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特別篇 新たなる世界の序章 結ばれし密約

カイル歴513年、この年はカイル王国、及び周辺国にとって、大きな歴史の転換点となる年であった。


そして今日、カイル王国とグリフォニア帝国、両陣営のトップと言っても差し支えない二人が、戦後処理を議論するために対面することで、その第一幕があがる。



カイル国王と第三皇子グラートとの会談は、サザンゲート平原の中央、過去にゴート辺境伯とハストブルグ辺境伯が雌雄を決した、古戦場のあたりで開催された。


そこには防御側の各陣営が陣取った丘があり、奇しくも当時のソリス男爵が陣を構えた丘の上が、会談会場に選ばれていた。


丘の頂点に設置された豪奢な天幕には、会談の席が設けられていたが、身の回りの世話や護衛含めて、互いに随伴する供は30名、それ以外の兵は1キル以上離して配置すること、予めそう決められていた。


そして、互いに見計らったかのように、遠巻きに陣を構えていた双方から、30騎の人馬が同時に進み出ると、そのまま天幕に吸い込まれていった。


天幕内では、北側に並べられた椅子には、カイル国王、クライン公爵、王都騎士団長であるゴウラス伯爵、他一名が着席し、南側の椅子には、第三皇子グラート、アストレイ伯爵、ケンプファー子爵、ドゥルール子爵が座っていた。



「さてこの度、カイル王には、我らの申し出を受諾いただき、ご足労いただいたことを感謝する。

ご覧の通り私は皇族とは言え武人、飾る言葉より腹を割った話の方が楽でしてな。

そのためにも、カイル王を始め随員の方々にも、この会談は儀礼に則らず、自由な発言を行える場にしたいと思うが、よろしいかな?」



グラートは笑顔を見せながら頭を下げ、事もなげにそう言ってみせた。

それを見た、王国側の随員たちが思わず驚きの声を上げたが、彼はそんな見栄や体面とは無縁の人物だった。



「いやいや、長年争った両国じゃが、最上位の者が話し合う事で解決できるのであれば、これに越したことはないでの。帝国の英雄であり次期皇位継承者、グラート殿に会えたのは幸いじゃった。

今回はお招きに感謝する。余としても異存はない故、遺恨を残さず、忌憚のない議論ができればと思う」



カイル王はそう言って答礼しながら、対面に座る2人を観察した。



『ほう、噂には聞いておったが、高貴さの中に精悍な顔つきをしておるわい。第三皇子は宮廷の人に非ず、兵たちと寝食を共にし戦場を征く者なり、そう評されるのも理解できるな』


第三皇子はまだ20代後半か30歳そこそこ、見た目からも若さと活力で溢れていた。その彼のいで立ちは、最低限礼式には則ったものの、華美を嫌い無骨だが機能的な鎧を纏い、控えめだが意匠の凝った黒と銀の装飾が施されていた。



『ふむ、こちらもまた然り、ということか。帝国の叡智と言われておるが、若いな。魔境伯とあまり変わらんのではないか? 整った顔立ちではあるが、美醜でいえば平凡より少し上、貴族の中では目立たぬ容貌をしたこの男が、あの魔境伯すら恐れる智謀の持ち主だとは、見た目からは想像できんな』


