第二百八十七話(カイル歴513年:20歳)託された想い
王都でのひと悶着も、結局最後は陛下とクライン公爵が折れ、二国間の懸け橋となる婚姻が、当事者以外は渋々了承されることになった。
まぁ結局、最後はクラリス殿下の一言……
『もしお認めいただけないのであれば、王族を捨て、今より単騎公国へ出奔させていただきます!』
そう言って部屋を出て、走りだそうとしたことが決め手だった。
まぁ陛下と狸爺には、殿下を出汁に別の企みがあったようだが、俺の知った話ではない。
俺は政治とは無縁の、国境を守ることが主任務である魔境伯だ。
……、そうありたい。
翌日に執り行われた、凱旋報告と公国への遠征報告に関わる謁見は、問題なく終わった。
前日と比べ、まるで抜け殻のようになった、憔悴して灰となり、覇気のなくなった陛下に対して……
この謁見の最後に、俺は陛下より書簡を預かっていた。
そこには、帝国との交渉の経緯、新領地に関して今後王国としての領地配分の予定などについて記載してあったが、新しく得た領地の部分には、至極簡単に数行が記されているだけだった。
ひとつ、帝国の新領土は基本的に魔境伯に与える。
ひとつ、ただ一部を伯爵領、4名の子爵領とする。
ひとつ、新領土統治のため貴族の新規任命を認める。
ひとつ、任命希望者の氏名と過去の功績を提出せよ。
ひとつ、今回は内地の功による推薦も特例で認める。
ひとつ、騎士爵より上位貴族への任命は、推薦された者の功が、王国として相当と判断された場合に限る。
帝国内の新領土については、幾つかの留意点だけ了承の上、基本的には俺の領地として考えられているようだった。
こんな守備の難しい敵地を貰っても……
少し複雑だよな。
だが、論功行賞で俺の仲間、配下の者たちを貴族に、俺はここに注目した。
なるほど……
では思いっきり沢山推薦してやろう。まぁどこまで叶えてくれるのかは微妙だけど。
そして、その書簡に紛れてもう一つ、俺に宛てた一通の手紙が含まれていた。
それは、今は亡きハストブルグ辺境伯から、俺に宛てた手紙だった。
俺は沸き起こる感情の大波に、今すぐ開封したい思いに苛まれたが、内容を見て平静を保てる自信がなかった。
そのため、急ぎ王都の屋敷に戻ると、自室にひとりこもり、万感の思いで辺境伯の指印により封蝋されていた、その手紙を開いた。
『ソリス魔境伯よ、いや、敢えて我が息子、タクヒールと呼ばせてもらおう。
血縁こそないが、息子の居ない儂は、其方やダレクを長年、実の息子のように思い、その成長と栄達を見守ってきたつもりじゃ。そなた達の成長が、儂にとっても楽しみでならなかった』
確かにそうだ。
俺たちは辺境伯によってずっと見守られてきた。
それが今になって一層、痛いほどに分かる……
『儂は其方らと戦の最終準備を語らい、見送った後にこの手紙を認めることにした。
あの時、我らはこの戦が終わったのち、三人で心行くまで飲み明かすと約したが、この手紙を其方が読んでいるということは、それももはや、叶わぬ夢となったことじゃろう』
そうだ、あの時だ。
俺はあの時、辺境伯とダレク兄さん、二人が見送る中アイギスへと戻った。
沸き起こる、言いしれない不安とともに……
『この手紙は、国王陛下に送った書簡に添え、王国が此度の戦乱に勝利し、其方が無事生きていたときに渡して欲しい、そう願って預けていたものだ。
今この手紙を読み、王都に凱旋している其方は、きっと比類なき武功を上げ、救国の英雄となっておるのじゃろうな。儂も其方の肩を叩き、我が息子と思い見守って来た其方らの功績を喜び、これまでの苦労を称えて労いたかったが……、もうこれは詮無いことよ』
俺は手紙を読み進めていくたびに涙が溢れてきた。
辺境伯は俺の最大の庇護者であり、貴族のなかでは最大の理解者でもあった。
辺境伯の存在なくして、今の俺の立場はあり得ない。
俺は今回の戦で、失ってはならない程の大きなものを、失っていたのだ。
『先に逝った者として、其方にわが願いを託すことは、誠に心苦しい話ではあるが、どうか、わが心中を察し、儂の願いを聞いてほしい。そして、わしの願いを叶えるため、どうか其方の力を貸してほしい。そのために、まずはちょっとした昔話に付き合ってくれるかの?
