第二百八十九話(カイル歴513年:20歳)命を賭した秘策
二百八十九話の内容が変更され、前回予告時とタイトルが変わっております。
どうかご容赦ください
闇の氏族が潜む地下迷宮で、思いもよらぬ攻撃を受けて致命傷を負ったキリアスは、口から血の泡を吹きながら、あらん限りの力を振り絞り左手に込めた。
『あと少し、少しだけだ! わが命よ……、持ちこたえてくれ』
そんな、既に声にならない祈りにた言葉を、心の中で叫びながら……
そして、部屋の中で閃光と轟音が響いた瞬間、キリアスは右手で剣を握ると、命を使い果たすつもりで床を蹴り、正面に向かって突進した。
その後訪れた一瞬の静寂……
キリアスが立っていた場所の左手には、雷撃の直撃を受けたであろう焼け焦げた男の屍が横たわり、正面には双方とも胸を貫かれた男たちが、まるで彫像の様に立ったまま動きを止めていた。
一人は胸を槍に貫かれたまま、そしてもう一人の深くフードを被った男は、キリアスが突き出した刃によって胸を深く貫かれて……
そして、ゆっくりと2人は交錯するように床に崩れ落ちた。
倒れた拍子に、キリアスの腰元に下げられた大きな水袋からは、中の液体がゆっくり流れ出した。
彼らが流した大量の血と共に。
『まだ……、、決して、目を……、まだ……、だ』
消えかかる命の炎と、暗闇に沈む意識の中、キリアスは歯を食いしばりながらかっと目を開き続けた。
そして……、彼は動きを止めた。
「ちっ、最後になって無駄にあがきよって! 御前はっ? ご無事ですか?」
「ふぇっふぇっふぇっ、アゼルよ、慌てずともよい」
そう言うと老人は、胸を貫かれて倒れた男の左後方、そこの暗闇から姿を現した。
「こ奴には身代わりとなってもらい、申し訳ないことをしたがな」
それを見たアゼルは安堵の表情で跪いた。
そして再び驚愕することになる。
「いえ、御前の身は何よりも優先いたします」
「なっ、リュグナー! お前まで生きて? ではこの亡骸は……」
亡くなったと思っていた仲間の声に驚き、一瞬状況が理解できずにいた。
この男はどこにいたのだ?
「セルペンスには申し訳ないことをしたな……」
そう呟いたリュグナーの顔を見て、彼はやっと状況を理解することができた。
そもそも、胸を貫かれて亡くなった、使いの者が告げた『酒肴の準備が整っている』とは、裏切り者や無用の者を始末することを指した、彼らの隠語だった。
そして、キリアスが招き入れられる前の暗闇の中、用心深く猜疑心の深い二人の男は、それぞれ自身の身を守るため、身勝手とも言える行動を取っていた。
老人は、キリアスの来訪を告げてきた男を暗闇の部屋に招き入れ、自身の立ち位置と入れ替わり、その後ろで闇に潜みながら言葉を発していた。
リュグナーは、キリアスを背後から襲うため、入口側にいたセルペンスと位置を入れ替えていた。
そのことはアゼルや当のセルペンスも了承していた。
だが、実はそれすら偽装で、入り口付近に移動し、顔を隠してキリアスを招き入れた後、暗闇を利用して更に一芝居売っていた。
キリアスの後ろを付いて来た男を、彼の闇魔法で偽装すると、自身の立ち位置と入れ替わった。
そしてリュグナーは、闇の中で姿を隠蔽しつつ、セルペンスの更に後方、キリアスから見て左後方に潜んでいたのだ。
キリアスはセルペンスの方向から発せられる声で、ぼんやり見えていた彼を、リュグナーと誤認させられていたに過ぎない。
そして、頃合い良しとみると、彼に槍の一撃を見舞わせていたのだ。
自らの手を汚さず、安全な位置に潜んで。
「老師、キリアスめがこの様な暴挙に出たということは、ここも既に露見している可能性が高いと思われます。口惜しくはございますが、こうなっては最早猶予はございません。
我らは老師をお守りすべく動きますので、急ぎ居を移す必要があると考えます。老師には直ちにご出立のご用意をお願いしたく……」
「待てっ! リュグナー、その前に質しておきたいことがある! 貴様は何故セルペンスを……」
アゼルはリュグナーが自身の身を守るため、仲間を囮にしたことが許せなかった。
「アゼルよ、構わぬ。戦いともなれば、最も手強いリュグナーを最初に狙うのは自明の理。用心深く謀深き者が生き残り、用心の足らぬ者が命を落とす。それが我らの習わしじゃ。今はよかろう。
其方もこの様になりたくなければな」
そう言って老人は、まるで嘲笑うかのように、互いに胸を貫かれ交錯して倒れている2人に歩み寄り、上から冷たい視線を投げかけた。
そして、最後の一歩を踏み出した時、一瞬だけ顔をしかめた。
暗闇で分からなかったが、2人の流した血だけとは思えない量の血溜まりが床に広がっており、不快な音を発して足元を濡らしたからだ。
「何じゃ、これは? 血……、ぐがぁぁぁぁぁっ!」
