第三百五話(カイル歴514年:21歳)商人たちに向けた秘策
4月20日に活動報告を更新しました。
帝国領内での調達に関して、あからさまな商人たちの姿勢が、むしろ清々しい程にミエミエで、俺は笑うしかなかった。
こちらの足元を見た上で、きっちり全員がカルテルを結び、調達価格を不当に引き上げる心積もりなんだろうけど……
その程度の対策を、こちら側が行っていないとでも思っているのだろうか?
今後のこともあるし、そろそろ行くか……
ここに至って俺は、一気に語気と表情を変えた。
「いいか、もう一度聞くぞ。どれだけ取引量が増えても、この価格では誰も応じられない。
お前たちの言葉が意味するのは、そういうことだな?」
「だから何度もそう言っているじゃないですか」
「ふん、そんなに凄んでも俺たちは商人だぜ。
かつて第一皇子の役人共からどんなに凄まれても、ここにいる誰もが、頑として誰一人応じなかったんだ。まっとうな取引以外は、何一つ譲れないな」
「おいおい、誰が代わりの奴はいないのか?
頼むからこんな小僧、頭でっかちの使いっ走りじゃなく、話の分かる上の者を出してきてくれよ」
そう言って明らかに俺を無視して、他の者、バルトや文官たちに向かって話しかけ始める者たち。
「俺たちだって暇じゃねぇんだ。商売の話にならないなら、帰らせてもらうぜ。なぁ、みんな!」
そう言って、これ見よがしに一部の者たちは席を立ちかけた。
ここまで連携して仕掛けてくるのか……
これはある意味脅しだし、かつて第一皇子の調達担当だった者には、同情を禁じ得ないな。
ならば此方も、お前たち思惑に乗ってやろう。
もちろん、反対の方向にだが。
「そうか、帰りたい者たちは口先で煽るだけじゃなく、遠慮なく帰るがいい。俺たちは一切、引き留めはしないからな。この際だからはっきり言うぞ!
ひとつ、俺たちは今、お前たちを見定めている。
ひとつ、俺たちはお前たちに媚びる必要がない。
ひとつ、俺たちの側に選択権があることを理解しろ」
彼らは一様に驚き、そして『生意気な小僧が!』そんな目で強く睨み返して来ていた。
俺は敢えて不敵に笑って続けた。
「この価格以下でも、俺たちは簡単に物資を調達することができるんだよ。帝国側でなく、カイル王国側とあちら側のウエストライツ領からな。
戦禍に見舞われたとはいえ、テイグーン一帯の農地は無傷で残っており、旧魔境伯領の義倉には、まだふんだんに穀物の備蓄が残っている。『真っ当な商人』であるお前たちが、それを知らぬ訳でもないだろう?」
「だが、王国西部と、王国北部ではそれぞれ収穫物を侵攻軍に奪われたのだろう?
王国内でも大動員を行った結果、大量の糧食が消費され、王国内の穀物はかなり逼迫しているのを、俺たちが知らないとでも思っているのか?」
「そうだ! それにテイグーンにどれだけ余裕があろうが、商品は運んで初めて意味があるんだ。
魔境を抜けられない限り、大回りして輸送したら、どれほど輸送費が掛かると思ってるんだ?
これだから素人は……」
そうだね。そんな事は此方も想定のうちだ。
しかも奴らは、情報を都合の良い部分だけ切り取りしている。
「はいはい、お前たちに最低限の知識と情報があるのは分かったよ。だが……、底が浅いな。
東部戦線は全く戦禍の影響を受けておらず、賠償で困窮したイストリア皇王国は喜んで穀物を売っている。
フェアラート公国は全土で反乱が起こったとはいえ、戦場は限られているので、影響は僅かだ。
まして、収穫を受け取る側の大貴族の殆どが消えたんだぞ。公国は喜んで安価で売ってくれるし、今も大量の穀物が西の国境を超え、入ってきているんだぞ」
「だったらそっちで調達すればいいだろうよ。わざわざ遠く離れた場所から輸送すればいいさ。
俺たちには、全く関係のない話だが、そんな長距離輸送を誰がやる? 結局困るのは、あんたらだろうが」
「お前たちの心底はよく分かったよ。では俺は、今後一切お前たちと取引しない。それでいいよな?