儂が辺境伯の地位を継ぐ前、まだ其方らに近しい年であった頃、共に王国の未来を語らい、この国を支える一柱として、国境を守る防人として戦い、死してもなお守人として、この国を護らん、そう誓い合った仲間、いや、盟友と呼ぶに相応しい者たちがいた』
そう、俺はかつて、父や義父から聞いたことがある。
初めて帝国が侵略してきた際、この国を守るため戦い、散っていった先人たちの話を。
今のキリアス子爵領及び、ボールド、ヘラルド、クライツ男爵領の全てを領していた、ファルムス伯爵。
勇名を誇ったゴーマン三兄弟の長兄、ゴーマン子爵。
戦略戦術に長け、当時の辺境伯の参謀役を担い、エストール領の前領主であったアベルト男爵。
この三人はいずれも皆若く、王国で将来を嘱望されていた優秀な人たちだったと。
『儂はあの戦いで、かけがえのない友たちを失った。それだけではない、命を賭してこの国を守った彼らに、報いることすらできなかったのだ。
彼らが遺した者たちを後継者として立て、彼らの勇戦を子々孫々まで語り継がせることが叶わなかった。
特にファルムス家、アベルト家は、直系の後継者がおらず、家名自体が断絶してしまうに至ったのじゃ!
この時儂は、前線の苦労も知らず、ただ他人の命の上にもたらされた安逸を貪る王都の老人たちや、当時から国政を牛耳っておった先代の復権派の者たちを呪った』
もしかしてこの出来事が、辺境伯の旗幟を明確にさせたのか?
いや、俺は狸爺から、まだ王子であった時代の陛下と、辺境伯はその当時から懇意であったと聞いたことがある。
ということは、この理不尽な処遇も、王子派(王権派)だった辺境伯の力を削ぐこと、そんな目的があったと邪推することもできる。
『そして儂は誓った。彼らの後継、その血を受け継ぐ者たちを、いずれは世に出してやらねばならんと。
じゃが、まだ若い彼らの身内には、後を継ぐべき男児もなく、国境守る大任を受け継ぐに足る大人たちも、みな戦いで失われていた。
そこで儂は考えた。彼らの一族を次代の優秀な若者たちに娶せ、彼らの想いを、そして彼らの血脈を後世にまで残していこうとな。其方や兄にとっては、いささか迷惑な話であったかも知れんがな。
アベルトの妹、彼女の産んだ娘フローラを其方の兄に、ゴーマンの末弟、その娘を其方に嫁がせるよう画策したのは、儂の感傷的な想いであったこと、今は心より詫びねばならん』
俺はあの時の出来事、カイル歴506年に行われた合同最上位大会のことを思い出していた。
まるで辺境伯とゴーマン子爵が、タイミングを合わせたかのように、不自然にも娘たちを同伴してテイグーンを訪れていた時のことを。
「ふふっ、あの時から、全部始まっていたんですね……」
不思議と俺には、悔しさも口惜しさもなかった。むしろ、俺も兄も、あれが切っ掛けで彼女たちに出会えたことを、今は深く感謝している。
『じゃが、今となってもまだ果たされておらん誓いが残っておる。
儂が巻き込んでしまった其方に、このことを託すのは筋違いであり、道理が立たんことは承知の上で、敢えて其方に願う。帝国との戦が終わった暁には、ファルムス家を再興させる力になってやってほしい。
微力ではあるが、その道筋は作ったつもりだ』
そういうことか……
今回の戦いで、キリアス子爵の配下にあった三男爵を、ファルムス軍として独立部隊にしたのは、この先を見据えたお膳立ての、いわば第一段階だったということか。
俺にはちょっとひっ掛かっていた人事の理由が、この時やっと腑に落ちた。
『あの戦で唯一生き残ったファルムス家の若者たち、ボールド、ヘラルド、クライツの3名は、傍系であったが男爵に昇爵させ、各々にファルムスの遺した娘たちをそれぞれ嫁がせている。
彼らの結束とファルムス家再興の思いは固い。どうか、彼らを引き立て、ファルムスの家名を再興することに、力を貸してやってほしい』
ふむ……、これは少し慎重に動かないといけないな。
もちろん、再興への助力は喜んで行うつもりだ。
だが、三家あるうちで、どの家が主家となるのだ?
