第三百一話(カイル歴514年:21歳)北の国へ その②
カイル王国は南北に長く、中心近くにある王都カイラールから北の旧国境線までは、騎馬での通常移動であれば8日から10日の距離と言われている。
距離的には、南の旧国境とほぼ等しいが、南が街道を直進するだけなので、強行軍なら北へ向かうよりずっと早い。
そして北の隣国、ピエット通商連合国との間には、国境を分断する河が西から東に流れ、河のない東端部分に、旧メスキーノ辺境伯領があった。
そして今、その部分から北に延びるように、ウロス王国から割譲された、モーデル辺境公領が海まで細長く伸びている。
タクヒールら一行の50騎は今、旧国境を越えた先、北側の新領土へと足を踏み入れつつあった。
「ここから先が、新しい王国領なのですね?
ですが……、同じ王国領内なのに、先ほど通過した旧国境の関門は、とても物々しい様子でしたね?」
「そうだね。ユーカはその理由をどう思う?」
「そうですね……、やはり地政学的な要因ですか?
新領土は周囲を三か国に囲まれ、国境線は長大で遮るものもありませんし」
「正解だね。仮に周辺国の脅威が全て同程度としたら、最も北の新領土が危ういんだ。万が一旧国境付近を制圧されたら、北の新領土は完全に敵地に孤立してしまう……」
「そういうことですのね。モーデル辺境公もご苦労が絶えないでしょうね」
「そうなんだ、どうしても兵力を海とは反対側の旧国境付近に集中させねばならず、海をいかす利を十分に活用できない。そして、海岸線の一帯には中々目が届きにくい」
そう、ウロス王国との旧国境の近くには、イストリア皇王国との国境もある。
そのためモーデル辺境公は、領都も敢えて旧国境側に置いている。
そうなると、どうしても海辺までは最低2日の距離になってしまう。
「今回は、海というものを見れるんですよね? 私、凄く楽しみにしていて」
そう言うとユーカは、溢れんばかりの笑顔を見せた。
「そうだね。海側ならきっと、食べ物も違い海産物も美味しい。それに港町の雰囲気はまた、一味違うからね」
「まぁ、まるで海や港町をご存知のような感じですね」
「あ……、いや、本にね……」
やばい、やばい。
うっかりボロが出るところだった。
彼女も俺と同じく南部最辺境の出身なので、普通なら一生海を見ることはないだろう。
王国各地を転戦した俺ですら、初めての海だ。
「まぁ、情勢が落ち着くまでは、北の旧辺境伯領は陛下の直轄地となり、王都騎士団第二軍が交代で駐留しているから、なんとかなるだろうけど、将来的には自前の兵力で旧国境を守らなくてはならない。
なのでモーデル辺境公にとって、兵力集めは最優先の課題だからね」
「それで、新しく編成が進んでいる辺境騎士団も、北に最も多く配属されているのですね」
そう、ユーカのいう通りだ。
王国各地の貴族から、総計一万人にも及ぶ辺境騎士団が召集されたけど、北には最も多い4千騎の兵が割り当てられている。その次に多いのは東の3千騎、そしてダレク兄さんの守る西には2千騎だ。
俺の所にはコーネル伯爵より預かった200騎と王国各地の騎兵が500騎、合計で700騎程度。
北の新領土の兵力は、モーデル伯爵が元々抱えていた騎兵1,500騎と歩兵1,000名に加え、辺境騎士団の4,000騎で、総計6,500名が預けられている。
「でも足りない。本来なら十分すぎる兵力だけど、領地は全て元敵国だからね。
治安維持や主要都市の警備に割り当て、長大な国境線に配備したら……、自由に動かせるのは4,000名を切るかもしれない」
「そうですのね……。単純な数字だけじゃ分からないものですね」
そうなんだ。世の中、これが分からない奴らが多すぎる。
俺の所に兵力が集中し過ぎてるって、不平を言ってた貴族もいたぐらいだったから。
なんで俺は、国内から召集された辺境騎士団の人員も、基本的には配属を断っていた。
そんな話をしているうちに、国境から騎馬で数時間の距離にある、モーデル伯爵の居館へと到着した。
元々地方にあるカイル王国との交易の街だったものに、今は辺境公が手を入れて街を新たに改築している。
その街の外れ、新規造成エリアの一角に建てられた、辺境公の屋敷に向かった。
「おおっ、これはウエストライツ公王陛下、よくお越しいただきました。
遠路はるばる、ありがとうございます」
そう言うと、深々と頭を下げられてしまった。
いや……、俺はそういうのは苦手だし……。
確かに失礼のないよう、予め先触れは出していた。
でも……、門前で待ち構えられても……
心の中には、一般人のニシダの心を持っているので、逆に恐縮してしまう。
「モーデル辺境公、私も王国では同じ辺境公です。どうか頭をお上げください。
ぜひ盟友として、これからも末永くお付き合いいただければと」
「ははは、魔境公らしい仰りようですな。
ですが私は、貴方には二度も命を救っていただいた。その恩と敬意だけは、持ち続けさせていただきますぞ」
「2回ですか?」
一回目は分かるけど……、俺は他に何かしたっけ?
