第二百八十八話(カイル歴513年:20歳)最後の忠義
辺境伯からの手紙を読んだ翌日、俺は王都カイラールを出て、テイグーンに戻ることにした。
周辺四カ国との戦後交渉は、全て終わった訳でもなく、一部の国とはまだ詳細を詰めている途中だと聞いた。何よりも俺の領地ですべきことも山積している。
一応、数週間後に改めて王国内の全貴族と、戦功のあった者たちが招集される予定とされていたし、何より、このまま王都にいて、殿下の件でこれ以上面倒ごとに巻き込まれるのも嫌だったし……
そう判断し、早々にテイグーンへの帰路についた。
王都からテイグーンまで、もう行き来に慣れてしまった街道を抜け、やっとテイグーンの城門に到着した時、慌てた様子でミザリーが駆け寄って来た。
「タクヒールさま、申し訳ありません。急ぎお渡ししたい書状がございます」
「ん? ミザリー、誰からだい?」
「その……、事が事ですので……」
「……、分かった、急ぎ行政府に向かう」
ミザリーが敢えて言葉を濁したこと、俺を門の前に待ち受けて、真っ先に知らせてきたこと、これには相応の理由があると理解できた。
そして俺は、行政府の一室、領主執務室にて、その書状を受け取り、中身を開いた。
差出人は裏切り者となった、キリアス元子爵だ!
「ちっ! あの野郎。そんな事で恰好つけるんじゃねぇよ!」
書状を読み進めるうち、俺が思わず発してしまった言葉だ。
そこの中には、彼が闇に唆され落ちていった経緯と、その悔恨の言葉。
そして亡くなった者たちと、ハストブルグ辺境伯への詫びの言葉。
更に、開戦前に遡ったキリアス子爵本人と、妻との離縁状、縁戚への絶縁状が添えられていた。
そこに付して、キリアス家の残された者たち、彼らの未来を俺に託したいと記した言葉……
更に、闇に蠢動する者たちの情報、その拠点となっている隠れ家など、彼がこれまで知りえた範囲のことが記載されていた。
だが、最後が問題だった……
『私は自らの愚かさにより、人としての道、王国貴族としての道、武人としての道を踏み外した。
その責任を取るため、最後の忠義を示すために、自らを裁くつもりでおります。この国を脅かし、暗闇に蠢動する悪意を道連れに』
そう記載されていた。
「くそっ! 間に合わないかもしれないが、サザンゲート砦のダレク兄さんに早馬を!
事態を告げ、大至急地理に詳しいカッパー男爵を派遣してもらうように」
外で待つミザリーに聞こえるように叫ぶと、俺は立ち上がった。
慌てて部屋に入って来た彼女に向かい、更に続けた。
「あと関係者、ソリス伯爵、ゴーマン伯爵、クライツ、ボールド、ヘラルド男爵にも情報の共有を!
王都のクライン公爵にも早馬を送ること、忘れるなっ」
そう、これは俺一人で完結できる話ではない。
急ぎ関係者に情報を提供しておく必要があると判断した。
「ミザリー、今から俺の言う内容の手紙を複製して、それぞれの使者に持たせてやってくれ。
ただし、複製に関わるのは、俺の身内だけだ。情報は極秘扱いとしてくれ。今から手分けして対応を進めてほしい」
事態を察したのか、アン、クレア、ヨルティア、そしてユーカも集まっていた。
「アン、今からアイギスの団長の所に向かい、500騎で構わない、精鋭を率いてイシュタル側から北上してほしいと連絡を。ユーカは義父上のところに!
ラファール、バルト、クレア、ヨルティア、レイア、シャノンは俺と共に。テイグーンから脚の速い精鋭100騎を率い、コーネル子爵領に向かう。子爵には途中でこちらから使者を出す。急ぎ動くぞ!」
そう、キリアス子爵が自ら幕引きを行おうとしている心情は理解できる。
だが、もし討ち漏らした場合どうなる?
