「そうですな。我らも方針を転換せねばなりますまい。
一時の不和も汚名も、帝国一千年の計のためなら致し方ありません。
ここに集まりましたのは、真に帝国の未来を憂う者たちばかり。日和見者は誰一人としておりません」
そう言うと、ハーリーは一度、同じく跪いている者たちを見回した。
その視線に応える者たちは皆、強い思いを抱いた顔つきで、それぞれが頷き返した。
「そうか……」
短く答えたグロリアスには、一抹の寂しさがあった。
かつては彼を支持する者は、少なく見積もってもこの倍はいた。中立派への切り崩し工作も進んでおり、自身の支持者は帝国における大貴族の過半を占めていたが……
「掌とは、いとも簡単に返されるものだな」
「殿下の仰る通りです。ですが! 今度は我々が返させる番にございます。
一時的にとは言え殿下には、そのお覚悟と許可をいただきたく思います。我らの兵が足らぬ部分は、用意する餌にて贖えば良いことです」
「ハーリー、お前が用意する餌とは、奴が得た新領土、そして奴の番犬が奪った旧領か? して、その餌に食いつく道化は何か国だ?」
「少なくとも三カ国……、予定では六カ国は」
「ほう? そこまで動くか?」
「はい、南のスーラ公国は当然として、南西のターンコート王国、この二か国は既に食指を伸ばして来ております。北東はイストリア皇王国を主軸に小国が三国、といったところでしょう」
「ふむ……、南は分かるが、北はいささか無理があるのではないか?」
「さすが殿下ですな。よくお分かりです。ですが北東は既に動き始めております。
この件に関して、実行者を後程、御前に案内させていただきます」
「それで余は、帝国に反乱を起こすのか?」
「いえいえ、そのような無粋なことは致しません。ただ、敵に包囲されて窮地に陥った味方を援護するため、帝国南部に派兵いただき、後方で蓋をいただくだけにございます。
まぁ……、恐れ多くも皇帝陛下の所領である新領土を守備する任務を放棄し、後方へと逃れようとする卑怯者には、督戦の意味で尻を叩く(矢を放つ)こともありましょうが……」
「ははは、たまたま、不幸な行き違いがあるやも知れぬ、そう言うことか?」
「仰せの通りにございます」
「だが、それでも兵は足らぬと思うが?」
第一皇子の疑念ももっともな話だった。
彼の元には、先の戦いで無事撤退できた者、捕虜返還で共に戻って来た者を含めても一万足らず。
到底戦局を左右できる数ではない。
「ここで兵を集めては、奴らに疑念を抱かせましょう。なので殿下は親衛軍一万を率いていただきます。そのための外敵侵攻です。
他国に国土を侵された状況では、国内の兵力を糾合し、前線に赴かれるお立場にあるのはお二人のみ。
しかしこの場合、もう一方は重囲にあって救われる立場にございます」
「そういうことか! 確かにな。帝国存亡の危機ともなれば、五万程度は集まるだろうな」
「はい、それに此度は勝たずとも良いのです。帝国の旧領だけを守り抜けば……
その時に失った領土の奪還は、新しき皇帝陛下の偉業となることでしょう」
「そうか……、余はまだ負けた訳ではないのだな」
そう呟き、参集した者たちを見据えるグロリアスの瞳は、覇気に満ちていた。
※
ハーリー公爵より、重々言い含められた者たちが新たな決意を胸に離宮を後にし、夜の帳が下りた頃、離宮の主に面会するため、三人の男たちがハーリーに誘われて来た。
「殿下には初めて御意を得ます。
我らは老師より後事を託され、これからの殿下の覇業の一翼を担いたいと志す者です」
『ちっ、よりによってあの胡散臭い老人の配下か。これがハーリーの策だと?』
グロリアスは一瞬だけ顔をしかめたが、この際利用できる者は何でも利用したい。
跪いた男たちを前にし、その思いが優先したことで何とか言葉を抑えることができていた。
「お前たちは名をなんと言う? 余に対し何ができるというのだ?」
「はっ、我が名はヒヨリミ・フォン・リュグナーと申します。
これに控えるのは同志のアザゼル、そしてもう一名は……、策と共にご紹介した方がよろしいでしょう」
そう言うと男は顔を上げ、氷のような冷たい笑顔で、不敵に笑った。
「我らが愚考するに、殿下は大義の他に、成し遂げたいと望まれることがおありでしょう。
北にて我が世の春を謳歌する、帝国に巣食う生意気な鼠を排除するという」
「もちろんだ! 俺の名誉を奪い縛に繋ぎ、大金と我が兵、そして我が国土を奪った憎き成り上がりの小僧の首を刎ねること、これだけは絶対に譲れん!」
「仰せの通りです。そして我らも目的は同じにございます。
それに加え、殿下の大義のためには、北にもうひとつ邪魔なものがあります。
先ずは我らでそれを潰し、小僧を北の出口の先に押し戻す所存です」
「ははは、大言壮語もよいところだな。
余は幾度か其方らの口車に乗り、そこで学んだことがある。今更ではあるがな。
率いる兵も碌にない貴様らに、一体何ができると言うのだ?」
「お話する前に少し、殿下の誤解を解かせてください。
これまで三度、我らが献策させていただいた戦略は、本来なら成功して然るべきものでした。
それを邪魔したのは、3人の小僧共です」
そう言ったあと、リュグナーは忌々し気な顔をして言葉を続けた。
「我らの計略を邪魔だてしたのは、本来はたかが男爵家でしかなかったソリス家の次男、長男、そして貴国の第三皇子の腰巾着にございます」
