間話10 禿鷹(はげたか)の旗 後編 禿鷹の誓い
フェアラート公国はいつもの日常を取り戻し、カイル王国での戦後処理も落ちついたらしい、そう聞いていたある日のことだった。
俺とハリムたちは魔境伯のご依頼で、カイル王国の王都、カイラールまで来ていた。
その日は、王国内で論功行賞が行われた翌日らしく、王都はお祭り騒ぎだった。
俺とハリムの二人は、そんな喧騒を横に見ながら、カイラールにあるソリス伯爵(今は侯爵)の屋敷へと入った。
俺たちを応接室で迎えてくれたのは、論功行賞にてウエストライツ公王となられた、魔境伯さまと姐さん、ラファールの旦那、そしてどことなく魔境伯と容貌の似た、もう一人の若い貴族様だった。
「ザハーク、ハリム、久しぶりだね。
実は今日、別件で来てもらったんだけど、論功行賞で予想外のことが色々あって……
まずはそちらから、話を進めたいと思う」
「はい、ご無沙汰しております。私も、魔境伯軍の軍旗とともに、戦場を駆けた日々のこと、いまでも最大最高の栄誉として、サラームの住民一同とともに、感謝の気持ちを胸に刻んでおります」
「ご無沙汰して、大変失礼いたしました。
何なりとご用命、ご命令いただければ、我らティア商会は皆、喜んで対応させていただきます」
「うん、ありがとう。これからも是非よろしく頼むよ。で、早速だけど先ずは軽いほう、今回新しく発生した依頼から話を進めようか。
二人とも、フェアラート公国内でダブついている穀物を、安価で買い占めるって……、可能かな?」
俺は思わずハリムと顔を見合わせた。
驚きはしたが、ちょっと嬉しかった。
「いや……、実は私も、ハリムらと語らって、今回いただいた褒賞を元手に、公国中から穀物の買取を進めているところでして……」
「ほう、それは?」
この時初めて、私の見知らぬお方が会話に加わってきた。
「はい、此度の戦乱では私もこの国に滞在中、できる範囲で情報を集めさせていただきました。
まず、カイル王国は四方から攻め寄せられ、特に西側と北側では、収穫の大部分を侵略軍に徴発されたため、この先穀物類が不足すると考えました。
次に、王国各地にて、これまでにない規模の軍が防衛戦に動きました。
となれば、兵站として相当量の穀物が消費された、そう考えるのが順当だと思います」
「なるほど……、タクヒールの言っていた通り、なかなか優秀だな。すまん、続けてくれ」
「はい、片や公国は内乱が起こったとはいえ、戦禍に見舞われた地域は至って限定的です。
今年も多くの実りがもたらされましたが、今度はそれを税として受け取る側、多くの大貴族たちが所領と財貨を没収されて取り潰されました。そのため穀物類は行き場を失い、いや、正確には国王陛下のもと、フェアリーに集中しました」
「そして、フェアリーに急激に集まった税は、市場に流れ、ダブついていると?」
「仰る通りです。安価で買い占め、必要とされている場所にそれなりの値で販売する。
これを魔境伯さまの利益としていただければ、恩返しの一環になるだろう。
そう思うに至り、勝手ながら準備を進めておりました」
「はははっ、魔境伯の利益か。もう立派にタクヒールの家臣じゃないか。
であれば、俺の他の話も進めやすいだろうな」
「我らサラームの住民全てが、魔境伯さまに恩義を感じ、新たな領主様としてお迎えする準備に奔走しております」
「ん? ちょっと待って!
ザハーク、俺がサラームの領主って誰から聞いた?」
俺には、何故ここで魔境伯さまが慌てているのか、不思議でならなかった。
どういことだ?
「サラームの民なら誰もが知っております。
なんせ、クリューゲル陛下が去られる際、自ら布告を出され、その旨を告げられましたので……」
「ははは……、もう全部お膳立てが済んでるんじゃん。あれこれ考えていた俺って一体……」
魔境伯さまは自嘲しながら、頭を抱えられていた。
その横で、姐さんがくすくす笑っていた。
「なら全部一気に話すか。
その穀物を、隣接するカイル王国の西部辺境に新しく領主として入る、ハストブルグ辺境公、ここに同席している俺の兄に売ってくれないか?
