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第二百五十八話 南部戦線⑫ イシュタル攻防戦(開かれた戦端)

黎明の奇襲を行った第一皇子が、思いもよらぬ反撃を受け、戦列を一旦下げたあと、本陣に控えていた一人の男に話しかけた。



「さて、キリアス卿、其方にはこれまで、魔境での案内や宿営地の夜間警備など、日陰となる任務も多く、武勲を立てる暇もなかったであろう?

よってこれより、卿に新たな任務を与える」



「……」



キリアスは沈黙していた。

そして、第一皇子の意図することが、再び同胞に刃を向けることであることの覚悟を決めた。



「わが軍は、既に約20,000の兵力が魔境より敵国領内に進出し、イシュタルと呼ばれる地を攻略中だ。

其方は魔境側より、かの地に通じる関門を攻略せよ。関門内、関門外との挟撃となるゆえ、武勲を立てる機会にもなろう。なお、小僧の軍が救援に向かう際は、これを迎撃し撃滅せよ」



「承知」



短く呟いたキリアスは、自身が死地に送られることを理解していた。

数にも勝る、圧倒的に有利な挟撃戦だが、キリアス自身も関門を守る守備軍と、援軍に駆け付けた魔境伯軍に挟撃される可能性が十分にあるからだ。


まして、相手が魔境伯軍ではなく、魔物の群れである可能性も高い。


憮然とした表情を隠し、頭を下げて返答したキリアスに対し、第一皇子は言葉を続けた。



「キリアス卿、そう心配するな。我らを無事にここまで導いた其方の器量、余は高く評価しているつもりだ。関門へと向かう中間地点には、我が配下の鉄騎兵が潜み、魔境伯が援軍を送った場合は、たちどころに撃滅するため、その爪を研ぎ待ち構えておるわ。

其方は前だけを向いて、戦えばよいことよ」



「は、ありがたく……」



第一皇子の真意はまだ分からない。だが、彼と彼の軍を、ただ餌にするだけのつもりではなさそうだった。

キリアスは気を取り直して、1千名の兵を率いて移動を開始した。

そう、既に死傷者を含め4百名程度の部下は、彼から離れるか、彼の行動に異を唱えて袂を分かっている。



「私はまだ死ねん。大望を成し遂げるまでは。

だが、最後まで私に付き従ってくれる兵は、一体どれだけになるだろうか……

だがこの戦で、兵たちの心も固まるであろう。もはや我らは、引き返すことのできぬ修羅の道に入ったことを」



自嘲気味にそう呟くと、彼は自軍の先頭に立ち、進軍を始めた。



日が昇り、大地を明るく彩り始めたころ、旧ヒヨリミ子爵領と魔境を隔てる山岳地帯、そこの崖や仕掛けられていた逆茂木などの防衛施設を排除し、魔境伯領へと抜ける人馬の一団があった。



「良いか! これが最後の難所じゃ。

鉄騎兵は全て下馬し、鎧は荷駄隊や歩兵に任せろ。馬が脚を滑らしたり、暴れんようにだけ注意を払え!

