第二百五十五話 南部戦線⑨ 帝国左翼軍侵攻
11/10付で活動報告を更新しました。
時系列は少し前、サザンゲート要塞陥落の翌々日に遡る。
カイル王国が国境に設けた、サザンゲート要塞を陥落させ、万全の準備を整えた帝国軍左翼部隊、総数3万は全軍で以て魔境に入り、魔境伯領を目指して進軍を開始していた。
「ふふふ、我らの退路を脅かす要塞も今はない。お陰で全兵力をこちらに振り向けることができたわ。
良いか、忌々しい魔物どもの棲む魔境を焼き払い、我らの安全圏を確保しつつ進め!」
第一皇子グロリアスは上機嫌で先鋒部隊に下命した。
魔境に慣れぬ帝国軍も、前回の侵攻でその恐ろしさを身に染みて知った。
ならば、進路上に魔境自体が無ければよい。
第一皇子はそう決断していた。
これも、フェアラート公国から貸し出された魔法士のうち、40名にも及ぶ火魔法士が居たからからこそ、できる力業だった。
「まさか我々の急所、魔境内の進軍を、このような手段で解決されるとは、思ってもみませんでした。
それにしても、彼らの魔法の効果は絶大ですな」
ハーリーは感嘆した様子で、彼らの作業を見守っていた。
火魔法士は単に炎の雨を降らせるだけではない。一時的ながら火そのものの壁を作ったり、火の流れる向きを操ることができるのだ。そのため、効果的に魔境内に安全な道を築いている。
先頭を進む30名の火魔法士により、魔境内には幅300メル(≒m)にも及ぶ、大きな道が帯のように伸び、
残る火魔法士と雷魔法士は、5名づつ左右に分かれ、時折棲み処を焼き払われ、怒り狂って飛び出して来た魔物を焼き払い、雷撃で屠っていった。
「まぁ、難点と言えば、いささか進軍の速度が遅くなる。そこがもどかしい話ではあるがな。
この分では、目的地まで二日ほどかかってしまうな。気が急いてならんわ」
「宿営地建設の準備も万全を期しております」
第一皇子は過去の苦い敗北を忘れてはいなかった。魔物の大群による夜襲を受け、自らの命さえ失いかける危機に陥った経験を。
今回彼は、大量の荷駄隊を同道させていた。そこに満載されていたのは武器だけでなはい。
陣地を守るため、防御線を構築するための木杭やその資材も十分に用意していた。
「よし、本日の進軍はここまで! これより宿営地を建設するための、所定の作業に掛かれ!」
夕暮れにはまだ早い時間に、第一皇子は宿営地の建設を指示した。
一万名の兵士が同心円状に警戒に就き、その内側では2万の兵が杭となる木々を伐採し、それが済めば火魔法士達が周囲を焼き払う。
その一方で、空堀を掘り、逆茂木や柵を大地に据え付ける作業などが進められていった。
夕暮れとなる頃には、防御態勢を整えた広大な円形の防塞、そう呼んで差し支えない規模の宿営地が完成していた。
「これより朝まで、3交代で食事と睡眠、警備を行う。一匹たりとも魔物を宿営地に入れるなよ」
「応っ!」
第一皇子の兵たちの中にはかつて、血塗られた悪魔の夜を経験した者、夜通し魔物と戦い続けた経験を持つ兵士も少なからず存在する。第一皇子は彼らを全員昇格させ、夜間警備の各部門責任者に任じていた。
更に交易商人を通じて、魔境を進む手ほどきも受けさせていた。
加えて今回は、領内に魔境があり、魔境に慣れたキリアス子爵も彼の陣営にいる。
魔物の恐ろしさを十分に知る彼らは、可能な限り禁忌に抵触しないよう、慎重に対応を進めていた。
このように、いささか迂遠なやり方ではあったが、左翼軍は着実に魔境を進み、魔境伯領へと近づいていった。
※
帝国軍左翼の目立つ進軍は、当然ながらタクヒールらが放った斥候の目にも止まっていた。
そして、彼らの進軍の様子は逐一報告されていた。
「それにしても、3万の兵を使った人海戦術ですか。数の力、そしてそれが魔法士の力と結びついたとき、恐ろしいものとなりますな」
報告を受け、俺の傍らにいた団長が嘆息した。
「ですね……、まるで学園で学んだ、初代カイル王が魔境を切り拓く時もあんな感じだったのかな?
