第二百六十八話 転戦
グリフォニア帝国軍と、カイル王との和議交渉の使者が往来を始め、ザザンゲート砦とザザンゲート要塞の間では、一旦戦火が落ち着きを見せていた頃に、時系列は少し戻る。
初めて帝国軍から使者が訪れ、その後両国の使者が往来を始め、この先の休戦、戦後を見据えた交渉の糸口がやっと紡がれ始めた。
その頃になると、領内に残っていた敗残兵の対処、戦後処理に目途をつけた魔境伯タクヒールと、辺境騎士団長のダレクは、近習の者たちのみを伴い、戦況報告も兼ねてザザンゲート砦のカイル王の元に参じていた。
「魔境伯、そしてソリス子爵、いや、今はハストブルグ辺境伯を受け継ぐ者よ、此度の戦いぶりは誠に見事であった。心より礼をいう」
「いえ、我らは主将たるハストブルグ辺境伯を失いました。このこと、わが身の不明を伏して、伏してお詫び申し上げます。不肖のわが身、おめおめと、辺境伯の家名を名乗ることはできませぬ」
そう答えた兄の声が震えていた。
そう、俺たちは父を失ったに等しい痛手を受けており、勝利を誇る気になどなれなかった。
「余も長きにわたり、余を支え続けてくれた友を失った。この喪失感は今もなお、埋めることはできぬ。
だが……」
「はい、陛下。戦は終わった訳ではございません。
南は今後の交渉次第、まだ安心できる状態ではなく、北と西、そちらは未だに一進一退、共に大きな脅威です」
「魔境伯よ、これを機に双方が兵を引く……、それは淡い期待でしかないか?」
「西は、益々攻勢を強めてくるやに思われます。
彼らには神輿が必要ですが、その神輿はカイラールにいらっしゃいますので。
これまでは各国軍との挟撃を意識し、互いに牽制しあっておりましたが、今となっては必死に攻めてまいりましょう」
「北はどう考える?」
「そうですね。外務卿からの報告によると、氷も奴らに与しているとのこと。一旦旗幟を明確にした以上、奴にはもう引く道はありません。
決死の覚悟で以って臨んでいるでしょうね。皇王国が弱腰で逃げる事のないよう、一連托生とするため、厚い氷壁で退路を閉ざし、前に進むしか生き残る手段はない、そう仕向けると思われます」
「そうか……、まだまだ戦は続くか……
余は今回の戦いで思い知った。ゴウラス自身、相当悔やんでおるようだが、実戦となれば王都騎士団ですら、其方らの軍勢に一歩譲ることになるであろう。
この上また、其方らばかりを頼るのも忍びないが……」
「陛下、私は魔法騎士団の総参謀長を拝命しており、その任は未だ解かれていない、そう思っております。
西へ転ぜよ! 是非そうご命令ください」
「陛下、我ら辺境騎士団も健在です。本来受け持つ南で、陛下のお手を煩わす結果となったこと、忸怩たる思いでおります。我らにも働きの場を! 辺境伯の名誉のためにも、是非!」
「……」
国王陛下は未だ何かを悩んでいる様子だった。
暫く瞑目した後目を開き、静かに、そして威厳のある言葉で話し始めた。
「魔境伯に命ずる。
魔境騎士団及び麾下の魔法士を選抜し、西部戦線の援軍として赴け。どうかクラリスを助けてやってくれ」
「畏まりました」
「ソリス子爵に命ずる。
辺境騎士団及び騎兵の計5,000に加え、王都騎士団より5,000騎、計10,000騎を率い北部戦線に赴け。
敵は異なるがハストブルグの名誉を、彼の配下たちにその無念を晴らす機会を与えてやってくれ」
「はっ! 勅命ありがたく」
俺と兄はそれぞれ跪いて、大きな声で答えた。
「其方たち兄弟、互いに連携し北と西で勝利した暁には、状況に応じ動くことを許す。国境の安寧を図ることを第一とし、追撃のため国境から先に進出することも状況に応じ、独自の判断を許可する。
余はしばらく、この要塞に留まり、帝国を牽制しつつ、この戦いの行く末を定めるであろう。
以後、仔細はゴウラスと其方らに任せるものとする。一堂、異存はないな?」
「はっ!」
そこに居た、全ての諸将が平伏した。
俺と兄はそれぞれ、魔境伯領に残してきた兵を糾合し、新たな戦地に向かうことになった。
陛下の御前を辞する際、俺はひとつだけ手土産を渡し、事後の帝国との和平交渉を陛下に託した。
「兄上、イシュタルに残されている本隊に合流し、北へと向かわれますよね?