この先には、我らが思う存分疾駆し、武勲を上げるに十分な平原が広がっておる。者共、今こそ奮えっ!」



ハーリー公爵の檄に応じ、工事が済んだとはいえ未だに急峻な坂や、狭い道を軍勢は進んでいた。

彼らは、この先で思う存分に暴れまわることができること、その期待だけを頼りに、歯を食いしばり、通過困難な山間部を踏破していった。


そして、その苦労はやがて報われることになった。

山を抜けた彼らの眼前には、なだらかに傾斜する見通しのいい平原が広がっていたからだ。



「殿下、我らは遂に成し遂げましたぞ。

者共! 苦難の時は終わった。ここから帝国軍鉄騎兵の恐ろしさ、王国の奴らに思い知らせてやる時ぞ!」



ハーリー公爵は、麾下の1万9千名にも及ぶ兵たちの奮起を促した。



同じく朝日が周囲を照らす中、今起こっていることの状況が掴めず、混乱する者たちもいた。



「旗に、間違いはないのだな?」



「はい、気球は2つ、赤-赤-青、そして、黄-赤-青です!」



「関門とイシュイタル、双方に敵軍の攻撃開始、警戒せよ……、デアルカ」



「伝令を走らせて、魔境伯に真意を問いただしますか?」



関門もイシュタルも現在、敵軍の攻撃を受けていない。

敵の歩兵の一部が、山岳地帯に取りついたこと、その後、そこに橋頭保を築いたことまでは、斥候により確認できている。


ゴーマン伯爵自身も何度か物見を放ってはいたが、敵軍の哨戒ラインは強固で、昨日以降は敵軍の動向を確認できていなかった。


そして今、本来なら自身やイシュタル側が発するべき信号を、アイギスから受けた。

それを命じた魔境伯の真意は……

一瞬迷ったのち、ゴーマン伯爵は決断した。



「総司令官(魔境伯)の命デアル! 黄-Z旗、赤-赤-青、二つの気球を掲げよ!

関門守備兵全軍は、直ちに関門内外に向けて迎撃態勢を取れ! 敵が間もなく来るぞ!」 



魔境伯からの気球信号を直接受ける関門ゴーマンとは異なり、イシュタル側では異様な信号を受け、輪をかけて困惑していた。

本陣に居並ぶ諸将を代表して、ソリス伯爵は司令官たるバウナー男爵(アレクシス)に尋ねた。



「司令官、関門からの奇怪な信号、どう思われる?」



「そうですね、僕はあれが、関門からではなく、総司令からの信号を中継していると思います。

2つの気球のうち、一方は関門(黄色)とZ旗でしたから」



「ふむ、それでは猶更不思議な話ですな。遠く離れた戦場の総司令官が、イシュタルへの攻撃開始を告げてくること自体、兵たちの困惑のもとにもなるでしょう。

旗を受けた直後、脚の速い物見を選んで、関門方面に馬を走らせておりますが……」



「コーネル子爵、ご対応ありがとうございます。

取り急ぎ、我らも赤とZ旗の気球を上げましょう。そして、戦闘待機から戦闘準備の触れを出しましょう」



「関門側の手違い、そういうことはないのか?」



居並ぶ諸将の中、準男爵や騎士爵の地位にある、分隊司令官たちが異論の声を上げた。

彼らは、アレクシスの部下でも、そしてタクヒールの部下でもない。


先の内乱による論功行賞で、ソリス伯爵、コーネル子爵は一気に領地が倍以上になった。

急速に領地が増える過程で、旧領主や取り潰された周辺貴族の配下でも、恭順を示していた兵たち、その中に含まれる騎士爵や準男爵など、準貴族と呼ばれる者たちを登用し、配下に加えていた。


彼らは新しい領主に仕え、最初に武勲を上げる機会となるこの戦いに、相当鼻息を荒くして臨んでいた。


だが、彼らの所属する方面軍の司令官となったのは、各々の領主である伯爵や子爵ではなく、同格と言っていい準貴族のアレクシスだった。

そのことに憤慨し、そして失望していた。


もちろん、総司令の意を受けた人事であることは理解しているが、泰然たいぜんとしてその人事を受け入れ、格下の彼の指揮に従うソリス伯爵やコーネル子爵のようには、とても振る舞うことができなかった。



「歴戦の勇者であるゴーマン伯爵が、戦場でそのような混乱を招く行いをされるとは思えませんね。

まして、昨日山岳地帯に取り付いた敵軍の動向が、今もって不明です。

本来なら、既にこちらか関門、どちらかを襲撃してきてもおかしくないはずです」



「大軍が、まして騎兵があの山岳地帯を越えられるものか!

