第二百八十五話(カイル歴513年:20歳)二枚舌
サザンゲートの地にて、カイル王国との交渉をまとめ上げた第三皇子とジークハルトは、サザンゲート要塞をカイル王国のゴウラス騎士団長に明け渡し、軍を帝国領内まで引いた。
そして、帝国側の国境近辺に一万の軍勢を残すと、アストレイ伯爵に指揮権を預け、残りの兵を率いて帝都グリフィンへと戻った。
そう、彼らにはまだ、解決しなければならない大きな課題が残されていたからだ。
交渉結果を、帝国側の首脳部、特に第一皇子派の貴族たちに納得させるという……
カイル王国との交渉がまとまり、それを主導した第三皇子が帝都グリフィンに戻ったと聞き、帝国の大臣クラス、そして第一皇子派、中立派など、各派閥の領袖たちも急遽グリフィンへと参集した。
そして彼らの内なる戦いが始まる……
事態を共有する会議の冒頭、第三皇子陣営から今回の戦況の推移、敗戦して虜囚の身となった第一皇子の身柄返還と、それに関わる諸条件、カイル王国との交渉結果が共有された。
「グラート殿下にお伺いしたい! そもそもの話だが、グロリアス殿下を敵に預けたまま、何故おめおめと帝都までお戻りになられた?」
屈辱的とも思える交渉結果に、第一皇子派の人間が激しく糾弾を始めた。
「ふっ、面白いことを言うな。
奴を取り戻すためにも、先立つ物が必要ゆえ帝都に戻ったまでのこと」
「殿下の軍は健在、更に局地的には勝利されていたとも聞き及んでおります。なのに何故、栄誉ある勝利を捨て、戦いを放棄して戻って来られたのか、私共も敢えてそれをお聞きしたい」
中立派の者たちも、自らの疑問を口にすることを憚らなかった。
ふぅ……、阿呆の相手は疲れるわ。こいつらは何も情勢が見えていないのか?
ハーリー以外はみな、帝国という巨大な国の体面に囚われ、もはや世間知らずの烏合の衆に成り下がったということか?
第三皇子はそう思いつつも、敢えて彼らに答えた。
「異なことを言うな。放棄も何もグロリアスの失策により戦は帝国側の負けとなった。
まだそれが分からんのか?
敢えて貴様らに問う! 俺は、自らの軍を全滅させても、グロリアスを救わねばならんのか?」
「今やグラート殿下は誰もが認める皇位継承者。それが、戦場に臣下を置き去りにしては道理が立たないとお考えにはなりませんか?
ましてグロリアス殿下は、殿下の兄君ではありませんか?」
『よく言うわ。そもそも奴が臣下となることを拒み、俺を蹴落とすために始めた無用の戦ではないか。
ここで兄弟の情を持ち出すなど、見当違いも甚だしいわ』
「帝国軍が負けるはずがないでしょう。いや、負けるわけにはいかんのです。
大国たる帝国の面子もご考慮いただきたいものですな。
殿下が交戦している間に、皇帝陛下に新たな軍をお願いして、奪還作戦を実施すればよいと考えますが」
『此奴らは頭がどうかしてるのか?
帝都の中枢にある者は皆、帝国という巨大な魔物に囚われているのか?
現実に戦う者たちの苦労も知らずに……』
「それでは敢えて貴様らに問う。これらの質問に明確に答えられない者の意見を、俺は聞く気にならん。
ひとつ、3万を超える軍をどうやって整えるのだ? 願えば兵が湧いて出るとでも思っているのか?
ひとつ、寄せ集めの烏合の衆で勝てると思うのか?」
「ですが……、帝国には常備軍だけでも20万の軍勢がいるではないですか!」
「お前は俺たちを馬鹿にしているのか?
グロリアスは結局3万、我らも戦線を維持するためやむを得ず3万、結果6万を動員したのだぞ。
20万あるうちの6万もだ! お前たちはこの意味が分かっているのか?」
残念なことに、いや、彼の予想通り、反対派の反応は鈍く、その意味を理解していないようだった。
ため息をこぼしながら第三皇子は続けた。
「これ以上兵を動員すれば、他の国境はどうする? 帝国領は広大であり国境の守備範囲はそれに比する。
国境以外、各領内の兵を根こそぎ動員すれば、帝国内の治安維持はどうする?