そう、ジークハルトの外見と、彼の言動に多くの者が目を曇らせ、彼の真価を見失う。

一応軍装はしているものの、猛々しさを一切感じず、どちらかというと柔和な感じもする。悪く言えば、文官に無理やり鎧を纏わせたような、そんな雰囲気すら感じられた。


『だがあの腕の筋肉と傷、そして手は違うな。あれは剣を振りかざし戦場を征く者の腕だ。しかも相当に剣の修練を積んだ者であることを物語っている。

軍師と言えど、必要とあらば、前線でも武威を振るう者の腕だ』


驚きと共に、テーブルの上に置かれたジークハルトの腕を見つめる、カイル王の視線に気付いた者がいた。



「あっ! これは失礼しました。僕は剣がからっきしなんですが、常日頃から殿下には無理やり付き合わされておりまして……、毎回傷だらけでこのように」



慌てて照れながら手を隠したジークハルトに対し、彼の態度と、空気を読まない発言に、王国側の随員たちは冷笑し、帝国側の随員たちはため息をついた。



「ゴホン、所で王国の皆さまにお尋ねしたい。我らが『敬愛する兄上』は、息災だろうか?」



グラートは、意図的にある部分だけを強調して言った。自身の心とは逆のことを。



「殿下には初めて御意を得ます。カイル王国で公爵に叙せられております、クラインと申します。

代わって私がお答えします。

皆様から『心より敬愛されていらっしゃる』、グロリアス殿下ですが、お元気でいらっしゃいます。仔細は申し上げられませんが、魔境伯領内にて、名物料理に舌鼓を打たれ、日々同じ料理を所望されておるとか」



「それは! カレーライス、という物ですか? 

僕も是非一度……」


「ゴホン!」



興味のあまり身を乗り出して質問するジークハルトを、左隣の席に座っていた男が制した。

再びカイル王国側では、哄笑が起こる。



『なるほど……、こうやって皆、彼の真価を見誤るということか』



クライン公爵は、それを冷静に見ていた。

彼やカイル王も、魔境伯から散々言い含められていなければ、後ろに並ぶ随員たちと同じ気分になっていただろう。



『そろそろ揺さぶりを掛けてみるかの?』

そう考えて、クライン公爵は本領を発揮し始めた。



「さて、グロリアス殿下も魔境伯領でのご滞在を、存分に楽しんでいただけたことですし、そろそろご帰国の調整に入りたく思いますが……」



「ふむ……、兄上が滞在を楽しんでいるというのに、無理やり連れ戻すのも忍びないな。

そちらで長期逗留を満喫いただくよう、手配いただくことは可能だろうか? もちろん、兄上の滞在に関わるご負担は、皇族として相応しい額をこちらで補填したいと考えているが……」



