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特別篇 新たなる世界の序章 二国間合意

二国間の交渉、その趨勢を任されたジークハルトとクライン公爵、二人の舌戦を固唾を飲んで見つめる者たちの前で、互いに譲らない狐狸の化かしあいは続いていた。


クライン公爵がこれ見よがしに見せていた、第一皇子グロリアスの書簡に書かれている内容など、ジークハルトには容易に想像できた。



『自身と兵を解放してくれれば、帝国領土の割譲と相応の謝礼を支払うことを約束する。

それを実現するため、帝国皇帝となる助力をいただきたい』



その様な趣旨の内容が記されていることだろう。

カイル王国はこれにより、侵略者ではなく帝国(第一皇子)から依頼された援軍として、大義名分を以て帝国領内に侵攻することができる。


そうなれば、時を合わせて他の二国、スーラ公国とターンコート王国も動き出すだろう。

第三皇子陣営は、三か国と身内を相手に包囲され、苦しい戦いを強いられることは、火を見るよりも明らかだった。



「ははは、痛いところを突かれますね。まぁあの魔境伯が、他国を侵略することに同意するとは思えませんが……、一旦ここは引かせていただきますよ。

それで、掛け値なしで、我々が検討可能なご要望はどうですか?

むしろ此方の方がグロリアス殿下の申し出より、現実的、かつ、労せず大きな対価を得られると思いますが……」



「そうじゃな。此度の戦では、我らも多くの兵と、かけがえのない盟友を失っておる。

我らの国境の安寧、彼らの魂と、家族に報いるためにも、賠償金として帝国大金貨100万枚、そして旧ローランド王国の領土、そのあたりが妥当じゃろうな」



「ははは、なかなか剛毅なお話ですね。ですが、帝国大金貨については、50万枚は無条件で、50万枚は用途を規定して、そういった条件ならお受けできますよ。

ですが、ローランド王国の旧領全土ともなれば、現皇帝陛下が即位を決められた戦果を、全て無にするお話です。

これは陛下のみならず、帝国の臣民としては承諾できかねる条件です。この点についてご検討いただければ、我らも妥協の余地はあるかも知れません」



余りの厳しい条件に、着座している4名以外、後列に並んでいた帝国の者たちは蒼ざめていた。

だが、事前にジークハルトと議論していた、グラート以下の3名は落ち着いていた。

以前彼が見せた、講和条件案を元に、ジークハルトの想定について、以前に説明を受けていたからだ。


グラートは当時4人でなされた会話を思い出していた。



◇◇◇ 講和条件案に関する事前協議



「身代金として帝国大金貨100万枚程度は覚悟してくださいね。なにせ皇位継承候補、しかも第一皇子の身代です。軽すぎても相手は納得しないでしょう。

ですが、我らの腹は全く痛みません。

これらは当然、グロリアス殿下の私財や、殿下を支持する者たちに払っていただきます。

それで我らは、敵対する勢力の力を大きく削ぐことになりますから」



「だがジークよ、100万枚とは破格すぎんか? 