しかも総司令官の守られているアイギスは鉄壁、そこを攻めるために敵軍の主力は、アイギス方面にあるのが道理だろう。

それに、昨日の報告ではアイギスは優勢、そう知らせがあったではないか!」



「申し訳ないが、ここは貴方たちの見解を聞くべき場ではない。我が職責に従い発する指示に従ってもらいます。よろしいかな?」



「……」



『ホント、これだから嫌だったんだよなぁ。僕は身分とかややこしい序列とか、元々嫌いだったし。

本当なら、最上位のソリス伯爵に指揮を任せたいんだけど……。ただあの方は、どちらかというと猛将、前線でこそ活躍される才をお持ちだし……

タクヒール殿が戦いの前に余計な事を言ってくれたお陰で、猶更やりにくいし……』



アレクシスは心の中で呟いていた。

タクヒールの余計な一言、それは過日、最終の全体会議が散会したのち、アレクシスを改めてソリス伯爵に紹介した時の一言だった。



『父上、彼は近い将来、ソリス家の婿となってくれる逸材です。盛り立ててやってくださいね。

クリシアはそれを強く望んでおります。くれぐれも……』



あまりの驚愕に、開いた口が塞がらない様子のソリス伯爵を前に、いつもは陽気で飄々としていたアレクシスも、どう反応して良いか分からず、言葉を詰まらせていた。



アレクシスがそんな事を思い浮かべていた時、この会議の流れを変える報告がもたらされた。



「急報! 先に放った物見より急報です!

関門めがけて、約一万の兵が進んでおります! 間もなく、交戦状態に入る模様!」



「い、一万だと! 敵軍は一万もの兵を此方に振り分けて来たのか? 我ら全軍の3倍ではないか!」



「司令官! 直ちに援軍を送るべきと進言いたします。

関門が落ちれば、敵はそこから魔境伯領を侵攻してきます。ゴーマン伯爵軍だけでは持ちません!」



「皆の意見も同じですか?」



その場に集まった指揮官たち、アレクシスたち3名を除いた全員が立ち上がっていた。


ソリス伯爵、コーネル子爵ら歴戦の指揮官は、腕を組んで瞑目していた。恐らく、言葉にこそしないが、アレクシスが感じている不安と同じものを感じているのだろう。


イシュタル駐留軍指揮官として、タクヒールから付けられていたアラルは、全てはアレクシスの指示のままに、そう言いたげな表情で沈黙していた。



「念のため確認します。敵軍は約一万、そして全て歩兵ですか?」



「はい、司令官の仰る通りです」



議場に招き入れられた物見が、自信を持って返答した。



「では、各隊より騎兵として腕の立つ者を選抜し、1,000騎の増援を送ります。

各騎兵は備え付け用の馬具を装備し、エストールボウと予備のクロスボウを装填済の状態で、安全装置を掛けて進軍すること。

指揮官には、ソリス伯爵にご足労願いたいのですが、よろしいでしょうか?」



「承知した。全軍! 直ちに出立の用意を整えよ!」



「応っ!」



これまで不満顔だった者たちも、ソリス伯爵が指揮官として出ると聞いて、勇躍して大きな声を上げた。


『ホント、現金な人たちだ』アレクシスはそう思ったが、勿論、言葉にすることはなかった。


実は、魔境伯領内の兵士は、迅速な行動ができるよう、全ての兵士が騎兵として訓練を受けている。


また、昨年来、東辺境の魔法士たちの戦闘訓練を受け入れた結果、見返りとして多くの軍用馬が供与され、周辺領である各貴族も、その恩恵に預かっていた。

そのため、ここに参集していた各貴族軍にも、多くの騎馬が魔境伯経由で供与されている。


それらの理由により、アレクシスは最大1,500騎ほどの騎兵を用意できる状況にあった。

彼はそのうち500を残し、できる限りの精鋭をソリス伯爵に預けていた。



「ソリス伯爵、ご出立の前に少しだけお話があります。よろしいですか?」



アレクシスはそう言って何かをソリス伯爵に耳打ちした。

アレクシスと短い立ち話ののち、ソリス伯爵は乗騎すると、1,000騎を率いて出発していった。


こうしてイシュタル方面でも、激戦の火蓋は切られた。



幾人かの守将たちは、帝国軍の思惑に不気味な不安を抱えたまま……

そして彼らの不安は、最も最悪の形で、予想もしなかった展開を迎えることに繋がる。

いつもご覧いただきありがとうございます。

次回は『イシュタル攻防戦(帝国軍の罠)』を投稿予定です。

どうぞよろしくお願いいたします。


※※※お礼※※※

ブックマークや評価いただいた方、本当にありがとうございます。

誤字修正や感想、ご指摘などもいつもありがとうございます。

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