もちろん正式な取引として、真っ当な収益は確保した上でね」
やはりそうだったか。
魔境伯の容貌に、少し優雅さと精悍さを加えた感じだが、ご兄弟なら似てて当然だ。
「よろしく頼む。
これからは隣同士になる訳だし、交易の面でも優遇するので、先ずは穀物を最優先で取引したい。
ハリム、期待しているよ」
そう言って笑いながら手を差し伸べてこられたお方に対し、俺は一瞬固まっていた。
公爵さまが俺に?
一介の平民に握手を求めるなど、俺の常識ではあり得ないことだった。
『さすがは魔境伯さまの兄君だ。ご兄弟揃って規格外でいらっしゃる』
そう思うと俺は慌てて、手を取った。
「はい、こちらこそ願ってもない機会です。これからもどうぞよろしくお願いいたします」
この出会いが、サラームの街が交易都市として、過去にない発展を遂げる、大きな要因の一つとなるものだった。
旧魔境伯領との直接交易、ハストブルグ辺境公領との間での取引、そして何より、魔境伯領に倣った各種制度改革が、サラームを全く新しい街に生まれ変わらせる原動力となった。
「それでだ、クリューゲル陛下に対し、『余った穀物類はサラームを通して今後も買い付けたい』、そう記した書簡を預けるので、フェアリーまで届けてほしい。まぁ二人は、陛下と一緒に酒を酌み交わした仲でもあるしね」
そう言われて、魔境伯は笑われた。
俺とハリムは、口外を禁じられ封印していた記憶が蘇り、背中に流れ落ちる冷たい汗を感じたのは言うまでもない。
「それと、今回の戦役に関して俺個人から、改めてお礼だけど……、先ずはザハーク!」
お礼? いや、それは既に貰っているが……
そう思いつつ、名前を呼ばれると、背筋が引き締まる思いだった。
「サラームの街の総督として、街の統治、治安維持や防衛などを担ってくれないか?
総督という名目上、ザハークには騎士爵を預けるから、統治に役立ててほしい」
「はい……、はいぃぃっ?」
この時ばかりは、俺も驚きのあまり思わず、変な声をあげてしまった。
この俺が役人に?
それ以上にサラームの総督って、そんなもの勤まる訳がねぇ。俺は、裏の世界の住人だ。その過去は変えようもない。
本来なら臣下となる、願ってもないお話だったが、余りに想像以上のことで、俺は固まってしまった。
「ザハーク、観念しろ。俺もお前の能力は高く買っているんだ。ヨルティアさまも強く推薦してくれた。
こんな俺でも、どう転んだか分からないが貴族様だし、きっとお前も務まるさ」
「いや……、ラファールの旦那。それとこれとは……」
「お前らは散々俺のことを、貴族らしくねぇと酒の肴にしてきたんだ。今度は……、お前も俺の仲間入りさ」
旦那はそう言うと、嬉しそうに笑っている。
いやいや、そんなもの……、俺に務まる訳がねぇ!
「ザハーク、俺もお前のことを高く買っている。
今回の穀物のこともそうだし、商業都市として発展させるには、商売で鼻の利く男が上に立つことが大事だ。それに……、俺達には公国内に信頼できる者が少ない。
なーに、統治には俺の妻が鍛え上げた文官を何人か送るし、幾つか策も授けるからさ」
最後に魔境伯さまの言葉を受け、俺はただ頷くしかなかった。
『本当に俺なんかで……、いいんですかい?』
「あとハリム!
今回の戦役における諸々の活躍、それに対する個人的なお礼として、テイグーンを始めイシュタル、アイギス、ガイア、ディモスの五箇所に、ティア商会の支店をこちらで用意する。販売拠点として店舗ごと受け取ってほしい」
「そ……、そんな、いいんですかい?」
ハリムも望外な褒美をもらい、その言葉を言うのが精いっぱいで、あとはただ茫然としていた。
※
これが俺たちの始まりだった。
俺は早速、サラームに戻ると、配下の者を含め街中のゴロツキたちを集めた。
「お前たち、よく聞け!