それによって王国が力を付けるのは、些か口惜しい話と思うが……」



「叔父上、そこで用途に条件を付けるのです。どうせいくばくの領地を割譲することは避けられません。

大金貨の半分は、割譲した領地の開発に使わせます。

彼らとて、新領土を潤滑に経営するため、開発や開拓、建設事業などを行う必要性は理解しています。

そうなれば、人、物、金が動きます。それにより割譲先が潤えば、周辺にある我らの領地も潤います。

なんせ物資は、国境を経由して王国から運ぶより、俄然帝国側、我らの領地から調達する方が安価で便利ですからね」



ジークハルトは、国境近辺を描いた、大きな地図を指し示しながら笑って言った。

確かに、カイル王国側の国境地帯には、防衛施設以外は何もない、不毛の平原が広がっているだけだ。


なんと言っても、カイル王国の南部国境は、緩衝地帯とするために、敢えて王国の歴史の中でも永年開発が行われなかった辺境地である。

それなりに供給力のある大きな街といえば、国境からずっと北進した先の、ブルグの街以外は何もない。


現在躍進中の魔境伯の領地は、それを担う力があるかもしれないが、輸送面で大きな課題がある。

危険を冒して、最短距離の魔境を大きな商隊が抜けることなど、現実的に不可能であり考えられない。


遠き地や、大きく迂回して数十〜百キルの先から、時間をかけて物資を調達するより、すぐ隣の帝国領内から調達するほうが、遥かに早く、格段に割安となることは、誰の目にも明らかだった。



「はははっ、流石は狸に対する見事な狐の戦略だな。

どうせ物資の値段もそれなりに釣り上げるのだろう?

かつてお前が奴等グロリアスにやったように。

結果として奴等の払った金貨50万枚は、其方らの領地を潤すことになるのか……、これは笑うしかないな。それで、割譲する領地の方はどうなる?」



「それについては、最大限譲歩した場合、旧ゴート辺境伯領、および旧ブラッドリー侯爵領、旧マインス伯爵領などの伯爵領が2箇所ですね。

これで旧ローランド王国領の約半分程度です。これらを……、交渉で少しばかり減らしていきます」



「だが……、良いのか? お前たちは隣人に強敵を……」



◇◇◇ 現在の流れに戻る



「旧ローランド王国の版図のうち、それなりの領域、そういうお話でしたら、僕らも前向きに検討する余地があります。

どうですか、クライン公爵、帝国が身を切りつつ、妥協できる範囲、これでご了承いただけませんかね?」



「ふむ……、少なくとも第一皇子の派閥であった貴族領、ここは譲りたくないもんじゃのう。

4年前の戦いでも、我らは彼らに苦しめられたでな」



「では、転向した我らは、それから除く、としていただいても?」



「そう考えねばまた、振り出しに戻るのであろう?」



「お心遣い、心より感謝します。それではご提案です。こちらの地図をご覧ください」



国境近辺を正確に描いた、大きな地図をジークハルトが貼り出し始めたのを見て、グラートは誰にも聞こえないように、心の中で呟いた。



『ふん、狐め、あの時交わした会話通りに、ことは進んでおるわ。相変わらず恐ろしい奴だ』



アストレイ伯爵、ドゥルール子爵も同じ気持ちなのか、至極神妙な顔をして、その地図を見つめていた。


そこには、今は亡き領主たち、ゴート辺境伯やブラッドリー侯爵、マインス伯爵を始め、アストレイ伯爵、ケンプファー男爵、ドゥルール男爵などの旧領地が、線引きされて描かれていた。



「正直申し上げて、我らも身を切る思いです。先ずはそれをご理解ください。

これらの領地は四年前、グロリアス殿下が単独で貴国を侵攻した時の勢力図、旧領主の配置です。

その後、数家は断絶し、皇帝陛下の命を受け、此方のグラート殿下の管理地として、我ら3名がこれら全てをお預かりしているのが現状です」



神妙に説明しているジークハルトをよそに、その張り出された地図を改めて見たグラートは、思わず苦笑してしまった。



『あの狐め! また仕込んでおるわ。これが奴の言っていた、最悪の中の最良か……』



そう思って、思わず表情を崩してしまいそうになったのを、慌てて取り繕っていた。



地図は、実際にあった過去の旧領と比べ、滅びた貴族領は大きく削られ、アストレイ伯爵領、ケンプファー男爵領は都合の良いように大きく拡大され、飛び地となるドゥルール男爵領など、最も都合の良い位置に飛び地となるよう、彼の転向前の旧領に比べ、規模を数倍にして描かれていたからだ。

更にそれぞれの領境では、戦略的に拠点となる街や要衝は、ちゃっかり帝国側に取り込んであった。


挿絵(By みてみん)


