特別篇 新たなる世界の序章 画策する者
最後にお知らせがございます。よろしければご覧ください。
それは、タクヒールが西の国境へと駆け付け、ダレクが北での決戦に臨む少し前のことであった。
サザンゲート砦をカイル王国に返還し、今後の交渉を進めるためにサザンゲート要塞に後退した、グリフォニア帝国第三皇子グラートは、側近の者を招集し、今後の対応を協議していた。
「さて、皆揃ったな。ここまでは、我らの優秀な参謀殿の予測……、いや、筋書き通りに事は運んだ訳だが、この先の決着をどうする?
それについての方針を、今一度整理したいと思うが、どうだ、ジークハルト」
部屋の中には、この戦いに彼が伴っていた腹心と呼べる配下、アストレイ伯爵、ドゥルール子爵、ケンファー子爵が顔を揃えていた。そして一番下座に控えていたジークハルトが、退屈そうな顔をして話し始めた。
「まぁ、国同士の立場で見れば、帝国は歴史的敗北の末に惨めな敗走をして、唯一無事な我らも骨折り損のくたびれもうけ、そんな所でしょうね。
敗者として、相応の覚悟をもって交渉に臨む必要があるでしょうね」
「ジークハルトよ、我ら右翼陣営は王国に勝利し、所定の目的を達し、悠々と撤退したが?」
甥が余りにも他人事の様に無関心かつ、痛烈に自国を卑下するため、慌ててアストレイ伯爵がフォローせざるを得なかった。
それに対して、ジークハルトは表現を改めた。
「はい、叔父上の仰るとおりです。戦略的には我らの陣営の勝利です。それが帝国の勝利には繋がらず、誠に残念ですが……
そして我らは今、戦略的にも戦術的にも敗退し醜態を晒した、グロリアス殿下の尻ぬぐいをしなければなりません」
「で、具体的には? 考えはあるのだろう?」
だからその話を聞いているのだ。さっさと話せ。
そう言わんばかりに、グラートは先を促した。
「逆の立場なら、殿下はどうされますか? 戦いに勝ち、カイル王国の国王、または後継者たる王子を虜囚とされたら、相手にどんな要求をされますか?」
「ふむ……、基本的には全面降伏を勧告し、領土を併合、悪くても領土の割譲程度は最低限要求するであろうな。もちろん、身代金もたっぷりいただいて」
「そういうことです、殿下」
ジークハルトはそう言うと、殊更作り笑いと分かるような、満面の笑みで答えた。
それが既定の路線であるかのように。
「いや、待て! 俺はお前の描いた絵に従って動いて来たが、それでは帝国の利にならんではないか?」
「そうでしょうか? 帝国の利とは、即ち皇帝陛下の利です。
皇帝陛下とは? 今回の戦いで殿下の継承が確定しました。即ち、帝国の利とは、殿下の利です」
「いささかこじ付けのような気もするが……」
「敢えてお聞きしますが、殿下の考えられる最悪の事態とは何ですか?」
「それは今、お前が言った状況ではないか?」
「いいえ、違います。今の状況は我々の最善手、最高の状態と考えています。
殿下にとって最悪の事態とは、グロリアス殿下が中途半端に生還し、帝国内で泥沼の政争を引き起こすことです。
真っ当な戦いでは勝ち目の無くなった阿呆が、成り振り構わず打って出てくると非常に危険です。
最悪この場合、相手はグラート殿下に消えていただく以外手段がない、そう追い詰められて行動する可能性すらあります」
「奴がそこまでするか?」
「手負いとなった魔物の恐ろしさを、殿下はご存じでしょうか? 所詮帝位とは魔性のものです。
グロリアス殿下の抵抗は結局、帝国内にて血で血を洗う内乱に繋がっていくでしょう。そうすれば此方も無傷では済みません。まして、その機に乗じて、スーラ公国が失った領土を取り返すため、一気に反攻に出て来るとしたら……」
「くっ……」
グラートは言葉に詰まった。
その可能性は十分にある。今回の出征でも、彼らの蠢動に備えて、信の置ける配下を何名も南に残し、対策を十二分に行った上で、ここまで来ているのだから。
「更に申し上げると、我が帝国にとって外敵となる隣国は、どれだけありますか?