帝国との協定に従い、俺はできる限り帝国側を潤す努力をした。これで大義名分は立った訳だしな。
まぁ結果は、悪い方に予想した通りだったが」
「お前が勝手に決めて済むことと思っているのか! 調子に乗っていたら、それこそお前の首が飛ぶぜ」
はいはい、ご心配いただきありがとうございます。
では、そろそろいくか……
「済むさ。俺の領地だ、俺が勝手に決めていいに決まっているだろう? お前こそ何を言っている。
誰が公王である俺の首を飛ばすんだ? 教えてくれ。
お前たちの訴えを聞いたカイル王か? 皇帝か?
冒頭の挨拶で、ちゃんと俺は『我々が新しく帝国内に得た領地』そう言ったよな?」
「へっ?」
「いや……、聞いてませんよ」
「そんな……、公王って……」
殺気立っていた全員が、一気に気勢が削がれたかのように、茫然となった。
だが、俺の追い込みは、むしろここからが本番だ。
「お前たちの事情は、多少なりとも承知しているつもりだ。誰かから圧力があったのか……、それとも商売上のしがらみか。止むを得ない事情もあるだろうよ。
だが、そんなことは俺には関係ない。
興味のあるのは、互いに利益の得られる『まっとうな商人』との取引だけだ」
彼らは俺の言葉が意味していることに気付き、一斉に下を向いた。
「先程提示した想定価格は、十分お前たちに商売上のうまみも残していると思うが……、どうだ?
何なら想定価格の詳細、帝国内での流通価格、余剰数、市場で調査した原価、運送経費などの詳細を全部言ってやってもいいぞ」
そう言うと、先ほどまで気勢を上げていた商人の一人を睨みつけた。
「はい……、仰る通りだと……、思います」
「先程も言ったが、俺たちはこの値段以下で王国側から仕入れることができる。これは事実だ。
帝国側の新領土まで輸送する代金を含めて、な。
敢えて何故それをしないか、それは簡単だ。こちら側ではこちら側の商人に義理を立て、今後も良好な関係を築きたいと考えている、ただそれだけだ。
分かるか?」
「ありがとう……、ございます」
「ついでに言っておくが、戦後数か月、俺たちが何も手を打っていないとでも思ったか?
俺たちは既に、テイグーンから魔境を縦断し、帝国領まで物資を運ぶ交易路を確保しているんだぞ。
この工事は秘匿事項として、魔法士を総動員して対応したので、お前たちが知らないのは当然だけどな。もっとも、この通商道路は当面の間、お前たちのような商人に開放するつもりもないけどな」
「そんな……」
彼らの『そんな……』が、どっちの意味であるかは分からない。
予想外の交易ルートが存在することへの驚きか、自分たちに開放されないことへの悲しみか。
だが、年頭の会議で議論された内容には、イシュタルの戦後復興と捕虜収容所や仮設住居の建設以外にも、他に優先すべき対応事項があった。
それらの優先事項として対応したことは4点。
ひとつ、魔境側の防衛網の再整備と強化。
ひとつ、国境に長大な関門を設ける大規模工事。
ひとつ、その関門から、魔境を抜ける『高架道路』を建設すること。
ひとつ、これらに伴い狸爺に依頼を出し、地魔法士を中心に魔法士を王国各地より招集すること。
先ずは昨年、戦いが終わってすぐに、アイギスの防壁を延伸し、当時のゴーマン伯爵が守備を担っていた関門まで直結する工事と、別動隊がイシュタル方面に抜けた山間部に手を入れていた。
幸いこれは、年明け早々に目途がついた。
これにより、アイギスとイシュタルは魔境側を安全に最短距離で行き来できるようになった。
その工事の終わりとともに、エランを責任者にした新規工事、今回の会場ともなった国境の関門構築工事を行った。
王国でも帝国でも、この工事は多くの耳目を集め、次の工事の目くらましにになった。
そして本命、魔境を縦断する高架道路の建設だ。
これを使えば、ザザンゲート平原まで魔境を安全にかつ、一直線に抜けることが可能になった。
ただそれは防壁ではなく、あくまでも高架道路だ。
短い防壁(土壁)を、それこそ百以上の橋で繋ぎ、その下は行き来できるようにして、万が一侵攻を受けた際は、この橋を落として敵が利用できないようにする。
これでテイグーン、アイギス、イシュタルなどに展開する兵は、昼夜問わず最短距離で安全に国境まで移動できるようになった。目的は兵力展開であり、俺たち都合の物資輸送であって、此処を開放した通商は、今のところ考えていない。