この先も彼らの陰謀が続くことになり、そして、彼の名誉は永遠に閉ざされる。
「あのエエ恰好しぃめ! 自ら出頭して縛に付いて刑を受ける代わりに、何故俺たちを頼らない!
忠義を示し死ぬとして、幕引きに失敗したら元も子もないだろうが!」
そう吐き捨てて、俺は走り出した。
彼の手紙には、狸爺と俺がずっと探っていた、不可解な出来事に対する、答えに近いものが記されていた。
・初代カイル王と闇の氏族との確執
・彼らが行ってきた貴族社会への歪な洗脳
・彼らの光の氏族、重力の氏族に対する策謀
・南部辺境貴族を弱体化させるための策謀の数々
・他国を扇動してカイル王国を一度滅ぼす企み
全ては500年も前から始まっていた……
そして彼らは、カイル王国を弱体化させる策謀を巡らし、敵対する貴族(氏族)の足を掬い、南部辺境地域へ魔手を伸ばしていた。
帝国の侵攻も、結局奴らが後ろで糸を引いていた!
前回の歴史も、今回の世界も全て、諸悪の根源は彼らにあった、そういう訳か……
俺が知る歴史の悪意、その一部、いや、その多くは、彼らによって紡ぎ出されていたのだ。
そして、これが終わりではない。
そして今回も結果的には、彼らの野心は打ち砕かれたが、彼らの力はまだ潰えていない。
家族を、仲間たちを、そしてこの国も守るためには、彼らと対峙し、打ち勝たなければならない。
俺はたちは急ぎ編成された軍を率いて、ガイアからディモスを抜け、コーネル子爵領へと入っていった。
※
元ヒヨリミ子爵領中央部から東側、ハストブルグ辺境伯との領境に連なる山々は、高さこそあまりないものの、急峻な岩山が延々と続き、幾つかの細い間道を除けば、完全に二つの領境を隔てる形になっていた。
その周辺一帯には農耕に適さぬ荒れた大地が広がり、人里も遠く離れていたため、この間道自体を知る者も少なく、その存在を知る者さえ、滅多に通ることがないものだと言われている。
もちろん、新領主としてこの地を治めることになったコーネル子爵も、この間道の存在を知らない。
だが今、この間道を迷うことなく進む、100騎あまりの男たちがいた。
彼らの目的地は、その先にある人が立ち入らない岩山の一角、洞窟の奥に築かれた、地下迷宮だった。
「それにしても閣下はどうして、この様な場所を?」
「ふん、前に一度連れてこられたことがあるからな。そうでなくてはこんな場所、辿り着けんわ。
それで、目印は各所に残して来ているのだろうな?」
「はっ! 抜かりなく……」
「そうか……」
短く答えたキリアスは、黙って後ろに続く部下たちをじっと見つめ、瞑目した。
『こんな所まで巻き込んで来てしまったか……、開戦前は1,400名いた部下たちも既に100騎。
ここまで付いて来てくれた忠義溢れる者たちだが、私の愚かさ故に、彼らには苦難の道を強いてしまった。だが彼らには大事な役目がある。私の首を取り、王国に帰参するという……』
「閣下、前方に何やら洞窟のようなものが見えます!」
「やっと到着したか。では80名はここに待機!
私は20名を引き連れ、内部に侵入する。良いか!
私が戻らぬ場合は、この入口で火を焚き、風魔法士によって内部を煙で満たして潜む者を燻り出せ!
