第二百六十九話 西部戦線⑥ 孤独な勇者
クレイラットの地で猛威を振るい、荒れ狂う魔法兵団の業火は、カイル王国の築いた陣地を各所で焼き、雷撃は敵の防御施設を打ち砕いていた。
その様子を遠望していたフェアラート公国軍の首脳部は、満足気に笑みを浮かべていた。
「ははは、本物の魔法兵団の真価、王国兵も身を以て知っただろうな」
「それにしてもスキュリア侯爵閣下、我が国にも火魔法士、雷魔法士は数多おりますが、貴国の魔法兵団の実力、あれほどまでとは思ってもみませんでした」
そう、先日リュグナーが見た攻撃と今回では、その威力や攻撃の手数に格段に違いがあった。
その凄まじさには、嘆息せずにはいられなかった。
「そうであろうな。火魔法や雷魔法なら、ただ使えるというだけなら、我が国にも星の数ほどおるわ。
それはリュグナー殿、貴国でも同様のはずじゃ」
そう言われてリュグナーも無言で頷いた。
「だが違う所もある。我が国では、身分を問わず全ての魔法士は等しく招集され、訓練を受け、その能力の評価を受ける。そして優秀な者を見出し、それを更に厳しい訓練を与える。
いわば選りすぐりの最精鋭、それこそが魔法兵団の一員となれる。その違いがこの現状じゃな」
「成程……、例え貴族といえど心構えが違うと?」
「そうじゃな。本来なら飼い殺しとされる貴族家の次男、三男でも、魔法兵団の所属となれば話は違う。
上位の貴族からも優先的に婿として求められ、平民でも貴族となることもある。我が国の貴族は、何よりも優秀な魔法士たることが前提じゃからの。
優秀であれば、長男を差し置いて爵位を継ぐことさえあるぐらいじゃ」
「それで……、魔法の使えぬ現国王は、決して認められることがないと」
「そういうことじゃな。そもそも魔法を使えぬ者は廃嫡が道理。それを覆すなど、そもそも国の拠って立つ所が覆ってしまうわ!」
確かに魔法兵団の面々は、カイル王国の最上位のレベル魔法士すら凌ぐ攻撃力を持っているように見えた。
それが集団として機能するともなれば、その破壊力は計り知れない。
「さて、奴らは今必死になって態勢を立て直し始めていることじゃろう。
上流に合図を送れ!」
フェアラート公国軍は、予め周到に組み立てられた作戦の、第二段階に移っていった。
※
一方、魔法兵団の猛攻を受けていたカイル王国の陣営は、大混乱に陥っていた。
「最前列のカタパルトは全て破壊されました! 反撃、できませんっ!」
「各所で炎上中! 消火、間に合いませんっ!」
「雷撃と火球により左翼2番陣地、死傷者多数! 魔法士、消息不明っ!」
「前衛右翼、沈降橋を逆用して渡河してきた敵兵に取りつかれつつありますっ」
「左翼3番より伝令、来援を請う。繰り返します、来援を請う!」
「浮足立たないでっ! いくら敵兵が取り付こうとも、そうそう落ちるものでもないわ!」
そう一喝すると、平然と天蓋のある指揮所から、周囲が見渡せる位置に進み、戦況を確認する者がいた。
そして一瞬の思案のあと、矢継ぎ早に指示を出した。
「現状で無事な全カタパルトに下命!
渡河してくる敵には目もくれず、堤防上に展開する敵の魔法士を狙って一斉射撃用意!
ただ届けばそれで構わない。致命傷を与えなくても、攻撃そのものが牽制となるわ。
敵の魔法攻撃が止めば、風魔法士はカタパルトの支援を。敵魔法士を魔法の射程外へ追い込んで!」
次にシュルツ軍団長を見据えて言葉を続けた。
「王都騎士団第三軍に下命!
カタパルトの攻撃後、弓箭兵による一斉射撃を実施!
現状でまともに動けているのは騎士団のみ。前面に展開している歩兵を薙ぎ払ったら、左右の苦戦している部署の援護を!
シュルツ団長、前線で指揮をお願いします」
更に、右側に待機していた者に対し、優しく語りかけた。
「ユーカさん、魔境伯から託されたあれを使うわ。
中央カタパルトを使用して、敵の魔法士が後退した位置を狙って殲滅弾を発射します。
準備と発射指揮、誘導をお願いできるかしら?」
各々が短い返事のあと駆け出すと、その場に居た青い顔をして震えている者に語り掛けた。
「敵の魔法攻撃が止まれば、クリシアさんは本陣の兵と聖魔法士を指揮して、負傷者の後送とその手当てを指揮してもらえるかしら?
今は出ちゃダメよ。辛いけどまだ助けには行けない。聖魔法士は兵たちの命を繋ぐ大事な役割があるもの。
団長に教わった動きを忘れないでね」
「はい……、殿下」
「それにしてもやってくれるわね。以前は予行演習のつもりだったのかしら?