まさか、皇帝陛下をお守りするためグリフィンに駐留する、陛下の親衛軍も動かすとでも言うのか?」
「それは……、帝国各地より少しずつ引き抜けば、三万程度は集まりましょう。それで何とか……」
「奴の指揮した左翼は、精鋭3万の軍勢で完膚なきまでに負けたのだぞ。それを寄せ集めの3万で勝てると言うのか? それとも、奴が殊更無能だったから負けたと、お前はそう言いたいのか?」
「いえ、そうではありません。
左翼はグラート殿下に差配をお任せできればと思っております。グロリアス殿下の奪還作戦を含めて……
これは帝国の名誉を回復するための戦い、殿下に主導いただくことが必要と考えます」
『どうしようもない馬鹿だな。此奴らは。何故俺が、そうせねばならん』
彼らの言い分に呆れ返ったグラートは、隣で欠伸をしていた小憎らしい男を、テーブルの下から小突いた。
『俺はもう我慢の限界だ。奴らの相手は任したぞ』
グラートは目でそう語り、彼らの相手をするのをやめた。
「えっと……、栄えある帝国の重鎮である皆様にお伺いします」
側から見れば唐突に、本人としては嫌々ながら、ジークハルトは話しを始めたが、彼の言葉全てが面倒くさそうに発せられた、感情の全くこもっていない棒読みだった。
「グロリアス殿下には、第一皇子としての名誉を優先いただき、我らは帝国の誇りを守るため再戦する。
その結果、殿下には王国の盾となるよりは死をお選びいただく結果となること。
それとも、殿下のお命をなにより大事に、一時の恥を忍んでも我らができる最善の努力を行うこと。
皆様はどちらが優先ですか?」
「な、な、何故、再戦が殿下の死に繋がる!」
「グロリアス殿下が囚われ、その身柄返還と休戦交渉を行なっていた王国に、我々が再度攻めるのです。
これは、我らが殿下のお命など厭わない、そう告げているのと同様でしょう」
「その戦いで我らが勝てば良かろう。攻め滅ぼすか、国王なり王国の重鎮を捕らえて。
さすれば自ずと殿下の身柄も戻って来るではないか」
「貴方は勝てるのですか?
グラート殿下直属の兵と並び、グロリアス殿下の親衛軍は帝国最強だったのですよ?
是非とも非才なるわが身に、その戦略と攻略方法をご教示いただきたいものですね」
そう言うとジークハルトは彼らを睨みつけた。
具体的な戦略や戦術を持ち合わせず、なぜ彼らは勝てる、勝てばよいと言い切れるのかと。
「いや……、我らでは……」
「殿下が囚われているのは魔境伯領、左翼側です。
そこまで仰るのであれば、どうぞご自身で左翼を攻略してください。あの鉄壁の守りと、一方的かつ、一瞬で我らを殲滅できる魔導を持つ魔境伯の領地を。
皆様が安心して攻略に専念できるよう、我らが後詰として後方を固めさせていただきますので」
「な、何故我々が!」
「そのお言葉、そっくりお返ししますよ。そもそも『何故我らが?』」
そう言うとジークハルトは冷たく笑った。
これは彼の舌鋒が苛烈になる前兆だった。
「この帝国で最強の戦力をお持ちなのだ。まして兄弟を救うと言う大義のもと、今回も陣頭に立って当然ではないか!」
「皆様はどうも大事なことをお忘れのようですね。
グラート殿下とグロリアス殿下は、皇位継承を巡り互いに相入れない政敵ですよ。
今回、確定していたグラート殿下の皇位継承に異を唱えられ、そもそも我らを蹴落とすために無用の戦を引き起こされたお方を、何故我らが率先してお救いする義務を負わなければならないのですか?」
「……」
分かっていても、この場では誰もが憚って言葉にできなかった内容を、ジークハルトはこともなげに披露し、話を続ける。
「我らとて戦って負けるとは言っておりません。
ですが相手は強敵です。戦えば多くの兵を損ない、グラート殿下の御身にさえ危険が及ぶことでしょう。
皆様は、皇位継承が確定された未来の皇帝陛下の御身と、私利私欲で無用の戦を起こし、あまつさえ多くの将兵の命と帝国の名誉を損なったお方、どちらが大事と仰るのですか?」
「そ、それは……」
「明確にお答えできない、それは帝国に叛意を持つと解釈されても、仕方のないことですよ」
「いや、そんな……」
「では、私の申し上げていることもご理解いただけるはずです。
話を戻しますが、皆様は帝国の面子とグロリアス殿下のお命、どちらが大切とお考えですか?」
「聞くまでもなかろう! 殿下のお命は何よりも優先する」
「では何故、再戦を望まれる?