もちろん筆頭はスーラ公国ですが……」
「カイル王国、フェアラート公国、イストリア皇王国、そして、外敵では無いが、潜在的脅威、国力で言えば南東のターンコート王国ぐらいだろう?
後は取るに足らん小国ばかりだ。
周辺国を侵略し、勢力を伸ばした歴史が我々にある限り、隣国は全て、潜在的には敵になるだろうからな」
その答えを聞いて、ジークハルトは無邪気に笑った。
それが意図してなのか、それとも素で笑ったのかは、彼をよく知るグラートでさえ分かりかねた。
「殿下のご認識は全く逆だと思います。
カイル王国もフェアラート公国も、基本方針は祖国の防衛であり、領土的な野心を全く持っていません。
これらの国が攻めてくることなど、まずないと断言できますよ。そしてイストリア皇王国は、恐らく今回の戦いで死に体となり、当面は他国を攻めるどころではなくなるでしょうね」
「だが……、ターンコート王国はここ数十年に渡って友好な関係を維持しているのだろう?
使者の往来も盛んで、通商も頻繁に行われていると聞いているが?」
「以前は共通の敵が南にありましたからね。ですが、彼の国は今、スーラ公国と国境を接していません。
我々の新領土が、彼らの防壁、いや、障壁になっているからです。
何より、そのお盛んな使者の往来は、どちらの陣営からですか?」
「!」
「そうです。我らの陣営からすれば、潜在的に敵側なのですよ。グロリアス殿下が、我らが南で得た領土の割譲などを条件に、共同で兵を興すことも、十分に考えられます」
確かにその辺りの事情は、グラート自身も理解していたが、大事な前の小事とばかりに、敢えて目を瞑っていた。いや、瞑っておきたかったが正しいだろう。
「ならば結局、奴を生かしておいても碌なことはないではないか?」
「ですね。一番ありがたいのは、カイル王国の手に掛かり、ご退場いただくことですが、先方もそこまで阿呆ではないでしょう。相応の対価を求め、我らに火種を押し付けて来ますよ、きっと。
なので我々は、返品されてくるこの危険なカードを、再起不能な状態にして受け取る必要があります。
グロリアス殿下は身勝手に引き起こした戦の代償で、帝国に多大な損失をもたらした愚か者、帝国の恥さらし、そういった状態にしておく必要がありますね」
そう言ってジークハルトは、講和条件案(極秘)と書かれた紙を差し出した。
そこに書かれていた内容を見て、流石のグラートも蒼白になった。
「おい、ここまで譲歩する必要があるのか? 帝国の受ける損害は計り知れんぞ……」
「ジーク……、お前と言う奴は……、一体何を……?」
「ふむ、流石は智謀の誉高いケンプファー子爵ですな、感服いたしました」
第三皇子から紙を受け取った、アストレイ伯爵とドゥルール子爵は其々の感想を口にした。
前者はグラートと同じく悪い意味で驚愕し、後者は良い意味で感嘆して……
「僕にも考えがあってのことですよ。
第一に、この戦いの後、国境より北、王国側の防御は以前にも増して強固になるでしょう。
ならばいっそ、その防衛線を無力化する算段を考えれば良いのです。
第二に、過分な褒賞は王国内に不和を招き入れます。
であれば、今回の戦いで彼をこちら側に引き込む契機として、少なくとも不和の種を撒く機会として、有効的に活用すれば良いのです。
第三に、この条件を王国側が飲めば、我らは強力無比な番犬を得ることになります。
殿下はこの番犬を活用し、潜在的に敵となる隣国相手に活用なされれば良いのです」
そう言うとジークハルトは、彼をよく知る三人がぞっとするような、冷たい凄みのある笑みを浮かべた。
彼がこのような顔つきになるとき、それは二重三重に対策を施し、相手を逃げ場のない罠に陥れる自信がある時の顔だと、知っていたからだ。
「まぁ、彼のことです。我々の思惑を知った上で、僕が想像すらしなかった斜め上の対応で、すり抜けるか、罠と知りつつ正面から食い破って来るかも知れませんが……、逆に言えば、だからこそ彼には興味が尽きないのですけどね」
そう言ってジークハルトは、草案に書かれていた諸条件の説明を詳しく掘り下げて続けた。
一同はその裏に潜む目的を知らされ、ただ驚愕するしかなかった。
「だが……、良いのか? お前は隣人に強敵を据えられることになりかねんが?」