一言呟いたあと、突然発した轟音と共に、老人は絶叫しながら激しく痙攣した。
既に絶命したと思われていたキリアスの左手が、微かに動き、その手が浸かっている血溜まりに、最後の雷撃を放っていたからだ。
「何だっ!」
「御前っ!」
2人は悲鳴を上げたが、突然の事態に硬直し身動きひとつ取れずにいた。
そして辺りは、何か焦げ臭い臭いに包まれた。
「くっ、首を! 早く奴の首を切れっ!」
「御前っ!、御前っ! どうか……、お気を確かにっ」
2人が再び絶叫すると同時に、先程槍を刺した男が、抜き放った剣を両手で振り下ろそうとしていた。
『最後の最後まで、魔境伯の知恵に頼るとはな……、どう足掻いても……、私が決して敵わん訳だ。
あと、は……、アイ……、ヤール……た……、の、む……』
キリアスは命の灯火が消える瞬間、心の中で呟き、自嘲するかのように微かに笑みを浮かべた。
だがその目は、大きく見開かれたままで、決して閉じられることはなかった……
「そんな……、御前……」
アゼルは絶句して、その血だまりに転がる、三人目の男の傍らで膝を付いた。
「何だこれは? こ奴、水袋に大量の塩水を用意して……、一体なぜ?」
そこで初めて、キリアスの腰元に結わえられていた、必要以上に大きな水袋が目に入った。
しかも敢えて口を閉じていないのか、横たわると中の水が勝手に流れ落ちるようになっていた。
「ふん、どうせ我らの首を、塩漬けにする算段であったのだろう。愚かな奴よ。
今や自身の首が塩漬けになるのだからな。アゼル、呆けている猶予はない。これより急ぎ出立するぞ」
『唯一無二の指導者を失ったと言うのに、奴は何故落ち着いていられる?』
そう考えた瞬間、アゼルは心の奥から疑念と怒りが湧き起こってくるのを感じずにはいられなかった。
「リ、リュグナー! 貴様!」
「落ち着け! 嘆いても老師はお戻りにはならん。
我らには老師のご遺志を継ぎ、大望を果たす義務がある。それが分からぬ訳でもあるまい。
我らは急ぎ此処を立つ」
(たった今、『用心の足らぬ者が命を落とす』と老師自身がそう仰ったばかりでは無いか。
ここに至っては、最後の訓えを、ありがたく我らも受け止めさせていただくまでよ)
「一体何処へ?」
「老師の仰った、新しき依代の所へ向かう。それが次代を担う、我らに課せられた使命よ」
『こ奴もまた父親に似て、不相応な夢を描いていると言うことか? 哀れな奴だ。
貴様らは元々、御前からも後継と目されておらんわ!
だが……、今は致し方ない……、御前の遺志を継ぎ、今度はこ奴を使い潰すとするか?』
怒りだけでなく、幾つかの打算のあと、アゼルも腹を括った。
「これより直ちに、持てる限りの財貨と、生かした首を連れて我らは出立するが……、先に掃除を済ませておく必要もあるな……」
リュグナーはそう言うと、キリアスを槍で刺した男に向き直った。
「奴の兵は何人だ?」
「外に80名、此方に4名です」
「そこまで落ちぶれたか。無様だな。一時は1,400名もの兵を伴い、前線に参加していたというのにな」
そう言ってリュグナーは、キリアスの亡骸を見ながら嘲笑っていた。
だが、彼自身、人のことを言えた義理ではない。
彼も、フェアラート公国反乱軍三万と、八千の王国反乱軍を無様に失っているのだから……
それを知るアゼルは、冷めた目でリュグナーを見据えていたが、リュグナーはそんな事を全く気にしない様子で話を続けていた。
「貴様は『忠誠を誓った』配下のみ率いて地上に戻り、奴が目的を果たしたと伝えよ。その後隙を見て、地上の雑兵どもに襲い掛かれ! 奴らが動揺した隙に、私の配下が押し包んで殲滅し、退路の安全を確保する」
「承知いたしました。ではあ奴めの首を……」
そう答えると男は、転がっていたキリアスの首を無造作に拾い上げ、布で包むと部屋を出て行った。
「上の戦闘に参加しない者たちは手分けして、直ちに作業に入れ! 最も価値の高い大金貨を優先して運び出すのだ。今は使えない金貨や使い勝手の悪い金塊は後でいい! 何より外の掃除が優先だ」
外に控えていた者にそう伝えると、リュグナーは次々と指示を出し、脱出の手筈を整えて行った。
方やアゼルは、暗い部屋の中で老人の傍に跪きながら、忌々しげな表情でリュグナーの背を見据えていた。
暫くして、地下迷宮の中で、怒号と剣戟が交差する音が鳴り響き、すぐに静かになった。
これより、闇との戦いの第二幕が上がる。
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次回は『物言わぬ遺言』を投稿予定です。
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