何故、殿下のお命大事で交渉を進めてきた、我らの話をお聞きにならない」
「そ、それは……」
「では、対価の支払いによる殿下の身柄返還、このお話に戻しますがよろしいですね?」
「だが……、その対価が大きすぎるのではないか?」
「どこが大きいのですか? 栄えある帝国の第一皇子、皇位継承者候補の身代が軽い訳がないでしょう!」
このジークハルトの言葉を聞いて、第三皇子は思わず吹き出しそうになってしまった。
先程はあれほどけなしていた第一皇子に対し、舌の根も乾かないうちに、今度は価値を持ち上げる。
「皆様の仰る、『大国たる帝国の面子』とは、その程度のものなのでしょうか?」
ここでジークハルトは彼らの言った言葉を、違う意味で揚げ足を取り、追い込み始めた。
「グラート殿下を始め我らは、自らの所領を削り、グロリアス殿下をお救いするために身を切る努力をしております。翻って皆様は、殿下をお救いするため、何をなさっていただけるのですか?」
「そもそも貴様らが不利な条件で勝手に……」
「黙りなさい! その『貴様』にはグラート殿下も含まれていること、理解した上でのお話ですか?
そうであれば私は、この場で貴方を討たねばなりません。皇帝となられる方を侮辱し、その決断を蔑ろにした罪により……、お覚悟はよろしいか?」
「ヒィっ!」
そう言ってジークハルトが、これ見よがしに剣に手を掛け、身を乗り出したのを見て、不用意な発言をしてしまった者は、蒼白となって椅子から転げ落ちた。
ここに至り、第三皇子が無言で、そっと手を横に差し出したのを見たジークハルトは、一礼して着席し、何事もなかったのかのように話を続けた。
「皆様にはグラート殿下の遠謀深慮が、ご理解いただけていないようなので、補足させていただきます。
難攻不落の穴蔵にこもる敵を叩くより、餌に釣られて柔らかい腹を晒す敵を撃つ方が、遥かに犠牲も少なく、そして楽ではありませんか?」
「……」
「穴蔵から餌を見せて誘い出し、腹一杯で動けぬところを討つ戦略の、何処が愚策と言えますか?」
「それは……」
「だが、これまでの歴史の中で、帝国が領土を失ったという歴史はない! 体面だけではなく、先人たちの努力を蔑ろにするのは、如何なものか?」
答えに窮した者を見兼ねて、更に別の者が議論に加わる。
「おや? 僕の記憶に間違いがなければ、過去にも『帝国は領土を失った』例はありますよね?
最南端の街とその一帯は、十数年前にはスーラ公国に占領された歴史があったと思いまずが……
皆様はお忘れになったのでしょうか?」
「あれは……、卑怯にも公国が、突然国境を破って侵攻して来たからではないか!
それに……、奪われた土地はグラート殿下が奪還された。結果として、帝国領に戻っておるではないか」
「ふふふ、だからそう言うことです。
我らが出す餌に対し、彼らに世話をさせて、育てさせれば良いのです。後日、十分に実った際に収穫すれば良いことです。これは、『結果として帝国領に戻る』になりませんか?」
「だが……、みすみす他国が我らの土地から果実を得るのを見過ごすのも……」
「見過ごすのではなく、育てさせるのです。
『大国たる帝国の体面』についても、今回割譲する土地が戻ってくれば、何も問題がないのでしょう?
しかも開発で手を入れ豊かになるという、利息まで付いてくるではないですか。
まぁ、そう言うことですよ。
彼らが幾ら精鋭を揃えたとしても、左右に広がったあの広大な領地を、どうやって守りますか?」
「その意図がある、と理解してよいのか?」
「だからこその、25年の休戦協定なのですよ。
この間に、我らは安心して軍を南側に転じることができるでしょう。帝国はより強大になります。この意味の大きさはご理解いただけますよね?
そして我らは、急所ばかりの旧領に対し、圧倒的に有利な立場で臨めることになります」
ここでも神妙な顔をして、ただ頷くだけの第三皇子は、必死に笑うのを堪えていた。
彼にはジークハルトの真意が分かっているため、この場限りの二枚舌に半分呆れつつ……
ジークハルト自身、後日を期してカイル王国側と再戦する気などさらさらない。
そして、四半世紀も経てば世代交代が進み、今ゴネている老人たちは、ほぼ全員表舞台から姿を消す。
反対に、グラートは帝位に就いており、絶対的な権力を手中にしており、こんな話は簡単に反故にできる。
結果として彼らに、空手形を切っているだけなのだから。
「先ほどどなたかが、『帝国の歴史にない』、そう仰いましたが、これまでの帝国の歴史には、皇帝陛下を含む、皇位継承候補者が敵軍の手に掛かり、囚われの身となること、そんな醜態はございましたか?」
「ぶ、ぶ、無礼な! グロリアス殿下を指して!」
「無礼なのはどちらですか?