「むしろ大歓迎ですね。大手を振って、隣人として交易ができれば、存分に稼がせてもらいますよ。
当面ずっと昼寝をしてても良いぐらいに。阿呆が隣人になるより、刺激的で楽しいと思っていますよ」
「で、王国は我らにとって極めて都合の良いこの条件を、唯々諾々と承知してくれますかな?」
ドゥルール子爵は、はなからジークハルトの案を、他の二人とは全く違った受け止め方をしていた。
そのため、視点も全く異なっていた。
ジークハルト自身驚き、彼の評価を見直さねば、そう思ったぐらいに。
「そうですね。一番大事なことですが、これも交渉術だと思います。相手には、我々が身を切るような条件をしぶしぶ飲む、その代わりに出した、いわば苦肉の策と思わせるのが最善手だと思います。
そして最後の案は、あくまでも自然に、交渉がまとまり掛けた際、思い付きのように伝えるのが一番効果的だと考えています」
そこでドゥルール子爵が思いもよらぬ発言を始めた。
「ふむ……、私もそれが良いと思います。ところで殿下、ひとつお願いがあります。
この事業を推進するため、帝国側の監察官として、敵国となる割譲地域内に、飛び地となる帝国領を設け、領主として私を派遣いただくことはどうでしょうか?
わが祖先の拓いた領地に、ということであれば、心情的にも先方への理由は立つと思われますが……」
もちろんこれは、彼の心に潜む真実を隠す、体の良い言い訳だった。
『これで私は、彼女の元に、大手を振って行くことができる。しかも彼女を異国に迎える訳でもなく、双方に角が立たない形で。やっと、やっとのことで、長年の思いが実現するのだ!』
そう思っていた彼の心は、もちろん微塵も出さずに、淡々と表向きの理由を述べた。
「だが飛び地は、万が一戦ともなれば、真っ先に囲まれて全滅する死地となるが、それでも良いのか?」
「その時は、華々しく散って見せましょう。むろん、そうならないよう、努力はいたしますが。
それに、ここなら南の戦役で捕虜となり、わが陣営に帰化した者たちも有効に使える場となりましょう」
(愛する彼女と戦うなど、到底考えられないことだ。私たちが双方の架け橋となれば良いことよ。
私が彼女から学び、実践してきた成果を、是非とも見せたいものだ。そして私たちは晴れて……)
「ふむ……、良かろう。ジークハルト、異存はないか?」
「はい、もちろんです。子爵のお覚悟、感服いたしました。
では、交渉の段取りを整えるため、サザンゲート砦に使者を出しますね」
「そうだな。きっと王国は、我らの思いを知らず、難しい交渉になると考えるだろうな。きっと王都から、交渉に慣れた老獪な狸と噂の男を呼び出すであろう。
ははは、狐と狸の化かしあい、見ている我らも楽しみでならんな」
「相変わらず……、酷い仰りようですね。まぁ諜報によると肝心の彼は、西に赴いており会えないでしょうけど。僕にとっては王都の古狸より、彼の方がよっぽど怖いんですけどね」
そう言ってジークハルトは苦笑した。
タクヒールが不在であれば、彼の中ではこの先に行われる交渉も、既に結果が見えているも同然だ。
もちろん、彼の望んだ筋書き通りに……
いつもご覧いただきありがとうございます。
皆さまの応援のお力で、いよいよ明日1月20日に、書籍版第一巻が発売される運びとなりました。
多大なる感謝と共に、深く御礼申し上げます。
今日より5日連続で、出版記念の【特別編 新たなる世界の序章】をお届けしたいと思っています。
長きに渡って書き続けていた最終決戦編も、まもなく終了となります。
この五話は、戦後に行われる論功行賞や、新しい枠組み、以前にジークハルトと結ばれた密約の詳細、新たなる歴史の始まりに繋がる裏話として、書き下ろしたものとなります。
一部、結論を敢えて不透明にしている部分はありますが、その後の本編の楽しみとして、少しでも楽しんでいただけると幸いです。
また書籍版では、ストーリーの流れは変えないものの、大きく構成を見直したり、背景描写や各キャラクターを深堀りし、個人的にはかなり思いを込め、時間を掛けて没入し再構成しました。
是非ご覧いただけたら、嬉しい限りです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。