この工事は、調印の日まで秘匿できればそれで十分だったし、国境の工事と抱き合わせで実施するので、その程度の期間であれば秘匿できると踏んでいた。
この前提と、返還前に捕虜たちの労働力を有効的に活用させ、動員した魔法士たちで一気に工事を進めることができた。
なんせ、魔境伯領の捕虜だけで軽く一万人以上いるのだから……
せっかく第一皇子が侵攻の際、魔境を切り拓いて作ってくれた広大な道があるのだから、俺はそれを活用させてもらった。
その道に、下部は比較的誰でも(魔物も)自由に行き来でき、生態系には影響を極力及ぼさないよう配慮した、高さ15メル程度の高架道路建設を推し進めていた。
新年早々よりこの工事は着工され、地魔法士や水魔法士、時空魔法士などの大量投入と、元皇王国兵を含め、15,000人にも及ぶ捕虜たちの人海戦術で、今日この日に至るまでに、おおよそ完成の目処はつけてきている。
「さて、今一度聞く。
これまでの経緯は忘れてやるが、俺との商取引に異存のある者は、直ちにこの場を去って構わないぞ。
どうだ?」
誰一人として、席を立つ者は居なかった。
というか、全員が一様に下を向いている。
そろそろムチの時間は終わり、アメの時間かな?
俺は此処で再び、自身のスイッチを切り替えた。
「俺たちと商売するにあたって、これまでの取引先や、帝国の顔色を伺う必要は一切ない。
俺たちは過去の実績や経歴、商会の規模の大小による差別も区別も一切しない。
お前たちが商人として商いを行う取引先のひとつ、そう考えて検討してくれればよいと思っている」
ここまで言うと、一部の商人たちは喜色を浮かべ、顔を上げ始めた。
「開発事業に関する俺との取引は今後も毎回、3ヶ月単位で入札を都度行う。
方法は単純だ。調達リストの中から、各自が納品できる品目、数量を明記し、その最終価格や提案事項を記載して応募してもらう。
それを元に、俺たちは毎回発注先と発注量を選定する」
これは現代日本で行われている、公募入札の応札方法に近しい。
俺自身、ニシダの時は幾度となく、入札に参加するため、官公庁に仕様書を取りに行ったものだ。
だが、単なる札入、すなわち最低価格落札方式は行わない。俺自身、入札におけるデメリットも十分に承知しているからだ。
その要素は排除しておかなければ意味がない。
「これだけは心得てくれ。価格が安いだけが俺たちの選択要件じゃない。正当な理由や納得できる提案が有れば、例え想定価格を上回っても採用する。
逆に、安かろう悪かろうは最も悪手だぞ。俺たちがそう感じれば、もう次はないと思ってほしい。
そして、3ヶ月ごとに最も良い提案をしてくれた3つの商会を表彰し、これを卸したいと思う」
俺がそう言うと、ラファールは側のテーブルに掛けていた布を取った。
「おおっ!」
「皆の想像の通り、テイグーン産のハチミツだ。
これまでテイグーンでは、商人向けには一切卸していない、直販のみ行って来たものだ。
今此処には、10キロほどしかないが、3社それぞれに10キロを卸す。テイグーンでの売価の六掛けで、希望が有ればだけどね。
この価値を理解できる者は、是非、俺たちの力になってほしい」
「な、なんと!」
彼らは目を剥いて驚いていた。
たった10キロなら、売価で言えば彼らの取引総額と比べ、大したものではないだろう。
だが、商品とは使いどころで価値が変わる。
取引先に対して、それなりの量のハチミツを商材として持っている、それだけで彼らには有利な交渉ネタになるのだ。
ただ販売するのではなく、決裁権を持つ者の関心を買うため、贈り物に使っても構わないだろう。
さて、もう一つトドメといこうか。
「この中で、これが何か分かる者は居るか?」
俺は掌サイズの、薄く虹色に光る物を取り出した。
誰もが不思議そうな顔をしている。
まぁ、無理もないかな。
「先程の調印式で、クラリス殿下は、グラート殿下にこれで作られた鎧を贈られた。グラート殿下はたいそうお喜びでな、改めて返礼品を準備し、使者をカイラールまで送られると、話されていたぞ」
「まさか……、それは、あの……」
なるほど、ここまで言えば勘のいい奴もいるようだ。
王族が皇族に贈るほどの高級品、鎧に使われるそれといえば、察しが付く者もいるだろう。
