第二十九話(カイル歴503年:10歳)改変 水龍の怒り
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【⚔ソリス男爵領史⚔ 滅亡の階梯】
カイル歴503年、慈雨ときに荒れ狂い水龍を放つ
オルグの川、猛る水龍となりて大地を穿つ
水龍の怒り、大地の護りを打ち砕き民を襲う
マーズと呼ばれし町、民と共に濁流に消え還らず
豊穣の実りもまた水龍の贄となり泥濘に消える
民は大いに嘆き、飢え、エストールの大地涙に濡れる
大いなる災い、民の守護者を滅亡の階梯へと誘う
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カイル歴503年の夏が来た。
オルグ川の大氾濫、穀倉地帯を押し流し、マーズの町を濁流に沈める夏が……
これまで必死に回避して来た【前回の歴史】も、ここで対応を誤れば全てが無駄になってしまう。
「クリス、工事の状況はどうなっているかね?」
「問題ありませんわ、貴方。当初遅延していた予定も、エランとメアリー、地魔法士が2人加入した事により挽回しました」
「では、間もなく工事は完了すると?」
「予定していたものは全て完了していますが、今は更に追加の補強を実施しています」
「それは何より、では水路と水門、そして緊急時の対応はどうなっている?レイモンド」
「水路と水門の改修、補強は完了しております。緊急時の対応も、全て手配は完了しております」
そしてレイモンドさんは此方に向き直った。
「タクヒールさま、例の配置はどうなりましたか?」
「マーズの護りは、地魔法士のメアリーと水魔法士のサシャが行います。メアリーは堤を都度修復、その間サシャは水流を変え、メアリーをサポートします。
エランはエストの街から下流を担当します。範囲が広大なので、状況に依っては本部付きのサラを支援に回していただけると助かります」
「タクヒールさま、ありがとうございます。では彼らの配置はそのように」
「タクヒール、サラの件は承知しました。此方でも留意しておきましょう」
「母上、ありがとうございます」
「因みにメアリーは、自分の町は何としても自分で守る、と息巻いています。
兄さまと私は災害時の輜重部隊として、炊き出しや避難所の指揮を行います。
射的場や受付所、定期大会実行委員などの人員がこれにあたります」
「タクヒールさまに補足します。
行政府の指導で流域の領民には、防災出動、避難訓練なども実施しており、周知はできております」
ここ一年、皆でずっと準備してきた。
それぞれが必死になって頑張ってきた。
やるべき事は、全て対応済み……、の筈だよね? 恐らく。
会議も終わり、数日後、天候が急変しにわかに雨が降り出した。
エストール領全土がドス黒い雲に覆われ、雨はだんだん激しく、そして一向に止む気配は無かった。
「これは……、来るな」
「来ますね」
ソリス男爵と家宰のレイモンドは2人で空を見上げていた。
あれから3日経った。
激しい雨は未だに止む事がない。
天の底が抜けたような雨、まさにそんな感じだ。
「オルグ川の水位、危険水域に入りましたっ!」
切迫した兵士の報告に皆が立ち上がった。
「これより全員配置につけっ!
レイモンド! 流域の各村、町に避難勧告、そして防災部隊は集合し詰所に待機!
クリスは危険箇所にて待機、機を見て随時対応!
ダレクとタクヒールは炊き出しや避難民の受け入れ準備を!
今すぐ行動を開始する」
父の指令で皆が一斉に動き出した。
降り続く豪雨のなか、川はまだ氾濫していないが、既に辺り一帯は水浸しだった。
「これは、エラン発案の水抜き水路、洪水にならなくても役に立ちそうですね」
そう呟いたレイモンドは、防災部隊を率い、堤の状況を確認するため巡回する。
「後は頼みましたよ」
そう言い残し母はメアリーとサシャが護るマーズの町へと旅立った。
ソリス男爵は街の外れにある射的場を防災本部にしてそこに詰めている。
「射的場にこんな使い方もあるとはな」
ひとり呟きを漏らしていた。
そう、屋根と壁があり高さもある屋内施設。
奥行きも十分あり、多くの人員を収容できる。
俺たち輜重部隊もここで配給する食事を用意していた。俺たちは射的場の受付、街の受付所や実行委員の面々とともに、支援部隊として対応した。
こうしている間にも濁流はさらに勢いを増している。
後に【水龍の怒り】と呼ばれた一日が始まった。
「報告っ報告っ!」
早馬が到着しオルグ川氾濫の第一報がもたらされた。
「何処ですか?」
「ここより先、フランの町に抜ける街道上の橋だ」