にしても、やりたい放題されるのは、いささか不愉快ですね」
「まぁ、今回は奴らを一網打尽にすることも、戦略のひとつです。今でも攻撃手段は幾つもありますが、それでは大魚を逃しかねませんからね。ご辛抱ください」
そう、俺は彼らが魔境をむちゃくちゃにして進軍することに、非常に腹を立てていた。
そういう俺自身、魔境を開拓してアイギスを作ったり、幾つかの防衛施設を建設している。
だがそれも、節度を以って行っているつもりだ。
魔導砲を試射した場所でさえ、後日、ある目的を持って切り拓く予定の地であり、ただ大地を抉って喜んでいる訳ではない。
まぁ、植物の繁殖力も旺盛なので、数年で元通りになると見越してもいるが……
そもそも魔境は、人にとって危険な場所であり、人を襲う魔物の生息地でもある。
だが、俺たちに数々の恩恵をもたらしてくれる宝でもある。
魔物は、各種素材として大変有用であり、魔法士適性を確認するための魔石も生む。そして疫病に打ち勝つ決め手となる植物も、植生地は魔境の中にある。
魔境があるからこそ、俺たちはその恩恵を受けて繫栄しているといっても良いだろう。
魔境を友とし、魔境と共に歩む者、そんな意味で魔境伯と命名された経緯もある。
「彼らがここイシュタル、そしてアイギスに刃を向けてくるのは、明後日ぐらいでしょうか?」
「そうですね。今回敵は慎重に軍を進めております。報告では歩兵の方が多く約2万名。
今の進軍速度を考えると、タクヒールさまの予想が正しいでしょう」
そう、俺が意表を突かれたのは、この点だった。
以前ジークハルトも、自分であれば騎馬よりも歩兵中心で侵攻すると言っていたが、まさか第一皇子陣営も同じ手で来るとは思ってもみなかった。
「そうなると、イシュタルの守りが心配です。一万を超える歩兵と対峙すれば、そう長く持ちこたえることは叶わないでしょうし……」
「そうですな。現段階ではまだ、敵軍の意図するところ、主攻とする場所も掴み切れておりません。
イシュタルもそれなりに難攻不落といえますが、不安要素はあります」
「アレクシスには念のため、イシュタル及び周辺地区の非戦闘員、兵站を支える者たち以外は、ディモス及びガイアに避難させるよう言っております。防衛部隊も開拓村の守備は捨て、街の防衛に専念するよう伝えております」
「そうですね……、それが正しいご判断かと思います」
この時点で俺には、まだ沸き起こる不安の全てを、完全に拭いさることはできなかった。
※
こうした不安とやるせなさのなか、帝国軍が魔境に作った太い街道は、イシュタル側との境界にある小さな山脈が連なる部分から、関門、そしてアイギスの砦前まで、俺たちの防衛線に少し距離を置いたかたちで、並行して伸びていった。
「そろそろ潮時か? 今日は……、来るな」
俺がそう呟いた時だった。
「見張り台より報告!
イシュタル側の関門、ゴーマン伯爵軍より気球信号。旗は上から青、青、青です!」
「予想通り、先ずは山岳部に取り付いたか……
こちらもZ旗を掲げよ!」
そう、これは今回の戦いに備え、俺が用意した新兵器のひとつ、広域にわたる戦線の状況を、リアルタイムで確認するため構築した手段である、気球信号だ。
数年の研究と魔法士たちの助力により、俺たちは簡易ではあるが、小型気球の実用化に成功していた。
信号発信用の無人気球を綱で縛り、上空に上げる。そこに青、赤、黄、白、黒の5色の大きな旗を、3段に取り付けることにより、ある程度の情報をアイギス、イシュタル関門、イシュタルとやり取りする。
高空でなくて構わない、元々高台の場所から、ちょとした高さに気球を上げれば、十数キル(≒km)先でも旗を確認することができる。
更にイシュタルとの間にある関門は、双方の中継地としての役目を担うため、ここの防衛は俺たちにとって非常に大事な役割を持つ。
まぁ、俺たちは気球と呼んでいるが、根本は綱で縛られており、現代日本ではもう、あまり見掛けなくなったアドバルーンに似ているが……
因みに、白旗は降伏の合図と受け取られてしまうと不味いので、中心部を赤く染め抜いた日の丸にしている。異世界に日の丸の旗が揚がること、これはこれで俺には感慨深いものがある。