「いえいえ、後日帝都で行われるであろう殿下の即位式典には、余裕を持って間に合うよう、お戻りいただく所存です。

皆様も敬愛しておられる大事なお方です、是非ともご臨席賜りたい、そうお考えでしょう。

せっかくですので、随員の方もできる限り多く同行できるよう、手配させていただきたいと考えています。

この件について、カイル王国の方針は諸外国からも誤解を受けることのないよう、触れていく所存です」



『ふん、この狸め。交渉がまとまらねば、こちらは返すつもりでいるのに、我らが難癖を付けて返還を断っている。そう諸外国に触れ回る算段なのだろう』



涼しい顔でそう話す狸爺を見て、グラートは隣に座っている男に視線をやった。


『さっさと本気を出して、狸と対峙しろ!』、まるでそう言わんがばかりに……



『ちぇっ、本当ならこの応酬はタクヒール殿と僕で、打ち合わせ通りに行う予定だったのだけどなぁ。

あの時はフェアラート公国の動きは想定外だったし……、この人の相手、面倒くさそうだなぁ』


ジークハルトはかつて、テイグーンの地で結ばれた、彼との密約、その経緯を思い出していた。

通商で彼の元を訪れ、この先の未来を予見し、語らったことを……



◇◇◇ カイル歴510年 タクヒール17歳の秋



テイグーンを訪れたジークハルトは、タクヒールと二人きりで、念願の密談を行う機会を得ていた。



「まず大前提ですが、この先にどのような戦果を得たとしても、帝国は必ず割れるでしょうね。

互いに相手に譲る気はないのですから。

であれば、いずれかが存在として消えるか、政治的に消えるか、この状況にならないと収まりません」



「それが我々にどういった影響を及ぼすと?」



「その争いの一環で、帝国は王国への侵攻を企図するのは免れません。僕らの意に反して……」



「それは迷惑極まりない話ですね。そんな争い、帝国内でやってほしいものです。

その戦いでジークハルト殿は、政敵である第一皇子に消えてほしいと? そうお考えですか?」



「確かに、最も簡単な解決方法としては、グロリアス殿下が侵攻中に戦死するか、囚われて王国側で処刑されるか、このいずれかが一番手っ取り早いです。

そうすれば、グラート殿下は手を汚さずに、帝国としても領土や身代金を失うことなく、政治的に邪魔者も消える訳ですから」



「だがそうなれば……、帝国内でカイル王国に対する復讐戦の声を抑えられなくなりますよね?」



「はい、ご賢察の通りです。好まざるとも、グラート殿下の即位後も、王国を滅ぼすまで泥沼の戦いに巻き込まれ、両国はいずれかが滅びるまで疲弊するでしょうね」



「ははは、それは……、嬉しくない未来図ですね。

こちらにとっては、勝っても負けても、どちらも地獄に繋がっている、そういう訳ですか?」



「我々も同じです。タクヒール殿がいる限り、我々は決して楽に勝てないでしょう。泥沼になれば我らも疲弊し、南の国境線からスーラ公国の軍勢が雪崩れ込むでしょうね」



「では我々にも勝機はあると?」



「僕が思うに、要は勝ち方です。

無理難題を承知で申し上げますが、例え勝利せずとも、グロリアス殿下を生きたまま捕らえていただきたいのです。そうすれば全ての道が開けます」



「はは、確かに無理難題ですね。それって、勝つより難しい話ですよね?」



「我々がご協力できるのは二点です。

一つ目は、グロリアス殿下の軍勢を左翼、このテイグーン攻略に誘導します。

二つ目は、我々の軍勢は途中で北上を停止し、ブルグ手前で進軍せずに遊んでいます。

ただ、これには条件があります」



「時間と形勢、この二つですね?」



「ふふふ、分かっている人との会話は楽でいいなぁ。仰るとおりです。

我々は十分に食料を用意し、王国内での徴発は決して行いません。ですが……、時が経つにつれ、現地調達の要に迫られるのも事実です。

タクヒール殿が善戦している間は遊んでいますが、万が一ご領地を左翼軍に抜かれると、我らも北上を始めざるを得ません」



「うーん……、それってかなり難しい話ですよね。

限られた時間内に寡兵で大軍を討ち、その首魁を捕らえること、ですか?