これまで並列の三家だっただけに、新たな火種となりかねないのではないか?
『なお、ファルムス家については、其方が悩む必要はないぞ。
既に三家の中で、それぞれの行く末は彼ら自身で決めておるでな。主従となることや身の振り方まで、彼らの間では決まっておることじゃ』
ははは、もう見透かされていますね。
承知しました。俺はただファルムス家の再興にのみに専念し、辺境伯の想いを引き継がせてもらいます。
論功行賞や領地配分がこの先、どうなるかは分からないし、キリアス子爵領が誰に与えられるかは不明だけど、帝国領の新領地は広大だ。そちらなら俺の差配でなんとかなるだろうし……、いや、何とかしなくてはならない。
『未曾有の戦を前に、このような文を認める儂を、其方は不思議に思うかもしれん。
じゃが、感じるのじゃ。この頃はしきりに、懐かしい友たちの顔が浮かび、彼らの叱咤する声が聞こえるようでな。大戦を前に何を弱気なことを、そう笑われるかもしれんが、此度の戦に限っては、どうもそんな気がしてならんのじゃ』
このことは、俺も辺境伯を責められない。
前回の歴史を知る俺自身、今回の戦いは尋常ならざる覚悟で臨んでいた。
未来を想い、眠れぬ夜や夜中に飛び起きることさえ、幾度となくあった。
アン、ミザリー、クレア、ヨルティア、ユーカ、共に寝所を過ごしてきた彼女たちも、そんな俺の様子を十分過ぎるほど理解し、敢えて何も言わずにいてくれた。
俺自身、テイグーンに残るミザリーには、俺に万が一のことがあった時のみ、開封を許可すると言って、遺言状を残して戦いに臨んでいた。
俺が子供のころから常に愛用していたイヤーカフも、今回だけは形見として外して出陣していた。
恐らく兄も、父たちも同様だろう。
家を預かる者として、それは責務に近いものだ。
『儂が思い描いていた責務、先に逝った彼らの血を受け継ぎ、次の未来を担う者たちを育てること。
これは成った。そしてファルムス家のことについても、おそらく其方なら承知してくれるじゃろう。
ここで儂の、最後の我儘じゃ。
儂のことで思い悩み、時には悲しみや後悔の念に駆られることもあろう。だが、それらを忘れてくれ。
どうかいち早く忘れ、其方たちはこれからの未来だけを想い、考え、そして前へと進んでくれ。
儂は常々こう思っておったのじゃ。
良き未来とは、今の苦難を懸命に乗り越え、時代を駆け抜けた者、その者にのみ与えられると。
過去の悲しみに囚われておっては、前に進むことも叶わんじゃろう。
年長者が先に旅立つのは、変えようのないこの世の摂理じゃ。そう納得してもらえるとありがたい。
どうか、我らが遺した王国の未来と、我らに付き従ってくれる者たちの未来を、拓いてやってほしい。
我が息子、儂が王国の未来を託す者よ、どうか悲しみを忘れ、前だけを見てこの先へ進んでほしい』
最後は……
我が息子に願いを託す……
そう一言、書き添えられていた。
俺はもう涙が止まらなくなった。
辺境伯、ごめんなさい……、今日だけは、あなたの願いを破ります。
息子と呼んでくれてありがとうございます。俺は貴方の想いを引き継ぎます。
叶わなかった未来、貴方が夢見た未来を、きっと切り拓くと、お約束します。
俺を見出し、影日向に支え続けてくれた貴方への恩を、生前に返すことはできませんでしたが……
そして、明日からはきっと……、悲しみを忘れる努力すると、お約束します。
だから今日だけは……
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は『最後の忠義』を投稿予定です。
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※※※お礼※※※
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