俺も父も予想外の場所だった。想定の中にはあったが、最初にここが溢れるとは思ってなかった。
この街道は南へ抜ける最も重要な街道で、鉱山の中継地であるフランの町まで伸びていた。
大量の鉱石や鉄を運ぶため、オルグ川には頑丈な橋が掛かっていた。
「状況を説明せよっ」
「橋自体は堅固に改修されており、健在です。
その橋に流れ着いた流木等が引っ掛かり、水を堰き止めてしまいました。その為一帯は川が氾濫、現在は新たに築いた堤で洪水をくい止めております」
兵の報告を聞き、父は判断した。
「レイモンド、部隊を率いて橋より下流へ!橋が限界を超えると、一気に下流に来るぞ!対策と撤退の判断を見誤るなよ」
「はっ!了解しました。行って参ります」
「エラン、サラさまと2人で私と共に! 急いで水の逃げ道をお願いします」
慌ただしく彼らは出動していった。
※
同時刻:マーズの町近くで
激しく降りしきる雨の中、轟音を上げて濁流が流れる脇の堤防で、必死に作業する女性達の姿があった。
「サシャ、もう少しだけこの濁流、支えてね」
「は、い……、奥さ、ま、だ、い、じょうぶです」
クリスにも分かっていた。
サシャは限界まで頑張り水流を何とか別の方向に逃していることを。
「メアリー、サシャが支えてくれてる今よ!」
「はい、奥さま。絶対護ってみせます!」
クリスの地魔法は土地の鑑定ができる。それを使い、今現在崩壊しそうな場所、濁流に削られて弱体化している場所など、次々と指摘して、メアリーが補強する。
ずぶ濡れになり、風雨に飛ばされそうになるのを耐えながら、クリス、メアリー、サシャを始め土嚢を抱えた防災部隊は不眠不休で戦った。
「マーズの町を護る!」
この思いだけが彼女たちを支えていた。
※
暫く後:エストの街郊外
荒れ狂う自然の猛威を前に、自らの無力さを悔やむ男達がいた。
「レイモンドさま、もう橋は限界です。退避を」
「全員、安全圏まで退避っ! エラン、サラ、放水路を解放してくださいっ! 下流域への警報も忘れずにっ」
暫くして、ついに橋が限界を超えて崩壊、支えがなくなった川の水は鉄砲水となり、一気に奔流となって下流を襲った。
これまでなんとか濁流に持ち堪えていた堤も、一気に限界を超え、次々と崩落、各所で氾濫が発生していった。
「くっ!水の勢いが強すぎる…これではもたない」
「ここは諦める、これより我々は下流域へ移動!」
悔しそうに、その場に留まろうとするエランに家宰が新たな指示を下す。
橋があった付近は既に氾濫した濁流で満たされ、外側の堤で何とか持ち堪えていたが、鉄砲水となり狂奔した濁流は容赦なく下流の堤を削る。
轟音と共に堤が崩落して、新たな一帯を泥濘に飲み込んだ。
下流域には次々と被害が広がる。
流木や土砂を含んだ鉄砲水は怒涛の勢いで流域を駆け回り大地を削る。
※
ソリス男爵一家、家宰、地魔法士たち、防災部隊は夜を徹して各地を飛び回り対応に奔走した。
いつ終わるかもわからない水龍との戦い。
それは、永遠に続くかと思われ、全員が疲労の極地に達していた。
そして、悪夢の夜が明けはじめたころ、やっと川の流れが少しだけ弱まって来た。
「あともう少しだ!」
誰からともなく、皆に希望の言葉が出始めたころになって、【水龍の怒り】はその終焉を見せ始めた。
多くの大地を泥濘に沈めて…
夜が明けてからは、雨も小降りに、雲も心なしか薄くなり、明るい空も見え隠れしはじめた。
水の勢いも徐々に弱くなり、視界も開けてきた。
それでも俺たちは戦場のような忙しさで走り回っている。
本部にいる父の所には、続々と状況の報告が入り、おおまかな被害の全容が見えてくる様になった。
今回の洪水被害はエストール領に限って言えば、甚大ではないが、少なくない被害が発生していた。
避難指示が徹底しており人的被害は皆無だったが、一部の農村ではそれなりに大きな被害もあったようだ。
原因は最後の鉄砲水だった。
それにより、マーズの町や穀倉地帯よりはさらに下流、ヒヨリミ子爵領に近い一帯が泥濘に沈んだ。
エストの街に設けられた避難所、炊き出し所は数百の避難民であふれ、兄と俺はここからが本番、という忙しさだ。
今回の洪水被害、それでも【前回の歴史】と比べれば、嘘みたいに軽微な被害といえた。
前回にはなかった
・事前の準備と対策が十分だったこと
・地魔法士の増員と対応ができたこと
・現場で迅速な対応ができたこと
そんな要素が役にたったはずだ。
「ふぅっ、なんとか……、なったか?」
俺はこの結果に満足して安堵のため息をついた。
後日になって、真の凶報を知るまでは……
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