当然ながらこの時代には、正確な地図など存在しない。

仮にあっても、それは戦略上の機密情報として、厳重に管理されていたため、この段階ではカイル王国の陣営は誰一人として、地図の微妙な変化に気付くことができないでいた。



「我らとて、長年先祖より受け継いできた旧領を、手放すことはできかねます。ですが、今から申し上げる三つの条件をご承諾いただければ、皇帝陛下よりお預かりしている新しい領地については、召し上げという形で、割譲に応じる用意があります」



「おおっ……」



カイル王国の陣営は、誰もが地図を見ながら、驚嘆の声を上げた。

色分けされて示された割譲候補の領地は、広さだけで言えば旧ローランド王国領の3分の1以上、国力の違いから、旧ゴート辺境伯領でさえ、ハストブルグ辺境伯領の倍近い広さがある。

カイル王とクライン公爵が事前に、落としどころとして想定していたものを越えたものだった。



「貴国はこの提案で、帝国内をまとめ上げることが可能、そう理解してよろしいかな?」



「ええ、クライン公爵、その通りです。そのためにも先程申し上げた三つの条件、これについて何卒ご承諾いただきたいのです」



「条件とは?」



「難しいお話ではありません。カイル王陛下にお願い申し上げます。

ひとつ目は、今回割譲される領地の少なくとも半分以上を、論功行賞にて魔境伯に預ける旨をご確約ください。

我らは、旧領の領民たちを王国にお預けする形になります。統治に優れ、圧政を行うことのないお方、安心してお任せできる新領主に預けねば、領民たちの行く末が心配でなりません」



「ふむ……、此度の戦役では魔境伯の武勲は膨大であるだけでなく、かつてないものである。余としても異存はない。国王として、正式に約するものとしよう」



その時カイル王は、一瞬だけクライン公爵と目を合わせた。

そして公爵も、周囲に分らぬ程度に、小さく頷いた。


ジークハルトは、論功行賞において王国内に不和の種を撒きかねない、この無茶な注文が即答で了承されたことに、少し訝しさを感じつつも、話を続けた。



「陛下のご温情には感謝の言葉もございません。

二つ目は、賠償金の帝国大金貨100万枚のうち半分、50万枚は割譲した領地の開発費など、領民を潤す施策に充てる、そうお約束いただければ、我らも安心して領地をお譲りできます。

それで領民たちの暮らしも保証されましょう」



「ふむ……、クライン公爵、この点はどうじゃな?

余としては賛成じゃが……、第一皇子を捕縛したのは魔境伯じゃ。その功に応じ、全額を与えても良いと考えているくらいじゃがな。

新領地も実りを得るまでには、時間とそれなりの投資も必要であるしな」



「御意、私も同じ気持ちではありますが、半数は依頼に従い確約とし、残りは武勲に応じ分配の必要もあります故、後日の検討とするのが上策と思われます」



「ご英断に感謝いたします。

最後は、この交渉がまとまりましたら、25年間の相互不可侵条約の締結です。

本来は100年程度、半永久的なものを考えておりましたが、反対派を封じる逃げ道とご理解ください。

この条約には、相互不可侵だけでなく、相互支援となる安全保障条約、一方の国が他国の侵略を受けた際、援軍を派遣する条項も加えたく思います」



これには誰もが言葉を詰まらせていた。

安全保障条約は、カイル王国にとって諸刃の剣、いや、破滅を誘う剣ともなりかねない。


王国側の全員が、この最後の一文に身構えていた。



「我らとしては、領土を割譲し王国側に柔らかい脇腹を晒すことになります。帝国臣民の恐怖を和らげる、苦肉の策とご理解ください」



「ふむ、其方らの苦衷も理解できる。

だが、立場を返して我らにとっては、その点は慎重にならざるを得ないな。この取り決めは、双方いずれかが侵略を受けた場合に限る、そう明記されておればまだ検討の余地もあろう。

余としても、帝国の侵略戦争に手を貸すつもりは毛頭ないからの。クライン公爵よ、どうじゃな?」



「はい、陛下の仰せのとおりにございます。大筋はそれで良いとして、詳細は文官たちに詰めさせ、諸条件を明確にした上で後日締結、それでよろしいかと思われます」



「ありがとうございます。

カイル王陛下のご英断に、最大の感謝を捧げます。

これで本日の主要議題、グロリアス殿下の身柄返還とその対価、二国間の終戦と条約締結の大筋は決まりました。改めて今後の二国の繁栄を祝うとともに、御礼申し上げます。

なお、ご列席の皆さまにご異存やご意見はございますか? 

