第二百六十一話 南部戦線⑮ イシュタル攻防戦(不協和音)
時系列は、ゴーマン伯爵の護る関門、及びイシュタルにて戦端が開かれた頃、その時まで少し遡る。
イシュタルを守る魔境側の関門、およびイシュタルを巡り激戦が行われていた頃、アイギスに居るタクヒールは、彼らの無事と戦いの帰趨を気にしつつ、具体的に打てる手もなく、気を揉んでいた。
朝から俺は、アイギスの城壁の上をただ当てもなく行ったり来たりしていた。
どうしても気持ちが落ち着かないからだ。
俺の送った警告の反応、そして帝国軍別働隊の動きが気になって仕方なかった。
「どうだ、その後の返信は?」
「はっ、関門からの返信はZ旗が上がっておりますが、イシュタルからはまだ返答がない様です」
「そうか……」
担当兵からの返事にも、そっけなく応じるしかできなかった。
頼むアレクシス、気付いてくれ……
彼は学園で俺と共に過ごした時間も長い。共に戦術を議論し、語り合った仲の彼なら、きっと気付いてくれるはずた。
そう思いつつ俺は、その後も祈るように報告を待った。
「団長、イシュタル方面への援軍派遣について、どう思いますか?」
「敢えて意地の悪い言い方をすれば、タクヒールさまが今、考えられていらしゃる通りです。
共に、彼らの健闘を祈り、我らはこの地での責務を果たすだけです」
「ですよね……」
万が一の場合は、イシュタルも関門も、玉砕や無理な防衛戦を行うことなく、ガイアまで撤退するように厳命してある。
そのために必要な、逃走用の馬も配備し、全ての要員が騎馬で動けるようにもしている。
また、各所に隠し通路などを準備し、敵に包囲されても退路はちゃんと残している。
今俺が焦って動くこと、恐らくこれは敵の狙いのひとつだ。
なけなしの戦力を関門に差し向ければ、途中で待ち伏せをくらう可能性も十二分にある。
そして、無策で倍以上の敵軍と、野戦で対峙することになれば、俺たちは確実に負けるだろう。
数の力、それは無常だ。むしろ、小手先の戦術ではどうしようもない場合の方が多い。
今俺が、一番やってはならない事、それは少数で多数を撃破することを前提に、無闇に焦って動く事だ。
そんな時、関門を経由したイシュタルからの返答と、次いで関門の開戦報告、イシュタルの開戦報告が矢継ぎ早にあった。
「関門の守りは非常に硬いです。百歩譲って、門を奪取されて開かれたとしても、上部構造物、関門全体を落とすことは極めて難しいでしょう。
タクヒールさまらは、関門の改装を含めて、その様に強固にお作りになったのでしょう?
ゴーマン伯爵は百戦錬磨、配下は勇猛揃いです。数日なら完璧に守り通してくれますよ」
俺は団長の言葉に勇気付けられた。
「では団長、我々は彼らの負担を少しでも軽くできるよう、攻勢に出るための仕込みでも行うことにしましょうか? カタパルトで例の攻撃を開始します」
「それがよろしいかと思います」
俺は、関門からの戦況報告に一喜一憂していたが、最終的に……
黄ー白ー赤
(関門の敵襲は撃退を完了せり、戦況有利)
赤ー白ー赤
(イシュタルの敵襲は撃退を完了せり。戦況有利)
これらの報告を受け、落ち着きを取り戻した。
こうなれば俺たちも負けてられず、やるべき事をやらなければならない。
朝から行ってきた嫌がらせの攻撃と、敵軍の攻撃阻止は、着実に効果を挙げていた。
それは、予め収集して保管していた、魔物の臓物や血を、帝国軍が前線として配置につく場所目掛け、カタパルトを使って撒き散らす事だった。
これで彼らは、魔法士やバリスタによる攻撃がしづらくなるだろう。
なんせ、攻撃を行うための集結位置が、魔物が集まる危険地帯になってしまっているのだから。
これに業を煮やして、城壁に取り付いてくれば、此方の思う壺となる。
このように俺は、日が暮れるまで第一皇子と神経戦を繰り返した。
※
夕闇の迫る頃、イシュタルの街には帝国軍の使者が訪れていた。
使者としてアレクシスたちの元を訪れた者のひとりは、これに先立ちイシュタルから解放され、使者として送り出されていた捕虜の帝国兵だった。
「我々は、帝国左翼軍副司令官、ハーリー公爵より書簡を預かって参上いたしました。
先ずは同胞への丁重なご対応に感謝し、同時に貴軍の戦死者に対し、謹んで哀悼の意を捧げさせていただきます」
彼らが持参した、ハーリー公爵の書簡は次のような事が書かれていた。
『ソリス魔境伯及び、イシュタル防衛の司令官に対し、帝国兵への温情ある対処に、心より感謝するとともに、お礼申し上げる。
ご厚意に甘え、今夜から明日の日没まで、同胞の亡骸を丁重に葬り、その御霊を安らげることに専念させていただく。
この期間、葬送の地だけでなく、魔境より内側の一帯では、一切の軍事行動を停止すること、予め申し伝えるものとする。
それ以降はお互いの祖国の命運を背負い、堂々と雌雄を決する戦いに臨む所存だが、貴軍に降伏の意思あれば、帝国公爵の名にかけて、諸君らの名誉を守り、戦後もこの国にて、その高潔な志が生かせる場を用意するつもりでいる。
その際は遠慮なく申し出てほしい。
我らは友として諸君らを迎えることだろう』
「ハーリー公爵は、誇り高く負けず嫌い、そういうことですね?」
書簡を一読すると、そう言ってアレクシスが笑った。
