間話10 禿鷹(はげたか)の旗 前編 邂逅
純白の生地に、黒く染め抜いた剣を握った鷹、今日もこの旗が風を受け、抜けるような青空のなかで雄々しくたなびいている。
俺は毎日、仕事前にこの旗を誇らしく見上げては、あの方に祈り感謝することを日課にしている。
この旗は、敢えて公王に願い授けていただいた、サラーム総督府を指し示す旗だ。
俺はこの旗を『禿鷹の旗』と呼び、後日サラームが禿鷹の商業都市と呼ばれる謂れとなったものである。
「元締め、今日も日課の参拝ですか? 精が出ますね」
「ああ、俺はこの旗こそ、俺たちにとって相応しい、最高の旗と思っている。
そして、こんな俺たちに機会を与えていただたお方を思い、日々感謝するのは当たり前だろうが。
それと……、まだ昔の癖が抜けないのか? 代理総督と呼べといつも言ってるだろうが」
「あ! そうでした。つい、昔の癖で……」
「そう言う警備会社の会頭が、なぜ朝からここにいる?」
あのお方の提案に基づき、俺は自身の組織を解体、再編して幾つかの『会社』というものを設立した。
そして、腕っ節と頭の回転、その二つを兼ね備えた側近のひとりを、俺は警備会社の会頭に任じていた。
「ははっ、代理総督殿と同じ思いでさぁ。ほら、他にも何人か来てますぜ」
そういうと、厳つい顔をした男たちが、ぞろぞろと旗を掲揚している広場に集まりつつあった。
奴らも俺がそれぞれ見込んで、何らかの役割を与えた者たちだった。
そう、俺たちはあのお方たち、そしてラファール殿のお陰で、新しい使命を得て、日の当たる表の世界に出る機会をいただいた。
それに感謝することと、新たな誓いを忘れないよう、俺たちの誇りとなるこの旗に、毎日参拝するのは当たり前のことだった。
※
俺はある日を境に、故あって当時の魔境伯に与することになった。
切っ掛けは、俺の崇拝する姐さん、ヨルティアさまとの、今思えば無礼極まりない出会いだったが……
あの時は本当に恐ろしかった。
全身の骨が軋み、まるで蛇に睨まれたカエルのように、俺は指一本動かすことができなかった。
敢えて俺たちの吹っ掛けた無理難題を受け、最初の約束を違えなかったヨルティアさまは、その後もハリムを通じて、俺たちに取引の機会をくれた。
俺は器の面でも姐さんに完敗したことを悟り、思いを新たにした。
今となっては、その機会をくれたハリムにも感謝している。
この国で勃発した内乱の際には、俺は多くの商人たちと、全く違う道を選んだ。
先ず大前提として、俺はこの国の貴族たちが大嫌いだ。
魔法士でない者を、人として見なさない様な奴らのやり口は、もともと気に入らなかった。
商売に勤しみ、まっとうに稼いだとしても、利益の殆どを税として奴らに持っていかれるだけだ。
そんなこの国の常識に不満を持っていたからこそ、奴らの手の及ばない裏の世界、そちらを牛耳ることに、俺は情熱を傾けてた。
偉そうにしている奴らから、阿漕な商売で金を巻き上げては溜飲を下げる、そんな金と欲に目が眩んだ毎日だった。
ところがある日、ハリムたちが面白い動きをしているとの情報を掴んだ。
外征の兆しと、サラームにも軍が集結しつつあるとき、奴らが何を考えているのか探るべく、街の一角にあるティア商会へと俺自ら足を運んだ。
そこで奴らは、何やら慌てた様子で密談していたようだったが……、その声は誰もいない店先まで丸聞こえだった。
『呆れた奴だ。密談ってのは、もっとこっそり、小声でやるものだろうが……』
そう思って、暫く店先で内容を聞いていた俺は、奴らの考えに驚かされた。
その時、まるで何かの啓示を受けたように、俺の心はある方向へと定まっていった。
もちろん強欲で浅ましい俺の根っこは、この時まだ何も変わっちゃいなかったが……
『大儲けの商機』
それも公国の商人共を出し抜けるほどの、でかいヤマだ。
『一世一代の博打』
賭け金はもちろん俺自身、破滅の可能性すらあるが、心は何故か躍った。
『溜飲を下げる機会』
それこそずっと気に入らなかった貴族どもに、一杯食わせてやる機会だ。
当初はこんな程度の動機にしか過ぎなかったと思う。
だが、ハリムたちと行動を共にして、俺の考えはある方向にどんどん変わっていった。
初めて訪れたテイグーンの豊かさと活気は、まるで別世界だった。
町はどこも清潔で、他の街なら必ずある貧民街や、犯罪者の巣窟となる裏町が一切なかった。
誰もが豊かで活気に満ちており、女子供たちすら笑顔で一生懸命働いている。
誰もが王国を、いや、魔境伯領を守ると言っては、使命に満ちた顔をしていた。
『こんな街、俺は見たことがない!』
俺は思わず呟いた。
魔境伯軍に同行する機会を得てからは、彼らの強さ、そして何より、俺たちが知らない新戦術には、驚かされるばかりだった。
ハリムと共に、行きがけの駄賃、いや、魔境伯の配慮だろうが、国境が封鎖されている間、俺たちは王国内で軍需物資の輸送という仕事をもらった。
そうして前線を行き来する傍ら、魔境伯が指揮する軍の強さを知り、改めて驚愕した。
『こんな軍、俺は見たことがない!』
唖然として、ただ驚くしかなかった。
あの公国が誇る、最強と名高い魔法兵団すら、いとも簡単に壊滅させたのだ!