無ければ仔細は両国の文官で詰め、その他の捕虜返還条件なども、そちらで協議したく思いますが……」



そこでおもむろに、グラートが発言した。



「ジークハルトよ、ひとつ忘れておったわ。

そもそも両国の諍いは、魔境がもたらす権益、それに端を発しておると聞いたことがあるが、どうか?」



「殿下、仰せの通りでございます。

魔境のもたらす恵み、魔法士を生み出す魔石などは、我が国にとって垂涎のもの。

そして、これこそが諸外国が王国を恐れる元凶とも言えます」



「では我らは、誠意の証として、今後はカイル王国に広がる魔境に関し、その権利と権益を侵さぬ、そう条約に記する必要はないか?」



この第三皇子の発言には、カイル王国の陣営が驚かされた。

敢えて不利になる条項を、自発的に盛り込むと言うのだから。



「仰るとおりです。その場合、できれば追記として、『魔境伯は魔境に関わること、産品や開発に関して、可能な限り帝国にも便宜を図る努力をする旨を約す』

、そう追加すれば、よろしいかと。

これで二国間の火種はなくなります」



カイル王国側からは、特に問題ないとの回答を得て、条文にはこの一文が追記されることになった。

いや、クライン公爵だけは何か違和感を感じていた。何故二国間の条約に魔境と魔境伯の名を記すのか?


確かに現状では、魔境の権益といえば、対象者はほぼ魔境伯になる。そうなるよう、彼らもこの先の論功行賞にて、領地の再配分を考えていたからだ。


ただ、第三皇子の発言はカイル王国にとって圧倒的に有利な内容であり、ジークハルトの言は、その失策を少しでも補う、苦衷の策に見えないこともない。


クライン公爵は、これらを全てひっくり返すだけの良案が見えず、この場は敢えて違和感を感じつつも沈黙していた。



このジークハルトが周到に考えた幾つかの戦略に、後日、この場に居ないタクヒールは、頭を抱えることになるが、それはもう後の祭りであった。



ここに、カイル王国、グリフォニア帝国は、双方で終戦を宣言し、和平を結ぶことへと至った。


想定された以上の譲歩を引き出した、王国側の成果もあるが、それすらも予想して、最悪の中の最良に結びつけた、ジークハルトの勝利とも言える交渉だった。


もっとも、この帝国にとって『最悪』すら、第一皇子を貶めるためのもなのだから、政敵である彼らにとっては『最良』の結果をもたらすことに繋がるのだが。


これこそが、ジークハルトの全体戦略の恐ろしさだったが、この時点でそれを理解できている者は少ない。



タクヒールの知る、前回の歴史は、ここで大きな転換期を迎え、全く新しい方角へと進み始めた。

もちろん、ジークハルトによって仕組まれた、新たな課題を抱えて……

いつもご覧いただきありがとうございます。

皆さまの応援のお力で、1月20日に書籍版第一巻が発売されました。

多大なる感謝と共に、深く御礼申し上げます。


5日間に渡って書き続けていた特別編は、今回を以て終了となります。

幾つか不透明な部分は、本編の論功行賞などで随時明らかになっていく予定です。

楽しみにしていただけると嬉しいです。


次回からは通常通り、3日毎の投稿となり、次回は【征旅 逆侵攻】をお送りします。


なお、最後になりましたが、書籍版をご購入くださった皆さまには、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

よろしければ、活動報告などで、ご感想、ご意見をいただけると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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