「ふむ、上から目線なのはやむを得ないか……」
「ですな、先方は公爵ですからね。しかも帝国の。
魔境伯は辺境伯待遇ですから、序列では数段下です。しかも我々の様な小物が相手では……」
ソリス伯爵の指摘に、コーネル子爵も笑って応じた。
「取り敢えず司令官の読み通り、時間的猶予ができたことは幸いだったな。流石はクリシアが見込んだ男と言うべきだな」
「いや……、そんな、お恥ずかしい限りです」
「それで、司令官はこの時間をどう使われるおつもりかな?」
「はい、ソリス伯爵。彼らは返還した捕虜や、撤退した諸将から我々の策略を知り、次はそれを封じた形で攻め寄せてくるでしょうね。
なので、それに応じた罠を張ります」
「ほう、司令官は魔境伯に劣らず、知謀の泉を持たれている様ですな」
「いえいえ、コーネル子爵、僕のは全部タクヒールさまの請け売りですから、出処は全てタクヒールさまですよ」
「それにしても、丸1日、色々な意味で猶予が出来たのは幸いだな。いや、見事な手並みだった」
「非才な我が身に対し、ソリス伯爵のお言葉、大変嬉しく思います」
そう答えたアレクシスも、もちろんソリス伯爵やコーネル子爵も、彼らが稼ぎ出したこの1日の重み、それが歴史を転換させる重大事に繋がるとは、この時点では、そこに居た誰もが想像すらできなかった。
※
そして、仮初の停戦が行われている翌日は、一見平穏に過ぎたように見えたが、グリフォニア帝国軍の内部では、小さな問題が沸き起こっていた。
「何だと! 兵の士気が下がっていると?
一体どういうことだ!」
ハーリー公爵は報告してきた者に怒声を浴びせた。
「はい、我々は敵軍から傷の浅い2百名余の捕虜を返還されました。戦死者の亡骸の運搬、安置場所の安全確保という名目で。その解放された捕虜たちを中心に、これ以上魔境伯と戦うのは無益である、そんな声が起こっております」
「帝国の、誇り高き精鋭である鉄騎兵がか?」
「はい、誇り高き者たちだからこそ、です。
彼らは魔境伯軍の処遇、ひとたび戦いが終われば、敵味方分け隔てなく救助し、治療を行うこと、例え先程まで切り結んだ敵であっても、亡骸を丁重に葬ること。
これらに感銘を受けている者も多く……
敵軍の戦略により、彼らは厭戦気分を抱いております」
「なんと! 奴らはそこまで見越して、常識外の捕虜解放まで行ったということか……」
ハーリー公爵は絶句するしかなかった。
だが、その事実は彼らの想像とは少し違った。
実はその種は、戦いの始まる前から蒔かれていたのだ。
ドゥルール男爵、この男はもともと第一皇子の陣営、ブラッドリー侯爵に属する貴族のひとりであり、その家柄からも第一皇子親衛軍には知己も多い。
彼が捕虜返還以降、第三皇子陣営に鞍替えし、その後、スーラ公国との戦いで活躍し子爵に昇爵するとともに、第三皇子派の中でも着実に地歩を固めていた。
その彼が今回の出征を知った時は、烈火のごとく怒り、即座に第三皇子を諫めに向かった。
そして、第三皇子の本心を知ると矛を収め、次に第一皇子率いる左翼陣営に所属する知己を訪ね歩いていたのだ。
魔境伯が帝国兵の捕虜に対し行った、マツヤマ方式の恩を説き、できれば参戦を控えて欲しいこと。
参戦する場合は、帝国軍の誇りにかけて、敵兵にさえ温情ある対応を行うように、まして、占領地の住民には絶対に無体なことは行わないよう、彼らがかつて、住民から受けた恩を引き合いに、粘り強く説いて回っていた。
当然、鉄騎兵の有力士官たちも、『戦いを前に何を甘いことを言うか』、彼をそう笑って一顧だにしなかった。
だが、実際に自身やその周囲に、ドゥルール子爵が言っていた通りの出来事が起こると、話は違う。
「我らは誇り高き騎士として、受けた恩は返すべきであろう。ただ馬蹄にかけて潰すには、惜しい者たちである」
そんな言葉が各所から沸き起こっていた。
そのため、正確には厭戦気分ではなく、戦意自体は衰えていないのだが、敵愾心が大きく減っていた。
ハーリーやその報告を行った者たちは、その点を理解せず、大きな勘違いをしていたのだ。
「関門の戦いで、負傷者も数多く出ておる。だが、我らは負傷者を抱えたまま前進もできん故、臆病風に吹かれた者共に負傷者を任せ、我らは明朝、敵の城砦を攻略するために前進する。
帝国への忠誠の低い者は、後日その罪を問うとして、今は足手まといとと共に置いてゆけ!」
このような経緯で、山岳地帯を抜けた本陣には、関門戦で負傷した歩兵の負傷者1,000名と、武装解除され返還された元捕虜の鉄騎兵200名、彼らに同調した鉄騎兵200名らが、その護衛として残された。
「恐ろしい奴らだ。それ故にこそ、完膚なきまでに叩き潰さねばならんのじゃ。この地に新しき政を敷くためには……」
ハーリー公爵は、改めて敵軍への恐ろしさを自覚し、敵愾心を更に強くした。
そして、この南部戦線最大の山場となる戦いが、今始まろうとしていた。
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次回は『イシュタル攻防戦(イシュタル炎上)』を投稿予定です。
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