俺は自分の選択が間違っていなかったことを、改めて再認識した。
そして、信頼できるに足る仲間と呼べる人との出会いもあった。
相手は貴族様だから、仲間と呼んでは無礼極まりない話かもしれないが、旦那は敢えてそうしろと言う。
俺たちと同じ目線で語らう旦那には、俺の中で貴族というものの常識がひっくり返った。
『こんなにも気持ちのいい男、俺は見たことがない!』
心から溢れた、素直な気持ちだった。
改めて、旦那のような面白い男を登用し、重用されてる魔境伯の度量の大きさに驚かされた。
一介の、しかもどちらかというと、弱小で新興勢力のティア商会にも、特に目を掛けてくれている。
その時ばかりは、ハリムが少し羨ましかった。
『このお方なら、俺も……』
そんな甘っちょろい夢を見てしまい、思わず自嘲したもんだ。
俺の勘は見事に当たり、魔境伯軍はまさに破竹の勢いで勝利し、公国軍を王国内から一掃した。
この傍ら、旦那が俺たちに与えてくれた任務で、奴らの物資を押収し、金儲けの機会にも恵まれた。
『ははは、ざまぁ見ろ!』
俺は敗走する奴らの背に、これまでの思いを込めて言い放っていた。
遂に俺たちは、あの偉そうな貴族たちに対して、留飲を下げることができた。
『これで俺の思いも晴れ、そして十分過ぎるほど金儲けもできた』
そう思っていた折、旦那から新たに諜報の任を受け、俺たちはサラームに戻っていった。
だがそこは……、そこは酷い有様だった。
敗残兵たちが流入し、奴らは街で横暴の限りを尽くしていた。
商人たちは商品を無理やり奪われ、女たちは各所で兵たちによって暗がりに引き込まれていた。
『俺たちの街を無茶苦茶にしやがって……、絶対に許さねぇ』
そう思って俺は、直ちに行動を開始した。
街の有力者と話を付け、魔境伯領にあった【自警団】というものを真似た、組織を作った。
もちろん団員の中心となったのは、俺の配下のゴロツキどもだ。
ただ、あんなゴロツキどもでも、俺と同じ気持ちだったのだろう。
店先で商人を庇い、兵士たちに袋叩きにされても、ただ黙って耐える奴もいた。
路地裏に引き摺り込まれた娘を助け、こっそり兵士たちを袋叩きにした奴もいた。
奴らも必死に、この街を守り続けてくれた。
俺は奴らを守るため、魔境伯に手紙を送った。
魔境伯は、それに対し直ちに応えてくれて、サラームに兵を派遣してくれた。
ここでも俺は、ラファールの旦那の智謀と、魔境伯軍の強さに驚かされた。
俺は指示された通り、作戦に協力しただけだったが、旦那たちの読みはことごとく当たっていた。
『かくも一方的な完全勝利』
ここまでとは予想だにしていなかった。
しかも、解放者である魔境伯は、街の住民に対し開口一番に詫びたのだ!
「この度はこの街を開放するため、また、フェアラート国王の援軍依頼に則って行動したこととはいえ、この街を戦禍に巻き込んでしまったこと、深くお詫びします。
街の修復に関し、こちらでもできる限り協力させていただきます。対価をお支払いするので、人足の手配をお願いできますか?」
『こんな貴族、他にいるだろうか?』
俺は知らない。いや見たことも聞いたこともねぇ!
