第二百八十一話 征旅⑤ 事件の始まり
俺たちが王都フェアリーに入った翌日に行われた謁見は、以前に俺が特使として訪れた際の謁見とは、全く様相が違っていた。
だがそれも当然である。
フェアラート公国では結局、6割以上の貴族たちが反乱に参加し、その多くが有力貴族たちだった。
しかも、国内各地に点在する国王派や、中立を決め込み領地に逼塞していた者たちも、先日の戦いで国王派が勝利したとて、昨日の今日で王都に駆け付けることなど、無理な話だ。
そのため、謁見の間を埋めていたのは、かつて居た大勢の貴族たちに代わり、少数の国王派貴族と、軍服を着た近衛師団の者たちが大半を占めており、華やかさとはかけ離れた、何とも言えないものものしさがあった。
そして今の俺の立ち位置は、公国にとって特使でもなく賓客でもない。団長やラファールたちが王都で大きく喧伝した結果、その立場は大きく変わっていた。
正式に国王の依頼を受け、公国の窮地を救った英雄、そして、例え反乱分子の所業とはいえ、公国としては国として詫びねばならない、相手国を代表するいわば重要人物だ。
謁見の間に入場したあと、跪くことなく立礼のみ行った俺に対し、国王はわざわざ玉座を降りて迎えた。
「ソリス魔境伯よ、この国を代表する者として礼を言わせてもらう。また此度の反乱に関して、貴国には多大なる迷惑をお掛けした。其方にはカイル王に宛てた、謝罪と感謝を記した書状を託したい。
そして、我らの窮地を救ってくれた英雄に、友として礼を述べたい。反乱軍を一撃のもとに葬った、其方らの武勇は、この国に永く語り継がれることとなろう」
「私共はただ、我らが王と陛下のご友誼に応え、助力させていただいたまで。身に余る光栄なことですが、これも陛下のご威光の賜物と存じます」
「我らが感謝の気持ち、そして迷惑をお掛けした対価、それらも其方に託したい。フレイム、仔細を」
指名されたフレイム伯爵が、黄金の盆に乗せた目録のような物を持って進み出た。
「我が国の不平貴族共が、カイル王国を侵略し貴国の大地を土足で踏み荒らしたこと、真に許すまじき所業として、今後、賠償に関わる内容を協議する使者を、改めて王国に遣わします。
先ずは差し当たり、見舞金と王弟、王妹殿下の滞在費をお受け取りいただきたい」
~目録~
フェラート公国は、カイル王国に当面の見舞金として、以下の公国金貨を託すものとする。
ひとつ、カイル王国への見舞金として、金貨100万枚
ひとつ、従軍した者への見舞金として、金貨30万枚
ひとつ、王国の領民への見舞金として、金貨10万枚
ひとつ、王弟、王妹の王都滞在費として、金貨10万枚
また、フェラート公国は、遠征派遣軍に対する軍費として、以下を支給するものとする。
ひとつ、魔境伯への軍費として、金貨10万枚
ひとつ、従軍した兵一人当たり金貨10枚、計8万枚
ひとつ、その他の諸経費として、金貨2万枚
これら全て、正式な交渉に先立ち支払うものとする。
なお、公国はこの先王国に対し、異心の無いことを示す証として、両国の国境に存在する公国側関門は、その管理をカイル王国側に委ねるものとする。
「これ以上の遠征派遣軍に対する褒賞は、カイル王を差し置いて勝手に其方に送る訳にはいかんのでな。
この先、カイル王の承諾のもと、正式な賠償と其方への恩賞を支払う用意があるゆえ、軍費については遠慮なく受け取ってくれるとありがたい。本来は労をねぎらうため、ゆっくりもてなしたいものだが」
そう言ってフェアラート国王は笑った。
たしかに、外交儀礼上で使者に贈られる土産や、ちょっとした褒美ならともかく、恩賞となると筋目を通す必要がある。勝手に恩賞として朝廷から官位を受け、兄頼朝の不興を買った義経の事例もあることだし。
遠征軍に支払う軍費、その名目なら、差し当たり問題ないだろう、ということか?
まぁ、軍費10万枚と見舞金の金貨8万枚は手を付けずに、一旦は王国に差し出した方がいいかな?
俺たちは当面、その他諸経費でなんとかなる。
公国側の関門に備蓄されていた物資も、回収できるものは全ていただいたし。
「はっ! 陛下のお心遣い、確かに受け取りました。改めてお礼申し上げます。
我らの国はまだ、各国との戦いによる戦禍から回復しておりません故、この場を辞したのち、帰国の途に就かせていただきますこと、ご容赦いただければ幸いです」
俺は色々考えを巡らした後、短くそう答えた。
国内だけでなく、領内でもやらなくてはならないことが、まだ山のようにあるし。
謁見の後、帰路はフェアラート王が手配してくれた船に乗り、サラームの近郊まで一気に戻る形だ。
ただ、全軍が乗船するには船の用意が間に合わないため、俺に同行したのは魔境騎士団から選抜した者と、俺の依頼で王都フェアリーにて多大な買い付けを行った、ティア商会の面々だ。
俺にとっては、ずっと昔、日本にいた頃以来の船旅だ。
出発してからはずっと、舷側に立って周囲の風景を観察したり、船の構造を見分していた。
「団長、この水上輸送力、そして水軍などについても戦力として侮れませんね」
「そうですな、王国内にも大河はありますが、国内に出口(海)がありませんからね。水運もあまり整備されておりませんが、あのように酒を飲んでいるだけで、戦地まで兵を運べる力は、脅威ですね」
そう言って団長は、船首で酒盛りを始めた一団を見て笑った。
団長も、この船の軍事転用や商用化に関心を示し、俺と行動を共にしていた。
そして団長が言った一団、いわずと知れた近衛兵団の兵卒に扮した国王と、そんな事情を知らず、酒盛りを楽しむ男たちだった。
「ははは、船旅とはいえ先は長い。そう思って飲酒を許可したのは不味かったでしょうかね」
「軍律に縛られた我ら兵士はともかく、ティア商会の者達を労うことは必要でしょうし、まぁ……、一人だけ軍律に縛られない男も居ますが」
そう言って団長は、何故か蒼い顔をして杯を傾けるラファールを見て笑った。
そう、もともとは俺が許可したのを良いことに、ハリムたちと、彼に同行していたザハークらが、ラファールを誘って始めた酒盛りだった。
そこに、予想外の闖入者が紛れ込んだのだ。
「ははは、兄さん、良い飲みっぷりじゃねぇか!