「そうだ、クリムトの鱗だ。望んでも中々手に入らない代物で、しかも最上級品だぞ。
俺はこの先数年に渡って毎年5枚、その年の初めに、一年間新領土の開発に最も貢献してくれたと思える商人に、非売品のこれを無償で与えようと考えている」
ここに至って、商人たちの顔は大きく変わり、その目付きは良い意味でギラつき始めた。
毎年5枚、それが数年間ともなれば、数年でそれなりの数が彼らの中に出回る。
幾ら大金を積んでも、中々入手出来ないと言われたそれがだ。
「いいか、貢献や提案は、商品や納品だけじゃないからな。統治に当たって有益な情報、在野の優秀な人材の情報、商品相場を先取りした投機情報なども含まれる。商会の大小、納品量の多寡は全く関係ない。商人としての力、目利きを、是非俺たちに見せて欲しい」
「「「「はいっ!」」」」
集まった全員が、大きな声で答えた。
「では今回の入札は明日朝、この場所にて開催する。
結果は当日の夕刻に同じ場所で伝えるが、不在の場合は応札時に連絡先を明記しておいてほしい。
因みに俺はこれより、一旦この場を失礼するが、質問等有れば、残った者に遠慮なく尋ねてくれ。
では、この先も皆とより良い関係を構築できること、互いに利益を享受できることを期待している」
最後にそれを伝えると、俺はさっさと会場を後にした。
質問の対応係となる、バルトとラファール、数人の文官たちを残して。
もちろん彼らは、一斉に商人たちに取り囲まれ、彼らが納得するまで、質問を浴び続けることになった……
その中でひとり、人知れずその輪を抜け出し、別室で待機していた主に、報告を行う者がいた。
彼は主に、商談の推移と結果を一部始終話した。
「はははっ、今回は完全に僕の負けだね。
僕の想像の斜め上をいくやり方で、正面から罠を食い破ってきたかぁ。やっぱり彼は面白いなぁ。
阿呆の軍とは、全く違うよね」
ジークハルトは、素直に負けを認めつつも、少しも悔しがることがなかった。
むしろ、それに快哉を叫んでいるような、そんな様子さえ見て取れたため、報告者は混乱せずにはいられなかった。
「ですがよろしいのですか? これでは商人たちが……」
「ああ見えて彼らは百戦錬磨だ。僕と彼との間の綱渡りを、いとも簡単に行ってみせるだろうね。
そして、肝心な情報は、僕や彼にも簡単には渡さないよ。最も高く、最も自分たちが有利になる相手へ、彼らは情報を売り渡すだけさ。で、説明の後、僕らも参加できることの確認は?」
「はい、入札には商人たちだけでなく、帝国貴族家でも、交易として参加できる旨は確認しました」
「ご苦労様。それで十分だよ。何も彼と商人だけが利益を独占するなんて決まりはないからね。
魔境公国と商人、そして帝国貴族家など、三方よしで進めればいいんじゃないかな」
そう言ってジークハルトはにっこり笑った。
「ふふふ、楽しいなぁ。
大規模な工事を進めているとは聞いていたけど、まさかそれを隠れ蓑にして、魔境を縦断する道路を、こんなにも早く作り上げ、いち早くこちら側に兵力を展開できるように……、これは一本取られてしまったね。
でも、僕らの期待はこれだけじゃないからね。公王は次に、どんな奇策を見せてくれるんだろうか? 楽しみだなぁ」
いつの間にかジークハルトの顔は、感情のない冷たい笑顔になっていた。
元々彼の心中には、陰湿にタクヒールの足を引っ張る意図はない。
自身が認めた好敵手が、その存在価値を示し、どのような奇策で危機を乗り切るのか、その手法にのみ興味があり、彼の手腕を見たいだけなのだから。
そういう意味ではタクヒールらにとっていささか、いや、かなりタチの悪い話には変わりないが……
この2人は、血なまぐさい戦という盤上から、内政面での戦いに駒を移し、互いに智謀を尽くした争いに突入することになる。
それは結果として、お互いの領地を更に発展させることになるのだが、今の時点ではタクヒールの前途はまだ多難であった。
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は『望まぬ対面』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
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