しかも、兵たちの狼藉を厳しく取り締まり、解放者である兵たちは皆、街の復興に勤しむ俺たちに、進んで手を貸してくれた。
『こんな軍、見たことがない!』
これは俺の言葉ではない。街の皆が驚き、そして言った言葉だ。
俺にはもう、いつしかそれが当たり前のことになっていた。
「物資の調達や個人の買い物は、真っ当な対価で行いたいと思います。ただ、不慣れな俺たちに対し、この街の慣習である段階を踏んだ交渉だけは、どうか勘弁してほしいです」
この魔境伯の言葉に対して、俺たちは思わず笑ってしまった。
無理もねぇ、この街での買い物は、全て交渉ありきだ。露天商でさえ、最初は吹っ掛けた値段を話し、客を窺う。そのため、本当の売価に辿り着くには、それなりの手順が必要だ。
この話を聞いて、俺たちは直ちに動いた。
その場にいた街の有力者と共に、街全体の商売人たちに厳しく通達を出した。
『恩知らずの輩は商売人の風上にも置けねぇ』
そんな思いだったが、それは杞憂に終わった。
解放者であるだけでなく、一切の暴行を働かず、進んで街の復興を手伝う兵士たちに、街の住民たちは感謝の気持ちを目に見える形で示していた。
「兄さんがたは、解放軍の方かい? なら話は別だ。どうかこの料金にさせてくれないか?」
「ん? お代かい? そんなの気にしないでくれや。ありがとうな」
「お、兄さんたち、良かったら俺から一杯奢らせてくれよ」
そんな声が街の至る所で飛び交い、多くの商店は販売品を解放軍の兵たちに限り、自発的に原価以下の代金で商品を売るようになっていた。
そう、誰もがこの時に思っていた。
『どうかこの街を占領したままでいてほしい』
『どうせならこの街、魔境伯の治める領地になってくれれば……』
そんな思いは街の誰もが願う、共通の思いだった。
その後俺たちは、フェアリーに向かう魔境伯軍や首切り伯爵の兵站を任され、サリムと共に配下を集めて補給部隊として志願した。
そしてあの、フェアリーでの魔境伯軍の見事な勝利!
あまりのあっけなさに、もう言葉が出てこなかった。
驚き呆ける俺たちに、魔境伯はフェアリーでの交易品の買い付けを依頼してくださった。
それに応えるため、俺たちは全力で、いや、頑張り過ぎて運びきれないほどの商品を買い集めた。
余りの多さに、魔境伯を苦笑させるぐらいの量を……
そんな俺たちを見かねたのか、魔境伯はフェアリーからの船便に、俺たちと物資を同乗させてくれた。
しかも、労をねぎらうと言われ、道中の酒まで下賜してくれたのだ!
話の分かる御仁は、俺も大好きだ。
早速ハリムたちと酒盛りを始めたが、もちろんラファールの旦那も誘った。
だが途中から、旦那が妙にしおらしくなった。
『まさか船の揺れでもう酔ったのか? あの酒好きで強い旦那が?』
そんな疑問もあったが、途中で酒盛りに参加してきた『兄さん』が、なかなかイケる口だったこともあり、俺たちは気にせず盛り上がった。
だが、サラームに戻った時、俺たちは卒倒しそうになった。
あの『兄さん』が、実は国王陛下と知ったからだ。
俺たちはそんなことも露知らず、船では国王陛下と肩を組み、軽口をたたき続けていた……
「旦那、勘弁してくださいよ……」
俺は驚愕の余り言葉を失ったし、ハリムも、そう言うのが精いっぱいだった。
俺たちは皆、あの恐ろしい首切り伯爵に、首を切られてサラームに晒されるであろう未来を想像した。
もうお先真っ暗だ、絶望しそうな気分だった。
「昨日のことは陛下もいたくお喜びだった。お前たちと酒を酌み交わし、民の声が聞けた、とな」
その言葉で、ふと横を見ると、何と! あの首切り伯爵がいつの間にか隣に居た。
「あの場にいたのは、ただの酒好きで軍規破りの常習犯、問題児である近衛兵のひとり、そういうことだ。まさか近衛兵団の恥を公にもできまい。
なので何も無かった、ということになる。
お前たちもゆめゆめ、口外せぬようにな」
あの伯爵が、見たこともない照れた笑顔でそれを言ったとき、俺たちはただ無言で、だが凄い勢いで首を縦に振り続けた。
俺たちは生き返る思いだったのは言うまでもない。
その後『兄さん』は、サラームを発つとき、兄さんらしい粋な計らいをしてくれた。
なんと!
サラームの街を魔境伯に預け、飛び地として魔境伯領とする旨、フェアラート国王として布告されたのだ!
これに街の住民はこぞって大喜びし、街中が大歓声に包まれていた。
俺自身、ハリムと抱き合いながら、飛び上がって喜んだのは言うまでもない。
だが、これが俺たちにとって、まだ始まりに過ぎなかったこと、その時点では俺たちが知る由もなかった。
いつもご覧いただきありがとうございます。
今回は「いつか語られることになうだろう」のいつかを、間話として記載しました。
思うままに書き進めていたところ、一万字を超えてしまい……
止むを得ず前後編と二話に分割させていただきました。ご容赦いただければ幸いです。
次回は『後編 禿鷹の誓い』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
ブックマークや評価いただいた方、本当にありがとうございます。
誤字修正や感想、ご指摘などもいつもありがとうございます。
ここだけの話、個人的に好きな小説に敬意を表し、「ガイエ」の旗、サラームを「ガイエの都市」(※お察しください)としたかったのですが、色々問題もあると思いとどまり、他にもネットで調べると、実は「ガイエル」が正解だという記載もあったので、日本語を採用し、「禿鷹の旗」に落ち着かせました。