今回の攻撃は、その威力も数も、比べ物にならないわね」
そう言って、クリシアに語り掛けた。
この危機的状況にも関わらず、その威厳は全く失われることもなく、凛とした佇まいにクリシアは畏怖した。
これがお兄様の言っていた戦場。本当の戦い……
そして、指揮官たる者、お父さまやダレク兄さま、タクヒール兄さまも、幾度となくこんな窮地を乗り越えて来たということ?
私には……、無理だ。こんな時に、指揮などできない……
「さぁ、今から反撃よ! 魔境伯の叡智、今こそ敵軍に思い知らせてやるわ!」
暫くして、戦場には鐘が連打され始めた。
そしてユーカは、魔法士たちと共に中央カタパルトに設けられた望楼の上にいた。
「カウルさん、火球攻撃は私とアイラさんで、雷撃は避雷針で防ぎます。安心して給弾をお願いします。
クローラさん、私の合図と共に着火を!
私の旗に従い、射線設定と発射指揮をお願いします」
「了解しました!」
カタパルトの大きな受け皿には、カウルが空間収納していた殲滅弾と呼ばれた球体が次々と取り出され、慎重に並べられていった。
その頃になると、クラリスの指示に従い、対岸の魔法士たちの頭上には石礫の雨が各所で降り注ぎ、彼らは徐々に後退しつつある。
ユーカは、その流れがある程度一方向に向かっていること、装填完了の旗を確認すると、方角と射程を示す合図と、着火準備の合図を送った。
程なくして、射線設定完了の旗が上がる。
それを確認したユーカは、タイミングを図り着火指示を出した。
「着火指示確認! 着火します!」
着火の合図が示されると、ユーカは心の中でゆっくりと数を数える。
これはイシュタルで散々繰り返し訓練した、発射プロセスのひとつだ。
下方では、クローラたちが火花を上げる導火線を見つめつつ、望楼の旗を交互に見つめていた。
「旗確認、殲滅弾発射!」
カタパルトより勢いよく発射された球体は、大きく振り下ろされた鋼鉄の腕により、勢いよく蒼穹を飛翔する。
同時にユーカは、精密誘導を行うべく、持てる限りの力を振り絞り、風魔法を発動する。
ファラート公国の魔法兵団は、カタパルトの攻撃を避けるべく、その射程外と思われた500メル程度離れた位置に再集結していた。
既に所定の目的は達し、カイル王国軍の防御陣地には大きなダメージを与え、各所で歩兵は敵陣地に取り付き始めていたので、これ以上の攻撃は同士討ちにもなりかねない。
彼らの撤退はむしろ、予定の行動だった。この後の更なる攻撃のため、十分に役割は果たしたといえる。
この攻撃に参加していた200名の魔法兵団が、集結地点に集まりつつあった時だった。
集結地点目掛けて放たれた百余の球体は、大きな風を切る音とともに、彼らの頭上まで飛翔してきた。
そしてその多くが大地に着弾する寸前……
辺りは耳をつんざく轟音と、爆風、火炎に包まれた。
彼らは悲鳴を発する間もなく、爆風に飲み込まれて吹き飛ぶ者、大火傷を負うもの、辺りを切り裂く何かを受けて、倒れる者が続出した。
「うがぁっ! 足が、足がぁ」
「痛いっ! 痛いっ!」
「目がっ! 目が見えん、何も、何も聞こえん!」
一瞬の静寂の後、周囲には絶叫やうめき声で満ち、一帯は地獄絵図と化していた。
「な、何だ? これが……、王国の火魔法なのか?」
「あ、ありえん、こんな……、馬鹿な?」
運よく無事だった者も、呆然と立ち尽くしていた。
彼らには、爆音の衝撃で耳鳴りが病まず、周囲の音も一切聞こえなかった。
これがタクヒールが託した最後の秘策、長年の研究を経て開発した火薬を使用した爆弾だった。
この詳細や開発経緯は、別途語られることになるが、実際には爆弾と呼ぶほどの爆発力はなく、その実態は自力では飛翔できない打ち上げ花火に近いものだった。
花火との大きな違いは、爆風とともに飛び散るよう、内部に無数に仕込まれていたのは、星と呼ばれる火薬の玉ではなく、小さな鉄菱であり、爆風に乗って周囲に飛び散り、周囲にいる者を殺傷していた。
これまでタクヒール自身、この火薬の使用には大きな躊躇いを持っていた。
これが世に出れば、戦いの手段は一変してしまい、大量殺戮兵器にもなりかねない。
もちろん、その牙は自分たちに向いてくる可能性もある。
徹底的に秘匿していたこの兵器は、自身の愛する者たちを守る、その大義名分がなければ使用することは無かったとも言われている。
そのため今回も、クラリスには一切口外しない旨の約束を取り付け、信じられる仲間、配下の魔法士以外はその取扱いを許さなかった。
「ななな、何じゃ! 一体あれは……、何が起こっている!」
ユーカたちが行った攻撃の効果は絶大だった。
フェアラート公国の本陣では、誰もが絶句し、言葉を失っていた。
250名の魔法兵団は150名が死傷し、50名は軽傷ながら鼓膜に大きな障害を負っている。
無事な者は、他の場所に配置していた僅か50名。
そして、いつもは一方的に敵を遠距離から蹂躙していた彼らが、初めて一方的な殺戮を受けた心理的なショックも大きかった。
「閣下、落ち着きくだされ。敵軍はそうそう何度もあの攻撃を行えません」
「そ、そうか、レッサーも先の攻撃にやられたということか?