俺は今回、この街の恩人である魔境伯、今はウエストライツ公王陛下となられたお方より、この街の代理総督を承った」
総督の前に『代理』を付けてもらったのは、俺が敢えて願い出たことだ。
万が一俺が何かやらかしたり、不都合があっても代理なら、いつでもすげ替えることができるし、公王さまに責任が及ぶことへの言い訳もできる。
「この旗を見ろ! 俺たちの旗だ!
魔境伯軍の軍旗からいただいた、サラーム総督府を示す、禿鷹の旗だ。
公王さまに願い出て意匠を借り、敢えて禿鷹と呼ぶことの許可もいただいた」
その時は全員がまだきょとんとしていた。
だが、意味を知れば奴らの様子も変わるだろう。
俺はそう思っていた。
「いいか! 俺たちはこれまで、死肉を漁るハゲタカとして、日の当たらない場所を生きてきた。
誰彼構わず弱みを見せた者たちを食い物にし、強欲に利を貪る人間、組織としてな。
だが、そんな俺でも思うことがあった。
公王さまから受けた恩を、真っ当な形で返したい。
その為に明るい日の下で、胸を張って生きていきたい。
行き場のないお前らに、居場所を作ってやりたい。共に胸を張って生きていくための場所をな!
貧民街や犯罪者の吹き溜まりをなくし、誰もが虐げられることもない、笑って過ごせる街で、な」
これは以前から、俺がずっと密かに抱きつつ、汚れていった過程でいつか、かすれてしまった本当の思いだ。
だが、あの貴族どもやかつての領主、あんな奴らの下では、そんな気すら起こらなかったが……
「これは、俺たち自身が過去の罪を背負い、その上で恩人たる公王さまのご意思に応える誓いの旗だ。
俺と共に新しい未来を生きる意志と、覚悟のある者は皆、公王さまが拾ってくださる。
この旗を誇りに思い、背負っていくと誓える者のみ、ここに残れ!
無い者は……、直ちにサラームを去れ! 新しく生まれ変わるサラームには、そんな輩は不要だ」
こうは言ったが、俺はここに集められた大多数の者たちが、サラームに残ることを分かっていた。
俺と同じく、奴らも魔境伯やその軍と共に行動し、変わっていったことを知っている。
彼らは今や、街のゴロツキから、魔境伯軍と協力して街を救った英雄だからだ。
街の住民たちから称賛され、照れながらどう応じれば良いか分からず、嬉しそうに困っていた奴らの姿を、俺は幾度となく見ていた。
その中で一部、青い顔をして震えていたのは、根っからの犯罪者たちだけだ。
奴らの素性を良く知る俺たちが、今度は奴らを捕縛する側に回る。これは奴らにとって悪夢だろう。
これを踏まえて、俺は組織を解体し、新しく生まれ変わらせた。
これもみな、公王さまから直々に知恵を授けられた結果だ。
【警備会社】
腕っぷしだけの男たちでも、使い道は十分にある。
いくら自分の街だとは言っても、他国の兵が駐留すると、色々と問題もある。
・遠く離れたこの地に兵士を派遣する困難さ
・公国内で無用の軋轢を生まないこと
・公国側の貴族への配慮
これらを考慮し、魔境伯さまの提案で設立された警備会社は、衛兵と治安維持を担い、街の防衛を一任された組織として誕生したものだ。
今は内乱時に発足させた自警団を母体にして、200名前後の組織だが、今後順次増強を図り、500名規模を目指している。
【自警団】
内乱時に見よう見真似で設立した自警団も、その多くは警備会社に移ったが、改めて街の有志を基に再結成し、引き続き運用を行って常時500人規模を目指す予定だ。
ただ、これについてはあまり急いではいない。
建設中の射的場が稼働し、クロスボウが街に浸透してから、順次募集を行う段取りにしている。
そういった指導も、俺たちは派遣された文官たちから受けていた。
【ヒール商会】
情報に通じた者、目端の利く者はここに配属した。
ハリムのティア商会とは競合せず、対をなす存在となっている。
・ゆくゆくは公国内全土に支店を持つ商会とする
・サラームに流入する物資の受け皿とする
・主にハストブルグ辺境公さまとの交易を行う