そう、筆頭に挙げられるのは、テイグーンを根城に彼らの計画の邪魔をしたタクヒール。
次に、完全勝利を目前にしていた際に、最終局面で二度も邪魔だてしたダレク。
そして、王国での内乱の際、第一皇子の介入を邪魔したジークハルト。
不毛な仮定だが、この三人の誰か一人でも欠けていれば、訪れる未来は大きく変わっていただろう。
「で、余と同様に、奴らにしてやられた其方が何とする?」
「今回の戦いで、最大の邪魔者は穴倉から引き出されました。そしてその兄は、遠き地に転封となり、簡単に邪魔だてできません。最後の一人は、恐らく南に釘付けとなりましょう。
我らは、その隙をつきまする」
そう言って、リュグナーは後ろに控える男に合図すると、男は前に進み出てリュグナーの横で跪いた。
「この者が我らの反攻の鍵となります。
彼はかつて、イストリア皇王国にて皇王に次ぐ地位にあった、カストロ大司教でございます」
「なっ!」
これには第一皇子も驚愕の声を上げずにはいられなかった。
先の大戦でも、面識こそなかったが、第一皇子陣営との書簡のやり取りは幾度もあった。
『時を合わせて、共にカイル王国に侵攻すべし』と……。
その様子を見たリュグナーの口角は、微妙に上がった。
「皇王国は現在、カイル王国との弱腰外交で莫大な賠償金と領土の割譲を迫られた結果、国内は困窮し不満が溜まっております。現皇王は我らが据えた傀儡、この難局を乗り切れる器ではございません。
そこで一石を投じます」
「果たしてそうそう上手く行くかな?」
「行かずともよいのです。帝国と国境を接する皇王国の北部一帯、ここを押さえる首尾は整っております。国内統一までには多少の時間を要しますが、北部を中心とした『イストリア正統教国』を興す程度はできまする」
「ほう?」
「彼の元には早晩、少なくとも一万程度の兵は集まりましょう。
そして、皇王国と帝国、それぞれに国境を接する三か国には、私が参り説き伏せましょう」
「それができるのかな? できたとして、あの三か国はいつでも攻め滅ぼすことのできる小国ばかり。
役にたつとは思えんが?」
「だからでございます。あの国々は常にその脅威を感じておりました。そこで殿下の親書をいただきたく思います。『皇位継承に協力すれば、帝国は三か国の保全を約束し、かつ、アストレイ、ケンプファーなどの陣営が所有する地は、切り取り放題とする』と」
「それで兵を出させる訳か?」
「はい、一国当たりはせいぜい一万、ですが三か国が足並みを揃えれば三万、そこに皇王国の兵が合流すれば、四万の軍勢になります。王国との休戦がなった今、第三皇子の目は南へと注がれています。
有事ともなれば、その軍の大半と腰巾着を南に引き上げるでしょう」
「その空き家を狙う訳か?」
「はい、あの地より南は殿下を支持する貴族家の勢力圏です。腰巾着らの領土を蹂躙したのち、後方の安全は確保されますので、この4万で四方から小僧の領地に攻め入ります。
守備側の兵力は一万から大きく見積もっても、二万以上にはなりません」
「確かに、攻城戦ならともかく、野戦ともなれば二倍以上の敵軍に対し、成す術もなかろうな」
「仰る通りです。かの地は、大きく横腹を晒し守るのは至難の地ゆえ、小僧共を一気に国境の向こうへ押し出しまする。その過程で、恐らく欲に目が眩んだ三か国は大きな被害を受けるやもしれません。
もはや本国すら維持できない程度に……」
リュグナーの提案は、非情なものだった。
利用するだけ利用して、損耗させるだけなのだから。
「そうすれば、南での処分を終えた殿下が、北に転じて三か国を駆逐します」
「ふん、いささか虫の良すぎる話だな。奴ら三か国が、敢えて火中の栗を拾いに来るか?
そして……、戦わずに引く『イストリア正統教国』には何の利がある?」
「その点は我らにお任せください。我らにはそれができる術(闇魔法)がございます。
殿下は、イストリア正統教国を友邦とし、国土の統一に力をお貸しいただければ、我らにも利はございます」
「……」
グロリアスは考え込んでいた。
理想的な手ではある。だが……
「殿下は本来、北には打つ手がなかったのではございませんか?
もともと放置せざるを得なかった場所に、腹の痛まぬ戦略があるのです。それに……
南に侵攻した敵軍から本来の帝国領を守り抜き、北から敵対勢力を駆逐するついでに、割譲した領地を自らの手で取り戻す、この栄誉は殿下の皇位継承に大きく寄与するでしょう」
悩んでいたグロリアスはここに来て決断した。
今は打てる策を全て打つべきであると。
「ではこうしよう。先ずは早急にイストリア正統教国を興すこと。それが条件だ。
それが成れば、三か国への親書を認めよう。先ずは身を以て示せ。口先だけの提案はいらん」
「殿下の寛大なお言葉に感謝いたします」
そう言ってリュグナーらは、深々と頭を下げたのち、退室していった。
彼らの背を見送るグロリアスは、小さく呟いた。
「俺は奴らを信じる訳ではない。ただ、南での戦いに利すると思ったまでよ。
それにしてもハーリーは何故、頑なまでに奴らの肩を持つのだ……」
彼はその疑念に、答えを見出すことはできなかった。
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