そして、それが何度も行えるものではないと?」
「はい、その通りでございます。そのお陰で私は生き永らえることができましたので」
リュグナーの発言は誤りであった。レッサー伯爵は、予め仕込まれた地雷原のような場所に誘導され、ただ着火されただけだった。
今回はそれと全く違うのだが、兵器自体の存在が、リュグナーが理解できる範囲を超えていた。
「そ、そうじゃな。では我らも事態を収拾し、この先の総攻撃に備えねばならんな。
全軍に指示を出せ! この攻撃はそうそう何度もない故、狼狽えるな! と。
負傷者を救護し後送しつつ、陣形を整えよ!
間もなく王国軍は大きく崩れる。それに合わせて、全軍で一斉渡河し、高貴なる血統の暴れ馬を捕らえるのだ。そうすれば我らは、2つの戦いに勝利することができる!」
スキュリア侯爵の言葉により、一時期は大混乱に陥っていた公国本陣も、一時の混乱を収拾して落ち着きを取り戻しつつあった。
本陣に控えていた予備兵力8,000名は、恐怖を押し殺し前進して河川敷に待機した。
※
クラリスは本陣を据えた高台の防壁上から、戦場の推移を見渡していた。
対岸の左岸の河川敷には、新たに進出した兵たちが並んでいた。彼らは皆、盾や木を組んだ簡易の天蓋を掲げ、カタパルトから放たれる石弾の攻撃を耐えている。
しかも、広範囲に展開していること、そして味方側のカタパルトが半減している今、効果的にそれらを掃討することはできていない。
そして河の流域からこちらの右岸側、その辺りをざっと見たところ、既に15,000名もの兵が渡河を完了させつつある。一部の敵兵は既に防壁に取り付き、多数の敵兵が河の半ば以上まで進み、防塞に取りつくよう一進一退の攻防を繰り広げている。
シュルツ軍団長が、麾下の兵を左右に派遣して、なんとか敵軍を押し返し防衛線を維持しているものの、これまでの損害も多く、殲滅するまでには至っていない。
「あれは……、何?」
思わず彼女が呟いたのは、川の上流、かなり遠くの右岸側から巻き起こっていた砂塵だった。
そして、そこに血相を変えた伝令が飛び込んできた。
「急報っ! 上流に展開した別動隊は、同じく敵軍の別動隊の攻撃を受け敗走中です。
敵は我らを殲滅せんと追撃中! 大至急、援軍を差し向けられたし、との事です」
「やっぱり……、彼らには荷が勝ちすぎた、そういうことかしら?
この状況で援軍は出せない……、ごめんなさい。
左翼部隊に下命、正面の敵は前衛に任せて、左から攻め寄せる敵に対し反撃して、戦線を支えて!」
即座にその指示を出したものの、少しづつ見えてくる光景は、彼女の不安を拡大させた。
砂塵を挙げて押し寄せてくるのは、圧倒的な数の敵軍。その数、5,000はいると思われた。
それらが、同じ側の河岸を進み、上流から人の洪水となって押し寄せてくる。
それに呼吸を合わせたように、左岸の河川敷から約8,000名の兵士たちが一斉に渡河を始めた。
「いけませんっ! これでは我らは、半包囲されて殲滅されます!」
声を上げた者に対し、クラリスは返答に詰まった。
これまで必死に努力して、毅然として振舞うように張り詰めていた自身の心が今、折れそうになっているのを感じた。
次々と起こる予想外の展開に、本来は鋭敏であった彼女の思考は、その動きを止めてしまった。
これまで彼女は、指揮官として孤独ななか何度も自分自身を叱咤し、必死にしがみついて来た。
周りからは女性にしておくには勿体ない程の将器、そうもてはやされていたが、中身はまだ人生経験も浅い16歳の女性でしかない。
王族としての誇り、自身の矜持、そして何よりもこの国を守りたいという気持ち、これらが今、音を立てて崩れそうになっているのを感じてた。
『これはちょっと、いえ、本当にマズイわ……。どうしたらいいのよ? 誰か、お願い、教えてよ……。
タクヒールさん、お願い……』
思わず喉から出そうになった言葉を、クラリスはなんとか飲み込んだ。
西部戦線は再び、フェアラート公国の絶対的な優位へと、戦局を転じようとしていた。
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は『それぞれの死戦』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
ブックマークや評価いただいた方、本当にありがとうございます。
誤字修正や感想、ご指摘などもいつもありがとうございます。