出てきた者は、一人残らず有無を言わせず討ち取れ」
「閣下、私も是非、お連れください!」
そう言って最後まで彼に付き従うよう申し出てきたのは、ここまで従っていた2名の側近のうちひとり。
長年共に戦場を往来し、騎士爵を授けた者であった。
「ならん! アイヤールよ、其方には残った兵を指揮し、彼らの未来を繋ぐ役目がある!」
キリアスは、2人の側近にだけ、これまでの経緯の一部と、今後彼の考える事後の処理、それらを伝え託している。
そしてそのうち一人だけを伴い、中へと入ることは事前に言い含めていた。
「こんな私に……、これまでよく付いて来てくれた。暫くすれば魔境伯率いる軍勢も到着するだろう。
其方であれば魔境伯も顔をご存じだ。良いか、決して戦うでないぞ……、では、行かん!」
「かっ閣下っ!」
「アイヤール、すまんが後はお前に託す。私が本懐を成し遂げた暁には……、さらばだ!」
アイヤールは泣きながら、キリアスを見送った。
因みに同行するもう一人の側近は、彼が目的を果たした後、その首を取るという、これもまた過酷な任務を託している。
外に待機する80名は、ある程度の事情を察しているのか、皆一様に泣きながら、洞窟へと入る20名を見送っていた。
※
キリアスたちが侵入した岩山の洞窟、その中に密かに築かれた地下迷宮の一室では、周辺諸国を巻き込む陰謀を巡らした首謀者、4名の男たちが集っていた。
小さな燭台しかない、地下の薄暗い部屋の中では、周囲の様子もぼんやりとしか見えない。
そして彼らは一様に、深くフードを被り、顔すら判別できない状況の中、低く、小さな声で話し続けていた。
「それにしてもリュグナーよ、貴様の提案を基本的には同意する。汲むべき点もあると思う。
が、しかし、実行面での困難さは否めないぞ。既に戦は終わっているのだからな」
「そうですな、アゼル殿の仰る通り、奴の周囲は手練れが固めており中々隙がございません。
また、奴自身も相当の手練れと聞いています。その辺はどうお考えですか?」
「セルペンス、隙がなければ作れば良いだけのこと。手は幾らでもあるわ。
奴の守りが固くとも、奴の妻たちはどうだ? 奴の娘はどうだ?
我らの力があれば、屋敷の者たちをかどわかし、侵入することも容易だろう。一たび屋敷の中に入りさえすれば、その先は成功したも同然よ」
「ふぇっふぇっふぇっ、お主らはまだ、小僧憎しで、小事に拘りすぎておるの?
今の時点で奴を殺してどうなる? 戦は既に終わっておるのだぞ?」
「ですが、老師……」
「リュグナーよ、小僧を始末するのは変わりない。じゃが、それは最も効果的な時期に、じゃな。
それよりも今は、今後我らが祭り上げる者の去就について、考えを巡らせるべきではないかな?」
「異なことを……、王国内の傀儡共はもう……、それにあ奴は、今や我らの手の内に……」
「そちらではないわ、もっと大きな者じゃ。奴はいずれ、大火を巻き起こす火種となろう。
以前なら囲い込むことも難しかったが、今に至ってはその機会もあろう?
長き時を掛けて、我らが蒔いた種じゃからな。もっとも、本人にはその自覚はないであろうがな」
「では老師は……」
「何度も言っておるであろう、手は二重三重に打っておくものだと。我らの策はまだ潰えておらんわ。
長き時を経て打ち込んだ楔が、やっと実っておるのじゃ。新しき花を咲かせずにはおれんじゃろう?」
「では、北の戦場から拾ってきた傀儡の方は如何しますか? 傷もやっと快方に向かい動けるようになりましたが……、処分いたしますか?」
「せっかくセルペンスが戦場より引き上げて来たのじゃ。首は生かしたまま保存するの一番じゃろう?
必要な時、必要な相手に、いつでも差し出せるようにな。ふぇっふぇっふぇっ」
「老師の仰せのままに。
それにしても、ひとたび戦いが終われば、敵兵すら治療する奴らの甘さに乗じるとは、セルペンスも中々機転の利いた行動だったな。奴らの聖魔法士も、まさか敵軍の首魁を治療したとは、思ってもいないだろうて」
そう話していた時に、に小さくコトリ、と音がして、扉の外側から低い声がした。
「お話中、失礼いたします。たった今キリアス卿が帰還されました。如何いたしますか?