「エージンクールでも、魔境公からいただいた知恵と武器、これが無ければ負けておりましたわ。
なので、儂にとっては命の恩人ということですよ」
「ははは……」
「それで今回のお越しは、例の首尾を?」
「ええ、論功行賞の後、王都でお願いしていた件です」
「では、よろしければ準備が整ったものを収めている倉庫にご案内します。
第一期分は、納品が可能な状態になっております」
そして、案内された倉庫には、大きな樽が山のように積まれていた。
まさか……、これ全部?
「なんせ帝国側の新領土は広大でしょう。我らもちと張り切り過ぎましたわい」
そう言ってモーデル辺境公は照れて笑った。
そう、俺はあの日、モーデル伯爵(当時)に依頼したのは牡蠣殻石灰の製造だ。
生産ノウハウ……、と言っても単純なものだが、それに動力水車の設計図とギアの仕組みを伝え、完成品を買い取ると伝えていた。
「いやいや、ありがたいお話です」
「幸いにも、西側には国境を流れる河もあります。塩抜きの手間は大きく省けました。
それに、収集には元ウロス王国の民に依頼し、継続的な産業としても形ができつつあります。
直接納品は予め決まった価格通りに、そしてこちらで販売したものは、技術供与のロイヤリティとして売価の一割をお支払いする所存です」
「一割も? 大丈夫ですか?」
「なーに、我が領内はウロス王国の人手を使い、テイグーンでの仕組みに倣い、子供や働き手を失った者たちに依頼しました。通商連合の国々に対しては、商人と取引しまして……」
「商人たちと取引……、ですか?」
「はい、商人たちには、入国に際し積み荷の税を、牡蠣殻を満載した馬車の数だけ、同数の馬車分を免じる、そう伝えたところ、彼らも張り切って掻き集めておりまして……」
「ははは、さぞ必死にかき集めたのでしょうね?
色々とありがとうございます。東の新領土も、不毛の草原地帯が多く、ハミッシュ辺境公も喜ばれると思います」
「ええ、既に試験運用を開始したいと、お問い合わせいただいております」
良かった。これで商談はまとまった。
なんせ、帝国側の新領土は広大で、必要数を賄おうと思えば近隣諸国の海岸線が一気に綺麗になるんじゃないかな。
この先、牡蠣殻以外にも何か、考えないとダメかもな……
「それでは帰路に受け取り、ひとまず馬車に詰めるだけ、持ち帰らせていただきますが、残りは荷馬車にて輸送ください。
今回はつくづく、時空魔法士のありがたさが身に染みますよ」
そう、今回はバルトもカウルも同行していない。
なので荷物は、旧来通り荷馬車で輸送するしかない。
「ところで魔境公はこの後、海辺の街に行かれるとか?」
「はい、束の間の旅でも妻と二人で楽しんでこようかと……。あと、入手したい食材もありますし」
そう、海辺の街なら、もしかしてアレもあるかもしれない。そうすれば、念願の和食にも一歩近づく。
この世界に出汁の概念があるかどうかは、自信がないけど。
「お気を付けくだされ。海辺の民、特に船乗りや漁師たちは気性の荒い者も多く、今回の経緯に対し、不満を言って憚らない者もおりますゆえ」
「あ、大丈夫です。それなりの者たちを護衛に付けておりますから」
そう、今回は指揮官級の魔法士は誰一人として連れて来ていない。
彼らには、それぞれ任務があるからだ。
本当はバルトかカウルだけでも連れて来たかったが、それも今回は諦めたぐらいだし。
彼らは、建設工事と交渉準備で今は手一杯だ。
だが、護衛の者たちはそれぞれ、相当強い粒ぞろいの者たちだ。
特に、カーラとシグルはその中でも飛び抜けている。
「そうですか……、でも十分にお気を付けて。
所で我々も、何点かお願いがあります。お力を貸していただければと思うのですが」
「はい、私共でできることでしたら、喜んで対応させていただきます」
「ありがとうございます。
一点目は、武具の追加発注です。矢はこちらでも製造できるのですが、魔物素材は流石に…
二点目は、射的場の運営ノウハウを供与いただきたいです。この地でも取り入れたく思っています。
三点目は、受付所のノウハウです。我らもこの国の民を登録し、整備したく考えており……」
「承知しました。
武具は、魔物素材を使用した、改良型クロスボウでよろしいですか?
どれぐらいの数になるでしょうか?
最新型でなく、中古品なら価格も安く、それなりに早期にご用意できますが」
「では、最新型を500台、中古品の改良型を1000台お願いできますか?」
「了解しました。
あと、ノウハウですが、良ければ代表者を選抜して研修という形でなら、テイグーンで数か月受け入れることは可能です。
実はそういった目的で、今もサラームから学びに来ている者たちもおります」
「なんと! では我らも、早速人選に移るといたします。因みに、対価はこれぐらいで如何でしょうか?」
俺はあまりの金額に驚いた。
でも、あちらの世界でもノウハウに対する料金は高い。それに受付所や射的場の運営は、基本設計からこの10年を経て、既に相当進化していて、俺でも良く分からなくなっている。
「その金額の半分以下で構いません。それに、滞在する宿舎と食事代を含むという形でどうですか?」
この後その日は、モーデル辺境公の案内で、北の新領土の南部一帯を視察し、翌々日には海辺の街であるヴィリレオドーレの街に向かう予定だ。
そして……、その時になって俺は、モーデル辺境公の心配していたことに、直面する。
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は『北の国へ その③』を投稿予定です。
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4月19日の投稿から四日間は、二巻の発売に合わせて四日連続で毎日投稿の予定です。
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