そしてZ旗は、2本の対角線で4分され、黄・黒・赤・青の4色に染め分けられたもので、日本海軍が使用したものと同じ意味合いを採用している。
他所の発した信号を受領した旨を伝えるだけでなく、『王国の興廃この一戦にあり、必勝を祈願し各員一層奮励努力せよ』、そんな意味も持たせている。
そしてもう一つ、魔導砲による殲滅攻撃を行う際は、魔境伯旗を3段で上げる取り決めになっている。万が一、展開していた味方を巻き込まないように。
今回、ゴーマン伯爵が放った斥候から得た報告は……
上段:青 関門脇の山岳部にて
中段:青 敵兵が取り付き侵攻を始めた
下段:青 警戒されたし
だった。
「続いて、関門より気球信号を確認、右、赤、そしてZ旗、左、白、及びZ旗です!」
「ふむ、イシュタル側でも、情報を受領したようですな。
それにしても、タクヒールさまにはいつも驚かされます。この情報伝達手段といい、気球といい、そして今回の作戦に投入された……、私の知らない、いや、この世界になかった物ばかりですな……」
団長が驚くのも無理はない。
現代技術を生かしたチート兵器については、魔境伯となって以降、資金と人材(主にカール工房長)を得ることができたため、それこそここ数年は、思いつくままに開発に取り組んでいた。
避雷針、火薬、気球、そして……
各所の見張り台には、今回なんとか実用できるレベルで開発に成功した、据え付け型の簡易望遠鏡を装備している。そして俺自身は、試作段階の携行用望遠鏡すら腰に吊るしている。
このような戦略兵器の開発は、これまでできる限り秘匿してきたが、西部戦線を含め、必要なものは今回一気に放出している。
この未曾有の戦いを乗り切るために。
「さて、報告にあった東側の目を逸らすためにも、こちらも攻撃を行ってくると思いますが、団長、どうですか?」
「そうですね、先ずは魔法士による攻撃魔法を放ってくるでしょうね。ザザンゲート要塞戦と同じく、我らを混乱させ、次の手に出るために。
全軍、対魔法防御態勢! 風魔法士、水魔法士、雷魔法士、敵が300メルより先に来れば攻撃が来るぞ!」
団長が指さした先には、帝国軍が要塞から1キル(≒km)離れた先の、彼らが作った街道から、森を縫って前進を始めていた。
10,000名にも及ぶ歩兵たちが、それぞれ大盾を掲げて。
「最初は奴らに打たせてやれ! 要塞戦とは勝手が違うこと、奴らに思い知らせてやるんだ!
弓箭兵は直ちに反撃を行うため、魔法士の傘の下で射撃体勢のまま待機!
無念に散った者たち、辺境伯の仇、思い知らせてやる!」
俺はアイギスの最前線、砦の城壁上に立ち叫ぶと、敵軍を睨み付けた。
帝国軍は、俺たちから300メル程度まで進むと、森の中で進軍を停止し、盾の傘を作った。
そして、大きな銅鑼の音が鳴り響いた。
「来ます!」
団長の言葉とともに、天を焦がすような火弾の雨と、雷撃が轟音とともに俺たちに襲い掛かった。
南部戦線の鍵を握る、魔境伯領防衛線の戦いの火蓋が、遂に切って落とされた。
抜けるような青空のアイギス上空には、風を受けて雄々しく、日の丸と赤旗、そしてZ旗が、たなびいていた。
◆参考:主な旗の使い分け
◇上段(地域を指す)
青 山岳部
赤 イシュタル
黄 関門
白 アイギス
黒 その他地域
◇中段(状況を指す)
青 侵攻開始
赤 攻撃開始(敵)
黄 反撃開始(味方)
白 撃退完了
黒 味方撤退中
他 Z旗(主に了解の意味)、他
◇下段(結果を指す)
青 要警戒
赤 戦況有利
黄 戦況不利
白 勝利
黒 敗退
他 Z旗(主に必勝を期すの意味)、他
◇その他
魔境伯旗
いつもご覧いただきありがとうございます。
次回は『鉄壁の盾』を投稿予定です。
※※※お知らせ※※※
書籍版発売日(1/20)が決まり、11/10日から予約受付が開始されました。
詳細は活動報告に掲載しておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
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