名誉ある帝国の体面を汚し、多額の賠償を支払わせることを醜態と言わず、何と言う!
皇帝陛下ならいざ知らず、殿下といえどその指揮能力や戦略眼を疑わずにはいられないでしょう。
私は帝国の立場からそう申し上げているのです。毎年行われる会議で、皆様自身が、皇位を継承する資格として、そのように発言されていませんでしたか?」
「たかが子爵風情が……」
「そうです。『たかが子爵』の我々でも、自身の領地を削り、殿下の身を救おうとしている。
翻って貴方たちは、何をされていますか?
その議論に異を唱え、かつ、グラート殿下の遠大な策に声を荒げて非難をされるばかり。どちらが無礼ですか!」
「だが我らには出来ることが限られて……」
「先程あれほど無理を承知で、形振り構わずグロリアス殿下の救出を、そう仰っていた皆さまです。
そのお言葉が誠だと、証明できる機会がございます。皆様が敬愛されている、グロリアス殿下のために」
「まさか……」
「はい、我らは広大な領地を、皆様には、長年蓄財された財貨の一部を、ご負担いただきたく思います。
『たかが子爵』や伯爵の我々でも、領地の半分以上を提供したのです。
帝国では名だたる名家でいらっしゃる皆様が、どれだけの忠義を示されるか、我々は強い関心を持って見ております」
「だが……、帝国大金貨100万枚とは……」
「そうだ! 大金貨100万枚など、一体どこから捻出すると言うのだ」
その声にジークハルトは不敵に笑った。
まるでそんなこは、分かりきっているかのように。
「皆様も我らに等しくご領地を半分、又はそれに等しい財貨を献じていただければ、十分過ぎるほどに足ると思います」
「いや……、それは……」
ジークハルトは挑発をやめ、ここで一気に落とし所へと舵を切った。
「ちょっとしたお話をさせてください。
グロリアス殿下の親衛軍3万のうち、無事に帰り着いた者は僅か5千、2万5千名近くが失われるか、捕虜となりました。彼らの俸給だけで、毎年幾らになるとお考えですか?」
彼の理論は簡潔だった。
仮に親衛軍の俸給が、平均で一年当たり帝国大金貨20枚として見積もっても、2万5千人なら50万枚。
そう考えれば、捻出できない金額ではないだろう。
「半分程度は、グロリアス殿下の管理されている軍事費から捻出し、残りの半分は皆様から。
もちろん各家が供出いただいた金額は、グロリアス殿下にも報告させていただきます。
皆様の忠誠をお見せする機会として……
万が一、足らず分があれば、やむを得ず皇帝陛下におすがりするしかございませんが」
「ぐっ……」
「それは……」
声を荒げていた者たちは、一斉に押し黙った。
何故なら、今や政務に飽き、後宮に籠りっきりの皇帝なら……
『そんな酷薄で頼りない貴族など不要だ。忠義なき者として取り潰し、その財貨で贖うが良かろう』
無関心にそう言ってのける可能性は、十分過ぎるほどあったからだ。
かつて直属の臣下として共に戦い、皇位継承を後押しした、ハーリー公爵も同じく虜囚の身にあり、ブラッドリー侯爵、ゴート辺境伯などは既にこの世にいない。
今やこの場に、親しく皇帝に進言できる者など誰も居なかったからだ。
「こ、この件は、我らに任せていただく。協議の上で配分を決め、50万枚を用意させていただく故、陛下のご宸襟を騒がせることは、どうかご遠慮願いたい」
第一皇子派の者が蒼い顔をして、そう告げた。
「皆様のご英断に感謝します。これでグロリアス殿下と、多くの将兵の命は救われるでしょう」
「だが……、これで良いのか? カイル王国が調子に乗る可能性もあるぞ」」
中立派の中には、まだ納得のいかない者もいた。
「我らは戦いをやめましたが、放棄した訳でもありません。これからも、王国との戦いは続きますよ」
「異なことを……」
誰もが、ジークハルトの言葉の意味することを理解できなかった。
「カイル王国との血で血を洗う戦いは、ひとまず休戦ですが、商いの場で互いに鎬を削る戦いは、これからが始まりと考えています。
我らはこの先、経済という戦争で、勝利を収める目的で戦いを続けます。勝利に浮かれた王国には『調子に乗らせない』ように……」
そう言ってゾッとするような笑顔を見せると、ジークハルトは再び一同を見渡した。
「私共は、この戦いに皆様のご参戦を心よりお待ち申し上げております」
笑顔でそう言ったジークハルトの言葉で、会議は締めくくられた。
彼らの意図した通りに……
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次回は『壮大なすれ違い』を投稿予定です。
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※※※お礼※※※
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