皇王国軍の魔法士は数こそ少ないですが、風魔法士を基軸にした戦術を取ってくると思われます。
どうかご用心ください」
「ああ、ハミッシュ辺境伯も、軍務卿も苦戦された話は、俺も狸爺経由で聞いた。何か策でもあるのか?」
「策と言うほどではありませんが……、やってみたいことはあります。
兄上には、皇王国の戦術を知る、クリストフとアウラを、そして騎乗したロングボウ兵1,000名を預けます。
彼らは戦場での戦いというより、主に皇王国の兵の降伏を誘う者たちとして使ってください」
「おう、助かる。ありがたく使わせてもらう。
クリストフなら昔は共に団長に学んだ仲だ、気心も知れているしな。
代わりにと言っては何だが、イシュタルの治安維持に騎兵1,000騎を残していくので、使ってやってくれ。
特にイシュタルは、味方の兵数を遥かに超える数の捕虜を抱え、大変だろう?」
そう、今の俺にとって最大の足枷は、抱えている莫大な数の捕虜だった。
特にイシュタルは、外部区画を丸ごと臨時捕虜収容施設にして対処しているが、勝利した後の掃討戦でも捕虜の数は増え続けてしまっている。
アイギスでもあの後、魔境を逃走中に降伏した兵たちを追加していた。
この膨大な数の捕虜については、負傷兵も多く含まれており、アレクシスらはその対応に奔走している。
アイギス収容捕虜数 :2,500名+ 500名
イシュタル収容捕虜数:6,300名+2,400名
「ありがとうございます。一応、戦いが終わったのでアレクシスは捕虜対応と街の再建に専念してもらい、イシュタルの総合的な管理は父上に、アイギスについては義父上に、当面の間お任せしようと思ってます。
コーネル子爵は再建と物資の輸送、イシュタルより北側の治安維持をお願いする予定です。
其々の軍とも、今回の戦いではそれなりの犠牲も出ていますし」
「ははは、父に義父、そして叔父までをもれなく、か?」
「もちろん、陛下の許可は得ているので、戦果分配も兼ねて、ですよ。もちろん兄上も」
「ああ、期待させてもらうよ。
では、タクヒール! またな、互いに敵を撃退して、再びここで落ち合うとしよう」
「兄上もお気をつけて! 必ずですよ!」
こうして俺と兄は、まだ魔物が溢れかえり、危険地帯となっている魔境を一気に走破すると、兄は関門を超えてイシュタルへ入り、残していた軍勢と合流の上、北部戦線へと出立していった。
俺は、関門でゴーマン伯爵と合流し、アイギスへと向かった。
※
アイギスでは、俺の到着を待ち構えていたかのように、主要者が勢揃いしていた。
「先ずは皆、これまでの戦いで勝利できたこと、改めて礼を言いたい。本当にありがとう。
だが、俺たちは本当の意味でまだ勝利していない。引き続き力を貸してほしい。
この国を守るために」
俺の言葉に、全員が頷く。
誰もがその覚悟を決めており、むしろ当然のこと、そう言いたげに。
「義父上(ゴーマン伯爵)、お手数をお掛けしますが、アイギスの守りをお願いいたします。
また、南の国境で有事があれば、駆け付けていただく体制を維持し続けてください」
「承知した」
「団長、魔境騎士団は全軍を以て西部戦線に駆け付けます。テイグーンからエスト、そしてクレイラットまで一気に抜けます」
「承知!」
「以降、各自にそれぞれ新しい任務に就いてもらう。
ゲイル、残った魔境伯軍及び武装自警団の統率を頼む。ゴーマン伯爵を支えてくれ。
クリストフ、アウラは最初に移住したロングボウ兵1,000人を率い、北部戦線に向かってくれ。
兄上を支援するため先行する辺境騎士団を追い、全員騎乗で向かってくれ。馬は余裕があるはずだ。
ラファール、ティア商会を配下に引き連れ、俺と共に西部戦線へ。後方攪乱を追って指示する。
バルト、こちらでは余興に過ぎなかったが、西ではアレを使うことになるだろう。運送を頼む。
マルス、ダンケ、アストールの3名も俺と共に。
アラル、マスルール、イサーク、キーラ、ライラは指揮下の部隊とともに残留し、ゲイルを支えてくれ」
「応っ!」
一部の者は自身も連れて行って欲しそうな顔をしていたが、まだ守備を完全に空ける訳にはいかない。
「ミシェル、これよりイシュタルへ向かい、現地の負傷者対応を頼む。現地に応援として入っているミアと二人で、継続して負傷者の対応を。現地のマリアンヌとラナトリアは、ミシェルの到着後、対応が落ち着けば西部戦線へ合流させる。クララとティアラはアイギスにて負傷者対応の継続を。聖魔法士たちには負担を掛けてしまっているが、もう少しだけ力を貸してほしい」
「はいっ!」
「アンは……、テイグーンにてミザリーを支えてやってくれ。頼んだよ。
クレア、ヨルティアは西部戦線へ。
特にヨルティアはカーリーン、リリア、イリナ、カタリナと共にアレをいつでも発動できるように。
弓箭兵の対応、そして敵魔法の防衛は主にブラントとフォルク、この2人が中心だ。
サシャやウォルスと常に行動を共にするように。
レイアとシャノン、キニアは俺と共に本陣詰めだ。
既に西部戦線に派遣している魔法士たちと合流し、侵攻軍を叩き潰す!」
アンはじっと訴えるような目でこちらを見ていたが、今回の遠征には連れていけない。
可凜はまだ1歳になったばかりだ。そうそう長く母親と引き離す訳にはいかなかった。
俺は敢えてその理由を言わなかったが、本人も重々承知しているのだろう。不満やお願いを言葉にすることはなかった。
「帝国軍の侵攻も、そろそろ情報として西部戦線に届いているだろう。だが奴らは南部戦線の終結を知らない。外線作戦の不利を、奴らに思い知らせてやる! そして、俺たち、カイル王国に勝利を!」
「応っ!」
一斉に大きな返答があった。
最大の難敵は葬ったが、俺達にはまだ未知の戦いが残されている。
正直、たった50名程度とはいえ、公国の魔法士たちの一斉攻撃に、鉄壁のテイグーンでさえ戸惑う一面があった。
西部戦線の報告では、緒戦でそれを破ったとあったが、実際に攻撃を受けた俺は、彼らの攻撃の苛烈さ、そしてその危険性を身に染みて感じ、それが事実なのか、そんな漠然とした不安を感じてていた。
そして後日、その不安は的中することになった。
西部戦線を戦う者たちは、魔法兵団の真の恐ろしさを知り、恐怖に陥いることとなる。
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次回は『動き出した脅威』を投稿予定です。
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