『酒肴の準備』は整っておりますが……」
「ほう? あ奴もまだ生きておったか?
どうやらこれで、生かしたまま保存する首が、もうひとつ増えたか。じゃが片方は……、どうやら塩漬けにせねばならんようじゃな」
「老師の仰る通り、あ奴めはもう、宿り木としての価値はございませんゆえ」
「そうですな、汚物はさっさと流してしまうのが一番かと……」
「リュグナー、アゼルよ、『酒肴の準備』ということじゃ。どうやら奴も参加したいのであろう」
その言葉を受け、アゼルが動き、燭台を容器で覆ったため、部屋の中はほぼ暗闇となった。
それを確認したセルペンスは、ドアを開け、先程報告してきた者に何かを告げた。
少しして、一人の男が部屋の中に招き入れられた。
キリアスは招き入れられた部屋に入り、暗闇のなか少し進むと、そこで再度燭台の覆いが外された。
薄暗い部屋の中は、かろうじて周囲が見渡せる状態だったが、彼は部屋の中央まで静かに進み、正面に向かって跪いた。
「キリアス、只今帰還いたしました。大役を果たせず、面目次第もございませぬ」
「ふぇっふぇっふぇっ、大魚を逸したのはこの三人も同様じゃ。そう恥じ入ることもなかろう」
深くフードを被った老人の話を受けて、キリアスは、改めてゆっくりと周りを見回した。
当然ながら、リュグナーとは面識がある。だが、この薄暗さでは顔すら判別しにくい。
部屋の中では、彼の正面に首魁の老人、左右に距離を置いて2人の男、そして……、入り口にひとり。
『ちっ、それぞれが俺を取り囲むように対角線上に立っているか。これではままならんな。
一人は恐らくアゼルという男だろう。だがもう一人いるということは、右と左、どちらがアゼルだ?
そして奴ら以外に、後ろの入口に居る男は、東、皇王国を担当していた男か?』
「それにしても、皆様がご無事で何よりです。我らはこの先、いかが動くべきでしょうか?
その指示を仰ぐべく、敗残の身ではありますが、帰参いたしました」
「ちょうど我らもその話をしていたところよ。これから魔境伯の領地を襲い、奴の身内を血祭りにあげる準備が、先程整ったところだからな」
彼の左手に立っていると思われるリュグナーが、声高に先ほど却下されたはずの計画を告げた。
『こ奴らは自身の身勝手な策謀により、この国を亡ぼすことしか考えていないのか?』
そう考え、キリアスは強い怒りを覚えた。
『この中で最も剣が使えるのは、恐らくリュグナー、ならば最初に奴を雷撃で封じ、それと同時に突進、首魁を切り下げて右へ転じ、続けざまに2人を斬り捨てて……、いけるか?』
そう考え、さりげない動作で左手をリュグナーの方角へ、そして右手はいつでも剣が抜けるよう、鞘に触れ、咄嗟に動けるよう少しだけ重心を落とした。
その時だった。
「がふっ!」
思わず声を上げたキリアスは、そこでの動きを封じられていた。
灼熱のような感覚が背中から胸に突き抜け、彼の胸からは細い槍先が鈍い色を放ち突き出ていた。
「んなっ! お前っ……」
キリアスが振り返った後ろには、彼の最後を看取るはずの部下が、冷たく、氷のような表情で自身に槍を突き刺していた。
「ははは、我らが犬を放し飼いにしておくとでも思ったか! 貴様にはこ奴が監視者として付いたのも知らず、我らの掌の上で踊っていたに過ぎんわ!
愚か者め」
部屋にはリュグナーの哄笑が響き渡った。
「くっ、俺は最後まで道化だったと言うことか……、だが……、せめて一太刀……」
キリアスは声にならない、祈りにも似た最後の声を上げた。
そして、このあと、最後の力を振り絞り、本懐を遂げるために、彼らの想像を越えた行動に出る。
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は『物言わぬ遺言』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
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