俺たちはフェアラート公国側に根をはり、兄君との交易がメインとなるので、旧魔境伯領との交易、現地での店舗展開を行うハリムとは、いい感じで協力しあって補完し合う関係だ。
そしてもう一つ! 公国内での情報を吸い上げる諜報機関として、ヒール商会は裏の顔を持っている。
この商会名は、魔境伯さまに強く願い出て、お名前をいただいた。この響きは、俺たちにとってうってつけだとも思っているし、やっとこれで、ハリムたちに並べた気がする。
【その他】
酒場や娼館など、女たちが働く組織も、ヨルティア様の案をいただいて、根本的に変えた。
ただ彼女たちを、売り物にしていた組織から守る側の組織に。
面白いことに、俺たちの組織が変わると、サラームにあった阿漕な店では、人手(女)が確保できなくなり、そういった店は全て潰れていった。
そして、新しく赴任してきた文官たちの指導のもと、サラームにはこれまでになかった、孤児院、施療院、託児所を兼ねた学校、そして受付所や射的場などが、次々と設立されていった。
当初はみな不思議顔だったが、先ずはテイグーンで行われる『研修』というものに、女性を中心に構成した志願者を送り出した。
『ザハーク、研修を受けるにも移動は長距離で、かつ期間は数ヶ月に渡る。なのでできれば参加者は志願制にしてほしい。もちろん、研修期間中も俸給は出すからね』
そう言って魔境伯さまは、参加者が集まるか心配されていた。
でもそれは、全く杞憂だったのは言うまでもない。
街からはあまりにも多くの希望者が殺到し、逆に絞り込むのが大変なぐらいだった。
街の皆も、大恩あるお方の治める領地、それを一目見たいと思っていたのだろう。
暫くすると、予想外に大部隊となった一行が、交易に出るハリムに導かれて旅立って行った。
数ヶ月後、見違えるようになった彼女たちが、順次帰還して新たに運用が開始されると、街の様相が、そして、街に住まう者たちの目が、大きく変わり始めた。
今やサラームは、重税や圧政で領民たちが苦しめられることのない街、貧民街や犯罪組織、裏町の存在しない街、これまでのフェアラート公国にはない、様々な特色を備えた、新しい街として生まれ変わりつつある。
これらも全て、あのお方のお陰だ。
※
「おっと、代理総督への報告を忘れるところでした。
先ほど警備本部から速報が入ってました。
穀物等の受け取りと代金の支払い、そして街の視察を兼ねて、エロール子爵一行が今日の午後に来られると、先触れがありました」
「そうか……、いつも大量の発注をいただき、ありがたいことだな。
エロール卿は、公王さまの兄上、ダレクさまの右腕であるお方だ。ご案内ともてなしの準備は、万事整えてあるだろうな?」
「ええ、もちろんでさぁ。街の皆にも商売上の悪い慣習は行わないよう、重々言い含めていますよ。
もっとも、王国との交流も増え、新しい改革も進んでいる今、既に過去のものとなりつつありますがね。
ご要望があれば酒場でも娼館でも、いつでもご案内できるよう、受け入れの準備は整えております」
「ははは、完璧だな。
まぁ、最後の部分を所望されるのは、山賊顔の貴族様ぐらいだろうが……」
俺はその方の顔を思い浮かべた。
「しかし……
またいつか、あの方とも思いっきり酒を酌み交わし、心ゆくまで騒ぎたいものだなぁ。
俺はこんな大役をいただいているが、時折、彼方を行き来している、ハリムたちを羨ましく思うことがある」
そう言って俺は、再び後ろを仰ぎ見た。
そこには、蒼穹に風を受けた旗、黒き禿鷹が力強く羽ばたいていた。
サラームは、禿鷹が風に乗り空を高く舞い上がるが如く、この先も大きく発展していく。
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は『北の国』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
ブックマークや評価いただいた方、本当にありがとうございます。
誤字修正や感想、ご指摘などもいつもありがとうございます。