カイラールには、いつも無理難題を言って、私をこき使う狸爺がいますが、これはそれ以上ですよ」



「あ……、そうなんですね! いや、グロリアス殿下の元にも、我々を苦しめる大狸がいるんです。

僕はいつもその相手をさせられて、グラート殿下は僕のことを狐と言って憚らないし……」



「ははは! お互い狸には苦労させられているのですね。ジークハルト殿は恐ろしい男、以前からずっとそう思っていましたが、ちょっとだけ親近感を感じましたよ」



「私の方こそ驚きです。恐ろしい智謀の魔境伯をこき使うなんて……、想像すらできませんよ」



「はは……、話は戻りますが、捕らえるだけで良いのですか? その後はどうします?」



俺は苦笑して、話題を変えるしかなかった。

どうやら俺の美点のみが誇大され、ジークハルト殿の耳にも伝わっているようだ。

狸爺曰く、俺は迂闊で分かりやすく、漏れも多いおっちょこちょいだそうだ。

あ……、狸爺だけじゃないか、身近な人間なら、結構色んな所で言われている気がする。



「我々は軍を引きます。占領地域も、綺麗にお返しすることをお約束しますよ、この身命に懸けて。

なお、私がしているお話は、グラート殿下の内諾を得た上でお伝えしている話、その前提でお聞きいただければ幸いです」



そう言ったジークハルトの目は、これまでと全く違う凄惨な覚悟を秘めた目つきに代わっていた。

命に代えても約束は守る、その決意が伺えるようだった。



「虜囚としたのち、考えられることは二つです。

一つ目は、いずれかの事情で捕虜返還がなく、殿下が虜囚として永遠にカイル王国に繋がれること。

二つ目は、帝国は相応の対価を払い、殿下を取り戻すこと。

前者もまた悪手です。皇族を取り戻すため、帝国は抑えようのない流れに巻き込まれるでしょう。

なので後者を進め、我々二人の応酬で、できる限り条件を吊り上げます。帝国が相当な痛手を被る程度に」



「吊り上げる? 返還条件をですか? それで良いのですか?」



「はい、グロリアス殿下には、自らの欲で招いた戦に負け、帝国に多大なる損害をもたらし帰国した愚か者、そういった悪評を受け、彼の皇位継承を誰も支持しない状況になることこそ、理想的な展開ですから。

それに対しグラート殿下は、政敵である兄を救うために、身を切る大英断をした温情ある者として、立ち位置を強化していただきます」



「なるほど、目的のためなら身を切ることも厭わない、やはりジークハルト殿は恐ろしい……」



「いえいえ、僕が考えていることは、泥沼の戦乱を回避すること、それだけの浅知恵です。ただ、近視眼の輩には、到底理解してもらえませんがね。

この後、具体的な対価について、最悪想定と最小想定、この二つをお話ししますが、大前提として、このお話は僕ら二人が交渉役として対峙したとき、と限らせてください。

相手が異なれば、先方が匙加減を理解せず、強引な交渉を迫ってくる可能性もあり、こちらも全力で交渉せざるを得ません。

そして具体的な対価としては……」



「……」



タクヒールはジークハルトが示した対価について、予想以上の大きさに驚愕し言葉を失った。



「ははは、これってひとつ間違えば、お互いに立場を逸した密約ですね?

聞く人に依っては、国を売った者、裏切った者と、お互いに後ろ指を刺されそうな……、いや、その程度で済まないか?」



「仰る通りですが、カイル王国の滅亡、又は双方終わりなき戦乱、これらからお互いの国を救う、このために残された唯一の手段だと言うことは、理解いただけたと思います。

タクヒール殿を巻き込む形になりますが、信頼できる敵、相応の実力があると思われる方にしか、迂闊にこの策を共有することはできません」



その言葉を受けてタクヒールは瞑目した。

自身でもう一度内容を反芻し、不備や抜け漏れだけでなく、ジークハルトの謀略である可能性すら検討しつつ……



「最後に一点だけ了解ください。最後の対価部分を除き、私が信用できると思った数名、彼らだけにはこのお話の一部を共有させてください。私の立場は、全軍を指揮する立場でもなく、特に帝国の右翼軍に対峙する者は、私ではないので……」



「了解しました。ただ戦場は何が起こるか分かりません。密約を鵜吞みにし、軽はずみな行動だけは戒めていただき、形勢によっては戦場の習いに従い、敵同士であることを忘れないよう、お伝えください」



「では、お互いの未来のために」



「はい、我らが昼寝して過ごせる未来のために」



こうして2人は、誰にも知られず、密かに手を交わしていた。



◇◇◇ 現在に戻る



ジークハルトは、まるで瞑想していたかのごとく、目を閉じ腕を組んで、過去に心を飛ばせていた。

そして、意を決したようにかっと目を開くと、意識を今の交渉に集中した。



『さぁ、タクヒール殿でも手こずると言っていた狸爺だ、相手にとって不足はないか……』



そう心の中で呟くと、言葉を発し始めた。

両国の未来を背負った交渉、まさに言葉を用いた戦いが、ここから始まる。

いつもご覧いただきありがとうございます。

皆さまの応援のお力で、昨日、書籍版第一巻が発売されました。

多大なる感謝と共に、深く御礼申し上げます。


投稿も遂5日連続で、出版記念の【特別編 新たなる世界の序章】をお届けします。


今回は、タクヒールとジークハルトが、3年前に結んだ密約の詳細について、クローズアップして、新たに書き下ろしたものとなります。少しでも楽しんでいただけると幸いです。


なお、最後になりましたが、書籍版をご購入くださった皆さまには、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

よろしければ、活動報告などで、ご感想、ご意見をいただけると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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