ラファール殿にも負けないぐらい、見てて気持ちがいいぜ。ささ、もう一杯!」
「そうだな、船の上で飲む酒は、陸とは違って良いもんだな」
「ははっ! 船だと酔いが回ったのか、それともただ揺れてるだけなのか、分からないからな」
「それにしともラファールの旦那、今日はやけに大人しいじゃねぇか?
まさか船の揺れに、もう酔っちまったのかい?」
「そうだな、ラファール殿、まだ先は長いぞ。俺からの酒も一杯、是非飲んでくれ」
「なんだ? 兄さん、ラファール旦那と知り合いかい? このお方は貴族様なんかにしておくには勿体ないぐらいの、俺たちでも気兼ねなく一緒に飲める、奇特な……、いや、貴重なお方なんだぜ」
「そうだな、兄さんがイケる口と言うのも合点がいったわ。それにしても兄さんは、酒と女、どっちの仲間だい?」
「まぁ……、しいて言えば両方だな。前にも一度、王都の宿屋で朝まで飲み明かしたことがある」
「ははは、兄さん! 娼館で朝まで飲んで遊ぶって、あんたも中々好きだな」
そう言って男の一人が気安く『兄さん』と呼ばれた男の肩を叩いた。
彼らにとっては、朝まで飲める宿屋=娼館だから、そう思うのも無理はない。
「あっ! お前っ何を! 無礼……」
そう言って慌てるラファールを、周りの男たちが笑った。
「おいおい、日頃は身分なんざ関係ねぇよ、そう言っていた旦那がどうしちまった?
それとも何かい? この兄さんが実は、旦那と同じ貴族さま、又はどこぞの御曹司とでも言うのかい?」
「まぁこの国の貴族たちは、みな偉そうで身分を嵩に着ている、いけ好かない奴らばかりだ。
俺たちに話し掛けること、まして一緒に酒を飲むなんて、絶対にあり得ない話だけどな」
「ははは、確かにな。だが兄さんは、よく見りゃ高貴そうなお顔をしていらっしゃるぜ。
因みにこっちの貴族さまは、全く貴族らしくねぇけどな」
「ははは、違ぇねぇ」
酔いと揺れで酒の回った彼らは、『兄さん』やラファールをネタに、盛り上がっていた。
もちろん、その男が雲の上の存在、彼らの国王であることなど知る由もない。ひとりを除いて……
それを少し離れた、俺たちの近くから、その様子を苦虫を嚙んだような顔で、見つめる男がいた。
「フレイム伯爵、陛下はいつもああなんですか?」
「ええ、近衛師団にいらした時は、よく新兵と共に酒を飲んでましたよ。相伴に付き合わされる我らは、いつも気が気でなりませんでした。今のラファール殿のように……」
「いやいや、傭兵の私が言うのもご無礼極まりない話ですが、昨晩の事といい、面白いお方ですね。
なんでも噂に聞いた話ですが、帝国の第三皇子も似たようなものらしいですよ。戦地では兵たちと同じ食事を食べて酒を酌み交わすとか……、なので兵士の士気は高く、結束は固いと」
「団長、そうなんですか?」
「はい、そんな噂を聞いたからこそ、タクヒールさまに救われる前は、帝国に渡り第三皇子に仕官を、そう考えていましたからね」
「まぁ、今回も一部上層部はともかく、近衛兵団第二軍が揺るがなかったこと、我らが策に使えたことも、こんな些細なことの積み重ねがあったからですが……
陛下は、いや当時は第一王子殿下でしたが、酒の席で兵たちから不満や不公正、不条理な行いの話を聞いては、将として常に改革を行われ、近衛師団にはびこる悪弊は一掃されました」
「なるほど、陛下に対する近衛師団の結束力と忠誠は、そこから生まれたという訳ですね?」
「男爵、仰る通りなのですが、ひとたび国王となられた今は、悪癖としか言いようがありません」
それって、まるで水戸黄門や遠山の金さん、暴れん坊将軍……、ちょっと例えが古過ぎるか?
現代風にいえば動画サイトで見たことのある、社長が平社員に扮して共に働くドッキリみたいなアレか?
確かに、事情と正体を知っている者には、相当きつい話だな。
フレイム伯爵は、苦笑しつつも、どこかもう諦めた様子だった。
俺個人は、かつて日本で見たような情報もあり、そんな王がいても面白いと思うんだけど……
大前提として、俺のなかに身分制度に縛られない、現代の記憶が強く刻まれているためだろう。
そんな関係者の様々な思いをよそに、船旅は順調に進み、俺たちは目的地に到着すると、船着き場を守る留守役の兵たちと合流し、サラームへと足を進めた。
もちろん、殿下には事情を知らせる先触れを真っ先に送って……
だがそこで、大事件の第一幕が上がることになる。
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は『第一幕』を投稿予定です。
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